お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

サザンがデビューした年、僕は大学に入りました。

2005年10月05日 | 歌・CD
キラーストリート (初回限定盤DVD付)
サザンオールスターズ
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かぐや姫「神田川」の世界に憧れていた。

2005年10月05日 | エッセイ・日記・意見
かぐや姫が歌った「東京での貧乏大学生活」に憧れていた時期がある。高校三年で、東京の私立大学と大阪の国立大学の両方に合格した時の事だ。

それまで、僕は一度も一人暮らしの経験が無かった。
狭いアパートに住んで、東京で彼女もでき、銭湯に行くという様な「ファンタジー」に浸っていたのだろう。

結局、親に経済的負担をかけない事、そして、東京の私立が一学部で1000人くらいの学生がいるのに対し、大阪の国立は200人程度だった事・・・つまり、「鶏頭になるとも牛後になる無かれ(正確にはどういうのかな?)」のことわざを信じて、大阪の国立大学に行く事に決めた。

大学には5年行った。つまり、「就職浪人」したのである。

僕は、四回生になり、自分はどんな仕事に向いているか、或いはしたいか、自分自身の中で悩んでいた。
「英語と旅が好きな事」である大手旅行会社から内定を貰っていた。
しかしながら、そこから僕に不幸な事が起こるのである。当時は学生の「売り手市場」で内定を貰った学生は10月1日にその会社に集合。他社に逃げられない様に、監禁されたのである。
10月1日の午前中に「健康診断」。夜は有楽町のホテルで宴会。そして、翌日から「箱根の会社の保養所へのツアー」。
就職活動の落ち着く10月3日の夕方に解散となるのである。

ある船を作っている会社は、10月1日、船の見学と称して、内定者を船に乗り込ませ、気付かない間に出航。10月3日まで、日本に帰ってこない、等という噂も聞いた。

僕の、内定を貰った会社でも、10月1日夜の宴会中に、他社から電話がかかってきて、二階の寝室の窓から飛び降りて逃げた「つわもの」もいた。

僕の不幸は10月3日に待っていた。健康診断の結果、「肝機能」「高血圧」「不整脈」の3部門で、正常値を超えたのである。「内定」は取り消し。大阪に戻って、病院に行き、もう一度数値を計って貰ったら、すべて正常値だった。その事を内定を貰っていた会社に訴えたが、「内定取り消し」は引っくり返らなかったのである。

悪い予兆はあった。その年の夏休み、大学の友達と海水浴に行って、麻雀をやり、2日で3回「役満」を上がったのである。また、パチンコ屋に入る度に、僕の好きな「アレンジボール」でフィーバーするのだ。多分、その年の運を僕は「麻雀」と「アレンジボール」で使い果たしていたのかもしれない。

一年間、「ゼミ」の単位だけ残して、週一で大学に行っていた。あとの日は、昼まで寝て、昼食。そして、午睡。夕方、本屋に立ち読みに行き、夜はテレビを見て寝るという「半引きこもり状態」だった。
今思えば、あの時、いろいろバイトをして、社会を知っておくべきだったと後悔している。

翌年、もう一度、「自分が何をやりたいか」突き詰めて考え、「自分がテレビが大好きな事」を自覚。そして、テレビ局を受け、現在に至っている。

皮肉な事に、旅行会社の「添乗員」も、ドラマの「プロデューサー」もある意味では同じ様な仕事だ。たくさんの人を導いていき、苦情処理係等もやる。

まあ、旅行会社に就職していれば、今の妻と会う事も無かったかもしれないし、一緒に必死になってドラマを作ったキャストやスタッフとは絶対会えていないので、結果的には良かったと思う。

人生には幾つもの「岐路」があり、自分で選択できる場合と「運」によって決められる場合がある。
あまり、「完璧な人生」等と考えず、「人生という川を自然に流れていく」のも良いかもしれないと思う、この頃である。

よって、僕はいまだに「一人暮らし」をした事が無い。「神田川」の世界は「夢」だったようだ。


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「やらせ」と「捏造」

2005年10月05日 | テレビ
ちょうど、入社した少し前に、取材用のENG(Electric News Gatheringの略)カメラが開発され、身軽に取材に全国各地に行ける様になりました。

何度も取材に行くうちに、感じた事がありました。テレビの取材は「小さくなったと言っても、ホームムービーカメラの数倍大きいカメラ」を被写体である人物に向け、照明を当てた時点で、「やらせ」では無いかという疑問が湧いてきたのです。

テレビが取材に来て、生まれて始めて見る様な「大きなカメラの前で」、普段通りに喋るのは無理というものです。

本当にかつて「電波少年」でやっていた「ユーラシア大陸横断の旅・猿岩石」の様に、ホームムービーカメラを廻しっぱなしにして、やっと、普段の「被写体」の「本当の姿に限りなく近いもの」が撮れるのです。

「テレビ○○」の旅もので、「リポーター」が「この辺に××の美味しい店があると聞いたんだがなあ~」と探しているうちに、何メートルか行くと「目的の店」を発見する、という取材をよく見ます。これは、ある意味では「やらせ」だと僕は思うのですが、先程話した様に、テレビカメラが回った時点から、程度は別にしても、いつもとは違った被写体の言動が起きるのです。これを「やらせ」と言ってしまえば、「テレビという媒体そのもの」が成立しなくなってくるのではないかと思います。

新聞の「捏造」も最近、ニュースになっています。明らかに、「事実と違った事」を伝える事は「捏造」だと思います。

しかしながら、新聞社の体質と記者の個性で、「同じ取材対象」を見ても、「書き上がった記事」は千差万別の視点があると思います。ここでも、担当記者の「主観」が入っている訳ですから、基本的には、「署名記事」にすべきだと思います。そうでなければ、「警察の発表」とか「消防署の発表」とかを、どこが発表したか明記した上で紙面に載せるのが筋ではないでしょうか。

日本の新聞・ラジオ・テレビができて、100年余り、「マスメディア」であるがゆえ、どんな記事でも、番組でもある程度「記者・制作者の主観」を軸に考えていかないと、どのメディアも対象がマスである限り、読者・視聴者全員が完全に納得のいくものを作り出すのは、不可能に近いのかなと考えています。

僕が最初、バラエティーやワイドショーをやっていて、ドラマ制作に移りたいと希望したのも、ドラマは「フィクション」なので、ずーっと、入社以来、ジレンマとして持っていた「テレビカメラが回った時点でやらせではないのだろうかという不安」から脱出したかったのかもしれません。






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「おやじ」「いいたい放題」へ

2005年10月05日 | インターネット
インターネット上の対決も面白いのですが、「ご自分の主張」はご自分のサイトで、「垂れ流し」でどうぞやって下さい。

このブログを見て理解できない人が多数いると思いますが、「人を批判して生きている人間」が二人いて、そのコメントは僕には「全く必要ない」ので、見つけ次第消しています。

自分の意見を言うのは自分のサイトで。つまり、「インターネットストーカー」が二人いて、僕は「とても嫌な気分になっている」という事です。「コメントで反対の意見とか批判の意見とかは、全然大丈夫なのですが、言葉遣いも知らない人に、僕の書いたブログに関して、意見を言われるのは最悪」だと思っています。

美しい日本語の「婉曲」とか、学ばれたら如何?

「おやじ」「いいたい放題」を完全に拒否します。
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