かぐや姫が歌った「東京での貧乏大学生活」に憧れていた時期がある。高校三年で、東京の私立大学と大阪の国立大学の両方に合格した時の事だ。
それまで、僕は一度も一人暮らしの経験が無かった。
狭いアパートに住んで、東京で彼女もでき、銭湯に行くという様な「ファンタジー」に浸っていたのだろう。
結局、親に経済的負担をかけない事、そして、東京の私立が一学部で1000人くらいの学生がいるのに対し、大阪の国立は200人程度だった事・・・つまり、「鶏頭になるとも牛後になる無かれ(正確にはどういうのかな?)」のことわざを信じて、大阪の国立大学に行く事に決めた。
大学には5年行った。つまり、「就職浪人」したのである。
僕は、四回生になり、自分はどんな仕事に向いているか、或いはしたいか、自分自身の中で悩んでいた。
「英語と旅が好きな事」である大手旅行会社から内定を貰っていた。
しかしながら、そこから僕に不幸な事が起こるのである。当時は学生の「売り手市場」で内定を貰った学生は10月1日にその会社に集合。他社に逃げられない様に、監禁されたのである。
10月1日の午前中に「健康診断」。夜は有楽町のホテルで宴会。そして、翌日から「箱根の会社の保養所へのツアー」。
就職活動の落ち着く10月3日の夕方に解散となるのである。
ある船を作っている会社は、10月1日、船の見学と称して、内定者を船に乗り込ませ、気付かない間に出航。10月3日まで、日本に帰ってこない、等という噂も聞いた。
僕の、内定を貰った会社でも、10月1日夜の宴会中に、他社から電話がかかってきて、二階の寝室の窓から飛び降りて逃げた「つわもの」もいた。
僕の不幸は10月3日に待っていた。健康診断の結果、「肝機能」「高血圧」「不整脈」の3部門で、正常値を超えたのである。「内定」は取り消し。大阪に戻って、病院に行き、もう一度数値を計って貰ったら、すべて正常値だった。その事を内定を貰っていた会社に訴えたが、「内定取り消し」は引っくり返らなかったのである。
悪い予兆はあった。その年の夏休み、大学の友達と海水浴に行って、麻雀をやり、2日で3回「役満」を上がったのである。また、パチンコ屋に入る度に、僕の好きな「アレンジボール」でフィーバーするのだ。多分、その年の運を僕は「麻雀」と「アレンジボール」で使い果たしていたのかもしれない。
一年間、「ゼミ」の単位だけ残して、週一で大学に行っていた。あとの日は、昼まで寝て、昼食。そして、午睡。夕方、本屋に立ち読みに行き、夜はテレビを見て寝るという「半引きこもり状態」だった。
今思えば、あの時、いろいろバイトをして、社会を知っておくべきだったと後悔している。
翌年、もう一度、「自分が何をやりたいか」突き詰めて考え、「自分がテレビが大好きな事」を自覚。そして、テレビ局を受け、現在に至っている。
皮肉な事に、旅行会社の「添乗員」も、ドラマの「プロデューサー」もある意味では同じ様な仕事だ。たくさんの人を導いていき、苦情処理係等もやる。
まあ、旅行会社に就職していれば、今の妻と会う事も無かったかもしれないし、一緒に必死になってドラマを作ったキャストやスタッフとは絶対会えていないので、結果的には良かったと思う。
人生には幾つもの「岐路」があり、自分で選択できる場合と「運」によって決められる場合がある。
あまり、「完璧な人生」等と考えず、「人生という川を自然に流れていく」のも良いかもしれないと思う、この頃である。
よって、僕はいまだに「一人暮らし」をした事が無い。「神田川」の世界は「夢」だったようだ。