お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

心が穏やかな感じになる本です。小学生の時から「自殺」を考えていた僕の心に沁みました。

2005年10月15日 | 本・雑誌・漫画
自殺する前に読む本

ライブドアパブリッシング

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「みかんの皮」でも儲けます!!!

2005年10月15日 | エッセイ・日記・意見
花のれん

新潮社

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「吉本のミネラル・ウォーター」というのがあって、「なんばグランド花月」では、「吉本弁当」「吉本のお茶」と共に、観客に売られている。というか、地方からの団体さんを弁当付で入れて、儲けている。弁当は普通の弁当屋に作らせ、箱だけ、芸人のイラストを入れて、その分のマージンを取っているのだろう。

また、「ミネラル・ウォーター」には、出た頃、「採水地」が書いてなかった。
吉本の知り合いに「これ、どこの水?」と訊くと、「なんか、和歌山の山奥の方で採った水らしいわぁ」とあいまいな答え。ディス・イズ・「よしもと」である。

山崎豊子さんの「花のれん」という小説は、吉本興業の生みの親・吉本せいについて書かれたものである。その中にエピソードの一つとして、最初に作った劇場(今の大阪天満宮の裏手)で、「みかん」を売り、客が退場した後、客席に残った「みかんの皮」を集めて、「製薬会社」に売っていたという。「みかんの皮」は、御存知の方も多いと思うが、薬の原材料になるのである。

吉本興業には、「いかに儲けるかという一途な努力の精神」が今でも残っている。
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両親の「呼び方」

2005年10月15日 | 家族
うちでは、両親の事を小さい時から、僕も妹も「パパ」「ママ」と呼んでいた。それで当たり前だと思っていた。

やがて、思春期にもなると、友達に話す時、「パパ」「ママ」とは言いにくい。「親父」「おふくろ」と外では言いだす様になり、家では、「あの・・・」とか、主語に「パパ」「ママ」を避ける様になり、社会人になって、なんとか、「親父」「おふくろ」とインナーでは呼び、外では「父」「母」と言える様になった。

何故、小さい頃、「パパ」と「ママ」と言い出したのかと考えると、親の方が「ママについて来なさい」とか「パパ、帰ってくるの遅いよね」とか・・・母親の言動から、子供心にそういう呼び方なんだと思ってしまい、小学校に入って、他の子が「親父」「おふくろ」とか「おとうさん」「おかあさん」とか言っているのを聞いて、恥ずかしく、ショックを受けたものである。

今、うちでは「お父さん」「おかあさん」で統一されている。まあ、「パパ」「ママ」と呼ばれる「キャラ」でも無いし・・・。
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おめかけさん

2005年10月15日 | エッセイ・日記・意見
一人称に「俺」と「僕」がある。自分自身は、喋りでも、書くことでも「僕」を使う事が多いのだが、うちの次男は「俺」を使う。
「俺について来い!」という台詞は成立しても、「僕について来い!」では頼りない。

次男は自分の人生に自信満々なのだろうか?いつも聞いていて、不思議に思う。長男が「俺」と言う事はあまりない。

「俺」が他人を少し上から見て、虚勢を張っている。「僕」の方は、少し相
相手より下からものを言う感じである。

英語は「I」で済んでしまう表現が日本語ではいくつかの言葉に分かれる。

そのことプラス、日本語には「主語」を省略してしまう事も多い。「尊大なのも嫌」「へりくだるのも嫌」な時、「一人称」の「主語」をわざと省くのである。そして、その後、その相手の付き合いによって、「一人称」の呼び方が決定する。面白い言葉である。
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「俺」と「僕」

2005年10月15日 | エッセイ・日記・意見
一人称に「俺」と「僕」がある。自分自身は、喋りでも、書くことでも「僕」を使う事が多いのだが、うちの次男は「俺」を使う。
「俺について来い!」という台詞は成立しても、「僕について来い!」では頼りない。

次男は自分の人生に自信満々なのだろうか?いつも聞いていて、不思議に思う。長男が「俺」と言う事はあまりない。

「俺」が他人を少し上から見て、虚勢を張っている。「僕」の方は、少し相
相手より下からものを言う感じである。

英語は「I」で済んでしまう表現が日本語ではいくつかの言葉に分かれる。

そのことプラス、日本語には「主語」を省略してしまう事も多い。「尊大なのも嫌」「へりくだるのも嫌」な時、「一人称」の「主語」をわざと省くのである。そして、その後、その相手の付き合いによって、「一人称」の呼び方が決定する。面白い言葉である。
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トマト

2005年10月15日 | 料理・飲み物・食べ物
新婚旅行は、14年前、「ポルトガル・スペイン」に行った。

飛行機と宿泊だけ、日本で予約して、後はレンタカーで、走り回った。マドリードの空港でレンタカーを借りた。キーを貰い、教えてもらったレンタカーの駐車している場所に向かった。日本みたいに、係員が車がスタートするまで、ケアしてくれるほど、ヨーロッパは過保護では無い。

借りた車をバックで駐車場から出さなければならなかった。ただでさえ、左ハンドル。マニュアル車だったので、チェンジを「バック」に入れようと思うが、どうしてもバックに入らない。ついには、「バック」に入ったと思い、アクセルを踏むと前進し、すぐ前にあった排水溝の穴に片方の前輪を落としてしまった。
また、空港のカウンターに戻り、つたない英語で事情を説明。別の車を借りた。「バック」へのチェンジの入れ方も教えて貰った。チェンジレバーの頭のところに、「PUSH」と書いてある。つまり、「バック」にするには、レバーを縦に押し込んでから、上下左右に動かすという仕組みだとようやく理解した。日本車でも、マツダの車に同じシステムがあることを後々知ったが。

ともかく、無事、スタート。次の日から土日を挟むので、ガソリンを満タンにしていこうと思い、ガソリンスタンドに寄る。そして、再びスタート。
なんか、ガソリンのニオイがする。道端に停車し、給油口を見たら、キャップが無かった。ガソリンスタンドに忘れてきたみたいだ。急いで戻る。

しかし、そこには悲惨な結果が待っていた。キャップは僕の車かその後に来た車かは分からないが、ガソリンスタンドの地面で     粉々に割れていた。スタンドの人に訊くと、月曜日に自動車修理場が開かないと直せない、と言う。親切?にも、古新聞を丸めて、給油口に詰めてくれた。でないと、誰かが、給油口から「煙草」でも入れたら、車は炎上する。
結局、レンタカーを返すまで、ガムテープで補強した以外は、そのままにしておいた。

今回、書こうと思ったのは、こんな事では無く、レンタカーで走っていて、妻と昼ご飯を食べようという事になり、畑の中のレストランに入った。
そこで出てきたトマトがやたらめったら、美味しかった。子供の頃に食べたトマトのあの匂い、そして噛み心地、自然に栽培されたトマトだろう。一年間いつでも、トマトの手に入る国・日本のトマトとは違う「ガブリと齧り付きたくなる様な魅力的な味」だった。こういうトマトをスペインの田舎の人は食べているのかと思うと、羨ましかった。「コンビニ」とかの便利さを捨てても「おつり」が来るのではないか・・・感激感激!!!
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新聞のカラー化

2005年10月15日 | エッセイ・日記・意見
「新聞」は今、カラーの写真とかがふんだんに使われて、読み物としても、ボーっとその写真を見るにしても、楽しい。
しかし、僕が物心つく頃、まだ新聞は「白黒」だった。

新聞のカラー化か始まったのはいつの頃だろうか?僕が結構大きくなってからだから、20年くらい前だろうか。

最初の頃の「カラー面」は「カラー面の反対側の面」に「カラー面」の色が付いているというものだった。それがいつの頃からか、今の様に、「全く当たり前かのごとく、カラー面のインクが反対側の面に付く事」は無くなっていた。技術の進歩だ。

電車の自動券売機で売っている切符も初期の頃は、買いたてで、表面を指で触ると、指がインクで汚れた。印刷したてで、インクが乾いてなかったからだろう。今は、印刷の方法が変ったのかもしれないが、手にインクが付くという様な無様な事は無くなった。

電車繋がりで、もう一つ、思い出した事がある。
今の自動券売機は、相互乗り入れの区間への切符も買える程、発達している。多分、年配の方が久しぶりに切符を買おうと思ったら、戸惑うかもしれない。
「最短区間だけしか買えない券売機」があった。例えば、最短区間の料金が160円とすると、「160円専用の券売機」が普通のいろんな区間の切符を買える機械の横に、置いてあるのだ。今、少なくとも、東京ではこういう機械は見ない。

そうそう、話は跳ぶが、「コカコーラ」の自動販売機で、お金を入れて、自分で扉を開けて、「コーラ」にするか「ファンタ」にするか決めて、引っ張り出す機械があった。例えば、「コーラ」を取り出すと、その空いた空間に新しい「コーラ」が斜めから充填されるという仕組み。
お金を入れないと、自販機の扉は開くが、幾ら引っ張っても、ロックがかかっており、飲み物は取り出せない。これもさすがに今は無いだろう。携帯電話で自販機の飲み物を買える時代だもの。
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