「酔う」という行為は、「お酒を飲めない人」にとっては、分からない世界かもしれないが、日本でも海外でもいつも夜は酔っ払っていた自分を省みると、「僕はお酒が飲めて良かったなあ~」と思う。
大学卒業の時、初めてツアーで海外に行った時、それを感じた。パリのエッフェル塔のエレベーターの中で、近くのスーパーで買った「ジョニ赤」(日本では当時5000円した)を入れた紙袋を持って立っていたら、乗っていたフランス人のおじさんが、話しかけたそうにしている。
もちろん、フランス語など喋れないから、紙袋から、「ジョニ赤」の瓶をチラリと見せると、goodの仕草を手で現わしてくれた。
「酒を飲む奴には悪い奴はいない」と、言っているかの様に。
どこの国に行っても、大概夜は酔っ払っている。だから、友達も出来やすい。幾ら酔っていても、何故か、この人にはついて行ってもOKとか、やばい、とか、第六感で分かるのである。
ブラジルで美術館への道を訊いたおじさんは、ジョギングの途中なのに、その美術館まで連れて行ってくれ、「一杯やらないか?」とジェスチャーで言われたので、リオのとても治安の悪い地域の地元の人しかいない露天居酒屋で飲んだ。
「今日はうちの息子の誕生日なんだ。お前もうちに来て、誕生日を祝わないか」と英語で言われ、ついついついていった。ブラジルのリオの初対面の家族の前で、息子さんを囲んで、「ハピーバスディー」を歌っている自分は何をしているのだろうという気持ちを抱きつつも、楽しい時間を過ごした。
息子さんがおばあちゃんの家に行きたいというので、これも一緒についていった。
そして、最後は治安の物凄く悪いリオなので、ホテルまで車で送って貰った。3日間で50人以上の人が強盗等で射殺される町リオで、ほんまに呑気な事をしていたものだ。
インドでも、同い年の学生と知り合い、彼のうちに遊びに行った。生水も平気で飲んだ。
さすがに、これはとんでもない「下痢」を数日後にもたらしたが。
イタリアでは、ちょうど僕の誕生日で、学生ツアー仲間と、周りのイタリア人の若者が僕に「ハピーバスディー」を合唱してくれた。1982年2月27日の事である。22歳の誕生日。忘れはしない。
ミュンヘンでは、「ホッフブロイハウス」という有名な「ビアホール」で酔っ払っていた。ドイツ人はドイツの歌を歌い、我々、学生は当時流行っていた松田聖子の「赤いスィートピー」を力強く歌った。トイレに行って、便器に座っていると、「リリー・マルレーン」が聞こえ始めた。感動した。用を足しても、そのまま聞き惚れていた。
入社した頃、番組の大先輩のチーフ・プロデューサーに「××(僕)は酒で身を滅ぼすぞ」と言われた。そのCPも酒癖が悪く、京都にロケに行った帰りの「阪急電車の特急」の中で突然、「小便がしたい」と言い出した。どうしようもないので、ディレクターとADの僕で、車両と車両の連結器の部分の両サイドをかため、そこで立ち小便をして貰った。「阪急電車さん」、ゴメンナサイ!
僕も「阪急電車」の株主なので、許してネ。「村上ファンド」ほどの株は持ってないけれど。
今日も痛飲。寝ます。バッカスというお酒の神様、どうか、僕を守って下さい。