お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「知ってるつもり!?」で紹介された人物でいちばん、感銘を受けた人です。古本屋で探して下さい。

2005年10月14日 | 本・雑誌・漫画
走ったぞ! 地球25万キロ―マラソンの父・金栗四三

佼成出版社

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http://portal.kumamoto-net.ne.jp/town_mikawa/content/asp/sizo/oitati.asp?PageID=28

「金栗四三」の人生について知ると本当に感銘を受けます。詳しくは上記URLで見てネ。
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マンガを子供達に買いました。長男は小五ですが、興味を持って読んでいました。

2005年10月14日 | 本・雑誌・漫画
杉原千畝―六千人の命を救った外交官

小学館

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日本テレビ「知ってるつもり!?」で紹介された時の事をまとめた本です。

2005年10月14日 | 本・雑誌・漫画
地球時代の先駆者たち

日本テレビ

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あの時の「知ってるつもり!?」はONタイムで見ていて、号泣しました。よく号泣する僕です。
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「TBS」と「楽天」の攻防

2005年10月14日 | テレビ
「TBS」は開局時には、「ラジオ東京」という社名で、やがてテレビ放送が始まり、「ラジオ東京テレビ(KRT)」と名称を変え、その後、「東京放送(TBS)」になった。開局時には、僕が読んだ資料には、「読売新聞」「朝日新聞」「毎日新聞」「電通」の四社が出資したらしい。

やがて、「読売新聞」が「日本テレビ放送網」を作った様に、「新聞社の系列」で民放は分かれた。
但し、「読売新聞」と「日テレ」の関係、その他の新聞と各キー局の関係の中では、「毎日新聞」と「TBS」の関係は薄いと僕は見ている。

それと、単純に「朝日新聞」「毎日新聞」の発祥の地が大阪なので、大阪の「朝日放送(ABC)」「毎日放送」と新聞社の関係は深くならざるを得ない。

「フジテレビ」が「ライブドア」に狙われたのも、キー局でありながら、昭和34年開局で、系列の「テレビ西日本」とか、幾つかの系列局よりも開局が遅い。
ラジオ局の「ニッポン放送」がフジテレビの筆頭株主だったという昔の名残りの「腸捻転」に気付いた「ライブドア」が上手く、その弱点を突いた形になった。

「テレビ朝日」もそうだ。元々「日本教育テレビ(NET)」として、開局したのだが、大阪の「朝日放送」のテレビ部門はその前に大阪のテレビ局ではいちばん早く「大阪テレビ」という名称で開局している。だから、「朝日放送(ABC)」は今でも、「朝日放送」がキー局だという認識をどこかで持っていて、「テレビ朝日」の作っている朝番組をネットせず、「おはよう朝日です!」という関西に密着した番組を作っている。
さらに、夜の編成も「探偵!ナイトスクープ」なる、関西では軽く、午後11時半前から始まるのに、25%くらいの視聴率を取るオバケ番組を放送してから、「テレビ朝日」の全国ネットのドラマをその後の深夜に放送するという事もやっていて・・・それと今年の巨人戦の多くを阪神戦に差し替えた。

つらつらと書いてきたのは、「TBS」が「楽天」に買収されるというニュースが昨日から今日にかけて流れたからである。
でも、「楽天」はとてもいいところを突いたと思う。「日テレ」の株を買い占めるのは困難だろう。
「新聞社」との関係性が弱く、中立を保っていた「TBS」のいい所を逆手に取られてしまった。

インターネットのブロードバンドとテレビ局、これからどうなっていくのだろうか?いよいよ戦国時代?????


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運転代行

2005年10月14日 | テレビ番組
ドラマのロケで「秋田」に行った事がある。ロケが早く終わった日は、キャストやスタッフと繁華街に繰り出した。

地方によっては当たり前なのだろうが、その繁華街にずらーっと並んでいたのが「タクシー」ではなく、「運転代行」と屋根に明かりを点けた軽自動車だったのである。ほとんど、タクシーなどいない。

つまり、東京とかだと、電車があらゆる方向に走っていて、地元にも飲み屋があるから、終電が終わって帰る時、タクシーを使う・・・或いは、自宅の近くの飲み屋で飲んで歩いて帰る事ができる。

秋田市の繁華街で飲むと、多分、終電も早く出てしまい、鉄道の通っていない地域の人達は、結局自家用車で秋田市に出てきて、酔っ払ったら、運転できないから、「運転代行業」が便利なのだろう。一体幾ら位の料金で「運転代行」をして貰えるのだろうか?

日本にはいろんな所があるものである。沖縄・石垣島のタクシーの初乗り運賃は390円だったのにはビックリした。

秋田ロケを終え、僕達ロケ隊は、秋田新幹線「こまち」を一編成借り切って、臨時ダイヤを組んで貰い、上野駅までロケを敢行した。
多分、「鉄道ファン」だったら、喜ぶと思うが、秋田新幹線「こまち」の車両が単独で上野駅まで来る事は普通のダイヤでは無いはずだ。盛岡まで、東北新幹線の車両と連結されて走るのが普通だからだ。

新幹線の客席の部分は、このロケで撮り終わったが、新幹線の連結部分・・・つまり、トイレのある辺りでの長いシーンがあったので、その部分は「JR東日本」に御協力頂き、スタジオに、実物とそっくりなセットを建てた。本番になると、そのセットを「走っている様に見える」様に、左右から美術さんが総出で揺らした。

出来上がったドラマを見ると、どこまでがロケで、どこからがセットか分からない位、ばっちりロケ部分とセット部分がつながっていた。

「運転代行」の話の終わりが「これかい~!!!」という声が聞こえてきそうだ。ごめんちゃい。



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「はじめ人間ギャートルズ」(はじめ人間ゴン)

2005年10月14日 | 本・雑誌・漫画
「はじめ人間ギャートルズ」(はじめ人間ゴン)という漫画があり、アニメ化もされた。漫画家は今は亡き、園山俊二。そういえば、麻雀の強かった福地抱介も他界した。手塚治虫も石森章太郎、藤子F不二雄も。

漫画を描くという事は、それだけ、苦行なのだろう。
小説家と違って、パソコンでも原稿用紙でも口述筆記でも作品ができる、というものでは無く、背景の色塗りなどはアシスタントにやって貰うとしても、ストーリー作りと、実際にキャラクターを書く作業は漫画家自身がしなくてはならない。

週刊の漫画誌の多い世の中、毎週毎週、締切に追われながら、人気を気にして漫画を描き続けていくのは並大抵の苦労では無いだろう。

「はじめ人間ギャートルズ」の話に戻ると、この漫画を初めて見たのは、学研の「学習」という雑誌だった様に記憶している。大きなドーナッツ状の石のお金が出てきたりして、楽しい漫画だった。

「原始人」を主人公にするという発想を今から40年近く前、思いつくのが凄い。

最近の漫画は、弘兼憲史と尾瀬あきらくらいしか読まないので、偉そうな事は言えないが、僕には興味が湧くものがなかなか見出せない。

僕が漫画を好きになる要素のいちばんは、「画が可愛らしい事」である。僕の漫画の原点が「手塚治虫」だからかもしれない。
手塚治虫→鴨川つばめ→弘兼憲史と来ている。「ストーリーのスピード感と面白さ」も重要。

コマ割りが分かりにくくて、「恋愛がらみのもの」が多い「少女漫画」はとても苦手。

逆に、いしいひさいちの「バイト君」とか、「まさちゅーせっつ」等の笑いは大好きだ。

秋竜山の四コマ漫画で、ある狭い山頂にいる仙人が杖で「魔法の力」を発射する。2.3コマ目は、その「魔法の力」が空を飛んでいく様子が描かれている。そして、ラストの4コマ目で、別の山頂に置いてあるコップがその「魔法の力」で、コロッと倒れる、というとてもシュールな漫画を見た事があり、この人は凄いと思った。秋竜山は今どうしているのだろう?
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お酒は万国共通の伝達ツールだと思う。

2005年10月14日 | お酒・焼酎・ウィスキー・ワイン
「酔う」という行為は、「お酒を飲めない人」にとっては、分からない世界かもしれないが、日本でも海外でもいつも夜は酔っ払っていた自分を省みると、「僕はお酒が飲めて良かったなあ~」と思う。

大学卒業の時、初めてツアーで海外に行った時、それを感じた。パリのエッフェル塔のエレベーターの中で、近くのスーパーで買った「ジョニ赤」(日本では当時5000円した)を入れた紙袋を持って立っていたら、乗っていたフランス人のおじさんが、話しかけたそうにしている。
もちろん、フランス語など喋れないから、紙袋から、「ジョニ赤」の瓶をチラリと見せると、goodの仕草を手で現わしてくれた。
「酒を飲む奴には悪い奴はいない」と、言っているかの様に。

どこの国に行っても、大概夜は酔っ払っている。だから、友達も出来やすい。幾ら酔っていても、何故か、この人にはついて行ってもOKとか、やばい、とか、第六感で分かるのである。

ブラジルで美術館への道を訊いたおじさんは、ジョギングの途中なのに、その美術館まで連れて行ってくれ、「一杯やらないか?」とジェスチャーで言われたので、リオのとても治安の悪い地域の地元の人しかいない露天居酒屋で飲んだ。
「今日はうちの息子の誕生日なんだ。お前もうちに来て、誕生日を祝わないか」と英語で言われ、ついついついていった。ブラジルのリオの初対面の家族の前で、息子さんを囲んで、「ハピーバスディー」を歌っている自分は何をしているのだろうという気持ちを抱きつつも、楽しい時間を過ごした。
息子さんがおばあちゃんの家に行きたいというので、これも一緒についていった。
そして、最後は治安の物凄く悪いリオなので、ホテルまで車で送って貰った。3日間で50人以上の人が強盗等で射殺される町リオで、ほんまに呑気な事をしていたものだ。

インドでも、同い年の学生と知り合い、彼のうちに遊びに行った。生水も平気で飲んだ。
さすがに、これはとんでもない「下痢」を数日後にもたらしたが。

イタリアでは、ちょうど僕の誕生日で、学生ツアー仲間と、周りのイタリア人の若者が僕に「ハピーバスディー」を合唱してくれた。1982年2月27日の事である。22歳の誕生日。忘れはしない。

ミュンヘンでは、「ホッフブロイハウス」という有名な「ビアホール」で酔っ払っていた。ドイツ人はドイツの歌を歌い、我々、学生は当時流行っていた松田聖子の「赤いスィートピー」を力強く歌った。トイレに行って、便器に座っていると、「リリー・マルレーン」が聞こえ始めた。感動した。用を足しても、そのまま聞き惚れていた。

入社した頃、番組の大先輩のチーフ・プロデューサーに「××(僕)は酒で身を滅ぼすぞ」と言われた。そのCPも酒癖が悪く、京都にロケに行った帰りの「阪急電車の特急」の中で突然、「小便がしたい」と言い出した。どうしようもないので、ディレクターとADの僕で、車両と車両の連結器の部分の両サイドをかため、そこで立ち小便をして貰った。「阪急電車さん」、ゴメンナサイ!
僕も「阪急電車」の株主なので、許してネ。「村上ファンド」ほどの株は持ってないけれど。

今日も痛飲。寝ます。バッカスというお酒の神様、どうか、僕を守って下さい。
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