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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「自殺直前日記」・・・生きる事の難しさ

2005年10月16日 | 本・雑誌・漫画
自殺直前日記 完全版

太田出版

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人間には、大きく分けて二書類に分類されると思う。
「死が怖い人」と「死が怖くない人」、言い換えれば、「自殺願望を一度でも持った事のある人」と「そうでない人」である。

この本は前から気になっていた。「恥じる」という心があるから、「本音を言えず」、「行動を始められない」・・・この本を読んでまずそう思った。

僕も精神科に通っている。待合室にいると、本当に、「気の弱そうな普通の人」が多い。僕も5年前、あるドラマの仕事が始まる時、「どうしようもなく、『存在したくない』という感情」に囚われた。プロザックという抗鬱剤を買って飲んでみたが、副作用なのか、頭痛がし、それで今の精神科に通う様になったのだ。
あの時、「精神科」に行くという選択をしていなければ、僕はどうなっていただろうか?今、ここに存在していないかもしれない。用心深く、「医者と薬好き」という性格が僕を助けたのかもしれない。

会社でも世の中でも、「人の心を踏みにじる様な発言」をしても気付かないドアホどもがたくさんいる。意識的に、しているのではなく、無意識でそういう発言をする「恥の無さ」に全く気付いていない。本当はこういう人こそ、医者に診て貰うべきなのだが。

「心の病」は怖い。「自分の心の中でスパイラル」を起こし、知らない間にどんどん悪化していくからである。そのことに本人が気付かない事も多く、「痛みなど具体的な症状」が表れる身体的病気とはかなり異なる。

だから、僕は人に「鬱」は「心の風邪」だから、精神科に通って診療を受け、投薬して貰うのがいいと思う。そうしないと、「心の風邪」が「心の肺炎」になってしまう危険性を秘めている。

山田花子さんの心情はすべてではないが、多々分かる事がある。何年か前から気になっていた本・・・やっと読了した。



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カラオケは全世界を駆け巡る。

2005年10月16日 | 旅・外国
「カラオケ」・・・このシステムを発明したのは日本人である。20世紀に名をむ残すべき日本人の一人として、「カラオケの発明者」が載っていた記憶がある。名前は忘れた。

日系移民の多いブラジル。アマゾン川中流の町マナウス。河口から5000キロも上っているのに、川幅は2~3キロは楽にある。雄大な大地である。この町にも日本語で「カラオケ」と提灯に書かれた店があった。その店には入らなかったが、マナウスの「日本料理店」で食事をしていると、北島三郎や石川さゆり等、演歌がBGMとしてかかっている。それがとても僕の気持ちを揺さぶるのである。多分、J-POPではそんな気持ちにはなれない。日本にいる時は、ほとんど演歌に興味を持った事は無いのだが、マナウスで「ナスの田楽」を食べながら、聞く演歌はいいものである。
「ああ~日本人だべ~最高!」
という感じ。

イギリスのインバネスというネス湖の最寄の駅で降りて、駅前に出たら、駅のすぐ横に、これも日本語で「カラオケ」という提灯が出ていたのにはビックリした。こんなところまで・・・!!!

香港には、「BIG ECHO」がたくさんあった。

もう、「カラオケ」は地球規模で拡がっているのだろう。

ヒット曲を作ったら、「印税」が凄いだろうなあ~と「夢の印税生活」に憧れる僕は痛切に思った。
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「哲学の道」の想い出

2005年10月16日 | テレビ番組
春の京都「哲学の道」はとても綺麗だ。そばを流れる川面に、桜の花びらがハラハラと落ち、模様を描いて流れていく。

そこで、AP時代の僕はプロデューサーから、テロップの入れ方を学んだ。ロケ現場の近くの喫茶店に入り、升目を入れた紙に「キャスト・スタッフ」を入れる順番と一つのテロップを何秒入れるか、場合によっては「友情出演」とか「特別出演」と入れなければならないとかをみっちり教えられた。とても名のある俳優さんが出ている場合は、前の人のテロップが消えたら、その人のテロップがフェードインしてくる(何も無いところから、名前が出てくる)という方法があることもその時知った。

それからは、僕がその回に出ているキャスト及びスタッフの升目の表を作り、プロデューサーにチェックして貰い、編集でテロップを入れていた。

そういう意味でも、「哲学の道」は僕にとって、印象深い場所である。



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「清水寺」のロケ

2005年10月16日 | テレビ番組
大阪でドラマを撮っていた時、「中国残留孤児」が京都・清水寺を訪れるというシーンがあった。

一緒にやっていたAPが「清水寺」にロケの交渉に行ったが、断固拒否の姿勢であった。かつて、東映の映画で、「清水の舞台」をロケに貸して、刀傷とかをたくさんつけられ、それ以来、ロケには絶対貸さない方針だという。

APも粘った。何日も清水寺に通い、外からの2カットだけの撮影許可が下りたのだ。
つまり、「残留孤児」が清水寺に入っていくカットと、寺をバックに帰るカットである。

その間の肝心の「清水寺の舞台上の芝居」は奈良の「長谷寺」の舞台で撮った。長谷寺の方が舞台は狭いが、構造はそっくりなので、無事ロケを終えた。

京都のロケ地に関しては、YESかNOである。映画が戦前から、ロケをしていた事もあり、大覚寺や北野天満宮などは、ロケ使用料と本編に協力テロップを入れれば、ロケはOKになる。清水寺とか仁和寺はNG。
嵐山などの河川敷は、京都のヤクザが仕切っていて、映画関係者を通して、どこの組に仁義を切ったらいいか、すぐ教えてくれる。つまり、町全体が「映画の撮影」というものに慣れているのである。

「水戸黄門」が全国を漫遊していても、実際にロケしているのは、京都・亀岡・びわ湖畔・日本海辺りまでで、済ましてしまう。だから、よく見ていると、寺のシーンは大覚寺の事が多いし、海岸はびわ湖畔の事が多い。そういう風景を上手く利用している。

そういう目で時代劇を見ると面白いかもしれない。
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供花

2005年10月16日 | エッセイ・日記・意見
葬儀の時の「供花」の並べ順はとても難しい。
父の葬儀の時、93の供花を頂いた。僕関係の並べ順はそれでも整理がついたが、父の関係だと、初めてお聞きする名前があったりして、母に訊きながら、並べていった。

会社の友人のお母さんが亡くなった時は270余の「供花」が届いていた。僕が葬儀場に着いた時、彼は必死で花の順番をやっていた。

だから、社長とかは、「香典」や「供花」を辞退するのだと思う。受けていたら、大変な数になってしまうだろうし、「お返し」や「花の並べ方」はなかなか決まらないだろう。

アメリカ映画などで出てくる葬儀のシーンは、お墓に棺が入っていて、周りを親族が囲み、神父か牧師が言葉を唱えていて、最後にお墓の穴に、花とかを投げ込むという儀式だが、その前に、別の場所で、通夜や告別式とかはあるのだろうか?
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