「お年玉」の今の相場は幾らだろう。僕らが小学生の頃、3000円とか5000円を貰ったら、万々歳だった。1000円がいちばん多かっただろうか。
「任天堂DS」とかは何万円もする。子供たちのクリスマスや誕生日のプレゼントがそれだから、昔から考えると、贅沢になったものだ。「人生ゲーム」は今でも5000円はしない。でも、当時は子供たちにとって「高嶺の花」だった。というより、子供たちに「ゲーム」を買うという考えが親自体に無かったのだろう。
僕はいつも本をプレゼントにしていた。当時で700円位の「アーサーランサム全集」全12巻を一巻ずつ買って貰っていた。
親戚の家とかに正月行くと、大人たちはお酒を飲んでいるからいいが、子供の僕たちはすぐ退屈してしまい、親が「そろそろ帰ろうか」というのを心待ちにしていた。今は、大人が酒を飲んでいる時、子供たちは「ゲーム機」に夢中である。退屈はしていない様子だ。
そう言えば、話題は大きく変わるが、僕が「コンピューター」というものに初めて接したのは、1980年頃。大学の授業だった。その頃は、勿論パソコンは無く、「コンピューターへの指令は決められた厚紙に穴を開ける」事を教わった。その授業があまりに難しくて、簡単に挫折してしまったが。
多分、そういう「コンピューターの操作の煩わしさ」を解消したのが、「WINDOWS」であり、「アップル」という基本OSの登場であろう。
話は元に戻って、僕が「お年玉」を何に使っていたかというと、「本」である。それ以外に、当時の子供たちにとって、「大きな買い物」は無かった。ボードゲームを買った時もあったが、今の様に、膨大な量のゲームソフトやDVD、ウォークマン等は存在すらしていなかった。
大晦日に行われた「輝く!日本レコード大賞」。やはり、「こうだくみ」が取った。「レコード」という表現やそれがどんなものを示すのか、今の子供たちには分からないだろう。かといって、TBSが「輝く!CD大賞」とか「輝く!ダウンロード大賞」と番組の名称を変えるはずは無い。「レコード」は「死語」になりつつある。
初めてステレオを買って貰ったのは、高校に入った頃。ステレオが家に届く前に、二枚組の「映画音楽大全集」というレコードを買って、ステレオが届くのを心待ちにしていた。「荒野の七人」や「大いなる西部」を聴いて興奮したのを記憶している。
話は「バック・トゥー・ザ・フューチャー」して、僕は「ラジカセ」を中学校の時に欲しかった。お小遣いやお年玉を溜めてもなかなか「ラジカセ」を買える金額には到達しなかった。「いらち」の僕は、当時SONYが売り出した「スカイセンサー」という「海外のラジオも聴ける高性能のラジオ」を買ってしまった。しかし、「海外のラジオの日本語放送」にもすぐに飽きてしまい、いつの間にか、「スカイセンサー」はどこかに行ってしまった。
今も昔もそうだが、学生の年末年始の休みは、仕事をしている父親の休みより圧倒的に長かった。休みが終わりかけると、「学校」や「会社」に行きたくないなぁ~という気持ちは今も変わらない。
高校3年生の正月。大学受験直前で、僕は最後の追い込みで受験勉強をしていた。ただ、友人と二人で、梅田の「三番街シネマ3」でやっていた「007/私を愛したスパイ」を息抜きに観に行った。この映画が今でも「007」の中で、僕のベスト1である。
一緒に映画を見に行った友達は、今、銀座で三軒のインド料理店を経営する仕事をしている。最近、会社の同僚を彼の店に連れて行く機会が多いが、みんな「こんなに美味しいインド料理は初めて食べた」と好評である。実際、店はいつも満員であり、時にはそんなに立地条件がいいとは言えないのに、外まで並んでいる事もある。値段も手頃。「ダバ・インディア」という東京・京橋駅の近くにある店なので、インターネットで調べて是非行って欲しい。http://www.bento.com/revj/2281.html
高校時代、マージャンをよくしたのも、彼の家だった。彼のお父さんは「大手商社」に勤めていて、家族全員が「アメリカに住んでいた時期」もあり、前述の007を観た後、彼の家に行き、お母さんに「007(ゼロゼロセブン)」を観てきましたと言ったら、「007(ダブルオーセブン)でしょ」と言い返された。確かに、のちに007を観てみると、本編内でも、「ダブルオーセブン」と言っている。軽いカルチャーショックを受けた。
「カルカン」という食べ物も、この家で初めて食べた。「味の無いオートミール」としか表現できない食べ物だった。
「任天堂DS」とかは何万円もする。子供たちのクリスマスや誕生日のプレゼントがそれだから、昔から考えると、贅沢になったものだ。「人生ゲーム」は今でも5000円はしない。でも、当時は子供たちにとって「高嶺の花」だった。というより、子供たちに「ゲーム」を買うという考えが親自体に無かったのだろう。
僕はいつも本をプレゼントにしていた。当時で700円位の「アーサーランサム全集」全12巻を一巻ずつ買って貰っていた。
親戚の家とかに正月行くと、大人たちはお酒を飲んでいるからいいが、子供の僕たちはすぐ退屈してしまい、親が「そろそろ帰ろうか」というのを心待ちにしていた。今は、大人が酒を飲んでいる時、子供たちは「ゲーム機」に夢中である。退屈はしていない様子だ。
そう言えば、話題は大きく変わるが、僕が「コンピューター」というものに初めて接したのは、1980年頃。大学の授業だった。その頃は、勿論パソコンは無く、「コンピューターへの指令は決められた厚紙に穴を開ける」事を教わった。その授業があまりに難しくて、簡単に挫折してしまったが。
多分、そういう「コンピューターの操作の煩わしさ」を解消したのが、「WINDOWS」であり、「アップル」という基本OSの登場であろう。
話は元に戻って、僕が「お年玉」を何に使っていたかというと、「本」である。それ以外に、当時の子供たちにとって、「大きな買い物」は無かった。ボードゲームを買った時もあったが、今の様に、膨大な量のゲームソフトやDVD、ウォークマン等は存在すらしていなかった。
大晦日に行われた「輝く!日本レコード大賞」。やはり、「こうだくみ」が取った。「レコード」という表現やそれがどんなものを示すのか、今の子供たちには分からないだろう。かといって、TBSが「輝く!CD大賞」とか「輝く!ダウンロード大賞」と番組の名称を変えるはずは無い。「レコード」は「死語」になりつつある。
初めてステレオを買って貰ったのは、高校に入った頃。ステレオが家に届く前に、二枚組の「映画音楽大全集」というレコードを買って、ステレオが届くのを心待ちにしていた。「荒野の七人」や「大いなる西部」を聴いて興奮したのを記憶している。
話は「バック・トゥー・ザ・フューチャー」して、僕は「ラジカセ」を中学校の時に欲しかった。お小遣いやお年玉を溜めてもなかなか「ラジカセ」を買える金額には到達しなかった。「いらち」の僕は、当時SONYが売り出した「スカイセンサー」という「海外のラジオも聴ける高性能のラジオ」を買ってしまった。しかし、「海外のラジオの日本語放送」にもすぐに飽きてしまい、いつの間にか、「スカイセンサー」はどこかに行ってしまった。
今も昔もそうだが、学生の年末年始の休みは、仕事をしている父親の休みより圧倒的に長かった。休みが終わりかけると、「学校」や「会社」に行きたくないなぁ~という気持ちは今も変わらない。
高校3年生の正月。大学受験直前で、僕は最後の追い込みで受験勉強をしていた。ただ、友人と二人で、梅田の「三番街シネマ3」でやっていた「007/私を愛したスパイ」を息抜きに観に行った。この映画が今でも「007」の中で、僕のベスト1である。
一緒に映画を見に行った友達は、今、銀座で三軒のインド料理店を経営する仕事をしている。最近、会社の同僚を彼の店に連れて行く機会が多いが、みんな「こんなに美味しいインド料理は初めて食べた」と好評である。実際、店はいつも満員であり、時にはそんなに立地条件がいいとは言えないのに、外まで並んでいる事もある。値段も手頃。「ダバ・インディア」という東京・京橋駅の近くにある店なので、インターネットで調べて是非行って欲しい。http://www.bento.com/revj/2281.html
高校時代、マージャンをよくしたのも、彼の家だった。彼のお父さんは「大手商社」に勤めていて、家族全員が「アメリカに住んでいた時期」もあり、前述の007を観た後、彼の家に行き、お母さんに「007(ゼロゼロセブン)」を観てきましたと言ったら、「007(ダブルオーセブン)でしょ」と言い返された。確かに、のちに007を観てみると、本編内でも、「ダブルオーセブン」と言っている。軽いカルチャーショックを受けた。
「カルカン」という食べ物も、この家で初めて食べた。「味の無いオートミール」としか表現できない食べ物だった。