お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「おしぼり」の起源は・・・

2006年01月17日 | 料理・飲み物・食べ物
これもネットで調べてみました。日本でできたものなのですね。

★おしぼりの始まり★
具体的に今で言うおしぼりのサービスの原型は?

おしぼりの起源は、はっきりとはしていませんが、有力な説なのですが、室町時代(江戸時代との説もありますが)、旅籠屋で水桶と手ぬぐいを用意し訪れたお客様の手足の汚れを拭い、旅の疲れを癒したことがその始まり、とも言われています。

 室町時代と言えば高名な柳生新影流の祖、柳生石舟斎が活躍した時代。石舟斎をはじめ、剣豪や歴史上の人物たちも“おしぼり”に「ほっ」と一息ついていたのかも知れませんね。

http://www.kurashiki-towel.net/mame.html
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「爪楊枝」の起源は・・・

2006年01月17日 | 料理・飲み物・食べ物
「爪楊枝」はいつできたのだろう・・・そんな素朴な疑問から「ネット」で調べて見ました。この文章は、下記ホームページに基づくものです。


1.西洋の爪楊枝(つまようじ)
  古代は、歯の間につまった食片を取るのに、小枝や木片を使っていた。
  16世紀になり、西洋や中国で金属製の爪楊枝が作られ、使用後は爪楊枝の先を金属のサヤに収められるようなものもあった。
  水鳥の羽根製の爪楊枝は、羽根ペンと同じように羽根軸を鋭利に削って爪楊枝として用い、貴族は羽根軸を銀の丸い筒状のケースに入れて持ち歩いた。

東洋では穀類が主食のため楊枝には木が使用されたが、狩猟民族であるヨーロッパでは、歯に詰まった肉片を取るために
金属(青銅、金、銀)象牙、角、骨、ヤマアラシに針などなど強い材質の楊枝が使われた。
16世紀頃にはテーブルセットにナイフ、フォーク、スプーンの他に金属製の楊枝も付いていた。
食卓にナイフとフォークがつかわれたのは15世紀頃のイタリアが最初で、フランスには1533年イタリアのメディチ家のカトリーヌが
フランスのアンリⅡ世の許にお輿入れの際持ち込まれた。
アンリⅢ世が骨で作られた人工歯を金銭で両脇の歯に結びつける模様が”The history of dentistry(歯科の歴史)”に書かれている。
この当時の入れ歯は動物や人間の歯、骨などを残った歯に結びつける方法が行われていた。
  使い捨ての木製の爪楊枝と違い、金属製の爪楊枝は何度も繰り返し使うことができ、首飾りに付けて持ち歩いていた。
  西洋では18世紀頃、金属製の爪楊枝は、食卓にテーブルセットとしてナイフやフォークと共に並べられて使われていた。


2.中国の三緒(さんちょ)(爪楊枝のついた首飾り)
  中国では、殷(いん)(紀元前16~11世紀)、周(しゅう)(紀元前1120~256年)の青銅器時代を過ぎると、金製、銀製の爪楊枝が出現した。爪楊枝の起源はヨーロッパで、シルクロードを経て中国に渡来したといわれている。
  中国製の銀の首飾り三緒(さんちょ)は銀製で、爪楊枝、小刀、とげ抜き、耳かきなどがついている。三緒は、首飾りのように首からさげ、装飾的な要素が強いが、食事の後、その金属製の爪楊枝で歯の間につまった食片をとった。


3.日本の爪楊枝
歯ブラシのルーツである房楊枝はインドから仏教の伝来と共にに中国経由で日本に伝わった。
一方、爪楊枝は紀元前4,000年のメソポタミア文明にその起源をもち、シルクロードを経て中国に伝わり、
日本へは安土桃山時代~江戸時代初期に伝えられた。

日本では誰が作ったのだろう?

http://www.dent-kng.or.jp/chishiki/museum/hakubutukan/gaikoku_kokueisei/
http://www.tjs-net.co.jp/ct/dental/pal/pal-amano02.html






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テレビで子供の頃見ていた人、仕事を一緒にした人の訃報は悲しい・・・。

2006年01月17日 | 本・雑誌・漫画
あくせく自適で行くんだ、オレは!―夢の「悠々自適」はボケる道

講談社

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法政大学名誉教授の中野収さんが72歳で亡くなった。死亡記事を読んで、「光陰矢の如し」だと思った。
中野先生には20年以上前、僕が「ワイドショー」をやっていた頃、コメンテーターとして出演して貰った事がある。「マスコミ論」とか「若者の文化」に詳しい先生だった。出演交渉に御自宅のある、確か「東急目蒲線」の駅で先生と初めて会った遠い記憶がある。ヒョウヒョウとしたお人柄で、新人ディレクターの心を和ませて下さる魅力があった。

また、漫画家の加藤芳郎さんが80歳で亡くなった。僕にとってのいちばんの「思い出」はNHKの「連想ゲーム」の白組のキャプテン。
1954年から2001年まで、毎日新聞に世界最長の「四コマ漫画」を毎日描き続けた。
1954年といえば、昭和29年。黒澤明の「七人の侍」、木下恵介の「二十四の瞳」、そして、本多猪四郎の「ゴジラ」第1作が公開されたのも、この年である。
2001年と言えば、スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」。つまり、未来社会が現実になっているはずの年。

48年間、描き続けられた加藤さん、そしてお世話になった中野先生、ご冥福をお祈り致します。
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アメリカの女優「シェリー・ウィンターズ」の死

2006年01月17日 | 映画・DVD・ビデオ
ポセイドン・アドベンチャー

20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン

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アメリカの女優「シェリー・ウィンターズ」が亡くなった。85歳である。アメリカ映画の名脇役として知られ、僕が彼女を知ったのは、「ポセイドン・アドベンチャー」という「ジーン・ハックマン」主演の「パニック映画」だった。
映画の最後のところで、「太ったおばさんが仲間を助けに行くシーン」がある。あのおばさんが「シェリー・ウィンターズ」なのである。好きな映画だったという事と父親と初めて見た大人の映画だったので、印象深い。大阪の「ナビオTOHOコンプレックス」が現在建っているところに、洋画ロードショー館の「北野劇場」、邦画ロードショー館の「梅田劇場」、あと「梅田スカラ座」とか「梅田地下劇場」という映画館もあった。

父は、疲れていたのか、映画の上映中、グーグー寝ていた。僕は、あの映画で「パメラ・スー・マーティン」という若手の女優さんが好きになり、憧れの対象だった。
30年以上前の話なので、その頃「シェリー・ウィンターズ」は50代だったのだろう。この映画の後、「タワーリング・インフェルノ」「大地震」等の「パニック映画」がブームになる。
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「自販機」

2006年01月17日 | エッセイ・日記・意見
「自販機」の話である。瀬戸内海を航行するフェリーの中にしか無い「自販機」がある。「握り寿司」の「自販機」である。「ネタを解凍」し、「シャリを少し温める」という高度なテクニックを持った機械だそうで、まだ、フェリー以外の場所に置くのは憚られるとの事。

喋る自販機は多いが、「大阪弁」で喋る自販機もあるそうだ。「もう、つり銭がありませんねん」と機械が声を発する。僕は如何なものかと思うが・・・。

新宿の地下街には、「花」の自販機がある。これはよく繁華街にあるパターンで、クラブやラウンジの女の子の「誕生日」とかに、お客が使うものと思われる。

それにしても、こんなに「自販機」の多い国は「日本」以外には無いだろう。一つの要因としては、「治安がいい事」・・・つまり、「自販機を壊されて、お金を盗まれる心配が少ない事」。多分、もう一つは「人と人との関わり合いが無い状況」でもOKという「物質文明」に犯された国だという事。この二つの要素むが大きいと思う。
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「THE有頂天ホテル」を見て・・・(ネタバレ有り)

2006年01月17日 | 映画・DVD・ビデオ
「THE有頂天ホテル」を見た。平日にも関わらず、客席はほとんど埋まっていて、この映画の人気を象徴するかの様だった。

昔、「グランドホテル」というアメリカ映画があり・・・それは「一つのホテルの中で、幾つもの人間模様が並行し、時には交錯してストーリーが進む」という事で、この映画以降、同じ手法を取った映画を「グランドホテル形式」とまで言う様になったのだ。

今回、それがスピード感溢れる「ストーリー運び」と「とても上手い台詞の応酬」で、2時間20分の映画があれよあれよという間に終わってしまった。ただ、「Ray」とか「パッチギ!」とかを見終わった後の「深い感動」が無い。だったら、もう少しマルクス兄弟の様に、「スラプスティック」にするか、「パロディー」にした方が良かったのではないかと、僕は思った。

ただ、「松たか子」の解き放たれた様な芝居は、「その芝居を引き出す状況を作った三谷幸喜」の脚本と演出の素晴らしいところだと思う。

三谷幸喜監督作品、ベストと聞いて見に行ったのだが、「ラジオの時間」とか「みんなのいえ」の方が僕は良かった。余裕が出た「遊び心」が裏目に出た部分もあるのではないか・・・。
「笑い」だったら、それに徹した方が良かったと思う。「グランドホテル形式」への新たなる挑戦をしたかったのかも。
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