お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「タクシードライバー」の監督が撮った喜劇。僕はこっちの方が大好きです!!!!!

2006年02月06日 | 映画・DVD・ビデオ
アフター・アワーズ 特別版

ワーナー・ホーム・ビデオ

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ニューヨークの一夜の物語。主人公の男性がカフェで初めての女性と会うシーンから始まり、「どうしても自宅へたどり着けないストーリー」。これがほんと、よくできているんだなぁ~。最高!!!!!
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脚本家・秋田佐知子さんの死。

2006年02月06日 | エッセイ・日記・意見
脚本家・秋田佐知子さんが亡くなった。享年62歳。NHKで「虹を織る」という紺野美紗子主演の朝の連続ドラマを書いた人である。僕は先輩のプロデューサーからの電話でその事を知った。もう葬儀も終わり、「お骨」は故郷・宮崎に帰られたそうである。

秋田さんとは、まだ僕がアシスタント・プロデューサーの頃、月~金、125本のドラマを2回、御一緒させて頂いた。先輩プロデューサーについて、秋田さんと伊豆の旅館に泊まって、連続ドラマの後半の展開を3人で話した事を憶えている。2泊3日だったと思う。

3年くらい前であろうか、突然、秋田さんから、会社に電話を頂いた。
「元気にしてる?」
から始まる他愛の無い会話だったのだが、僕も正直、戸惑ってしまい、あまり何を話したのか、憶えていない。ただ、ドラマの脚本を書きたいという秋田さんの心情はちゃんと感じていた。ただ、現実に僕はその時、ドラマを離れて別のセクションにいたし、それまで僕がやっていたドラマ枠と、秋田さんの書かれる脚本が合っているとはどうしても思えなかった。

まだ、ワープロもパソコンも無かった時代、ペラ(200字詰めの原稿用紙)に3B位の濃い鉛筆で、力いっぱい脚本を書かれていた姿を思い出す。僕らがやっていた月~金の連続ドラマで、1話ペラ七十枚位だろうか。書くのは速かった。

打ち上げの日、「記念撮影」の時間に、秋田さんを呼び忘れ、恐縮した事もあった。

脚本家・漫画家・作家、多作の人ほど、早く亡くなられる様な気がする。「命」を削って、創作しているという事だと思う。
今、秋田さんは故郷・宮崎に帰って、原稿の締切に追われる事も無く、静かに眠っておられる。有難うございました、秋田さん。
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岩手県沢内村に取材に行った時・・・

2006年02月06日 | 本・雑誌・漫画
雪と氷―写真集

朝日新聞社

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「全国村長さん歌祭り」という企画。全国5つの村の村長さんが「村のいちばん自慢できる場所」で「村民」と共に、十八番の歌を歌うという取材だった。大阪からアコーディオンの先生を連れて行き、PA(スピーカー等の事・・・これが無いと集団では歌えない。アコーディオンの音が聞こえないから)も運び、雪の中で歌ってもらった。沢内村の村長は、住職も兼ねていて、「カラスの鳴きマネ」が上手かった。その時、教えて貰ったのが、「高橋喜平さんの写真集」。雪や氷がこんなに美しいなんて・・・と感動した。沢内村では「マタギ」にもあった。

高橋さんの逝去の報に接し、20数年前の取材を思い出した。
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