長門裕之さんはところどころ言葉を詰まらせ、涙をこらえながら記者の質問に答えた。
--結婚生活で一番、思いだされるのは
「2つある。1つは洋子が病気になり、洋子のために家を建て替え、バリアフリーにして、洋子が居やすい家にした。行動範囲はベッドルームと洗面所、トイレ、食堂だけ。(洋子は)夜中にぼくの所に来て、ノックするんです。明け方の4時。『洋子、いい加減にしてくれよ』と言ったけれど、扉の向こうから『洋子、行く所ないんだよ』とひと言、言いましたね。そうなんだ、洋子にはおれと2人の世界しかないんだと思うと、その言葉が生涯の中で離れません」
--いま、洋子さんからはどんな言葉が聞こえてきそうですか
「『さよなら』はなかったんですよね。17日に倒れたときも『ただいま』と言ったら、おれの顔をちらっと見ただけで、後はもう吐いてましたから。で、その時に、洋子は右手が動かせないから、右手を使うことを避けるのですが、僕の2本の指をおもいっきり強く握ったから、『わあ、右手でおれの手握った。握力あるよ』みたいな。そしたら、僕の手は痛くなっちゃって、『洋子、痛い痛い、離して』と言ったら、マネジャーが『長門さんの指が真っ白になっちゃっているから離してあげて』って言ってくれたんです。それでも離さない。それを僕は無理やり離しちゃったんだ。今から思えばあれが最後の意思表示だったのかな」
--舞台から帰ったら、洋子さんになんて声をかけますか
「ずっと僕を待っている人ですから。『遅くなってごめんね』と、あやまります」
--最後にキスはされますか
「昨日しました。僕はみなさん、誰でもそうだと思いますが、死に対する恐怖感と拒否反応がすごく強いので、あまり死んだ女房は好きじゃない」
--それでは昨日が最後のキスか
「そう。昨日は温かかったし、もうおもいっきり何カ所も何カ所も名前を呼びながら、あいつが痛がらなかったですから。ひげでもなんでもこすりつけて、なんべんもなんべんも、いつ死んでもいいように、準備を僕はしてましたから。そういう意味で…」
--南田さんから握られた指の痛さが思い出になりますね
「思い出になります」
長門さんが涙を浮かべてうつむくと、明治座の関係者が「これまで」と言って記者会見は終了。長門さんは関係者に支えられるようにして、会場をゆっくりと後にした。
(MSN産経ニュースより引用)
南田洋子さんと長門裕之さんが共演した映画↓
Amazon.co.jp
米軍基地の街・横須賀のチンピラ欣次(長門裕之)は米軍に寄生しながら暗躍するヤクザ組織に翻弄され、自滅の道を歩んで行く。一方、恋人・春子(吉村実子)は米兵に暴行されるも決して自暴自棄にならず、街を出て川崎へ向かう。
今村昌平監督が、戦後の安保体制の下、混迷しながら欲望の道へと突き進む日本人の姿を基地ヤクザにたとえ、痛切に批判した社会派作品。今村監督作品の特徴でもある「重喜劇」のスタイルを確立した傑作でもある。虚勢ばかり張っているが実は小心者のヤクザ「人斬り鉄次」を、丹波哲郎が好演。また、これが映画デビューとなった吉村実子扮するヒロインが逆境にめげずにたくましく生き延びていく姿は、まさに今村映画ならではの輝きであった。(的田也寸志)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
今村イズムの持つ“重喜劇性”が最も顕著に表現された作品。戦後の方向性を見失った日本を背景に、米軍基地の街・堰B須賀を舞台に軍に寄生し、軍から排出される残飯で豚を飼育して荒稼ぎするヤクザ一家が、やがて自滅するまでをシニカルに描く。
南田 洋子(みなみだ ようこ、本名:加藤 洋子、旧姓:北田、1933年3月1日 - 2009年10月21日)は東京市芝区(現・東京都港区)三田出身の元女優である。茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)卒業。夫は長門裕之。義弟は津川雅彦、義妹は朝丘雪路。夫の姪は真由子、従兄弟の娘は山田よう子。血液型A型、身長155cm。
人物・略歴
東京市芝区三田に米穀商の娘として生れる。母親は日本舞踊の師匠をしていた。終戦後、茨城県土浦市に移り1951年、茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)を卒業後、単身上京する。伯父の家に下宿して知人の紹介で水谷八重子に弟子入りする。その後大映にニューフェイスとして入社。同期に若尾文子がいた。同年の『美女と盗賊』で映画デビュー。1953年、若尾と共演した『十代の性典』が大ヒットし、注目される。その後シリーズ化され、「性典スター」として人気を博する。1955年、大映から日活に移籍。若尾の進言により、芥川賞を受賞した話題作『太陽の季節』が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。1963年、『サムライの子』でブルーリボン助演女優賞を受賞。
1964年、長門とともに「人間プロダクション」を設立。太田博之、島かおりなどを育てると同時にドラマ制作にも乗り出す。この時期よりテレビドラマへの出演も多くなり、NHKの『紀ノ川』(1965年)で「日本放送作家協会賞女性演技賞」を受賞。
また、俳優としての活動以外にも長門と2人で『ミュージックフェア』の司会を1965年から約16年間担当した。他にも京都放送の交通遺児募金キャンペーン『かたつむり大作戦』のメインパーソナリティーを、20年以上担当するなど多彩な活動をしていた。
さらに1978年10月から1979年9月までの約1年間、病気で降板したうつみ宮土理の後を継いで『クイズダービー』の4代目2枠レギュラー解答者としても出演する。しかし洋子の正答率は2割1分7厘(平均2勝7敗ペース)とあまり高くなく、過去の2枠レギュラーの中ではワースト2位だった(ワースト1位は井森美幸の2割0分8厘)。当時の2枠レギュラーはベテラン女優が入っていたが、彼女のみ1枠の篠沢秀夫より1つ年上と当時のレギュラーメンバーの中では最年長であった(篠沢は同年6月生まれと1学年下。大抵は篠沢が最年長)。洋子のレギュラー降板後は、同じくベテラン女優の長山藍子が務める事となる。
建築家の一面も持ち、十数年毎の自宅建て替えの際は洋子が自ら図面を引いていた。建て替えの度に、建設費用の高額さと建て替えまでの期間の短さがワイドショーで取り上げられている。長門は「まだ住めるのに」とインタビューで不満を漏らすことがあったが、「洋子の趣味だから仕方ない」と許容する度量を見せている。
1998年には、舅・沢村國太郎の介護の経験を中心に綴った『介護のあのとき』を出版し評判となる。2004年頃から認知症の症状が出現し始め、2006年に芸能活動を引退。専門医によりアルツハイマー病との診断が下された。その後『報道発 ドキュメンタリ宣言』で長門との2人の闘病模様が放映された。
2009年4月1日、意識混濁状態となり救急車で都内の病院に緊急入院(同月18日に退院)。長門は記者会見で「混濁した中でも、僕を一瞬認めて笑った気がします」と涙を浮かべながらも気丈に、洋子の状況についてコメントした。同年10月9日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で長門夫妻を取り上げた際には、取材VTRの中で、車椅子姿の洋子が顔なじみのスタッフにねぎらいの言葉を掛けるシーンも放送された。
しかし、2009年10月17日、クモ膜下出血との診断を受けて都内の病院に再入院。危篤状況が続いていたが、10月21日に意識が戻らず亡くなった。76歳没。
夫の長門裕之は出演中の明治座での舞台演劇の仕事があった為に、妻の最期を看取ることは出来ず、10月21日の夜に「さよならも言わずに…… この世を去りました……」と悲しみの記者会見を執り行った。
主な出演
テレビドラマ
NHK
横堀川(1966年) - 多加 役
虹(1970年) - 三谷かな子 役
風の隼人(1979~1980年) - 由羅 役
よーいドン(1982~1983年) - 時田せい 役
宮本武蔵(1984~1985年) - さわ 役
ドリーム〜90日で1億円〜(2004年) - 大河内しのぶ 役
わかば(2004~2005年) - 村上のぶ 役
TBS
赤い衝撃(1976~1977年) - 新田文子 役
ひまわりの歌(1981年)
スチュワーデス物語(1983年) - 村沢冬子 役
織田信長(1989年) - お市の侍女 役
天までとどけ(1991~1999年) - 是枝マキ 役
水戸黄門
第25部 第33話「姑ふたりの嫁いびり・角館」(1997年)
第34部 第15話「姑から逃げた嫁の秘密・新庄」(2005年)
月曜ミステリー劇場
「外科医零子」(2001年) - 水色加奈子 役
「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記 ゴミは殺しを知っている」(2003年) - 小野寺雪子 役
日本テレビ
花咲け花子(1983年)
セーラー服反逆同盟(1986年)
白虎隊(1986年) - 間瀬まつ 役
風林火山(1992年) - お福 役
ナースマン(2004年) - 進藤きよ 役
おとなの夏休み(2005年) - 蔵田ふね 役
ごくせん(2005年) - 松原 役
戦国自衛隊(2006年) - おせつ 役
火曜サスペンス劇場
「情状鑑定人」(1988年9月)
1989年6月の花嫁シリーズ3「ウエディングベルが聞こえる」(1989年6月17日放送)
「小京都ミステリー」(1995年) - 富田ハナ 役
「ひとことの罪」(1999年) - 八代ノブ 役
「弁護士・朝日岳之助」(2004年) - 新山絹代 役
「北ホテル2」(2004年) - ※夫・長門裕之と共演
よみうりテレビ
いのち草(1990年)
失楽園(1997年) - 江藤邦子 役
フジテレビ
若者たち(1966年)
銭形平次(1980年) - お篠 役
妻たちの劇場・泣きっ面に姑II(1991年6月 - 7月)
金曜エンタテイメント
「お局探偵亜木子&みどりの旅情事件帳」(1977年) - 小池朝子 役
「着物デザイナー 黛涼子の推理紀行」(2002年)
「浅見光彦シリーズ」(2003年) - 結城綾乃 役
関西テレビ
大奥(1968年) - お琴 役
徳川おんな絵巻(1971年) - 中野竹子 役
東海テレビ
乱れる(1965~1966年)
乱れそめにし(1970年)
その時がきた(1972年)
テネシーワルツ(1974年)
嵐の庭(1976年)
砂の城(1997年) - 磐城彩 役
テレビ朝日(旧NET)
続・氷点(1971~1972年) - 辻口夏枝 役
野菊の墓(1977年) - 斉藤ふき 役
家族ゲーム(1982年・1984年)
若大将天下ご免! 第33話「人斬り小太郎封印破り」(1987年) - お万 役
ニュータウン仮分署(1988年)
はぐれ刑事純情派 第4シリーズ 第17話「湯煙り北陸路安浦刑事の婚前旅行!?」(1991年)
セールスレディは何を見た(1993年) - 松井晴江 役
新・京都迷宮案内(2005年) - 木村ひさ乃 役
土曜ワイド劇場
「家政婦は見た!」(1989年) - 種村サダ 役
「タクシードライバーの推理日誌」(1994年) - 若宮承子 役
「温泉若おかみの殺人推理」(1994~1995年) - 女将 役
「探偵事務所」(1996年) - 勝山華子 役
「警視庁女性捜査班」(1999~2003年) - 坂本公子 役
「家政婦は見た!21」(2003年) - 中島春子 役
「ラーメン刑事「龍」の殺人推理」(2005年)
ABCテレビ
助け人走る 第35話「危機大依頼」(1974年)
暗闇仕留人 第13話「自滅して候」(1974年) - ちづ 役
テレビ東京
月曜・女のサスペンス「笛吹けば人が死ぬ」(1989年4月) - 絵奈 役
付き馬屋おえん事件帳 第1シリーズ 第12話「過去から来た女」(1990年) - 丁子屋の女将 役
北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる(2003年) - 蓮池ハツイ 役
上を向いて歩こう〜坂本九物語〜(2005年) - 大島せい 役
WOWOW
祖国 (テレビドラマ)(2005年) - 守谷セキ 役
映画
近松物語(1954年) - お玉 役
薔薇いくたびか(1955年) - 松島光子 役
太陽の季節(1956年) - 武田英子 役
幕末太陽傳(1957年) - こはる(女郎) 役
拳銃無頼帖シリーズ(1960年) - スミ 役
豚と軍艦(1961年) - 勝代 役
伊豆の踊子(1963年) - お咲 役
青い山脈(1963年) - 梅太郎 役
次郎長三国志(1963~1965年) - お園 役
続・拝啓天皇陛下様(1964年) - 美理 役
智恵子抄 Portrait of Chieko(第40回アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品、1967年) - 椿和子 役
樺太1945年夏 氷雪の門(1974年) - 安川房枝 役
ハウス(1977年) - おばちゃま(オシャレの伯母) 役
零戦燃ゆ(1984年) - 浜田イネ 役
星の牧場(1987年)
雪のコンチェルト(1991年)
極道の妻たち(1996年) - 杉岡武子 役
理由(2004年) - 石田キヌ江 役
22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年) - 団地のおばさん 役
ひいろ(2007年) - ※生涯最期の主演作品
バラエティー番組
東芝ファミリーホール特ダネ登場!?(1970~1979年 日本テレビ)
ミュージックフェア(1965~1981年 フジテレビ) - 司会
クイズダービー(1978~1979年 TBS) - 4代目2枠レギュラー
かたつむり大作戦(1976~2005年 KBS京都) - 主催
徹子の部屋(テレビ朝日)
スタジオパークからこんにちは(NHK)
笑っていいとも! テレフォンショッキング・ゲスト(フジテレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
いつみても波瀾万丈(日本テレビ)
クイズ年の差なんてアダルト・チームの回答者(フジテレビ)
一緒にお仕事をした俳優さんが亡くなっていくのは本当に悲しい。



--結婚生活で一番、思いだされるのは
「2つある。1つは洋子が病気になり、洋子のために家を建て替え、バリアフリーにして、洋子が居やすい家にした。行動範囲はベッドルームと洗面所、トイレ、食堂だけ。(洋子は)夜中にぼくの所に来て、ノックするんです。明け方の4時。『洋子、いい加減にしてくれよ』と言ったけれど、扉の向こうから『洋子、行く所ないんだよ』とひと言、言いましたね。そうなんだ、洋子にはおれと2人の世界しかないんだと思うと、その言葉が生涯の中で離れません」
--いま、洋子さんからはどんな言葉が聞こえてきそうですか
「『さよなら』はなかったんですよね。17日に倒れたときも『ただいま』と言ったら、おれの顔をちらっと見ただけで、後はもう吐いてましたから。で、その時に、洋子は右手が動かせないから、右手を使うことを避けるのですが、僕の2本の指をおもいっきり強く握ったから、『わあ、右手でおれの手握った。握力あるよ』みたいな。そしたら、僕の手は痛くなっちゃって、『洋子、痛い痛い、離して』と言ったら、マネジャーが『長門さんの指が真っ白になっちゃっているから離してあげて』って言ってくれたんです。それでも離さない。それを僕は無理やり離しちゃったんだ。今から思えばあれが最後の意思表示だったのかな」
--舞台から帰ったら、洋子さんになんて声をかけますか
「ずっと僕を待っている人ですから。『遅くなってごめんね』と、あやまります」
--最後にキスはされますか
「昨日しました。僕はみなさん、誰でもそうだと思いますが、死に対する恐怖感と拒否反応がすごく強いので、あまり死んだ女房は好きじゃない」
--それでは昨日が最後のキスか
「そう。昨日は温かかったし、もうおもいっきり何カ所も何カ所も名前を呼びながら、あいつが痛がらなかったですから。ひげでもなんでもこすりつけて、なんべんもなんべんも、いつ死んでもいいように、準備を僕はしてましたから。そういう意味で…」
--南田さんから握られた指の痛さが思い出になりますね
「思い出になります」
長門さんが涙を浮かべてうつむくと、明治座の関係者が「これまで」と言って記者会見は終了。長門さんは関係者に支えられるようにして、会場をゆっくりと後にした。
(MSN産経ニュースより引用)
南田洋子さんと長門裕之さんが共演した映画↓
![]() | 豚と軍艦 [DVD]日活このアイテムの詳細を見る |
Amazon.co.jp
米軍基地の街・横須賀のチンピラ欣次(長門裕之)は米軍に寄生しながら暗躍するヤクザ組織に翻弄され、自滅の道を歩んで行く。一方、恋人・春子(吉村実子)は米兵に暴行されるも決して自暴自棄にならず、街を出て川崎へ向かう。
今村昌平監督が、戦後の安保体制の下、混迷しながら欲望の道へと突き進む日本人の姿を基地ヤクザにたとえ、痛切に批判した社会派作品。今村監督作品の特徴でもある「重喜劇」のスタイルを確立した傑作でもある。虚勢ばかり張っているが実は小心者のヤクザ「人斬り鉄次」を、丹波哲郎が好演。また、これが映画デビューとなった吉村実子扮するヒロインが逆境にめげずにたくましく生き延びていく姿は、まさに今村映画ならではの輝きであった。(的田也寸志)
内容(「キネマ旬報社」データベースより)
今村イズムの持つ“重喜劇性”が最も顕著に表現された作品。戦後の方向性を見失った日本を背景に、米軍基地の街・堰B須賀を舞台に軍に寄生し、軍から排出される残飯で豚を飼育して荒稼ぎするヤクザ一家が、やがて自滅するまでをシニカルに描く。
南田 洋子(みなみだ ようこ、本名:加藤 洋子、旧姓:北田、1933年3月1日 - 2009年10月21日)は東京市芝区(現・東京都港区)三田出身の元女優である。茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)卒業。夫は長門裕之。義弟は津川雅彦、義妹は朝丘雪路。夫の姪は真由子、従兄弟の娘は山田よう子。血液型A型、身長155cm。
人物・略歴
東京市芝区三田に米穀商の娘として生れる。母親は日本舞踊の師匠をしていた。終戦後、茨城県土浦市に移り1951年、茨城県土浦第一高等女学校(現・つくば国際大学高等学校)を卒業後、単身上京する。伯父の家に下宿して知人の紹介で水谷八重子に弟子入りする。その後大映にニューフェイスとして入社。同期に若尾文子がいた。同年の『美女と盗賊』で映画デビュー。1953年、若尾と共演した『十代の性典』が大ヒットし、注目される。その後シリーズ化され、「性典スター」として人気を博する。1955年、大映から日活に移籍。若尾の進言により、芥川賞を受賞した話題作『太陽の季節』が映画化され長門裕之とともに主演。この映画は大ヒットし2人は日活の看板スターとなり、多くの作品に出演する。1961年に長門と結婚。1963年、『サムライの子』でブルーリボン助演女優賞を受賞。
1964年、長門とともに「人間プロダクション」を設立。太田博之、島かおりなどを育てると同時にドラマ制作にも乗り出す。この時期よりテレビドラマへの出演も多くなり、NHKの『紀ノ川』(1965年)で「日本放送作家協会賞女性演技賞」を受賞。
また、俳優としての活動以外にも長門と2人で『ミュージックフェア』の司会を1965年から約16年間担当した。他にも京都放送の交通遺児募金キャンペーン『かたつむり大作戦』のメインパーソナリティーを、20年以上担当するなど多彩な活動をしていた。
さらに1978年10月から1979年9月までの約1年間、病気で降板したうつみ宮土理の後を継いで『クイズダービー』の4代目2枠レギュラー解答者としても出演する。しかし洋子の正答率は2割1分7厘(平均2勝7敗ペース)とあまり高くなく、過去の2枠レギュラーの中ではワースト2位だった(ワースト1位は井森美幸の2割0分8厘)。当時の2枠レギュラーはベテラン女優が入っていたが、彼女のみ1枠の篠沢秀夫より1つ年上と当時のレギュラーメンバーの中では最年長であった(篠沢は同年6月生まれと1学年下。大抵は篠沢が最年長)。洋子のレギュラー降板後は、同じくベテラン女優の長山藍子が務める事となる。
建築家の一面も持ち、十数年毎の自宅建て替えの際は洋子が自ら図面を引いていた。建て替えの度に、建設費用の高額さと建て替えまでの期間の短さがワイドショーで取り上げられている。長門は「まだ住めるのに」とインタビューで不満を漏らすことがあったが、「洋子の趣味だから仕方ない」と許容する度量を見せている。
1998年には、舅・沢村國太郎の介護の経験を中心に綴った『介護のあのとき』を出版し評判となる。2004年頃から認知症の症状が出現し始め、2006年に芸能活動を引退。専門医によりアルツハイマー病との診断が下された。その後『報道発 ドキュメンタリ宣言』で長門との2人の闘病模様が放映された。
2009年4月1日、意識混濁状態となり救急車で都内の病院に緊急入院(同月18日に退院)。長門は記者会見で「混濁した中でも、僕を一瞬認めて笑った気がします」と涙を浮かべながらも気丈に、洋子の状況についてコメントした。同年10月9日放送の『中居正広の金曜日のスマたちへ』で長門夫妻を取り上げた際には、取材VTRの中で、車椅子姿の洋子が顔なじみのスタッフにねぎらいの言葉を掛けるシーンも放送された。
しかし、2009年10月17日、クモ膜下出血との診断を受けて都内の病院に再入院。危篤状況が続いていたが、10月21日に意識が戻らず亡くなった。76歳没。
夫の長門裕之は出演中の明治座での舞台演劇の仕事があった為に、妻の最期を看取ることは出来ず、10月21日の夜に「さよならも言わずに…… この世を去りました……」と悲しみの記者会見を執り行った。
主な出演
テレビドラマ
NHK
横堀川(1966年) - 多加 役
虹(1970年) - 三谷かな子 役
風の隼人(1979~1980年) - 由羅 役
よーいドン(1982~1983年) - 時田せい 役
宮本武蔵(1984~1985年) - さわ 役
ドリーム〜90日で1億円〜(2004年) - 大河内しのぶ 役
わかば(2004~2005年) - 村上のぶ 役
TBS
赤い衝撃(1976~1977年) - 新田文子 役
ひまわりの歌(1981年)
スチュワーデス物語(1983年) - 村沢冬子 役
織田信長(1989年) - お市の侍女 役
天までとどけ(1991~1999年) - 是枝マキ 役
水戸黄門
第25部 第33話「姑ふたりの嫁いびり・角館」(1997年)
第34部 第15話「姑から逃げた嫁の秘密・新庄」(2005年)
月曜ミステリー劇場
「外科医零子」(2001年) - 水色加奈子 役
「おばさん会長・紫の犯罪清掃日記 ゴミは殺しを知っている」(2003年) - 小野寺雪子 役
日本テレビ
花咲け花子(1983年)
セーラー服反逆同盟(1986年)
白虎隊(1986年) - 間瀬まつ 役
風林火山(1992年) - お福 役
ナースマン(2004年) - 進藤きよ 役
おとなの夏休み(2005年) - 蔵田ふね 役
ごくせん(2005年) - 松原 役
戦国自衛隊(2006年) - おせつ 役
火曜サスペンス劇場
「情状鑑定人」(1988年9月)
1989年6月の花嫁シリーズ3「ウエディングベルが聞こえる」(1989年6月17日放送)
「小京都ミステリー」(1995年) - 富田ハナ 役
「ひとことの罪」(1999年) - 八代ノブ 役
「弁護士・朝日岳之助」(2004年) - 新山絹代 役
「北ホテル2」(2004年) - ※夫・長門裕之と共演
よみうりテレビ
いのち草(1990年)
失楽園(1997年) - 江藤邦子 役
フジテレビ
若者たち(1966年)
銭形平次(1980年) - お篠 役
妻たちの劇場・泣きっ面に姑II(1991年6月 - 7月)
金曜エンタテイメント
「お局探偵亜木子&みどりの旅情事件帳」(1977年) - 小池朝子 役
「着物デザイナー 黛涼子の推理紀行」(2002年)
「浅見光彦シリーズ」(2003年) - 結城綾乃 役
関西テレビ
大奥(1968年) - お琴 役
徳川おんな絵巻(1971年) - 中野竹子 役
東海テレビ
乱れる(1965~1966年)
乱れそめにし(1970年)
その時がきた(1972年)
テネシーワルツ(1974年)
嵐の庭(1976年)
砂の城(1997年) - 磐城彩 役
テレビ朝日(旧NET)
続・氷点(1971~1972年) - 辻口夏枝 役
野菊の墓(1977年) - 斉藤ふき 役
家族ゲーム(1982年・1984年)
若大将天下ご免! 第33話「人斬り小太郎封印破り」(1987年) - お万 役
ニュータウン仮分署(1988年)
はぐれ刑事純情派 第4シリーズ 第17話「湯煙り北陸路安浦刑事の婚前旅行!?」(1991年)
セールスレディは何を見た(1993年) - 松井晴江 役
新・京都迷宮案内(2005年) - 木村ひさ乃 役
土曜ワイド劇場
「家政婦は見た!」(1989年) - 種村サダ 役
「タクシードライバーの推理日誌」(1994年) - 若宮承子 役
「温泉若おかみの殺人推理」(1994~1995年) - 女将 役
「探偵事務所」(1996年) - 勝山華子 役
「警視庁女性捜査班」(1999~2003年) - 坂本公子 役
「家政婦は見た!21」(2003年) - 中島春子 役
「ラーメン刑事「龍」の殺人推理」(2005年)
ABCテレビ
助け人走る 第35話「危機大依頼」(1974年)
暗闇仕留人 第13話「自滅して候」(1974年) - ちづ 役
テレビ東京
月曜・女のサスペンス「笛吹けば人が死ぬ」(1989年4月) - 絵奈 役
付き馬屋おえん事件帳 第1シリーズ 第12話「過去から来た女」(1990年) - 丁子屋の女将 役
北朝鮮拉致・めぐみ、お母さんがきっと助けてあげる(2003年) - 蓮池ハツイ 役
上を向いて歩こう〜坂本九物語〜(2005年) - 大島せい 役
WOWOW
祖国 (テレビドラマ)(2005年) - 守谷セキ 役
映画
近松物語(1954年) - お玉 役
薔薇いくたびか(1955年) - 松島光子 役
太陽の季節(1956年) - 武田英子 役
幕末太陽傳(1957年) - こはる(女郎) 役
拳銃無頼帖シリーズ(1960年) - スミ 役
豚と軍艦(1961年) - 勝代 役
伊豆の踊子(1963年) - お咲 役
青い山脈(1963年) - 梅太郎 役
次郎長三国志(1963~1965年) - お園 役
続・拝啓天皇陛下様(1964年) - 美理 役
智恵子抄 Portrait of Chieko(第40回アカデミー賞外国語映画賞本選ノミネート作品、1967年) - 椿和子 役
樺太1945年夏 氷雪の門(1974年) - 安川房枝 役
ハウス(1977年) - おばちゃま(オシャレの伯母) 役
零戦燃ゆ(1984年) - 浜田イネ 役
星の牧場(1987年)
雪のコンチェルト(1991年)
極道の妻たち(1996年) - 杉岡武子 役
理由(2004年) - 石田キヌ江 役
22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語(2007年) - 団地のおばさん 役
ひいろ(2007年) - ※生涯最期の主演作品
バラエティー番組
東芝ファミリーホール特ダネ登場!?(1970~1979年 日本テレビ)
ミュージックフェア(1965~1981年 フジテレビ) - 司会
クイズダービー(1978~1979年 TBS) - 4代目2枠レギュラー
かたつむり大作戦(1976~2005年 KBS京都) - 主催
徹子の部屋(テレビ朝日)
スタジオパークからこんにちは(NHK)
笑っていいとも! テレフォンショッキング・ゲスト(フジテレビ)
ライオンのごきげんよう(フジテレビ)
いつみても波瀾万丈(日本テレビ)
クイズ年の差なんてアダルト・チームの回答者(フジテレビ)
一緒にお仕事をした俳優さんが亡くなっていくのは本当に悲しい。




