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本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

ビジネスマンの精神科

2009年10月24日 | 病院・薬・病気
ビジネスマンの精神科 (講談社現代新書)
岩波 明
講談社

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内容紹介
リストラ、残業代カット、雇用不安などから生じる「心の病」の症例と 治 療法を丁寧に解説。うつ病、うつ状態、パニック障害、神経症のケーススタディか ら 職場環境の改善まで、すぐに役立つガイド。



内容(「BOOK」データベースより)
「心の病」の症例と治療法。うつ病・うつ状態、パニック障害、神経症のケーススタディから、職場環境の改善まで、すぐに役立つガイド。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
岩波 明
1959年、神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医、医学博士。都立松沢病院、昭和大学病院精神科、東大病院精神科などで精神科臨床にたずさわる。うつ病の薬物療法、統合失調症の認知機能障害、精神疾患と犯罪などを主な研究分野とする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)



今日も「精神科(神経内科)」に薬を貰いに行ってきた。一時間待ち。でも、仕事のストレスからお酒に走ったりするよりは、ちゃんと専門医に診て貰った方がいい。
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東京の戦争

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
東京の戦争 (ちくま文庫)
吉村 昭
筑摩書房

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内容(「BOOK」データベースより)
物干台で凧を揚げていて、東京初空襲の米軍機に遭遇した話。戦中にも通っていた寄席や映画館や劇場。一人旅をする中学生の便宜をはかってくれる駅長の優しさ。墓地で束の間、情を交わす男女のせつなさ。少年の目に映った戦時下東京の庶民生活をいきいきと綴る。抑制の効いた文章の行間から、その時代を生きた人びとの息づかいが、ヒシヒシと伝わってくる。六十年の時を超えて鮮やかに蘇る、戦中戦後の熱い記憶。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉村 昭
1927年生まれ。作家。芸術院会員。1965年『星への旅』で太宰治賞受賞。『戦艦武蔵』、『高熱隧道』で人気作家の地位を不動にする。菊池寛賞、吉川英治文学賞(『ふぉん・しいほるとの娘』)、読売文学賞、芸術選奨文部大臣賞(『破獄』)、毎日芸術賞(『冷たい夏、暑い夏』)、日本芸術院賞、大仏次郎賞(『天狗争乱』)などを受賞している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


吉村昭の小説は好きでたくさん読んだ。ただ、戦争の話を書いているとは知らなかった。
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色川 武大

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
うらおもて人生録 (新潮文庫)
色川 武大
新潮社

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内容(「BOOK」データベースより)
優等生がひた走る本線のコースばかりが人生じゃない。ひとつ、どこか、生きるうえで不便な、生きにくい部分を守り育てていくことも、大切なんだ。勝てばいい、これでは下郎の生き方だ…。著者の別名は雀聖・阿佐田哲也。いくたびか人生の裏街道に踏み迷い、勝負の修羅場もくぐり抜けてきた。愚かしくて不格好な人間が生きていくうえでの魂の技術とセオリーを静かに語った名著。


色川 武大の文章は巧みで想像力を掻き立てられる。



色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士である。

なお筆名は「色川 武大(いろかわ ぶだい)」。その他「阿佐田 哲也(あさだ てつや)」、「井上 志摩夫(いのうえ しまお)」、「雀風子」がある。

「阿佐田哲也」名義では麻雀小説作家として知られる。


略歴
東京市牛込区(現・東京都新宿区)矢来町生まれ。父親は40代の若さで退役した海軍大佐であって、色川は、父が44歳にして初めてうまれた長男であった。父は何も仕事をせず、常に自宅におり、家族は軍人恩給で生活していた。また、子どもをしかる時は鞭をつかい、98歳の長命を保った。この父親との関係は、色川文学の大きなテーマの一つとなっている。色川が小学校入学の年に弟が生まれる。

学校生活になじめず、小学生時代から、学校をサボって浅草興行街に出入りし、映画や寄席、喜劇などに熱中する。あまりに学校をサボるので、塾に通わされたが、そこもまたサボって、寄席に通っていたという。

また、アメリカ映画のスタッフの名前を覚えて各人の出世や退職などを見守ったり、実在の、相撲の力士や野球の選手の名前を書いたカードを作り、サイコロを振って勝敗をつける独自のゲームを考案して、その「一人遊び」に熱中する。相撲ゲームには20代なかばまで熱中した。後年、競輪に熱中するようになると、実在の競輪選手4000人のカードを作り、それを使ったゲームにも熱中した。

1941年旧制第三東京市立中学(現・東京都立文京高等学校)に進学。1943年からは勤労動員で工場で働くが、ガリ版同人誌をひそかに発行していたことが露見し、無期停学処分を受ける。

1945年に終戦を迎えるが、無期停学処分のままだったため、中学を中退。父親の恩給が止まったため、生活のため以後5年ほど、かつぎ屋、闇屋、街頭の立ち売り、博徒などの職を転々とし、アウトローの生活へ身を投じる。

後に執筆した『麻雀放浪記』の主人公「坊や哲」や「女衒の達」さながらのバクチ修行をし、サイコロ博打や麻雀の腕を磨く。稼いだ時は上宿へ泊まり、文無しになった際は野宿をした。このギャンブル没頭時代に、後に、彼の人生自身の哲学となる「ツキの流れを読んでそれに従う」「欲張りすぎず、(相撲でいえば)九勝六敗を狙う」などの考えを、身につける。


やがて1950年(昭和25年)頃から各種業界紙を転々と渡り歩くようになる。

1953年(昭和28年)には桃園書房に入社、事実上アウトローの世界より引退。『小説倶楽部』誌の編集者として藤原審爾や山田風太郎のサロンに出入りをする。特に、藤原審爾には「人生の師匠」とまで傾倒していた。

この頃の色川は、やせた美男子であった。また、山田によると「円形恐怖症」で、リンゴ、卵、ボールなどを怖がったという(のちの『怪しい来客簿』では、「山が怖い」と書かれている)。

また、この頃から既に、後に病名が判明するナルコレプシーの兆候があり、山田宅や藤原宅で麻雀が催されると、自分の番が来るまでに寝てしまいその度に、起こされていたという。なお、麻雀の玄人であったことがばれないよう、トップにはならず「いつも、少しだけ浮く」という麻雀を打っていた。吉行淳之介は、その打ち方を見て不審に感じ、のち阿佐田哲也名義で『麻雀放浪記』が刊行された際、「この作者は、おそらく色川武大だ」と直感したという。

藤原の主宰する小説勉強会で知り合った、当時北海道新聞の記者をしていた夏堀正元が、色川を「傑作を書ける男だ」と『中央公論』の笹原金次郎に紹介した。この頃、夏堀正元の紹介で新日本文学会にも入会(ただし、後年、夏堀が他の作家に「この人も『新日本文学』の会員ですよ」と紹介すると、「いや、違う」と色川は否定したという。新日本文学会のイデオロギー臭を嫌っていたと思われる)。当時の色川は「あまり本を読まない文学青年」で、夏堀が薦めたドストエフスキー等には反応せず、『旧約・新約聖書』に熱中していたという。

1955年(昭和30年)に桃園書房をクビになり、以降、生活のために「井上志摩夫」名義での娯楽小説を書く。この頃から、新宿ゴールデン街の名物バー『まえだ』に通うようになる。

1961年(昭和36年)に、父親のことを書き、本名で応募した『黒い布』が伊藤整や武田泰淳や三島由紀夫の激賞を受け、第6回中央公論新人賞を受賞。なお、この受賞パーティが、野坂昭如の「文壇パーティ・デビュー」の会でもあり、後の野坂の小説『文壇』でその様子が描写されている。

しかしその後はスランプに陥り、以降しばらく、同人誌での活動を行う。また、「生活費は競輪などのギャンブルで稼いでいる」と知人には語っていた。

夏堀正元、井出孫六、黒井千次らと同人誌『層』発刊。また、近藤信行、平岡篤頼、古井由吉等の同人誌『白猫』にも参加。有馬頼義主宰の若手作家の文学サロン「石の会」では、高井有一、高橋正男、五木寛之、佃実夫、萩原葉子、室生朝子、中山あい子、後藤明生、森内俊雄、渡辺淳一、梅谷馨一、立松和平らを知る。

1966年(昭和41年)に『週刊大衆』に、「雀風子」の筆名で『マージャン講座』というコラムを執筆したところ人気を博し、この連載はタイトルを変更しながらも2年間続く。この頃から原因不明の睡眠発作・脱力症状・幻視・幻聴・幻覚(後述)に悩まされるようになり、治療費が必要となった場合に備える構えで、さらなる別名での執筆を行うことを決めた。

1968年(昭和43年)に『週刊大衆』に「阿佐田哲也」名義で発表した、『天和の職人』などで、「麻雀の牌の並びが小説中に記載されている、麻雀小説」を発明する。

1969年(昭和44年)に、やはり『週刊大衆』に連載を開始した自伝的小説『麻雀放浪記』シリーズで、若い読者の圧倒的人気を得て脚光を浴び、世は麻雀ブームとなる。以後、麻雀小説を多数執筆し、その影響で「麻雀専門誌」や「麻雀専門劇画誌」などが生まれ、その多くに阿佐田は執筆した。

1970年(昭和45年)から『週刊ポスト』において、作家や芸能人、スポーツ選手などが参加する「麻雀勝抜き戦」の「観戦記」の執筆を開始(1976年まで)。自らも選手として参加し、麻雀を通して、交友範囲を大きく広げる。麻雀を通しての交友であったので、井上陽水などとは非常に親しい仲になったにもかかわらず、陽水の歌声をかなり後まで知らなかったという。また、この年から従妹(母親同士が姉妹)の黒須孝子と暮らしはじめる。なお、孝子は「この人は病気で数年で死ぬだろう。その間、看病して、この怪物のような人物と暮らしてみたい」という気持ちだっという。

また、若手の麻雀強豪(小島武夫、古川凱章ら)を集めて、麻雀エンターテインメントグループ「麻雀新撰組」を結成し、局長に就任。麻雀メディアにおおきな影響を及ぼす。この経緯はのちに、『小説・阿佐田哲也』に書かれている。

1973年(昭和48年)には孝子と結婚。孝子は直木賞受賞作『離婚』のモデルとなる。なお、若い頃、東宝から映画女優としてのスカウトがきたほどの美人であった。

1974年(昭和49年)に前述の精神病が難病のナルコレプシー(眠り病)と判明、終生悩まされる事になる。この年、色川名義で、『話の特集』誌に「怪しい来客簿」の連載を開始する。

1976年(昭和51年)には胆石の悪化で一時期危険な状態にまで陥った。家族は葬式の手配までし、『近代麻雀』誌は追悼号の印刷までした。だが、医者も驚く奇跡的な回復をする。退院後、すぐその晩から清水一行、畑正憲らと丸二日間、麻雀をした。

1977年(昭和52年)に『怪しい来客簿』が本名で刊行され、泉鏡花賞を受賞する。『黒い布』以来「色川武大」としては16年ぶりの復活であった。

1978年(昭和53年)には『離婚』で第79回直木賞を受賞する。この作品は事実とフィクションが入り混じった内容で、孝子夫人は「小説のとおりの人物」と人から思われ、人間不信になり自殺まで考えたという。以降は、本名と阿佐田哲也名義で執筆を続け、精通している博打、映画、芸能、ジャズや幅広い交友関係などを元にした著書を多数出版し続けた。

1989年(平成元年)4月3日に前の月に引越したばかりの(色川は過去20年の間で10回も引越しを行っていた)岩手県一関市において、心筋梗塞で倒れて病院に運ばれる。適切な手当の結果、一命を取りとめたと思われたが、1週間後の10日、入院先の宮城県の病院にて、心臓破裂で死去。享年60(数え年で61歳)。一関に移り住んでわずか10日後の事であった。

作家活動
色川武大名では主に純文学を、阿佐田哲也名では『麻雀放浪記』をはじめとするギャンブル小説を多数発表しているほか、井上志摩夫名では時代小説などを発表している。

「阿佐田哲也」のペンネームについては、麻雀で徹夜を繰り返し『朝だ!徹夜だ!』といったことに由来しており、「武大」の本名は父親が中国の小説『金瓶梅』の登場人物より名付けたものである(自著『ぎゃんぶる百華』より)。

ギャンブル
麻雀の分野においては、麻雀をカルチャーとして広めたという意味で戦後最大の功績者であると言える。「雀聖」とも呼ばれ、神格的扱いすら受けるビッグネームである(「雀鬼五十番勝負」などの作品に見られるように元々は「雀鬼」と呼ばれていたが、後にナンバーワン代打ちとして活躍する桜井章一を「雀鬼」と呼ぶことが一般的になったため、区別するために「雀聖」と呼ばれるようになった)。

また、麻雀技術書において、麻雀に戦術があることを書き、五味康祐とともに、「単なるギャンブル」とみなされていた麻雀を「知的なゲーム」として見直させることになった。

また、小説の中に登場人物の牌の状況図を入れる「麻雀小説」の発明者であり、その影響下により、他の作家たちによる「麻雀小説」「麻雀劇画」が生まれた。なお、牌の状況を書く際は、麻雀の牌が刻まれた特注のハンコを用意し、それを原稿用紙に押していたという。

1965年(~75年)に『麻雀放浪記』がヒットすると、1970年から『週刊ポスト』誌で有名人による麻雀勝抜戦(阿佐田が観戦記担当)が開始。1972年には、竹書房から、日本初の麻雀専門雑誌『月刊近代麻雀』が誕生。他の出版社からも専門誌が次々に刊行された。阿佐田はこれらの雑誌類にも、精力的に執筆・参加した。

1975年には、小島武夫・古川凱章らと「麻雀新撰組」を結成し、テレビ番組11PM(大橋巨泉:司会)の麻雀コーナーに出演して、麻雀を打つなど積極的なメディア展開を図り、「第二次麻雀ブーム」形成に大きく貢献した。

なお、週刊少年マガジンにて1997年から2004年まで連載されていた『哲也-雀聖と呼ばれた男』(原作:さいふうめい、漫画:星野泰視)のモデルにもなっている。

また、「競馬、競艇などのギャンブルの中で人が最後にたどりつく『ギャンブルの王様』は競輪である」と言うほど競輪を愛していた。これにちなみ、立川競輪場では毎年「阿佐田哲也杯」が開催されている。なお、麻雀でも過去に「阿佐田哲也杯」が開催されていた(現名称は「麻雀王座決定戦」)。

また、友人である作家山口瞳の競馬随筆などにも何度か登場しており、山口が雑誌で連載していた随筆連載では旅打ちのゲストとして登場している。この山口の随筆には、色川の持病のナルコレプシーについての描写も見られる。

ラスベガスへも何度も通った。好きだったバカラは、清水一行から教わったという。

その他、若い頃は、ギャンブル仲間と年頭に、「この1年に誰が死ぬか」という賭けもしていた。

なお、作家として高名になった後も、「その筋の人々」との「手本引き」などのギャンブルをしており、その際は数百万単位の金銭を持参して、賭場にのぞんだという。

ギャンブルを通じて、将棋の棋士たちと縁ができたことから、当人は将棋はあまり強くなかったが、将棋の観戦記も書いていた。「将棋ペンクラブ大賞」の選考委員も死去するまでつとめた。

また、色川がギャンブルから学んだ人生観として、「9勝6敗を狙え。8勝7敗では寂しい。10勝を狙うと無理がでる」という言葉がある。そのため、「幸運が続きすぎると危ない」という考えがあり、ギャンブルに大負けすると「ここで不運を消化しておけば安心だ」と語った。作家の向田邦子が1981年に飛行機事故で亡くなった際は友人に、「あの人は幸運が続きすぎたせいだ」と語った。

エピソード
劇作家の飯沢匡の母は色川家の人で、飯沢と色川は「高祖父が同じ」、また従兄弟の関係になる。
ナルコレプシーを患ってからは睡眠周期が乱れ1日内の時間感覚が崩れ、「起きていて、腹が減れば食事をする」こととなり、1日6食も食事をするようになった。そのため、後年のような肥満体となった。
めったに風呂にはいらず、また風呂にはいってもつかるだけであり、結婚後は夫人が体を洗っていた。
時間にルーズで、自分が文学賞を取った際の授賞式にも、必ず遅刻していた。
作家となった後は、非常に人づきあいがよくなり、そのため、文壇、芸能界、スポーツ界、麻雀プロたち、アウトローの世界を含めて、多数の人物と交際しており、色川家には人の出入りが絶えなかったという。山口瞳は色川の死後、「彼には八方美人の性格があり、だれもが『自分が一番愛されている』と感じさせた」と書いている。
チワワを飼っていたことがあって「アサダ」という名前をつけていた。その犬が死んだ直後に、黒鉄ヒロシが色川宅に電話すると、孝子夫人が「アサダが死んじゃったのよ!」と言ったため、黒鉄をあわてさせた。
一関への引越しは、同地に有名なジャズ喫茶「ベイシー」があったのがきっかけである。還暦を期に、作品に専念するという考えがあり、また純文学では稼げないため家賃の安い所に住みたいという理由もあった。
小松原茂雄元東京大学教授(ディケンズの世界の著者)とは小学校からの親友である。
受賞歴
全て本名の色川武大名義による受賞。

1961年 - 「黒い布」で中央公論新人賞を受賞
1977年 - 「怪しい来客簿」で第5回泉鏡花文学賞を受賞
1978年 - 「離婚」で第79回直木賞を受賞
1982年 - 「百」で川端康成文学賞を受賞
1989年 - 「狂人日記」で読売文学賞を受賞

色川武大名義の著作
『怪しい来客簿』(話の特集 1977年7月)のち角川文庫、文春文庫
『離婚』(文藝春秋 1978年11月)のち文庫
『ぼうふら漂遊記』(新潮社 1979年3月)のち文庫
『生家へ』(中央公論社 1979年7月)のち文庫、講談社文芸文庫  
『小説阿佐田哲也』(角川書店 1979年11月)のち文庫 
『無職無宿虫の息』(講談社 1980年7月)のち文庫 
『花のさかりは地下道で』(文芸春秋 1981年6月)のち文庫 
『百』(新潮社 1982年10月)のち文庫
『恐婚』(文藝春秋 1984年3月)のち文庫
『うらおもて人生録』(毎日新聞社 1984年11月)のち新潮文庫 
『喰いたい放題』(潮出版社 1984年11月)のち集英社文庫、光文社文庫  
『遠景・雀・復活』(福武書店 1986年2月)『虫喰仙次』文庫、原題で講談社文芸文庫 
『寄席放浪記』(広済堂出版 1986年10月)のち河出文庫 
『あちゃらかぱいッ』(文芸春秋 1987年11月)のち文庫、河出文庫  
『街は気まぐれヘソまがり』(徳間書店 1987年11月)ISBN 4-19-123557-5
『唄えば天国ジャズソング 命から二番目に大事な歌』(ミュージック・マガジン 1987年5月)のちちくま文庫 
『狂人日記』(福武書店 1988年10月)のち文庫、講談社文芸文庫  
長部日出雄、村松友視、和田誠共著『戦後史グラフィティ』(話の特集 1989年8月)
『色川武大の御家庭映画館 映画ビデオ・ガイドブック』(双葉社 1989年7月)
『引越貧乏』(新潮社 1989年7月)のち文庫 
『虫けら太平記』(文芸春秋 1989年7月)のち文庫 
『なつかしい芸人たち』(新潮社 1989年9月)のち文庫 
『明日泣く』(実業之日本社 1989年11月)のち講談社文庫 
『ばれてもともと』(文芸春秋 1989年12月) ISBN 4-16-343900-5
『私の旧約聖書』(中公文庫 1991年9月)
『色川武大 阿佐田哲也全集1~16』(福武書店 1991年~1993年)
『いずれ我が身も』(中央公論新社 2004年3月)のち文庫 
『映画放浪記 大人の映画館』(キネマ旬報社 2006年)ISBN 9784873762678「色川武大の御家庭映画館」の改題

麻雀放浪記(一) 青春編
阿佐田 哲也
角川書店

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この本は大学一回生の時、読んだ。衝撃を受けた。素晴らしい小説である。
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魚神

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
魚神
千早 茜
集英社

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内容紹介
かつて一大遊郭が栄えた、閉ざされた島。夢喰いの獏、雷魚などの伝説が残る島で、本土を追われた人々は自治組織を作り、独自の文化を営んでいる。捨て子の白亜とスケキヨは、この島で捨て子の姉弟として育った。伝説の遊女の名を継ぐ姉・白亜と、デンキを放つ弟・スケキヨ。ふたりは互いのみを拠りどころに生きてきた。スケキヨは、あるきっかけから薬学の知識を身につける。しかし、その美貌ゆえ、悪評高い裏華町に売られてしまう 。離れ離れになり動揺したふたりは、ある夜、過ちを犯し仲違いしてしまう。成長した白亜もまた廓へ売られ、やがて島随一の美しい遊女となる。スケキヨのことが忘れられず、無感覚のまま身をひさぐ毎日。彼女は遊郭の女郎や裏華町の男達を通じて徐々にスケキヨへと近づいて行くが、彼の周囲には不穏な噂が漂っていた。強く惹 きあい、拒絶を恐れ近づけない姉弟。ふたりが再び寄り添うとき、島にも変化が……。



内容(「BOOK」データベースより)
生ぬるい水に囲まれた孤島。ここにはかつて、政府によって造られた一大遊廓があった。捨て子の姉弟、白亜とスケキヨ。白亜は廓に売られ、スケキヨは薬売りとして暗躍している。美貌の姉弟のたましいは、惹きあい、そして避けあう。ふたりが再び寄り添うとき、島にも変化が…。第21回小説すばる新人賞受賞作。



著者について
<著者略歴>千早 茜(ちはや あかね) 1979年8月2日、北海道生まれ。立命館大学文学部卒業。第21回小説すばる新人賞受賞。


江戸川乱歩の「パノラマ島奇譚」と横溝正史の「犬神家の一族」に出てくる「スケキヨ」・・・僕の好きな世界観の小説。
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上原投手と、約束のキャッチボール

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
上原投手と、約束のキャッチボール
斉木桂子
日本テレビ放送網

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内容紹介
難病と闘う斉木翔太君と上原浩治投手の“約束”の物語

「病気が怖い…」 自分が兄の命を奪った難病であると知った少年。
「元気になったら東京ドームでキャッチボールしよう!」
7歳の少年に勇気を与えたのは、一人の野球選手、「ジャイアンツ・上原浩治投手」との約束”だった。
2年前、その“約束”で勇気をもらった少年が、今年はメジャーリーグに挑戦したものの、ボルティモアで故障治療中の上原投手に勇気を届ける…。
再会し、2度目の約束”のキャッチボール。

24時間テレビで日本中の感動を呼んだ、“約束”の物語を、
母・桂子さんが未公開エピソードや秘蔵写真と共に綴ります。





内容(「BOOK」データベースより)
難病と闘う斉木翔太君と上原浩治投手の“約束”の物語。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
斉木 桂子
昭和39年(1964年)7月11日東京都生まれ。駒沢女子短期大学保育科卒業。私立保育園、スキー学校勤務を経て平成6年結婚。二児の母親となる。現在、三井生命サービスパートナーとして勤務する傍らNPO法人骨髄バンクサポート新潟の理事、事務局長として活動中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


野球選手や歌手が難病の子供を勇気づける事はとてもとても素晴らしい事だ。
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笑いの果てまでつれてって

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
笑いの果てまでつれてって
西田俊也
徳間書店

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内容紹介
大阪から稚内へ、師走の街を疾走する4人を乗せた車。忘れられた漫才師は最後の舞台に立てるのか。笑いと感動のロード・ノベル!



内容(「BOOK」データベースより)
お笑い芸人のミナミは、ここ数年ですっかり人気も落ち、今はホテトルの運転手をして暮らしていた。年末のある日、以前、ホテトルで窃盗の嫌疑をかけられ、ミナミに助けられた京子が、お金を返しに来た。ちょうどその頃、お笑い学校の同級生だった友人から仕事の依頼が来ていた。稚内の老人ホームの年越しイベントで漫才をやらないかというのだ。断るつもりだったミナミだが、京子が正月に帰るところがないと聞き、最後の舞台をみせようと、京子を北海道へ誘う。自殺未遂をしたばかりの元相方・サカイ、そしてミナミの父・ハツオも同乗し、4人を乗せた車は27日朝、大阪を出発する。それぞれの思いを乗せ、北海道・稚内をめざして、爆走する車。名古屋~東京~仙台と、行く手に待ち受けるさまざまな事件を乗り越え、果たして、大晦日、忘れられた漫才師は、最後の舞台に立つことが出来るのか。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
西田 俊也
1960年、奈良県生まれ。児童文学、漫画原作、作詞、映画脚本など、さまざまな分野で活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


こういうロードムービー的なストーリーは大好き。
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なぜ、A型がいちばん美人なのか?

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
なぜ、A型がいちばん美人なのか?
齋藤 薫
マガジンハウス

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内容紹介
A型はまじめ、B型はマイペース、O型はおおらか、AB型は二面性がある……。巷でまことしやかに語られる血液型別の性格分析。なぜあんなに思い当たるフシがあるんだろう? 人気ビューティジャーナリストとして活躍する齋藤薫さんが、その真相を探るべく血液型アンケートをしてみた結果……。モテ度No.1はB型? いちばん仕事ができるのはAB型? 最強の幸運体質はO型? いちばん綺麗なのはA型? 血液型が伝える『性分』とアンケートから分かった本音を掛け合わせると、これまで見えなかった女の深層心理が顔を覗かせてきた。血液型占いでも血液型分析でもない、4つの血液型というフィルターを通して、自分たちをより深く見つめるこの本には、あなたの人生を幸せにするヒントがいっぱい隠れています。



内容(「BOOK」データベースより)
モテる女のNo.1はB型?O型は、最強の幸運体質?いちばん仕事がデキるのはAB型?恋愛、美容、仕事、人間関係…血液型の個性を生かすことが、幸せの絶対のコツ。



著者について
ビューティジャーナリスト。女性誌の編集部に勤務し美容ページを担当、退社後、美容ジャーナリストとして女性誌において、エッセイを多数執筆。美容記事の企画、化粧品の開発、アドバイザー、美容学の講師など幅広く活躍。「あなたには"躾"があるか?」「されど“服”で人生はかわる」(ともに講談社)など著書多数。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
齋藤 薫
女性誌の編集部に勤務し美容ページを担当、退社後、美容ジャーナリストとして、エッセイを多数執筆。美容記事の企画、化粧品の開発、アドバイザー、美容学の講師など幅広く活躍(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


僕はO型だが・・・確かにおおらか。でも神経質。
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美玲さんの生活。

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
美玲さんの生活。
桐谷美玲
集英社

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内容紹介
女の子なら誰でも憧れてしまうスリムなスタイルと印象的なネコ目で「Seventeen」登場以来、瞬く間にトップモデルとなり、ティーンに圧倒的な人気を誇る桐谷美玲さん。
ドラマ、映画とその活躍の場をさらに広げています。彼女のありのままの日常をつづった大人気連載「美玲さんの生活。」を中心に、彼女のファッション・ビューティー・プライベートなどなど、桐谷美玲のすべてを1冊にまとめました!



内容(「BOOK」データベースより)
雑誌『セブンティーン』の超人気トップモデルが、ゆるーく放つ初単行本。バリ島で水着撮り下ろし、私服、キレイのひみつ…等、プライベート大公開…and moreの手描き&フォトBOOK。



著者について
桐谷美玲(きりたにみれい):1989年12月16日生まれ。千葉県出身。セブンティーン専属モデル。 女の子なら誰でも憧れてしまうスリムなスタイルと印象的なネコ目で一躍ティーンのカリスマ的存在に。BS-TBS情報番組「激モテ!セブンティーン学園」では初MCに挑戦。7月期ドラマ「オトメン(乙男)」にレギュラー出演。映画「ナクシタキオク」(2009年公開予定)など女優としても活躍の場を広げている。



どうしたら、ティーンのカリスマ的存在になれるのだろう。
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HAYATO×JUNON LIFE―市原隼人写真集

2009年10月24日 | 写真・カメラ
HAYATO×JUNON LIFE―市原隼人写真集

主婦と生活社

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JUNONが市原隼人のデビューの頃から撮り溜めた写真を市原隼人自身が選んだ写真集完成。
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わが師太宰治に捧ぐ

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
わが師太宰治に捧ぐ
桂 英澄
清流出版

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内容(「BOOK」データベースより)
太宰治がくれた、かけがえのない宝とは。



著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
桂 英澄
大正7年、東京生まれ。作家。京都帝国大学文学部哲学科卒業。NHKに勤務。戦後、胸を病んで療養生活。のち同人雑誌等に創作を発表する。姉は洋画家の桂ゆき。戦前から太宰治に師事し、晩年まで桜桃忌を取り仕切った。『寂光』(筑摩書房)が第68回直木賞候補作になった。平成13年、没(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


太宰がブームである。不況だから、廃退的になるのだろうか。人々の気持ちが・・・
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ゴクミ

2009年10月24日 | 写真・カメラ
ゴクミ
後藤 久美子,渡辺 サブロオ
講談社

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十数年ぶりの写真集。夫婦仲はいいのかなぁ。
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クロックマン A型

2009年10月24日 | エッセイ・日記・意見
クロックマン A型

タカラトミー

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商品の仕様
2009年 いままで誰も見た事のない全く新しいタイプの目覚まし時計
クロックマン
第68回東京インターナショナル・ギフト・ショー - 秋2009 - コンテスト グランプリ受賞商品


可愛いデザインだ。
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ダム

2009年10月24日 | 写真・カメラ
ダム
萩原 雅紀
メディアファクトリー

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内容(「BOOK」データベースより)
怒涛の放流、あふれる様式美、そして「ふたつと同じものがない」多種多彩なデザイン。僕らの心を惹きつける巨大建造物―ダムの魅力がここにある。全国2500以上のダムから厳選した36ダムを収録。



出版社からのコメント
史上初!ダム写真集!!
全国2500以上のダムから厳選した36ダムの魅力を大放流!!
「ふたつと同じものがない」ダムの魅力に取り憑かれ、ダムめぐりを続ける萩
原雅紀氏による、史上初のダム写真集。ダムの魅力である、とにかく巨大、放流
の迫力、自然の中に突如出現する非日常感をテーマに、萩原氏が厳選した「好き
なダム」を写真+ダムへの愛情溢れる解説コメントで紹介します。
手に取りやすいミニ写真集サイズ(170mm×190mm)
これまで著者が撮影した250以上のダムから厳選された36ダムは、ひとつひとつ
に特色や魅力のポイントがあり、それに応じた写真と解説コメントになります。
ダム基礎知識(ダムとは?/ダムの見方/ダムの種類)やダムめぐりの仕方(ダム
めぐりとは?/ダムめぐりの魅力/ダムの見つけ方)、ダム用語辞典も収録。



ダムの放水は確かに感動する。水の力の凄さを知る。
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気がつけば82歳

2009年10月24日 | インターネット
不思議なサイトにめぐり合いました。→http://thoughts.asablo.jp/blog/

なんか、ホッコリするブログ。
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友達100人できるかな 1

2009年10月24日 | 本・雑誌・漫画
友達100人できるかな 1 (アフタヌーンKC)
とよ田 みのる
講談社

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スゴイ切り口の漫画。はまったら、この著者の漫画を読み続けるだろう、きっと。
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