「罪のない朝鮮人が犠牲になった『関東大虐殺』、
国が追悼すべきです」
「何より恥ずかしいからです。歴史学者として、韓国史学者として、数千人の罪のない朝鮮人が他国の地で犠牲になった事件をきちんと伝えられていないので、限りない自責の念を感じています。民族的自尊心や日本批判の次元を超えた、人類史的良心の問題だと思います」
記録的な猛暑で息をすることすら大変だった今月2日、ソウル中学洞(チュンハクドン)の日本大使館前で「1人デモ」を行った市民の会「独立」のイ・マニョル理事長(83)はこう語った。彼は「日本は関東大震災の朝鮮人虐殺事件の真相を公開して公式謝罪せよ」と記されたプラカードを手に炎天下で記者会見を行った。「独立」はこの日から8月の1か月間、平日昼に1時間のリレー1人デモを行っている。
「2年後の2023年は関東朝鮮人大虐殺100周年です。ところが、これまで韓国政府レベルで一度も公式に日本政府に真相調査すら求めていません。敏感な外交事案であることを勘案したとしても、国民を代表する国会すら沈黙しているのは嘆かわしい。だからせめて私のような『隠居』が出て来るしかないのです」
韓国史編纂委員長を務めた歴史学の重鎮、イ理事長に4日、新村のイ・ハニョル記念館の建物にある「独立」の事務所でお話をうかがった。
1923年9月1日の関東大震災
デマで「朝鮮人がスケープゴート」に
100年近く問題提起すらできず
「歴史学者として無関心で恥ずかしかった」
1カ月にわたり日本大使館前でリレー1人デモ
来月6日に国会で学術討論会を開催
「独立」をはじめとする17の独立運動関連団体と市民社会団体の重鎮たちは先月27日、「1923年の関東大震災における朝鮮人虐殺事件」の真相究明と追悼事業を求める声明を発表した。彼らは、100年近くも真相を公開しないだけでなく知らぬ存ぜぬで一貫している日本政府の無責任なあり方を批判する一方、韓国政府と国会にも関心を向けるよう求めた。
関東朝鮮人虐殺事件は、1923年9月1日に東京と横浜一帯の関東地域で過去最大の地震や津波などの災害が発生した際に、「井戸に毒を入れ、火をつけて回っている」などといったデマにもとづいて在日朝鮮人を無慈悲に集団虐殺した事件だ。当時、「大正デモクラシー」を掲げ融和政策を展開していた日帝は、突然「戒厳令」を宣布し、軍と警察、そして民間人からなるいわゆる「自警団」を動員し、朝鮮人だというだけで殺した。
「記録を見ると、よりによってその日の午前11時ごろ、昼食を準備するために各家が火をつけているところに地震が発生し、火災による2次被害だけでも規模が大きかったといいます。数十万人が死傷し、100万人を超える被災者が発生したことで不穏な状態となっていた住民の心理をよそに向けようとして、日本の当局がわざとデマを流して朝鮮人をスケープゴートにしたということが、後日生存者の証言と故姜徳相(カン・ドクサン)教授らの研究を通じて明らかになっています」
イ理事長は「戦争状況でもない地震という災害で罪のない民間人を殺した行為であるだけに、日本軍の南京大虐殺やナチスのホロコーストと同様の惨たらしいジェノサイド犯罪であることは明らかだ」と強調した。
「当時、日本は中国から抗議を受けたため、犠牲になった約600人の中国人に対しては補償まで行っています。一方、大韓民国臨時政府は外務大臣趙素昂(チョ・ソアン)の名で日本の首相(山本権兵衛)に公文書を送って抗議したものの、黙殺されました。その時は植民地状態だったから仕方なくやられたとしても、開放から70年が経っているのに、韓国は犠牲者数からして6000人あまりだ、いや2万3000人あまりだと、正確に把握できていません」
イ理事長は「何よりもデマの出所を確認することが最も重要だ」とし、真相調査の必要性を重ねて強調した。
イ理事長は教授をしていた淑明女子大学を定年退職した後も、20年近く市民社会団体への参加や現場調査などを通じて、絶えず歴史問題の解決の先頭に立ってきた。特に、大韓民国臨時政府記念事業会で毎年行ってきた「中国独立遺跡踏査」では、10回以上も団長を務めている。
「中国をはじめとする外国に行ってみると、韓国の遺跡や同胞の足跡が放置されているところが多すぎます。直接的な独立運動の現場や事件は関心が向けられますが、関東虐殺は災害に関するものとの理由から『大義名分』に押しやられて葬られたのです。2000年代に入り、国会で関連法案が数回発議されましたが、そのたびに審議未了で廃案となってしまっています」
イ理事長は自身も「シアレソリ(種の声、民の声)」(1973年9月)に掲載された咸錫憲(ハム・ソクホン)先生の「私が経験した関東大虐殺」を読んでようやく事件の深刻さを知ったと打ち明けた。1901年生まれの咸先生は、1923年には大学入試に向けて東京の英語学校に通っていたが、幸いにも善良な下宿の主人の保護のおかげで無事だったという。
市民の会「独立」は今年3月、イ理事長をはじめ、興士団のパク・マンギュ理事長、大韓民国臨時政府記念事業会のイム・ジェギョン副会長、ソウルグリーントラストのチ・ヨンソン理事長、独立有功者遺族会のチャ・ヨンジョ副会長らの重鎮が発起人となって結成された。結成の契機となった出来事のひとつには、4月に亡くなる直前に発起人として署名した故チェ・ヒョングク先生の家族史の公開があった。「独立」のパク・ドクチン常任理事は「チェ先生は、ご本人のおじいさんが関東大虐殺の時に名古屋で犠牲になったとおっしゃった。父親が現地に行って遺骨を収拾したと聞いていたので、後日チェ先生が自ら名古屋に行ってみたら、共同墓地そのものがなくなっていて発見できなかったと証言された。大虐殺の遺族がすぐそばにいることで、改めて私たちの問題であることを実感した」と述べた。
「独立」はウ・ウォンシク、ミン・ヒョンベ、ソ・ドンヨンの各議員らの国会議員と協力し、真相究明と追悼事業のための特別法制定運動を進める予定だ。来月6日には国会で「1923年関東大震災での朝鮮人虐殺と『大逆事件』」をテーマとする学術討論会を共催し、事件発生日の9月1日を国の追悼日に指定することを求める決議案を発議する予定だ。与野党の大統領選候補者の各陣営にも、決議案への支持を求める提案書を送っている。
「韓日両国の未来のために歴史問題で和解しようと言われていますが、そのためにはまず真相を究明せねばなりません。歴史研究者としての死ぬ前の最後の使命だと思って最善を尽くしたいと思います」
イ理事長は改めて決意を明らかにした。