「朝鮮学校が怖いのか」…
「反省しない日本」に鞭をとった市民たち(1)
「無償教育排除」に反発、2012年3月1日に創立した大阪の市民団体
毎週「火曜行動」…「同じ税金納めるのになぜ差別するのか。歴史に恥じないようにしてほしい」
今月6日午前11時30分、大阪市の大阪府庁舎前。ここは大阪の東側地域で、大阪城がすぐ隣にある。40代から80代に見える人々が三々五々集まってきた。約30人だった。
ある人はスピーカーをつなぎ、ある人は太鼓とタンバリンを手に取った。「子どもたちの明るい未来のために」と書かれた横断幕が見えた。みんな決然とした顔だった。この日の気温は7度だったが、風が強かった。寒空の下、横断幕を持っている手が冷え切っているようで、気の毒だった。
正午になると、日本の朝鮮学校を応援する集会が始まった。日本の市民団体「朝鮮高級学校無償化を求める連絡会・大阪」(以下、連絡会)が主催した555回目の「火曜日行動」集会だった。連絡会は2012年3月1日、創立大会を開いた。韓国の三一節に合わせた設立だった。同年4月17日から大阪府庁舎前で毎週火曜日に集会を開いている。
12年前の新聞に掲載された集会の写真
朝鮮学校は1945年8月の解放後、日本に残っていた在日朝鮮人たちが子どもたちに朝鮮半島の言葉と歴史を教えるために建てた学校だ。1955年、在日本朝鮮人総連合会(総連)が結成された後、総連が学校運営を支援した。
現在、日本の朝鮮学校は幼稚園をはじめ、小中高校、大学まである。日本で朝鮮高級学校(以下、朝鮮学校)の無償化をめぐる議論は、約10年前にさかのぼる。2010年、日本の与党民主党は、同年4月から「教育の機会均等」を掲げ、高校の授業料を国が負担する高校無償化政策を進めた。日本にある韓国学校や国際学校など外国人学校にもこの政策が適用された。しかし当時、北朝鮮による日本人拉致問題が騒がれたことによって朝鮮学校への適用は見送られた。保守的な安倍晋三内閣が発足した2013年には、朝鮮学校は無償化の対象から完全に除外された。時を合わせて大阪府もこれまで朝鮮小・中・高級学校に交付してきた補助金を絶った。現在、日本全域にある朝鮮学校の数は60校余りだ。
赤い帽子をかぶって集会に参加した長崎由美子連絡会事務局長がマイクを握った。「寒い中、朝鮮学校への差別撤廃のために集まって下さり、ありがとうございます。今日皆さんが持っている横断幕は、(朝鮮学校で)生徒たちの美術の指導をしてくださる先生が火曜日行動をイメージして作ったものです。韓国から送られた横断幕もあります。希望が込められた横断幕のように、私たちもあきらめず前に進んでいかなければなりません」
藤永壯連絡会共同代表がバトンを受け継いだ。「2013年2月20日は(日本)政府が無償化政策から朝鮮学校への高校無償化の根拠となる法律の条項を廃止し、無償化からの除外を決めた日なのです。(大阪府の)吉村知事は『全ての子どもたちに平等な教育を』と訴えますが、そこから朝鮮学校の生徒たちは排除されています。国連社会権委員会や人種差別撤廃員会からも、朝鮮学校に対する高校無償化からの排除は差別であり、補助金を支給するようにとの勧告が何度も出されています。国際社会・歴史に恥じないようにしてほしいと思います」
同日のデモに参加した大村和子さんは、古い新聞の1ページを広げ、差別の撤廃を求めた。2012年10月15日付のハンギョレ新聞の写真コラム「この瞬間」だった。当時10人余りが始めた「火曜日行動」を取り上げた写真と記事が載っていた。日本の市民団体「1%の底力で朝鮮学校の民族教育を支える会」所属の田村佳子さんは「朝鮮学校問題に関心を持つようになったきっかけは、朝鮮学校の保護者の方々が税金を払っているのに、朝鮮学校に補助金が支払われないのはおかしいと思ったため」だとし、「日本人同様税金を払っているのに教育を受ける権利を享受できなければ不平等だ」と強調した。
集会に参加した新井信芳さんは、居酒屋を運営しながら朝鮮学校を応援するTシャツを売っている。彼は先日にあった「特別な販売」について語った。「昨年11月、一人の韓国の方が私の居酒屋で販売しているTシャツを見て、『日本に来てTシャツを買う』と約束しました。当時は私の本気度を少し疑っていたようですが、その韓国の方は今年2月に来てTシャツを買いました。このように日本と韓国市民の間で小さな縁が続き広がれば、朝鮮学校の子どもたちにもっと希望と応援を送れると思います」
在日コリアンの高己蓮(コ・ギリョン)さんは最近、日本の群馬県朝鮮人強制動員犠牲者追悼碑が撤去されたことを取り上げ、涙声で話した。「日本全国には160か所の朝鮮人慰霊碑があります。それらはみな行政が作ったのではなく、日本の良心が、長い時間をかけ、たくさんの労力と資金を集めて作ったものです。 一日二日で追悼碑を壊したからといって、100年の歴史が消えるわけではありません。朝鮮学校の差別問題も同じです」
集会の合間に参加者たちはアコーディオンを演奏し「故郷の春」などの歌を歌ったりもした。在日コリアンのチン・スンウォンさんは「寒くても、胸は熱い」と話した。 集会を終え、参加者たちが韓国語の歌を歌った。タイトルは「勝利のその日まで」だった。 「顔を上げなさい。ため息を止めましょう。子どもたちの笑いを奪われるわけにはいかない。諦めず、くじけることなく、前進あるのみが私たちの道、勝利のその日まで」
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「朝鮮学校が怖いのか」…
「反省しない日本」に鞭をとった市民たち(2)
訴訟を支援したが、すべて敗訴…「安定した環境で勉強できるように寄付活動
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「朝鮮学校は日本侵略の歴史の証人」
集会を終えた後、藤永壯共同代表、長崎由美子事務局長、新井信芳さんが大阪南の西成に向かった。ここには新井さんが運営する特別な居酒屋がある。店の壁や天井、トイレなど、いたるところにチェ・ゲバラの写真が貼られている。居酒屋に本棚があるのも興味深い。本棚には在日韓国人スパイ団事件と光州(クァンジュ)民主化運動を取り上げた本が並んでいる。
新井さんが運営する居酒屋の名前は「グランマ号」だ。チェ・ゲバラが1956年、フィデル・カストロと共にキューバ革命を夢見て乗った8人乗りボートと同じ名前だ。3人は保守的な日本社会で革命を夢見る革命家のようだった。
555回目を迎えた「火曜日行動」に長崎事務局長は夫とともに毎回参加する。長崎事務局長は「集会に参加する度に、早く朝鮮学校差別がなくなり、これ以上集会を開かなくていいようになってほしいと願う」とし、「集会で感じられる情熱がとても素晴らしい。子どもたちのために一つになるような情熱だ」と語った。
彼らが朝鮮学校に関心を持つようになったきっかけがあるのだろうか。「専門研究分野が韓国近現代史なので、朝鮮学校について少し知っていました。故郷はかつて朝鮮半島との往来の関門だった下関です。在日コリアンと朝鮮学校は幼い頃から身近な存在でした。連絡会の結成時に参加し、これまで活動しています」(藤永共同代表)
「大学を卒業した後、保育園で働いていたのですが、70%が在日コリアンの子どもたちでした。でも子どもたちのための民族教育はまったくありませんでした。それで在日コリアンの保育士とともに、『チャルモゴッスムニダ(ごちそうさまでした)』などの韓国語を教えたり、クラスの名前を『サラン(愛)』や『パラム(風)』などに変えたりしました。サムルノリを習って子どもたちに教えたりもしました。そうしているうちに、子どもたちは自分のアイデンティティにプライドを感じるようになりました。保育園を卒業した子どもたちが朝鮮学校に入学し、その子どもたちが朝鮮学校の先生になったこともあります」(長崎事務局長)
「私は横浜で育ちましたが、家の近くに朝鮮学校がありました。そこの生徒は、けんかが強いという印象がありましたね(笑)。その後、在日コリアンの友人もでき、居酒屋に在日コリアンの人たちがお客さんとして訪れて、朝鮮学校の問題を少しは知るようになりました。朝鮮学校の差別問題を聞いた時、政治と外交問題はともかく、『常識的におかしい』と思いました」(新井さん)
彼らは日本政府が朝鮮学校を差別する理由は何だと考えているだろうか。藤永共同代表は「日本は日帝強占期(日本の植民地時代)から(朝鮮の)民族教育を日本体制と秩序を揺るがす問題とみて弾圧した。現在、日本政府も日本人拉致・北朝鮮核問題などを理由に朝鮮学校に対する差別を正当化している」と語った。
長崎事務局長は「日本が植民支配と侵略戦争を反省しない状況で、子どもたちが朝鮮学校で歴史と文化を学ぶことを負担に思うため」とし、「朝鮮学校自体が歴史の証人になりうるため、弾圧しているのだと思う」と指摘した。
「牛の角を刺す蜂」となって活動を続ける
2013年から東京、大阪、愛知、広島、福岡の5校の朝鮮学校が、無償化からの排除取り消しを求める訴訟と国家賠償訴訟を起こした。しかし、2021年まで続いた裁判は、大阪地方裁判所(一審)で一度勝訴しただけで、いずれも敗訴した。勝訴した大阪一審も最高裁では敗訴が確定した。
連絡会は募金などで朝鮮学校の訴訟を支援した。「朝鮮学校内部でも最初は負担になる法廷闘争を積極的に望んではいなかったと聞きました。それでも乗り出さざるを得なかったのは、日本政府の差別政策を見過ごすわけにはいかず、子どもたちの未来と人間の尊厳を守るためでした」(藤永共同代表)
「最初は(補助金支援を絶った)大阪府と交渉して交付金問題を解決しようとしました。ところが2010年に大阪のある朝鮮学校の関係者が相談しに訪ねてきたんです。当時、橋下徹大阪府知事が大阪朝鮮高級学校を訪れ、ラグビー部の練習を観戦しながら『君たちは大阪の誇り』だと言った後、補助金支給を絶ってしまいました。子どもたちの心に大きな傷が残り、政治に不信感が生まれました。それが裁判を起こした理由でした。裁判が難しいことは分かっていましたが、正義が生きていると信じたかった。しかし、正義はありませんでした」(長崎事務局長)
裁判の結果が示すように、日本の司法府も差別的認識から自由ではない。「日本の裁判所の歴史認識の不在だと思います。植民地支配で奪った民族教育権を回復しなければならないという歴史的意味を認識できていないか、認識しようとしなかったのです。これは現在の日本社会の朝鮮植民地支配に対する歴史認識を反映するものでもあります」(藤永共同代表)
「植民地支配と侵略戦争を認めようとしない日本の保守化した政治と関連があると思います。日本の政界が強制動員や関東大震災、慰安婦問題などに保守的な態度を示しているため、司法府も顔色を窺わざるをえないようです」(長崎事務局長)
日本社会で少数者中の少数者である朝鮮学校を支援するのは、「牛の角を蜂が刺す」ように極めて困難なことだ。司法府まで背を向けた状況で、彼らが今後どのような活動をするかが気になった。「敗訴してもひるまない在日コリアンのオモニ(母親)たちの前向きな姿勢がどれほど力になったか分かりません。法廷では負けましたが、今回の訴訟を通じて解決しなければならない新しい課題も多く出てきました。朝鮮学校の関係者たちと市民団体、法律家たちと共に連帯して情報を集め、新しい課題を探そうと思います。いつかは解決できると信じて、再び始めたいと思います」(藤永共同代表)
長崎事務局長は「裁判で負けた後、朝鮮学校の子どもたちは自分の存在を否定された感じがしたと言ったけれど、民族教育がどれほど大切なのかに気づき、次の世代にもつなごうと誓ったとも言っている」とし、「寄付活動を通じてもっと安定した環境で勉強できるようにしたい」と語った。
韓国でも保守政権が発足すれば、市民団体は活動が困難になる。日本はどうだろうか。長崎事務局長は「保守的な政界とともに、保守的なマスコミが問題」だとし、「政府の見解に合わせて、市民団体活動をまともに報道しない場合が多い」と話した。藤永共同代表は「今より若い層が市民団体に多く入ってきて活動をしなければならない。もっと若い人たちが市民団体の活動に関心を持ってほしい」と語った。
彼らは皆、韓国現代史にも詳しかった。新井さんは「全斗煥(チョン・ドゥファン)は光州(クァンジュ)で民間人を虐殺した悪い人だ」と話した。長崎事務局長はさらに「大学生時代に、金大中(キム・デジュン)死刑反対集会に参加したことがあります。当時は韓国の独裁政権でこの方(金大中元大統領)が生き残れるのか心配でした。ところが、後で韓国の大統領になったのが印象的でした」。藤永共同代表は「日本の市民社会が韓国に関心を持つようになったきっかけは、金大中救命運動だった」とし、「1980年に光州で独裁政権が残酷さを見せたが、1987年の民主化運動で韓国のダイナミックさを見ることができた」と語った。
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「朝鮮学校が怖いのか」…
「反省しない日本」に鞭をとった市民たち(3)
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「総連と民団を区分して人と付き合ったりはしません」
今月7日午後1時、大阪市の東側にある朝鮮学校前。正門の銅板には「大阪朝鮮高級学校」と、漢字とともにハングルで書かれていた。校庭の中にはすでに咲いた椿の花が見え、運動場には何人かの生徒たちがサッカーの練習をしていた。教室では子どもたちが「キャハハ」と笑いながらじゃれ合う声が聞こえてきたりもした。
これに先立ち、ハンギョレは大阪朝鮮高級学校や神戸朝鮮高級学校などに記事の趣旨を説明し、インタビューを要請した。しかし、最近南北関係が悪化した状況を反映するかのように、学校側はインタビューを断った。韓国では、朝鮮学校の差別問題を扱った映画の制作過程で総連と朝鮮学校の関係者に接触したという理由で制裁を加えようとしている。統一部は昨年11月、朝鮮学校問題を取り上げたドキュメンタリー『差別』を制作したキム・ジウン監督に、総連と朝鮮学校関係者に接触したという理由で「南北交流協力に関する法律」により過料が賦課される可能性があるという公文書を送り、「南北交流検閲」という議論を呼んだ。南北交流協力法によると、「北朝鮮住民」に会うためには、詳細な人的事項を書いて事前接触申告を行わなければならない。しかし、会う人の身元を特定するのが難しかったり、予期せぬ接触が行われたりすれば、事後申告もできる。しかし統一部は「事前申告」を強調して違反事例を捜し出し、事後申告も拒否している。
キム監督は『差別』を作った契機を説明し、戸惑いを隠せなかった。「2017年、広島で朝鮮学校無償化訴訟の初判決が出ました。当時、ある在日コリアンがソーシャルメディアに掲載した動画を見て、大きな衝撃を受けました。在日コリアンたちが裁判長の前で泣き叫んで号泣する姿を見て、映画監督としてこのままではいけないと思いました」
その後、キム監督は日本のさまざまな地域を回りながらドキュメンタリーを撮り始めた。 「朝鮮学校を応援し、支援する多くの日本人がいることに驚きました。日本の市民団体や弁護士、市民の活動に大きな感銘を受けました。それから2年間記録し、2021年にドキュメンタリーが完成しました」
キム監督は「『差別』が統一部推薦ドキュメンタリーになってほしいという願いがあった」と言うが、現実は正反対だった。『差別』は釜山国際子ども青少年映画祭とソウル国際子ども映画祭から招待も受けていた。「韓国の中学や高校で上映会を開き、同年代の朝鮮学校の子どもたちも紹介し、在日コリアンの歴史もきちんと教えたいという考え」も水の泡になった。
「李明博(イ・ミョンバク)政権や朴槿恵(パク・クネ)政権時代も、朝鮮学校の交流事業や訪問を南北交流協力法で阻止する事例はほとんどありませんでした。現政権の統一部は本当に情けなく、残念です。南北交流と協力のための法律を、交流を防ぐ法律として悪用するなんて…」。キム監督は21日から日本の北九州、広島、京都で『差別』上映会を開いている。
韓国の市民団体「朝鮮学校と共にする人々、モンダンヨンピル(ちびた鉛筆)」も統一部から朝鮮学校の人々に接触した経緯書の提出を求められた。モンダンヨンピルのキム・ミョンジュン事務局長は「朝鮮学校は、国に力がなくて日本に強制的に連れて行かれた多くの朝鮮人の無念が込められた教育機関であり、解放された祖国に帰るために子どもたちに朝鮮語と文字を教えるために建てた学校だった」とし、「イデオロギーと政治にかかわらず支援すべき学校だが、統一部はこのような活動を展開する市民団体に対して、過去の活動を調査し脅しをかけようとしている」と批判した。
朝鮮学校を支援している日本人も「不思議だ」という反応を示した。「私の知人の在日コリアンたちは総連か民団かを区分して付き合ったりはしません。ところが、総連の人に会う時に申告しなければならないなら、市民社会活動をするのにかなり負担を感じざるをえません。尹錫悦(ユン・ソクヨル) 政権が、南北交流を全面的に阻止するために弾圧と意地悪をしているようです」(長崎事務局長)
新井さんが販売するTシャツには次のような説明文が入っている。
「日本社会が朝鮮非難を続ける中で、朝鮮学校は子どもたちがありのまま自分を認め、民族アイデンティティを育む大切なコミュニティです。自分にも誇りを感じ、他人の痛みに共感する朝鮮学校の卒業生たちは日本社会のあちこちで活躍しています。『繋いだその手を離さなければ必ず勝つ! 諦めないことが勝利への道!』韓国と沖縄の友人から送られたこの言葉を胸に刻みたいと思います。ご支援のほどよろしくお願いします」
この文は長崎事務局長が書いた。新井さんは居酒屋を訪れる客にこのTシャツを勧め、何人かはTシャツを買ってくれるという。このように小さな縁を結んだ人たちが子どもたちの人権保護と差別撤廃に力を合わせる。民族や政治、イデオロギーとは関係のないことだ。
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