「ハンギョレは時代が作り、軍事独裁政権の暴圧の中で共に苦しんだ韓国国民全体の努力が成しとげた結実だ」

2020-05-19 06:37:07 | 韓国を知ろう

[インタビュー]

「ハンギョレは時代が作り、国民の努力が成し遂げた結実」(前編)

登録:2020-05-18 12:58 修正:2020-05-18 14:16
 
ハンギョレ新聞 イム・ジェギョン初代編集人に聞く 
インタビュー:アン・ジェスン論説委員室長

ハンギョレは時代が作り 
独裁の暴圧の中で苦しんだ 
国民の努力が成しとげた結果物 
 
朝中東をみれば、長く続いていることが自慢にはならない 
本来の役割を果たすことが重要 
 
差別される人びとに希望を与え 
朝鮮半島の平和に貢献したハンギョレ 
自負心を持つに足る

 
ハンギョレ新聞のイム・ジェギョン初代編集人が先月29日、ソウル麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社の屋上庭園で、創刊当時の状況などについて思いを述べている=イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

 ハンギョレが18日で第1万号の新聞を発行した。1988年5月15日に創刊されたため、ちょうど32年と3日だ。ハンギョレ創刊の主役であるイム・ジェギョン初代編集人兼副社長は「ハンギョレは時代が作り、軍事独裁政権の暴圧の中で共に苦しんだ韓国国民全体の努力が成しとげた結実だ」と振り返った。イム元編集人は、1980年に全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部によって韓国日報から強制解雇された後、民主言論運動に邁進し、1988年のハンギョレ創刊に参加した。

 イム元編集人は1991年8月10日、ハンギョレの第1千号の新聞1面コラム「発行1千号を迎えて」で、「ハンギョレがこの時代最高の公共財として残ることを願う」という望みを明らかにした。イム元編集人は「ハンギョレはさまざまな面で差別を受ける人びとや抑圧された人びとに希望を与え、朝鮮半島が紛争の種になることを防ぎ、平和を模索するのに貢献した」とし、「もちろんここに安住してはならないが、自負心を持つに足る」と述べた。

 イム元編集人とのインタビューは先月29日、ハンギョレ新聞社で行われた。

-ハンギョレが5月18日で第1万号を発行します。ハンギョレ創刊の主役の一人として、感想はいかがですか。

 「発行号数というのは人間でいえば寿命で生命体から見れば生存期間ですが、これは必ずしも長く続いているからといって価値があるとは思いません。したがって、発行号数だけで自慢できるものではないと思います。朝鮮日報と東亜日報をごらんなさい、100年を迎えたでしょう。中央日報も50年を越えました。しかし、これらのメディアが本来の役割を果たしているのかを考えると、発行号数が、すなわちその新聞の存続期間が長いということがそのまま新聞の価値を意味するわけではないということです。

 私は韓国のメディアとして三紙を選ぶなら、独立新聞、日帝強制占領期に呂運亨(ヨ・ウンヒョン)先生が作った朝鮮中央日報、4・19の直後に出た民族日報を挙げます。しかし、独立新聞は3年ももたず、朝鮮中央日報も3年続かなかった。民族日報はわずか4カ月、発行号数では92号、100号に至らなかったのです。ハンギョレはこの3紙よりずっと長く維持しており、ハンギョレの創刊に参加した者として誇らしい気持ちを隠し切れないですが、だからといって発行号数1万号に浮かれて興奮することではないと思います」

-発行号数1万号という数字ではなく、ハンギョレがこれまで韓国社会でメディアの役割をきちんと果たしてきたかが重要だということですね。

 「ハンギョレが、100人のうち100人全員に満足感を与えたとは思いません。しかし、多くの国民に何らかの期待を与え、希望を失わないようにしたとは思います。ここ数年間だけ見ても、もしハンギョレがなかったら『ろうそく革命』が可能だっただろうか、文在寅(ムン・ジェイン)政府が誕生しただろうか、4・15総選挙の結果がこのように出ただろうか、そんな風に考えます。また、政治的変化だけでなく、ハンギョレはいろいろな面で差別を受ける人びとや抑圧された人びとに希望を与え、朝鮮半島が紛争の種になることを防ぎ、平和を模索できるよう貢献しました。もちろんここに安住してはならないが、自負心を持つに足ると思います」

 
 
ハンギョレ新聞のイム・ジェギョン初代編集人が先月29日、ソウル麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社で創刊当時の状況などについて思いを述べている=イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

-1988年のハンギョレ創刊が韓国社会で、また韓国の言論史で持つ意味は何でしたか。

 「狭く見れば、1970年代中盤の東亜日報と朝鮮日報の自由言論闘争、そして1980年の全斗煥軍事政権の記者の大量解雇と関係があります。しかし、長い目で見れば、李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)、全斗煥につながる暴圧的勢力から解放された全国民的な欲求が、ハンギョレという実を結んだのではないか、私はそう思います。ハンギョレは一つの時代が作ったものだと言いたいです。そのような意味で、ハンギョレを創刊した解雇記者たちも少し謙虚になる必要があると思います。私たちが全てを掲げて作ったという誇りを持つのはいいが、ハンギョレは時代が作り、軍事独裁政権の暴圧の中で共に苦しんだ韓国国民全体の努力が成し遂げたものだ、こう見るべきだということです」

-時代が作ったということですが、当時の時代精神を一言でまとめると?

 「政治的暴圧に抵抗するのは『天賦の権利』だ、最近よく使われる言葉で言えば『主権在民』の原理です。大統領が主人ではなく、この地の平凡な国民が主人だということです。ろうそく革命の核心でもあります。朴槿恵(パク・クネ)は大統領だがあなたが主人ではない、あなたの思い通りにしてはならない、あなたは退くべきだ、これが成功したのが主権在民の原理です。もちろん主権在民の原理は過去にもありましたが、韓国社会ではハンギョレが創刊された頃から芽生え始めたと思います」

-ハンギョレの創刊当時、国内外のメディアが関心を示したと聞いていますが。

 「そうです。外国の新聞・放送が、はたしてこのメディアがまともに維持できるのか疑問を呈しました。当時、ル・モンドのソウル駐在記者と数回会いましたが、非常に悲観的に見ていたんです。フランスのように市民意識の高い国でもル・モンドのような新聞が絶えず財政的危険にさらされているのに、はたして韓国で可能なのか?軍部、財閥、官僚、また朝中東(朝鮮日報・中央日報・東亜日報)のような勢力がハンギョレのような新聞を許すのかと、冷静に見ていたのです。ところが32年間維持され、1万号まで発行されたのだから、本当にすごいことです」

-当時、国内メディアの反応はどうでしたか。

 「1988年9月、韓国言論会館で第100号を記念して祝宴を開きました。名前は言いませんが、朝中東の発行人の一人が来ました。私と握手しながら言う挨拶が『そろそろ落ち着いてきましたか』と。そう言いながら私の肩を叩くんです。励まそうというのではなく、『やい、どれだけ続くか見ようじゃないか』という表情がありありと見えたのです。それで何も言いかえしませんでしたけどね」

-ハンギョレは世界の言論史で初めて権力と資本からの独立を掲げた「国民株新聞」です。そのぶん、創刊初期から新聞製作と新聞社の運営に困難が多かったのでは。

 「サムスンは最近は広告を出していますか?どうですか?」

-イ・ジェヨン副会長に対する批判的な報道を出しているので…

 「創刊から数年間はサムスンとは全く対話がなかった。企業はどのメディアとも敵対的関係を持とうとはしませんが、ハンギョレには敵対的な態度を見せたのです。広告を出さない程度ではなく、最初から会ってくれませんでした。私が面会を何度も申し込んだが、会ってくれない。『どうせあんた方は長続きしない。だからあんた方と敵対関係を結んでも構わない』といったところです。ところが彼らが見誤った。ハンギョレの未来を見誤っただけでなく、韓国国民を見くびっていたのです」

(続)

アン・ジェスン論説委員室長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

 

[インタビュー]

「ハンギョレは時代が作り、国民の努力が成し遂げた結実」(後編)

登録:2020-05-18 13:03 修正:2020-05-18 14:21
 
ハンギョレ新聞 イム・ジェギョン初代編集人に聞く 
インタビュー:アン・ジェスン論説委員室長

大株主のいない新聞 
「衆口塞ぎがたし」になるしかないが 
「一糸乱れず」よりは良い 
 
第1千号に書いた「公共財」の願い 
ハンギョレの役員・社員も謙虚になるべき 
この時代の価値を具現化すること

 
 
ハンギョレ新聞のイム・ジェギョン初代編集人が先月29日、ソウル麻浦区孔徳洞のハンギョレ新聞社3階に設置された「創刊発起宣言文」の前で創刊当時の状況などについて思いを述べている=イ・ジョングン記者//ハンギョレ新聞社

-当時、盧泰愚(ノ・テウ)政権の弾圧もひどかったでしょう。

 「代表的なのが『リ・ヨンヒ先生訪朝取材計画』事件と『ソ・ギョンウォン議員訪朝取材手帳』事件です。リ・ヨンヒ先生が1989年1月、金日成(キム・イルソン)主席のインタビューをするために、日本の岩波書店を通じて北朝鮮に手紙を送ろうとしました。しかし同年3月、文益煥(ムン・イクファン)牧師の電撃的な平壌(ピョンヤン)訪問で公安政局が造成され、訪朝計画を断念しました。実際に手紙も渡すことはできませんでした。にもかかわらず、安企部(国家安全企画部。現在の国家情報院)が4月、国家保安法上の鼓舞称揚罪に問われたリ・ヨンヒ先生をまず連行し、次に私を連行しました。安企部で調査を受けている間を考えると、ハンギョレ新聞社の登録取り消しが彼らの目標だったのです。後で聞いた話ですが、当時、盧泰愚政権も南北基本合意書の締結のためにパク・チョルオンが密使として北朝鮮に出入りしていたんです。南北基本合意書を推進する側が、ハンギョレを叩くのもいいが、南北関係の助けにならないのでこの程度にしておこうと言ったそうです。それでリ・ヨンヒ先生を拘束し、私は立件状態で曖昧に縛っておいたんです」

-ソ・ギョンウォン議員事件の時は、安企部が強制捜索までしましたよね。

 「ソ・ギョンウォン平和民主党議員が党指導部にも知らせず、1988年8月に平壌を訪問して金日成主席に会ったんですが、ユン・ジェゴル記者がこの事実を知って取材をしました。ただ、平和民主党がソ議員の訪朝の事実を公開するまでは報道を控えていました。しかしソ議員が1989年6月、当局に訪朝の事実を自ら知らせて拘束されました。すると安企部が、ソ議員の訪朝の事実を知っていながらなぜ申告しなかったのかと言って、国家保安法上の不告知罪を適用し、ユン記者の取材手帳を提出するよう要求しました。私たちが取材源保護の原則を守らなければならないと拒否すると、安企部が7月12日未明、警察1中隊を動員して編集局の強制捜索を強行したんです。ハンギョレの役員や社員たちが会社の入り口で体を張って防いだんですが、警察が鉄の扉を壊して入り込み、取材手帳を奪っていきました。盧泰愚政権がハンギョレをこれ以上放っておいてはだめだと考え、強硬手段に出たんだと思います」

-盧泰愚政権がどうにかして言いがかりをつけてハンギョレの発行を取り消そうと、虎視眈々と狙っていたんですね。国民株新聞は世界初の実験でしたが、新聞社の内部の状況はどうでしたか。

 「自画自賛ばかりしてはいけないし、率直に話しましょう。ハンギョレには大株主がいないので、よく言われるのが『オーナーのいない新聞』です。『衆口塞ぎがたし』(衆口難防=大勢の人がやかましく騒ぎたてること)という言葉があります。あちこちで騒いだらどうにもできないんです。新聞作りというのは本当に複雑でしょう?毎日作らなければならないし、誤字一つ出ても問題になる。社員の給料も出さなきゃならない。こんなに複雑なうえに、衆口難防だったんです。3年に一度ずつ社長を選出して、編集局長を選出して。その度にわいわいがやがや。この人たちが新聞を作りに来たんだか、選挙のために来たんだか。今はどうでしょうね? ところで衆口難防の反対は何かわかりますか。『一糸乱れず』です。でも一糸乱れぬことははたして新聞が目指す価値でしょうか。衆口難防が大変なのは事実だが、それはハンギョレの持ち前の条件なんです。最初から衆口難防だったんですよ。それで私たちが一糸乱れぬ新聞を目指すのでないなら、衆口難防を甘んじて受け入れよう、そうしたのです」

-第1千号(1991年8月10日)発行のとき、1面に書かれた記念コラムで「ハンギョレがこの時代最高の公共財として残るように」と望んでいましたが、今ハンギョレがその役割をちゃんと果たしていると思いますか。

 「公共財というのは、英語ではパブリックグッズ(Public Goods)ですが、商品ではない。新聞を1部当たり1千ウォン(約87円)、1カ月で1万8千ウォン(約1560円)する商品だと考えてはならないということです。そのため、通常の商品の持つ条件に縛られては困ります。『ハンギョレは“ブランドパワー”がある』という人もいますが、私はそれにも反対です。商品として持つ威力は拒否しなければならないと思います。では何なのか?この時代が持つ価値、新聞はその価値を具現化しなければなりません。ただ、公共財だとしても、飽きられたらは困るので、読者に親近感を与えなければなりません」

-最後に、後輩たちにお願いしたいことはありますか。

 「私が冒頭で、解雇記者たちがもっと謙虚になるべきだ、ハンギョレを自分たちが作ったと自慢してはならないと言ったように、今のハンギョレの役員や社員たちも謙虚になるべきだと思います。言い換えれば、ハンギョレはこの社会の民主化を熱望した国民の真心と努力の結果だということを、一時も忘れないでほしい。この話を必ずしたいです」(了)

アン・ジェスン論説委員室長 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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ヘリコプター射撃まですることになった経緯のみならず、その後に大々的に行われた真実を隠し歪曲した工作の実状まで、すべて糾明されなければならない」と明らかにした。

2020-05-18 09:54:39 | 韓国文化

「和解・統合の道を進むには、

5・18の真実を必ず明らかにしなければ」

登録:2020-05-17 20:32 修正:2020-05-18 07:24
 
文大統領、光州MBCインタビュー 
 
発砲命令・隠蔽・歪曲工作など 
「5月光州」真相究明の意志を強調 
「真相調査委活動、政府も後押し」 
 
「私たちが指向し継承しなければならない歴史」 
5・18精神は“憲法的価値”再確認 
民主党でも関連法案の通過を約束
 
文在寅大統領が12日、大統領府の常春斎で今年40周年をむかえる5・18民主化運動の意味と歴史的課題について「光州文化放送(MBC)」のインタビューに応じている。この局の特別企画「文在寅大統領の5・18」は、17日午前に放映された=大統領府提供//ハンギョレ新聞社

 5・18光州(クァンジュ)民主化運動40周年を翌日に控えた17日、文在寅(ムン・ジェイン)大統領が当時の光州抗争の真相究明を繰り返し強調した。文大統領はこの日放映された光州文化放送(MBC)の特別企画「文在寅大統領の5・18」に出演して「いまだに発砲命令者が誰であったか、発砲に対する法的最終責任がどこにあるのかが明らかになっていない」として「遺体も見つからない集団虐殺の犠牲者、その方々を探し出し、またヘリコプター射撃まですることになった経緯のみならず、その後に大々的に行われた真実を隠し歪曲した工作の実状まで、すべて糾明されなければならない」と明らかにした。

 5・18民主化運動の真相究明は、文大統領が就任初年度の2017年5・18から今年まで一度も欠かさず毎年強調してきた問題だ。「ヘリコプター射撃も含む発砲の真相と責任」(2017年)、「当時強行された性的暴行の真相調査」(2018年)、「虐殺の責任者、遺体の遺棄と性的暴行問題」(2019年)など文大統領は一貫して「1980年5月の光州」の真実を明らかにしなければならないと声を高めてきた。

 文大統領が真相究明を強調してきた過去3年間は、緩慢ではあったが少しずつ進展はあった。5・18ヘリコプター射撃と関連して国防部調査委員会が稼動し、昨年12月には5・18真相究明調査委員会がスタートした。最近調査を始めた委員会は、発砲の責任などを明らかにするために最長3年間活動する予定だ。文大統領は「真実究明の目的は、責任者を明らかにして法的処罰をしようという次元ではなく、和解し統合の道を進むために必要なこと」だとし、「真相調査委の活動に多くの期待をかけており、政府も積極的に後押しするつもり」と話した。

 文大統領はこの日のインタビューでも、5・18民主化運動の「憲法的価値」を再確認した。文大統領は大統領候補時期の2017年3月、光州5・18民主広場で「5・18民主化運動の精神を憲法前文に記録する」と約束したのに続き、毎年現場で5・18記念演説をするたびにこの内容を決して外さなかった。文大統領は今回も「5・18民主化運動と6月抗争の理念は、私たちが指向し継承しなければならない一つの民主理念として、憲法に入れてこそ私たちの民主化運動の歴史が正しく表現されるだろう」と強調した。文大統領が2018年3月に発議し、国会議決定足数未達で失敗に終わった改憲案の前文には、釜馬(プマ)民主抗争、5・18民主化運動、6・10抗争が含まれている。文大統領は「今後いつかまた改憲が議論されるならば、憲法前文でその趣旨を必ずよみがえらせなければならない」と話した。

 ただし、未来統合党が改憲阻止ライン以上の議席を持っているので、文大統領の“約束”が第21代国会で実現されるためには超党派的合意が必要だ。これについて民主党は、5・18歴史わい曲処罰法などの関連法案通過に速度を上げる予定だ。光州・全羅南道地域の当選者18人はこの日、報道資料を通じて5・18真相調査委の役割と権限の拡大、憲政秩序破壊事犯に対する国立墓地への埋葬禁止、民主化運動有功者の名誉回復および実質的補償など「5・18歴史を正す8法」の通過を誓った。

ソ・ヨンジ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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今年の記念式は史上初めて「抗争」の中心地だった旧全羅南道庁前で開かれ、むしろより意味深い。

2020-05-18 09:48:53 | 韓国を知ろう

[社説]「5・18精神」、

さらに大きく深い民主主義に昇華するには

登録:2020-05-18 06:17 修正:2020-05-18 08:19
 
40周年を迎えた「韓国民主主義の礎」 
真相究明・責任者処罰などが解決してこそ 
「連帯・統合」の未来に進むことができる
 
18日に40周年5・18民主化運動記念式が開かれる光州市の旧全羅南道庁前の5・18民主広場/聯合ニュース

 18日は5・18光州(クァンジュ)民主化運動40周年になる日だ。2017年の記念式で、心焦がす「父への想い」を読み上げ国民の涙を誘ったキム・ソヒョンさんをはじめ、1980年に生まれた人々がいつのまにか不惑を迎えた。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)危機のために記念行事は通常の年より簡素に行われるが、今年の記念式は史上初めて「抗争」の中心地だった旧全羅南道庁前で開かれ、むしろより意味深い。

 過去40年の韓国現代史はすべて5・18民主化運動の上に立てられた。私たちの社会の大切な民主的価値は40年前の光州市民の抵抗と犠牲に根付いている。「2016年のろうそく革命」が一人の犠牲もなく憲法の手続きにより堕落した最高権力者を引き下すことができたことも、5・18の偉大な犠牲と深く関連している。1987年の「6月民主抗争」もまた5・18の延長線上にある。依然として5・18の価値を蔑視し、あげくには市民軍の多数が北朝鮮特殊軍だったと歪曲する者たちの厚顔無恥な言動さえ、実際には5・18で芽生えた民主主義を精一杯享受しているのだ。

 しかし彼らの妄言は、1995年に「民主化運動」に規定され1997年に「国家記念日」に指定された5・18が、いまも未完の状態であることを苛酷に思い起こさせる。真相究明と責任者処罰は緊急の課題だ。「失踪者」として残っている犠牲者が多数であり、遺体の発掘事業もこれといった進展を見られずにいる。全日ビルにある多くの銃弾跡や目撃者の証言が出ているにもかかわらず、ヘリ射撃は司法的に確定されなかった。虐殺の最終責任者である全斗換(チョン・ドゥファン)は、白々しい言い逃れと居直りの嘘で犠牲者を侮辱している。ハンギョレは17日、全斗換が当時、保安司令部の最側近を通じて光州の状況を指揮したことを示唆する重要な文書を公開した。全斗換はこれ以上引き延ばさず、光州の英霊と国民に謝罪しなければならない。

 真相究明と責任者処罰の意味は、過去をただして現在の妄言を規制することに留まらない。5・18は、特定地域の抵抗を越えた無惨な国家暴力に対抗した弱者の「連帯」だった。 5・18の未来志向的な価値もまた、連帯から見出すことができる。5・18が分裂策動勢力の口実にならないのはもちろん、私たちの社会の連帯と統合の「本筋」となるよう跳躍するには、誰も否定できない事実関係の確定が先決条件だ。「5・18真相究明調査委員会」が紆余曲折の末、今月12日に活動を始めた。時代的な責務が実に重い。私たちの未来を開いていくという使命感で活動してほしい。

 COVID-19危機で私たちの社会は前例のない質的跳躍を求められている。その方向は、40年前の血の抵抗を継承して昇華する「より大きく深い民主主義」でなければならない。文在寅(ムン・ジェイン)大統領が17日、「憲法を改正するならば前文に『5・18精神』を入れなければならない」という意向を再度明らかにしたのも、そのような流れで時期適切だったと思われる。これに先立ち、未来統合党のチュ・ホヨン院内代表は、党の一部の5・18蔑視発言について謝罪した。謝罪が口先だけの言葉で終わらないようにするには、第21代国会で「5・18歴史歪曲処罰法」を制定し、憲法に「5・18精神」を入れることを超党派的に協力しなければならない。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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防疫当局は、クラブ関連の感染者が居酒屋やカラオケボックス、塾などで感染を広げた事例が相次いでおり、今週末が感染拡大のヤマ場になるものと見ている。

2020-05-18 07:11:12 | 韓国・コロナ対策

梨泰院のクラブ発の感染拡大、週末がヤマ場…

「3・4次感染阻止に総力」

登録:2020-05-16 06:42 修正:2020-05-16 07:44
 
新規感染者のうち接触者がクラブ訪問者を上回る見通し 
梨泰院のクラブに端を発する感染者のうち60代以上も5人 
韓国政府、密閉した大衆利用施設の利用自粛を要請
 
ソウル拘置所の刑務官が新型コロナウイルス感染症の陽性判定を受けた今月15日午後、ソウル瑞草区のソウル中央地方裁判所で防疫会社の従業員らが防疫作業を行っている。同刑務官は裁判所に出入りしなかったが、裁判所はソウル地方裁判所の全法廷を閉鎖した=ペク・ソア記者//ハンギョレ新聞社

 梨泰院(イテウォン)のクラブに端を発する新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の2次、3次感染が本格化し、14日以降はクラブを直接訪れた人よりも接触者に分類された新規感染者の方が多くなる傾向と見られる。防疫当局は、クラブ関連の感染者が居酒屋やカラオケボックス、塾などで感染を広げた事例が相次いでおり、今週末が感染拡大のヤマ場になるものと見ている。感染の懸念で見送られた国家公務員5級採用試験も、今週末(16日)に全国32の試験場で行われる。

 チョン・ウンギョン中央防疫対策本部(防対本)本部長は15日、「(梨泰院のクラブを中心とした)追加感染拡大事例によると、居酒屋やカラオケ、塾など密閉された室内大衆利用施設で飲食したり歌うなど、密接に接触する環境だった」とし、「今週末は感染が増幅される施設の訪問を避け、宗教施設や塾なども非対面利用を勧める」と述べた。さらに「クラブ訪問者5500人(5軒のクラブ基準)のうち約4000人は検査を受けたことが確認された」とし、「感染者の接触者把握が早急に行われなければ、大規模な感染拡大が起きる可能性もあり、3次・4次(感染)につながらないよう最善を尽くしている」と強調した。

 同日正午現在、梨泰院クラブ関連のCOVID-19感染者153人のうち、クラブ訪問者は90人で、家族や友人、同僚など接触者は63人だ。日別に見れば、2次、3次感染が主となる接触者の新規感染が増加している傾向が目立つ。11日までは、新規感染者のうちクラブ訪問者は21人、接触者が8人だった。ところが、13日にはクラブ訪問者と接触者がそれぞれ9人で同じになり、14日と15日には接触者の新規確認がそれぞれ15人と10人で、クラブを訪問した新規感染者(5人、7人)を上回った。初期はクラブに出入りした感染者が主流をなしていたものの、次第に家族や職場など地域社会のあちこちに広がっているということだ。

 これを受け、防疫当局は梨泰院を中心とした1次感染がピークに達したと見て、さらなる感染拡大防止に力を入れている。チョン・ウンギョン本部長は「3次感染と確認された事例は仁川(インチョン)の塾関連など4人程度とみている」とし、「4次感染を防ぐのが最大の目標」だと述べた。しかし、すでに4次感染と推定される事例が現れている。前日、ソウル拘置所の職員がCOVID-19陽性判定を受けたが、法務部が発表した発生経過によると、道峰区(トボング)のカラオケを訪れた友人と接触した後に感染したため、4次感染が疑われている。これに対し、チョン本部長は「(4次感染かどうかは)疫学調査を行ってから判断できる」と答えた。

 これと共に防疫当局は、高危険群が感染者と接触しないよう、つながりの輪を遮断することに力を入れる計画だ。梨泰院のクラブに端を発した感染者のうち、60歳以上の高齢者も5人出た。クラブを訪問した人の親などが含まれている。防疫当局は、高齢者や妊婦、慢性疾患を有する人などに密集施設の利用自粛を要請した。療養病院や精神病院、療養施設など高危険集団施設の管理方案も同日、新たに発表された。新規入院・入所者については、検査実施後に受け入れることで、施設内の感染源の流入を遮断するようにした。彼らに対しては、検査費の半分を健康保険で負担する。また、野外空間や透明遮断幕の設置空間などを活用した制限的な面会指針が近くまとめられる。19日に開かれる第4回生活防疫委員会で、学校などの冷房機器の使用基準や高危険群施設防疫指針などが議論される予定だ。

 統計庁とSKテレコムが同日公開した「COVID-19発生後の人口移動」の分析結果によると、連休期間だった今月2日の移動量は1年前の連休日に比べて83%だった。国内で感染者が発生して以来の土曜日の移動量のうち最も多い水準だ。ただし、梨泰院を中心とした感染発生後の9日は、前年に比べて約75%でやや減少した。

 一方、同日、韓国私立大学総長協議会の集計によると、全体193校の大学のうち、85.5%が1学期全体またはCOVID-19安定期まで対面授業を行わず、オンライン授業を進める予定であるという。5月11日に対面授業が始まる大学は高麗大学など9校だが、実技実習科目など非常に限られた範囲で始まる見通しだ。

チェ・ハヤン、チェ・ウォンヒョン、キム・ジョンピル、イ・ジョンフン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
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量産化が実現すれば年間製造能力は1億本に達し、大規模な緊急接種および通常の予防接種に対応するための製造条件が整うことになる。

2020-05-17 09:15:25 | 中国の医療

世界最大の新型コロナウイルス

ワクチン製造現場が完成

人民網日本語版 2020年05月13日15:28
 

(写真提供・中国電子)

中国電子情報産業集団傘下の中国電子系統工程第四建設有限公司が建設を請け負った中国国内初のバイオセーフティレベル3のヒト用バイオ医薬品製造現場プロジェクトが、このほど順調に引渡しを終えた。同プロジェクトの完成により、世界最大の新型コロナウイルスワクチン製造現場が誕生したことになり、量産化が実現すれば年間製造能力は1億本に達し、大規模な緊急接種および通常の予防接種に対応するための製造条件が整うことになる。北京日報が伝えた。

現在、中国国内では、ヒト用ワクチンを開発するバイオセーフティレベルの高い製造現場の建設標準がない。こうしたなかで、同プロジェクトの完成はまた、中国国内の重大感染症予防・管理のワクチン分野におけるバイオセーフティレベルの空白を埋めたことになり、新型コロナウイルスによる肺炎の治療薬・ワクチンの開発にとって重要な意義をもつといえる。

現在、同公司は世界の医薬品メーカー上位20社のプロジェクト建設で80%を超える市場シェアを有し、中国国内の医薬品メーカー上位20社のプロジェクト建設では市場シェアが50%を超え、ハイレベルBSL3動物実験室のプロジェクト建設でも市場シェアが50%を超える。また中国各地で完成した、または建設中のバイオ医薬品製造関連プロジェクト(ワクチン、血液製剤、モノクローナル抗体、細胞治療、インスリンなど)は80件を超える。(編集KS)

「人民網日本語版」2020年5月13日

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