フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

心身一元論

2011年03月29日 08時53分50秒 | 社会・政治・思想哲学

 精神と身体の関係について、両者を分けて考えるのが心身二元論である。
 この二元論の立場では、主観と客観の一致が問題となる。
 たとえば、今、目の前にあるりんごについて、自分に見えているりんごと、実際にある客観的なりんごが正確に一致しているのかという問題である。
 何でこんな議論をするかというと、主観客観のりんごの一致が問題なのではなく、正しさとか道徳みたいな行動の基準となる価値観の判断をする時に問題となるのである。
 私が正しいと思ったこと(主観)と客観的にみんなが正しいと思うことは一致するのかという問題である。
 なぜこの問題が重要かといえば、世界で起こる戦争の多くはこのような世界観の違いから起こるものだからである。
 もし、個人的な主観と客観的な世界観が統一できれば、戦争は無くなる。みんなが一つの正しい真理を守っていけば良いからである。
 しかし、この問題は解決しない。
 なぜなら、主観と客観は一致しないからだ。
 
 そこで、主観(自分の思ったこと)に統一して、世界を組み立てていくという独我論的なやり方をするのが、現象学である。
 私が思ったことが正しい世界というわけだ。
 そして、戦略的に主観から出発する。
 私が何かを考えるときは、このようなやり方を前提にしていた。
 現象学も、なかなか魅力的な考え方である。
 ただ、現象学的発想だと、世界は人の数だけ存在することになる。
 よくいっても、世界は価値観の違うそれぞれの人との妥協によって形成されるものでしかない。
 
 この点、スピノザは心身一元論をとり、精神と身体を分けて考えない。
 人間は単に自然の一部であって、両者の違いは、「実体=宇宙・自然=神」を違う視点から見た属性の違いであると考える。
 いわゆる「汎神論」である。
 
 スピノザのいう神の定義をちょっと引用してみよう。
 「神とは、絶対に無限なる実有、言い換えれば、各々が永遠・無限なる本質を表現する無限に多くの属性から成り立っている実体、と解する」
 
 少しわかりづらいが、ここでいう「神」は、一神教でいう超越的存在の「神」とは明らかに違う。
 一神教の神とは違い、別に何か私たちに命令するわけではなく、単に存在している宇宙(物質)そのものを神と考えるのである。そうすると私も神の一部となる。
 
 このような一元論的な考え方は、特殊であるが、じっくり考えてみると本当にそうではないかと思わせるところがある。
 つまり、主観・客観の二元論で考えると、魂の存在を肯定してしまうが、脳科学が発達してくると、思考というものは、単に神経を走る電気信号の組み合わせで、精神という何らかの目に見えない魂があるのではないともいえるからである。
 
 スピノザの思想は、これから科学が発達して研究対象としての人間の脳や身体が明らかにされた後でも、十分それに耐えうる思想だと思う。
 心身一元論や汎神論は、科学的見地とも合致する優れた思想である。
 科学はなかなか魂を肯定しづらい。
 
 私は仏教の考え方も非常に優れていると思っているが、スピノザの思想は仏教的な考え方とよく似ている部分がある。
 しかし、同じではない。
 仏教的なものとどのように繋がるのか、また、どのように違うのか興味深い。
 
 もう抽象的な議論のために人生を費やすほど若くはないので、それが私たちの生にどのように役に立つのかが重要である。
 私たちは、実際に生きていくうえで困難にぶつかった時、どのよう振舞うべきかを示してくれる哲学を必要としているのである。
 仏教の瞑想や呼吸法は、怒りをコントロールしたり不安を取り除いたりすることが可能であり、実際に役に立つ。
 しかし、仏教は必要悪としての暴力に対してどのように答えるのかという問題が残る。また、苦の根源が欲望にあると考えるため、それを抑えることを重視する。
 私が勝手に思っているだけなのだが、仏教的な方法は、こころの静寂と平穏は維持できるが、生の躍動感が失われるような気がしている。
 
 スピノザの哲学は、欲望を否定しない。また暴力をも否定しない。そもそも自由意志を否定している。
 だから、自分のした行為は避けられないのだから、自分の行為・人生を肯定するしかない。
 そして、人の間違いを許し、社会を許す。決して運命に振り回されない。
 このような生を肯定する思想は、実践する哲学として十分使えるのではないかと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秩父・熊倉山

2011年03月27日 11時03分50秒 | 登山

 昨日、秩父の熊倉山に行ってきた。秩父は奥多摩に比べ遠いし、標高1500m以上の山がないので、あまり行かない。140号線から見える武甲山は秩父のランドマーク的存在で、形がよく本当にカッコイイ山である。ただ、セメント採掘のため山容が見るも無残な形になってしまっている。あれを見るとなんだかなぁと思ってしまう。しかし、私たち外部の者には分からないいろんな事情があるようだ。
 
 秩父と奥多摩を比べるのはどうかと思うが、山を挟んで向こうとこっちの関係にあるから少しだけ比較してみると、秩父のほうがかなり経済的に発展している印象がある。
 奥多摩から甲府へと続く411号線は道も狭いし店といえばコンビニくらいしかない。一方、秩父の140号線は道が広く飲食店もガソリンスタンドもいろんなものがそろっていて、都会というほどではないが、山村の田舎とはいえないくらい発達している。両者は同じ山間地域なのに、かなり違う。具体的な数字を挙げることはできないが、見ただけで秩父のほうが経済的には圧倒的しているのが分かる。この経済的な差は、秩父から採掘される石灰石、つまり、セメントによるものだ。秩父はセメントによって相当経済的に潤っていたといえる。
 しかし、日本の長期の不況によるマンション建設などの停滞や公共事業の削減から、セメントの需要がかなり減ってきた。そして、ちょうど一年くらい前の、2010年2月に太平洋セメントが、子会社の秩父セメントのセメント生産を中止した。秩父の経済を支えてきた基幹産業は、なんといってもセメントだったから、このセメント生産中止から、急激に経済が疲弊していくことになる。

 

 山から下りて秩父線の白久駅に向う途中、かなりの数の民家が道を挟んで並んでいる。まだ建てたばかりのような新しい家もある。なのに人が住んでいない。別荘なのかと思っていたが、どうやら違うようだ。本当のところはわからないから推測するしかないのだが、多分、セメント生産中止によりまたそれに関連した仕事がなくなったために、生活出来なくなった者たちが、どこかに引越ししたのではないかと思う。
 あの廃墟を見るとなんともいえない物悲しさを感じてしまう。まだまだ住めるので、買い取って住みたいなぁと思ったくらいである。しかし、もちろん、仕事がないから生活できない。
 思うのだが、あのような使える廃墟(正確に言うと廃墟ではない。まだ新しいから)を震災で困った人達に貸し出したらどうかと思う。50人くらい簡単に生活できるようになる。
これから、東北復興のためにいろんな建物を建設しなければならないから、セメントの需要が増大していくことが予想される。そうすると、秩父のセメントが必要とされる日が来るかもしれない。まぁ、そのような事態になると、経済的には潤うのだけれど、武甲山は削られもっと惨めになっていく。

 


 熊倉山登山

 

 8:20 武州日野駅出発 
 
 9:20 熊倉山登山口到着 途中、道が分からなくなって、寺沢集落の爺さんに道を聞く。大学生に間違われる。「大学生かい」と聞かれ、「もう少し上です」、と答えると、「大学院かい」と言われる。「いやいや、もう少し上です」と言うと、黙ってしまった。多分、大学院より上の学校を考えていたのだろう。私が言ったのはそういう意味ではないのだけれど。それにしても、いくらなんでも大学生はないよなぁと思う。もういい年なんだから。
 
 9:40 一ツ橋 仁田沢沿いに歩く。綺麗な沢でなかなかいい。

10:15 三又 これから先は急坂の杉林である。

10:30 官舎跡

 

11:20 水場 水場というがどこにあるのか雪で分からない。もうすでにアイゼンをつけている。雪が深くてつけないと登れない。

 

11:35 笹平 平らという名前のとおり平らな場所なので、ここで昼食。ただただ寒い。こんなところでじっとしてなんかいられない。

 

12:30 林道分岐点

 

12:40 頂上 今回は鍛え方が半端ではなく、体力的に最高の状態にあったので、軽く登れた。しかし、少し体調が万全ではなければかなりきつい山だと思う。年に3人くらいの遭難者が出るらしい。迷う事でも有名な山である。多分きつくて判断力が鈍るのだと思う。しかし、落ち着いていれば、道標の赤いテープがところどころにあり、問題はない。

 

13:50 営林署小屋跡

 

14:50 谷津川

 

15:20 白久駅

 

 秩父線の車掌さんたちは、非常にフレンドリーで親しみ易い。埼玉の人達はおっとりしていて優しいということを良く聞くが、これは経験的に本当である。奥多摩の人達が不親切というわけではないが、奥多摩の人に道を聞いても必要以上のことは話さない。しかし秩父の人は本当に親切である。道を聞くと心の中でもう分かりましたから行かせてくださいと思うほど(笑)、親切に教えてくれる。そして、まったく知らない私にもきちんと頭を下げて挨拶してくる。本当に素晴しいと思う。経済的にこれからどうなるか分からないが、頑張ってもらいたいものである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

尾西食品のアルファ米

2011年03月22日 08時43分53秒 | 日々の出来事・雑記

 昨日、アルファ米を食べた。アルファ米とは簡単に言うと「干し飯」である。一回炊いたご飯を干して保存食にしたものである。私が食べたのは尾西のドライカレーというものである。357円。お湯で15分、水で60分でできる。通常の時に食べたら、どうか分からないが、山の中や災害時などの緊急時に食べたとすれば、かなりの旨さだと思う。想像以上だ。
 この尾西食品の工場は宮城県大崎市古川にある。古川というと昔の同僚のふるさとである。今回の地震は大丈夫だったのだろうか。少し心配である。
 今回の震災で、このアルファ米が見直されるだろうと思う。なんといっても水でも食べられるのがいい。もし簡易の浄水器を持っていたら、泥水でも食べられるのだ。上場していたら、株を買っておくところである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再度、奥多摩縦走

2011年03月21日 23時27分30秒 | 登山

 3月19日

 

  7:45 鳩ノ巣駅
  8:40 大根ノ山ノ神
 10:50 舟井戸
 11:06 曲ヶ谷北峰
 12:07 踊平
 13:46 仙元峠分岐点
 14:40 天目山(一杯水避難小屋)
 15:45 ハナド岩
 16:20 七跳山
 17:20 酉谷山避難小屋
 18:00 行福ノタオ付近 テント設営

 

 七跳山から酉谷避難小屋までの間で、滑落した人がいたので救助した。
 もう十時間近く歩いていたので、私自身ヘロヘロになりながら酉谷避難小屋に向かっていると、下の方から「助けてくれー」との声が聞こえた。10メートルくらい下の方でおじさんが転がっていた。どうやらアイスバーンで足を滑らして滑落したらしい。ゆっくり下まで行ってケガの無いのを確認してから、まず荷物を担いで(かなり重い。20キロくらいあった)登って、それからロープを垂らしておじさんを引っ張り上げてあげた。骨が折れていたとしたら、もう登山どころではないので、下まで行って救助を要請するか(ちなみに携帯は通じない場所である)、私が担いで下まで降りてあげるかするしかないなぁと覚悟を決めていたら、普通に「ズボンの汚れが酷い。一着しか持ってきていないんだよねぇ」とズボンのことばかり気にしてありがとうの言葉もなかった。それで思わず「ズボンくらいいいじゃないですか。命が助かったのだから」と軽く切れ気味で言ってしまった。こういうところが私の悪いところだが、私だって相当疲れていたのに、ありがとうくらい言えよ、と率直に思ってしまった。
 まぁ、怪我はなさそうなので、「少し休んでから酉谷避難小屋まで行ったらどうですか、私は先に行きますよ」と言って私は先に行った。滑落した場所は奥多摩でもかなり深いところなので、あそこまで行くにはかなりの体力がいる。足が疲れてくるとどうしても滑落しやすくなる。だから、無理をしてはいけないのだ。たしかにスボンは泥まみれになってかなり汚れてしまったけれど(笑)、怪我がなくてよかったと思う。

 

 
 3月20

 

  6:00 起床
  6:30 出発
  7:25 滝谷ノ峰ヘリポート
  8:00 水松山
  8:30 梯子坂ノクビレ(道を間違えてしまった。行って帰って一時間ロス)
  9:06 水松山
  9:45 長沢山
 10:25 桂谷の頭
 12:15 芋の木ドッケ
 13:07 大ダワ
 13:45 雲取山荘
 14:40 小雲取山
 15:00 奥多摩小屋
 16:00 七ツ石小屋(水補給)
 16:30 雨が降りそうだったのでその辺で仕方なくテント設営

 

 この日もいろいろあった。道を間違えてしまったこと、芋ノ木ドッケの下りで滑って死にそうになったこと、鷹ノ巣山まで行けなかったことなど。
 テント設営して中に入ると、すぐに雨が降ってきた。もし濡れていたら風邪をひいていたと思う。それくらい体力的に限界だった。疲れているとどうしても弱気になってしまって、雨風の音が不安な気持ちをかきたてる。ああ、震災にあった人たちもこういう感じなんだろうなぁと思った。さっさと飯を食べて、足と背中と腹にホッカイロを貼ってすぐに寝た。小便に起きたのが9時くらいだったろうか。その時には体力がかなり回復していた。南風のせいか気温が高く、またホッカイロのおかげで快適で良質な睡眠をとれたからだ。ラッキーといえばラッキーである。寒いと筋肉が緊張して体を温めようとするので、疲れは取れにくい。温かくして筋肉を弛緩させなければ、疲れは取れないのだ。
 疲れが取れれば精神的にも回復してきて、不安がなくなってくる。体が疲れたときには強い精神が体にムチをうつ。精神が弱っているときには体を充実させ、そのみなぎるパワーが精神を引っ張っていく。両者は互いに影響しあう。

 


 3月21日

 

 5:50 起床
 7:00 出発
 9:00 鴨沢

 

 朝、起きてラジオの天気予報を聞くと、今日一日雨がやまないというので、すぐ撤退することを決定する。青梅線も14時以降運休するということなので早めに帰らなければ、電車が無くなってしまう。七つ石山まで戻って鴨沢バス停まで行く。雨が降っていても、下る一方なので楽勝である。

 

 疲れたけれどいろいろ勉強になった。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムーンライトテントを買った

2011年03月17日 22時18分03秒 | 登山

 金もないのにモンベルのムーンライトテントを買った。ムーンライト2型は雨に強く非常にいいテントであるが、重いのが難点である。しかし、それは体力でカバーするつもりだ。
 テントを買ったのは、避難小屋ではいろんな人がいてすごく気を使うし、ないと自由に予定が組めないからである。 
 このテントで今度の連休、山に行くつもりだ。前回、大雪で断念したコースにしようと思っている。前回は雪に足を絡め取られ、疲れきって前に進めなくなってしまった。くやしかった。
  
 このテントで今年の夏は南アルプスに行きたいなぁと思っている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スピノザの言葉

2011年03月16日 08時30分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 人間のできることはきわめて制限されていて、外部の原因の力によって無限に凌駕される。
 
 したがって、我々は、我々の外にある事物を我々の使用に適合させる絶対的な力を持っていない。
 
 だが、例え、我々の利益への考慮の要求するものと反するような出来事に遭遇しても、
1 我々は自分の義務を果たしたこと、
2 我々の有する力はそれを避けうるところまで至り得なかったこと、
3 我々
は単に全自然の一部分であってその秩序に従わなければならぬこと、
そうしたことを意識する限り、「平気で」、それに耐えうるであろう。

 

 スピノザの言葉を私なりに解釈すれば、通常のやるべき事をすべてやってそれでもその出来事が起こったなら、それは「必然」だったということである。
 その出来事の積み重ねが生きることであり、必要以上に怖がったり不安になったりすることはなく、どうせ逃げられないのだから堂々と前進していくべきだということである。
 あきらめという消極的な態度ではなく、災難ですら笑って受け入れるという強者の思想である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地震の報道を見て

2011年03月14日 08時19分37秒 | 日々の出来事・雑記

 昨日の夜、コンビニに行ったら菓子パンは一つもないしカップラーメンも一つもなかった。まぁ、水があれば少しくらい食べなくても生きていけるし、もともと質素な生活をしているから、特に問題はない。本当に大変なのは東北地方の沿岸の人達だ。
 東京はそんなに被害はなかったのにこんなに人々が混乱することにちょっとびっくりしている。確かに、災害の報道は必要ではあるが、あんまり悲惨な映像ばかり放送していると、必要以上に人々の不安をあおる結果になるような気もしている。
 ある日、突然すべてを失うことがある。しかし、人間はそれでもやっていけると思う。だから頑張ってもらいたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すごい地震だった

2011年03月11日 16時52分02秒 | 日々の出来事・雑記

 仕事中に地震が来た。テレビの報道だと東京は震度3だという事だが、もっと強い感じがした。たぶん今までで経験した中で一番大きな地震だったような気がする。もちろん地震はあるより無いほうがいいのだけれども、このような災害に遭遇するとみんなの間に妙な一体感が生まれる。生命の危機がそこにあると助け合おうとするのが人間の本能なのだろう。
 臨海公園付近にジョギングにいこうと思ったが、津波がくるとのことだからやめた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さまざまな意見と箴言」から ニーチェ

2011年03月03日 08時34分19秒 | 社会・政治・思想哲学

 人生からあるときまさしく強盗のような振る舞いを受け、名誉、喜び、身寄り、健康、あらゆる種類の財産と、奪われるかぎりのものを奪われたとしても、ひょっとして私たちはその後、最初の驚愕が過ぎてから、自分が前より豊かになっていることを発見するかもしれない。なぜなら、そのときはじめて私たちは、どんな強盗の手にも触れることができないほど自分に固有のものがなんであるかを知るからである。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする