小林秀雄の「金閣焼亡」を読みたくて部屋の中を探したが、どこにあるか分からない。どこか奥のほうにあるのかそれとも散らばった本の中に混じってしまったのか。困ったものだ。きちんと部屋を整理しないと。
なぜ探していたかというと、「金閣焼亡」に金閣寺に放火した青年のことが書いてあり、その内容を確認したかったからだ。本がない以上、うろ覚えの知識で語るしかない。だから、多少、内容が違っているかもしれない。
私の記憶に残っていることを、端的にいうと「真似は愛情からなされる」ということだ。
どういうことかというと、金閣寺を放火するような人間は狂人である。狂人の思考は他者とのつながりがなく自己完結している。ゆえに、同じ回路をぐるぐる回ってまったく進歩がない。なぜ、狂人は他者とつながって(具体的には、いろいろ会話して有用な情報を仕入れたりするとか)、ぐるぐると同じところを回っている思考を解き放ち、成長しようとしないのか。
それは愛が欠けているからである。つまり、根本的に他者に対して愛情が欠けているから、人と話もしないし学ぼうともしないのである。
親が子供を愛情をかけて育てると、子供は喜んで親を真似る。親みたいな人間になりたいと思う。しかし、その関係がうまくいかなければ反発して、「親みたいにはなりたくない」などと言う。
真似は愛情からなされるのだ。
最近よく耳にするワードに、ミラーニューロンというのがある。ミラーニューロンとは名前の通り、相手の動きを鏡に写った自分のようにとらえ、相手の動きを真似する神経細胞である。
例えば、親が箸みたいな道具を使っているのを子供が見て真似るようなときに活発に働く神経細胞である。
自閉症などはこの神経がうまく働かないといわれている。空気を読めない人もそうかもしれない。
バイトなんかで、ちゃんと教えなくても勝手に人のやることを見てどんどん覚えていくタイプはこのミラーニューロンが発達しているといえる。また、ミラーニューロンが発達していると、人が泣いているのをみて、それを自分のことのように感じることができるため、共感能力が高くなるといわれている。
基本的に憎しみから人間関係を構築している人や人間をまったく信じていない人は、他人の話をよく聞かず自分の世界に閉じこもってしまう。だから、だんだんと狂人の領域に足を突っ込んでいくことになる。
それに対し、人間ってむかつくことや嫌なことも多いが、最後の最後に肯定的に捉えることのできる人は、結局、人とのつながりから助けられるから、ぐるぐる回る思考から逃れることができる。