暑い日がまだまだ続いている。
だけど、クーラーを切って窓を開けてみると、少しだけ夜風が涼しくなってきた。
気づかないうちに少しづつ夏が後退し、秋がすぐそこまで来ている。
過ぎ去っていく夏に一抹の寂しさを感じながら、早く秋が来ないかなぁと首を長くして待っている。
どんなに暑くても、どんなに寒くても、それをコントロールすることはできない。できると錯覚しているだけだ。
自然という檻に閉じ込められて、その外側に逃げることはできない。
私たちは、環境の変化に寄り添うようにしか生きられない。
いや、死んだって同じことだろう。分子レベルでみれば、生物と無生物の間に大きな違いはない。
だから、今、ここで文章を書いている私が、生きてようが死んでようが、たいした意味は無い。
宇宙の一部であることに変わりはないのだ。
突き詰めていけば、正しい生もないし悪い死もない。
私たちは流転しながら存在している。そして、そこに意味は無い。
そうだ、このように考えるから、生きることを、無意味に思ってしまうのだ。ニヒリズムの再来。
しかし、こうも思う。
どうせ生きるなら人を愛して生きたいと。
愛しそれを守るためには、戦わなくてはならない。愛のために殺し合うことすらある。
今日、食べた肉は、間接的に私が殺し奪ったものである。
生きていくということは、戦い殺し略奪しながら細胞を入れ替えていくことだ。
生き延びるために、愛するものを守るために、ぐるっと回って、獣に回帰していく。
それでいいと思う。
人間らしく振る舞えば振る舞うほど、矛盾に絡み取られていく。
だから、知性をもった獣になるべきだ。優しく、激しく愛し、敵を冷徹に倒す。そういう生物に。
ふと、そんなことを考えていた。