そろそろ夕方の4時になろうとしている。雨は少しずつ弱まってきている。まだ日は暮れていないが、気温が下がってきてかなり寒い。
明日の朝、この秋一番冷え込みで、富士山に初冠雪が観測されることになるのだが、この時点ではそうなるとは、夢にも思っていない。
どこにテントを張ろうかなと周りを見渡す。どこもかしこも笹に覆われている。
仕方なく登山道近くの笹の上にテントを張ることにする。笹が突き抜けてテントを破らないように、まずテントシートを広げその上にテントを張る。
雨にぬれて重くなったザックを室内に入れ、雨具と登山靴を脱いだ。登山靴から信じられないほどの湯気が出ている。マンガみたいに。
室内に入り、ザックの中身を全部出す。想像以上に中身が濡れている。寝袋も少し湿っている。ザックカバーは長時間雨にさらされると、完璧に雨をしのぐことはできない。
室内は笹でふかふかしているものの、すわり心地が悪い。
友人から借りてきたモンベルのエアーマットに空気を入れて膨らませ、その上に腰を下ろす。
さっきから、体の震えが止まらない。長時間、雨に濡れて歩いたからだ。疲労もかなりある。
もちろん、着替えはない。持ってきたものをほとんど全部着ている。タオルで体中をふくが気休めにすぎない。
アンダーアーマーのインナーとモンベルのウイックロンの長袖、それからユニクロのフリース。どれも速乾性で乾きは速い。だから、着ながら乾かす。
体を温めるため、お湯を沸かしカップラーメンをつくる。
カップラーメンの出来上がるのを待っている間、ゆでたまごの殻をむく。
体がブルブル震えている。低体温症になりそうだ。あまりに震えが止まらないので、山の中で死ぬのかなと、不安になる。
ゆで卵を食べてると、カップラーメンが出来上がった。
ゆっくりカップラーメンを食べた。
温かいのを食べたおかげで、すこし震えは止まる。
疲れたときは沢山食べるべきではない。疲労回復の能力が低下する。最低限、栄養のあるものを少しだけ食べれば良い。
湿った寝袋の中に入った。なかなか体が温まらない。猫のように丸くなって、体温を維持する。
よっぽど疲れていたのか、すぐに、ストンと眠りに落ちた。
何時か忘れたが、途中、寒くて目が覚めた。
携帯ラジオをつける。バート・バカラックの特集をやっていた。AMにしてはなかなかいい番組。
いろいろいい曲が流れたが、クリストファー・クロスの歌うニューヨーク・シティ・セレナーデに心を奪われる。バート・バカラックが作詞作曲していたとは知らなかった。
曲を聞いていたら、今この瞬間に激しい恋に落ちているような錯覚に陥る。おかしな感覚である。
切ないが、孤独ではない。心に愛情が溢れてくる。
朝の4時頃に、寒すぎてもう一度目が覚める。衣服はもう乾いているが、寒い。アホみたいに寒い。
もう寝ていられないので起きる。濃い目のコーヒーを作って、ゆっくり飲む。体が温まりほぐれてくる。まだ暗いが、雨はすっかり止んでいる。今日は晴れそうだ。よし大丈夫だ。体の方も十分な休息をとったから調子がいい。
今日は最高の日になりそうだ。
飛龍権現神社には分岐点があって、一つは前飛龍の方に下っていく道で、もう一つは将監峠の方に向かう道である。今年の5月に来たときは、前飛龍の方に下っていった。これから将監峠の方に向かうのだが、そっち方面に行くのははじめてで、いわゆる未知の世界である。はじめて行く場所はワクワすすると同時に常に不安が付きまとう。夕方の3時。日暮れまでには時間があるが、疲労はそろそろピークに達している。
今日は飛龍山と将監峠の間にある大ダルでテントを張るつもりである。ただ、本当にそこにテントを張る場所があるのか分からない。「山と高原地図」シリーズをいくつも持っているが、そこには必ず、平、タワ、ダル、といった場所が記されている。ここは、山と山の間にある平らな広場のことで、休憩場所になることから地図に記述されているのだと思う。もうすこし好意的に推測すると、テントを張れる場所を暗黙的に示唆しているのではないかと思っている。というのも、国立公園内は原則テント禁止で決められた所以外、テントを張ることはできない。ただ、それだと疲労で倒れてしまう人がいるので、表立って言わないものの小さく書いてくれているのではないか。もし、その推測が正しいとすれば、飛龍山と将監峠の間にある大ダルにテントが張れるということである。
しかし、こればっかりは行ってみないと分からない。スピノザは、希望を不安定な喜びといい、それ自体善ではありえないといった。確かに行ってみてテントが張れないと、この疲労状態の中、緊張の糸がぷつんと切れる。そうなると精神的にヤバイことになる。だから、将監小屋でテントを張ることも視野に入れつつ進む。将監峠までは、地図によると2時間半位かかる。今の疲労の状態を考えれば、遠く困難な道である。出来ればその手前でテントを張りたいと願いながら進む。
夕方になり雨が弱くなる。雨が弱くなると視野が広がり、周りの音もクリアに聞こえる。これは過酷な状況の中の数少ない良い事である。
道は岩場の急な下り坂で、足元に注意しなければ転んでしまう。また、平坦な場所は両側が笹で覆われどこが道か分かりづらくなっている。変なところに足を踏み外す危険もある。疲れているが、集中しなければならない。
すると突然、広く笹に覆われた広場につく。ああ、ここが大ダルだと心に安堵感が生まれる。テントを張る場所をどこにしようかと、ぐるっと周りを見渡すと、ガサッと大きな音がする。
ハッとするくらい大きな鹿が、すぐそこで笹を食べている。逃げる様子もない。普通の鹿は人間の姿を見たら一目散に逃げ出してしまう。しかし、この鹿は違う。全くビビっていない。悠々と笹を食べている。
大鹿が鋭い目付きでこっちを睨み返してくる。明らかに怒っていて、今にもその大きな角で攻撃してきそうだ。
そこで俺の内側から闘争本能がメラメラと沸き上がってくる。来れるもんなら来てみろと。
数秒間、にらみ合いが続く。
睨み合っているうちに、不思議な感情が生まれる。こいつなかなか大した野郎だなと。殺意の中に交じる敬愛の感情。
不遜な態度。あれは俺だ。鏡写しの俺だ。
腰にある携帯電話を取り出す。オイ、これは銃だぞ、と大鹿につぶやく。腹の付近に照準を合わせる。携帯に写った大鹿はまだこっちを睨んでいる。
腹めがけてバンとボタンを押す。
もし、本当の銃を持っていたら簡単に仕留めることができただろう。勇敢な雄鹿は逃げないから仕留めやすいに違いない。
少しのやりとりだったが、この雄鹿に対し敬意を払い好意を抱いている。友情のような感情が芽生えている。
猟師から逃げて生き延びろよと声をかけ、テント場を探しに行く。雄鹿は睨むのをやめて、また笹を食べ始める。
その気になれば、野生の動物ともディープな心のやり取りが出来る。当然だが、人間も鹿も同じ動物だからだ。
雲取山山頂から三条ダルミに向かう登山道は、急な下り坂だ。しかも岩場なので、この雨だと慎重に下らなければつるっと滑ってしまう。
下りは登りと違って心拍数は上がらないが、重力で転がるのを抑えなければならない。下の方に転がるのをストップする役目を果たすのが、大腿四頭筋(ももの筋肉)である。この筋肉が疲れてくると、膝をまっすぐ伸ばした状態でドンと地面をつくことになる。下りがきついと、膝に体重がおもいっきりかかるので、あっという間に膝を悪くする。膝を悪くしないようにするためには、地面に足をつくとき軽く膝を曲げて、自動車のサスペンションのような柔らかい動作が必要である。
それから、当然であるが、登山靴の裏が減っているとよく滑る。滑った時、膝が伸びきっていると後ろの方にに勢い良く転んでしまう。それを防ぐため、滑った瞬間に膝を曲げ、柔らかくお尻をつくようにしなければならない。そのような一連の動作を無意識的にできるようになるために大腿四頭筋のトレーニングが欠かせない。
とはいっても、疲れてくると私もよく転ぶ。両神山に行ったときは、岩場で滑って一回転した。場所が場所なら死んでいただろう。ただ、信じられないくらい合理的な転び方だったので、ほとんど怪我はなかった。人の体はすごい。瞬時にかつ無意識に一番いい方法を選んでいる。
今回の登山は相当鍛えているので体力的にはまだまだ大丈夫だ。だから、これだけ雨にやられても精神的に強くいられる。ただ、それが過信になって危険な場合もある。自信過剰な心に歯止めをかけるには何が必要か。それは危ない経験である。危なかった経験が無鉄砲な行動を抑制する。
雲取山は東京、埼玉、山梨の一都二県にまたがっているが、山梨側に向かうと急に笹が多くなる。笹は鹿の主食である。だから、山梨方面の飛龍山にいくと鹿によく合う。今日はまだ鹿に会っていないが、鳴き声は聞こえる。鹿は危険が迫るとピイーっと高い声で鳴き仲間に危険を知らせる。私は別に危険人物ではないのだが、私が通ると鹿がピイーと鳴く。
三条ダルミに着く。11時40分。
今日は塩飴だけでまだ何も食べていない。ザックからチョコパンを取り出して、むしゃむしゃと食べる。潰れてへんてこな形になっているが、うまい。腹が減っていればなんでもうまい。
雨に打たれながら、孤独について考えてみる。孤独とは精神的に孤立した状態である。私の今の状態は、場所的に孤立しているかもしれないが、精神的に孤立しているとはいえない。だから、今現在孤独ではないし、特に寂しくもない。
では、精神的に孤立しているとはどういう状態なのだろうか。私は、人間関係が希薄とか無いとかではなくて、人間関係に傷がある状態なのではないかと思っている。一応、関係性はあるのだが、信用出来ない人間ばかりだったり、人を平気で傷つける人間だったり。
私は孤立しているが孤独ではない。それについてもう一度よく考えてみる。私は決して人を裏切ったり傷つけるような人間ではない。しかし、もしそうされたら非情になれる冷酷な人間でもある。そいつを徹底的に叩きのめす。だから、そういう人間はあまり近寄ってこない。金もなく地位も無いからなおさらである。そうすると自然と利害を超えた少数の人間としか関係を持たなくなる。そしてそれでいいと割り切っている。だから、全然寂しくない。少ないけれど信頼できる人間と深く関係を持つから、精神的に孤立することはない。それがいいのか悪いのか分からないが、そういう生き方しかできない。それは今後も変わらないだろう。それが個性というものだから。
一つ、注意しておいたほうがいいのは、孤独だと人にいいように操られ騙されてしまうということである。寂しさ故に、ついつい簡単に人間関係を結んでしまうからである。そして、また傷を深め孤独になってしまう。負のスパイラルである。救ってあげたいとは思うが、基本的に、自分自身でそこから立ち上がるしか方法はない。
暗くて重いテーマ。だが、解決可能でもある。
狼平に着く。12時30分。広くて気持ちがいい。この写真を撮り終わったと同時に、男女のカップルがやってくる(カップル多いね)。
話を聞くと、甲武信岳に行くつもりだったが、この雨と体力的な問題で引き返してきたとのことである。まぁ、それもひとつの選択である。勇気のある撤退。
「何とか平だぁ」と彼女
「狼平ね」と彼氏
「まだ、北天のタルはこないのかなぁ」と彼女
「北天のタルは向こうだよ、もう戻ってきているから」と彼氏
話をしていると、彼女がすこし天然ボケしていて、彼氏がいちいちそれにツッコミを入れていた。笑える微笑ましいカップル。こんな雨の中でも楽しく過ごすことができる良い例である。
北天のタルに向かう道は、危ない所が多い。特にこの板の橋である。幅は広いが濡れていると滑る。
慎重に一歩一歩足を運んでいたつもりだったが、この場所で足を滑らせてしまった。向こう側から渡ってきたのだが、右の部分に丸太が打ち付けられているのが分かるだろうか。
この橋、気付かない程度に右側に傾いている。その原因はコンクリートが劣化して崩れているからである。
向こうから慎重に歩いていたら、ツルッと左足が滑った。滑った足が、トンと丸太に止まった。そのおかげで特に問題なく渡れたのだが、もしこの丸太がなければ、5メートル下まで滑落していただろう。死ぬまではいかないかも知らないが(運悪ければ死ぬ)、骨折は確実だ。ほんとうに助かった。
多分、この橋で実際滑落した人がいるのだと思う。それで危ないから丸太が打ち付けられたのだろう。今回の縦走で一番ヒヤッとしたところである。
ここを通る予定の人は気をつけてください。
北天のタルに到着。14時10分。もう一時間弱で飛龍山だ。さすがに疲れてきた。でもがんばるぞ、と気合を入れる。
笹が多くてよく見えず、崖(大した所ではないが)の部分に、左足を滑らせてしまった。だが、特に問題はなかった。なぜ問題がなかったのか冷静に分析してみる。
まず、崖で地面がないのだから左足がズブッと沈む。そのままだと、体全体が左側に倒れ崖に落ちてしまう。しかし、左足が沈んだと同時に、右足を折り曲げバランスを取る。また、ほぼそれと同時に、右手をついて後ろに転ばないように支える。無意識に体はバランスをとっている。本当にすごい。ただ、疲れきっていたらここまで動けない。
飛龍山の下の飛龍権現神社に到着。15時00。
飛龍山の頂上まで、行って帰って40分かかる。だから行かない。前に行ったが、特に面白い所ではない。何もない。
大ダルに到着。15時40分。
今日寝る場所。笹の上にテントを張る。ふかふかしているが、笹が突き抜けないか少し心配。
まぁー寒い。とにかく寒い。飯を食って早く寝よう。
今回は詳しく書くつもりなので、まだまだつづく。よろしく。
雨の音で目が覚める。それほど激しくはないが、雨がテントのフライをパラパラと叩きつける。まだ5時前である。携帯ラジオを付けて、NHKの天気予報を聴く。東京の天気は晴れだと言っている。じゃあ、もう少し寝て雨があがるのを待つか、ということで、二度寝する。
6時に起きる。まだ雨は降っている。今日は、雲取山から三条ダルミに降りて、飛龍山の先まで行く予定である。そうするとそろそろ出る準備をしなければ、日暮れまでに辿りつけないかもしれない。どうするか早く決断しなければ。
雨はいつあがるか分からない。あがるのを待っていたらいつ出れるか分からない。しかし、雨の中を歩くことは、今すぐ決断できる。決断すればすぐ行動に移せる。だから、出ることにした。せっかちで決断の早いところは、多分、長所だろうと思う。
雨の中でテントを撤収するのは大変だ。テントをたたむときに、荷物を全部外に出さなくてはならない。だからモタモタしていたら荷物が濡れてしまう。
まず、雨具を着て、折りたたみ傘を開き、その下に荷物を置いて、テントを素早く撤収する。
まだ初日なので荷物が多い。きれいにパッキングしなければ荷物が全部入り切らない。しかも雨の中で素早くそれをやらなければならない。テントも雨にぬれて重い。なんとなく気分が重い。だけど仕方がない。さまざまな状況の中で、自分にできることをやらなくてはならない。
テントを撤収していたら、雨具を着た若いカップルが私の方をチラチラ見ながら登っていった。
「おはようございます」と挨拶をした。聞こえなかったのかどうか分からないが、無視された。
荷物のパッキングも何とか終わり、いざ出発。7時15分。
30分くらい歩くと、水場があった。こっちのほうが地図にある本当の水場で、私の泊まった場所は違うところだったようだ。
まぁ、問題はないが。
水場の看板によると、標高1150mで、雲取山まで2時間45分かかるらしい。
強くはないが、それなりの量の雨が降り続いている。こういうとき、ゴアテックスの雨具があればなぁと思う。私の雨具もそれなりの物だが、それでもゴアテックスには劣る。
本来、アウターは外側の水、つまり雨に対処すればいいわけであるが、登山はハードに動くことから内側の水、つまり汗とも戦わなくてはならない。ゴアテックスは、一応、雨は通さないが汗は通すことになっている。そこがゴアテックスのすごいところである。もちろん程度の問題ではあるが。
そこで、私の取る戦略は、内側の水と戦うこと、つまりゆっくり歩いてできるだけ汗をかかないというやり方である。息があがってくると汗が出てくるので、呼吸に注意して一歩一歩ゆっくり登る。
堂所付近で、さっきのカップルが休んでいた。「こんにちは」と声をかける。男の方は軽く会釈しただけだったが、女性の方はきちんと「こんにちは」と言ってくれた。さっきは無視したのではなく聞こえなかっただけだと確信する。
あまり大きなザックを担いでいないことから、日帰りの登山だろうと思う。ふたりともきちんと雨具を着てザックカバーをかけている。それなりの経験者だろう。ただ、ペースが少し早いのではないかと推測する。小袖から登ったとしても、まだ休憩するほどの距離ではないからだ。
少し経ったところで、二人が私をスイスイと追い抜いていった。やはりペースが早い。あのペースだと、また私が追いつき追い越すことになるだろう。結局のところ、亀のように自分のペースで着実に登っていったほうが効率的である。早く登って休む、早く登って休むという瞬発力を重視した筋肉の使い方をすると、筋肉に乳酸がたまりやすく疲れてしまう。だからゆっくりと持久的な動きで乳酸を溜めないようにしなければいけないのだ。
とはいっても、私も楽なわけではない。すこしきつい。雲取山ってこんなにきつかったかと思う。
雨のせいで湧き水が滝のようになって、道を塞ぐ。濡れるの覚悟で通り抜ける。どうせ雨で濡れているのだから、関係ないといえば関係ない。
七ツ石の分岐点を通り過ぎて、ブナ坂の方に向かう。分岐点の標識付近で、案の定、さっきのカップルが休んでいた。
「この辺けっこう疲れますよね」と声をかける。男はブスッとしている。しかし女性はにっこり微笑んで、「そうですよね」と答える。笑顔が可愛い。
多分、女性の方が体力があるのだろう。男の方は少し太っている。疲れてくると人と話すのも億劫になる。ブスッとしているだけでなく、不平不満を言い始めると、低体温症のおそれがある。気を付けなくてはいけない。身体の状態が精神の状態を決定づけている。それに敏感にならなくてはならない。
さすがにブナ坂というだけあって、いい感じのブナの樹がたくさんある。ブナの樹はつるっとした感じで色気がある。
ブナの葉に落ちた雨は、枝をつたって幹に流れる。そして葉に降り注いだ大量の雨がブナの根にむかい、根がたっぷり雨水を蓄える。水をたくさん含んだブナの根は湧き水を生み出し、それが沢となって、多摩川に流れていく。
このような都会から遠く離れた樹々の働きによって私たちの生命が保たれている。
上の写真のブナをよく見ると、熊の引っ掻いた跡がある。熊はブナの実が大好物で、よく木に登って食べているらしい。引っ掻いた跡は木に登ったときについた跡だ。
熊ちゃんに会いたい。どこにいるんだろう。
後ろにさっき休んでいたカップルが見える。ただ、私に追いつくことができない。だんだん疲れてきているのだろう。もちろん、私も疲れてきているが、正直言ってまだまだ余裕である。息があがらないように、汗を必要以上にかかないように、ゆっくり着実に登っているから。
いつの間にか、カップルの姿は見えなくなってしまった。
東京の予報は晴れなのに、一向に雨はやまない。雨のせいで景色もよく見えない。気分はだんだん沈んでくる。
屈強の軍隊を弱体化させるのは、敵ではなく、自然だと言うことである。その中でも、特に雨に長時間打たれると、訓練された屈強の男たちでさえ音を上げるそうだ。長雨は少しずつ精神を蝕み弱らせていく。
確かに、長い間雨に打たれていると、寒くなってくるし、ジメジメして気持ちが悪い。精神力が弱くなっているのが感じられる。ただ、私は雪国育ちで忍耐力が強いのか、こういう惨めさに耐える力がある。普通に考えれば、なんで雨の中こんなことをやっているのだろうと思うだろう。楽しいことだけやりたい人はこんな雨だったら帰ろうとすると思う。ただ、未知の世界に入っていくためには、ある程度の困難は乗り越えなくてはならない。ある人はこんな冒険をドラゴンクエストやファイナルファンタジーなどのロールプレイングゲームで済ませるのだろう。しかし、私たちは現実の世界の中でリアルにそれをやっている。だから、多少のきつさもウエルカムなのである。
まぁ、かっこつけて言っているが、いい歳してガキだということである。
雲取山山頂にある雲取避難小屋に到着。11時5分。
汗をかかないようにしたが、無駄な努力でびっしょり汗をかいている。すごく寒くてブルブル震えている。温度計を見ると8℃である。着替えたいが着替えはない。仕方ないので、持ってきたユニクロのフリースを着る。
後から来たおじさんは寒くて死にそうだと言っていた。唇が紫色になっていた。天気予報は晴だったのにと愚痴をこぼしていた。気持ちはよくわかる。雨具も十分なものではなく、下もはいていない。なんとなく綿っぽいシャツで、全体的に軽装なので低体温症が心配である。雲取山だからといって侮ってはいけない。
私も登山を始めたばかりの頃は、綿のTシャツを着て登っていた。綿のTシャツは汗を吸うだけで乾かないのですごく寒い。だから、一回の登山で何回も着替えていた。その後、登山では綿のTシャツはNGだということを知って、モンベルのウィックロンの生地のシャツを着ている。これが信じられないくらいすごい。最初に着たときは感動した。汗がすぐ乾く。山に登らない人にもお薦め。多分手放せなくなる。話がそれた。戻そう。
私はこれから飛龍山のほうに向かわなくてはならない。だから、おじさんが少し心配だったけれど、先に失礼しますと言って、三条ダルミに向かった。
雨は一向に止まない。
つづく。
22日の夕方、パッパと仕事を終わらせ、早く切り上げて、家に帰る。2,3分でシャワーを浴び、予め準備しておいた着替えに袖を通す。前回の登山の時についた泥だらけの登山靴を履き、重いザックを担いで家を出る。かかった時間はおおよそ10分くらい。ぎりぎり予定の電車に間に合いそうだ。
この時間帯の電車の中には、いかにもこれから登山します、というような格好をした人間は一人も居ない。ビジネスマンか学生か。案の定、ジロジロと見られる。羊の群れの中に紛れ込んだロバみたいなものだ。だけど全然気にしない。こういうところのハートは強い。
今回持ってきた本、「マーティン・ドレスラーの夢」を取り出し、読み始める。マーティンは葉巻屋の息子であるが、最初に出てくる店に関する丁寧な描写を読むのがすこし面倒くさい。そのため何回か読むのを挫折した。ただ、読むのがこれしかないと思うと、ワンセンテンス、ワンセンテンスをじっくり時間をかけて読んでしまう。繊密な描写をイメージし、味わいながら。読書とは本来そういうもので、焦って読むものではない。おかげでこの小説の面白さがだんだんわかってきた。なんせピュリツァー賞をとった作品なのだから、つまらないことはないだろう。
18時すぎに奥多摩駅に着く。もう暗くなっている。
バスの出発時間は、18時50分。まだ時間がある。ぶらぶらしていると、すぐ近くの八百屋が店じまいをしている。
「まだ大丈夫ですか」
「もう閉めるけど、いいよ」
「そのりんご一つください」
「はい、180円」
という感じでりんごを買って食べる。ゴミ箱がないので、全部きれいに食べてしまう。さすがの私も枝の部分は食べれないので、そこだけポイッと捨てさせてもらう。その辺に木の枝が沢山落ちているから、勘弁して。
バスの時間が迫ってきた。中学生くらいの男の子3人がやってきて、バス停のベンチに座る。多分、部活帰りだと思う。東京の本当のはずれの子供たち。なんとなく羨ましい。こんな素晴らしいところで生活できるなんて。まぁ、田舎すぎて本人たちは嫌かもしれないが、いつかそれが良かったと思える日がくるだろう。都会の生活なんていつでもできる。
バスには留浦行きとある。ちなみに、「とずら」と読む。留浦ってどこだと思い、調べてみる。どうやら鴨沢の1つ手前のバス停らしい。留浦は東京で鴨沢は山梨である。ただ、歩いて10分程度らしい。だったら、問題はない。
バス出発。もう完全に暗くなっている。一応、バス内は電気が付いているが暗いので、頭にヘッドライトをつけて本を読む。いまいち集中できない。
少年たちも奥多摩湖付近のバス停で全員降りてしまって、私一人の貸切状態になってしまった。なんとなく寂しい。ただ、運転手にしてみたら、誰も乗っていないより、一人でもいたほうがいいに違いない。
本を閉じて、窓の外の風景を見る。真っ暗で昼間とはぜんぜん違う奥多摩である。木の葉や雑草が生き物の手のようになって道路の方に伸びてきている。もしかしたら、場違いな所に来てしまったのではないかと思えてきた。だけど、もう遅い。来てしまったのだから。
留浦バス停に着く。バスの運転手に何か言われるかなぁと思ったが、「ありがとうございました」以外の言葉も交わさず、また特に何か詮索もされずに降りた。まさか大きなザックを担いで自殺する人間も居ないだろう。
留浦バス停から10分歩いて、鴨沢に着く。19時30分。
今日は、ここから30分かけて小袖の登山口に向かい、登山口から、多分、一時間くらい登った所にある水場の平地でテントを張って寝るつもりである。おおよそ21時くらいに着いて、21時半頃寝れればいいかなぁと思っている。
ヘッドライトを付けて民家の脇の道を登っていく。まだ早いから民家には明かりが付いている。それぞれの人のそれぞれの生活がある。
しかし、こんな時間に山にのぼるのは、当然、私だけである。集落の人に見つかったら止められそうだから、そそくさと登っていく。
集落の一番最後の民家の脇を通りかかったとき、その家の犬が騒ぎ出した。かなりの勢いで吠えている。犬は見知らぬ人間の気配を察している。お前は何ものだ、何をやっているんだと。
犬に吠えられながら山道に入っていく。犬に吠えられたことで、私は山に受け入れられていない人間なのではないかという感じがしてきた。そう思ったら、急に怖くなってきた。
この辺の道はよく知っているし、道は広くて足を踏み外すこともない。特に危険はないはずだ。
ただ、夜は少し違う。闇に包まれた夜の山は、それ自体が生き物のように怪しくうごめいている。何が起こっても不思議でない。
めずらしくビビっている。
呼吸を整え、無駄なことを想像しないように、一歩一歩足を運ぶ。それでも恐怖をコントロールするのは困難だ。それほど、闇に対する人間の反応は強烈である。体がそのような反応を強制している。多分、恐怖を生じさせることで、注意を喚起し戦闘態勢に入らせるのだろう。ただ、恐怖が強すぎると、逃げ出してしまうことになってしまう。私は逃げ出すほどの度胸がないから、仕方なく登る。
闇は視覚を奪う。周りが見えないとそれを補うように嗅覚が敏感になってくる。草の匂い、土の匂い、それだけではなくて獣の臭もする。どこかに鹿か何かがいるのが分る。自分自身の能力にびっくりする。すごいなぁと思う。周りの状況を把握する能力が高まっている。恐怖故に。
小袖の登山口に過ぎて、幽霊屋敷のような空き家を越え、どんどん進む。まだ、水場には到着しない。
そこで、ふといつの間にか恐怖が消えていることに気づく。
えっ、暗いのに慣れたのかと思ったが、ちょっと違う。なんだろうと自分に問いかけてみる。
そうだ、腹が減っているのだ。
そう言えば、昼に時間がなくて弁当半分くらいしか食べれなかったし、それ以外は駅でりんごを一個食べただけである。そのような状態で、一時間も重い荷物を担いで山を登っているから、血糖値が下がってきたのだ。無性に何か食べたくなってきた。
ザックから菓子パンを取り出し食べる。すごく幸せな気分になる。嘘のように恐怖が消えてしまった。
一つ、勉強になった。基本的に、恐怖より飢えのほうが強いんだなぁということである。もちろん、拳銃を頭に突きつけられているときのように、リアルな危機がそこにある場合には、飢えより恐怖の方が強いだろう。だけど、夜の闇程度の恐怖なら飢えの方が強い。
脳が身体に司令を出しているのではない、身体が脳に働きかけているのだ。脳は血糖値が下がっていることを知らない。身体が血糖値が下がっていると脳に知らせる。そして、脳が私に何か食べるように指示をだすのだ。
自然の環境が身体に影響を及ぼす。身体の変化が脳に働きかけ、脳が身体に行動を要求する。逆の流れではない。
人間はアホだから全てをコントロールしていると思ってしまうが、それは幻想である。自然の変化が人間の状態を決定づける。私たちは自然の大きな流れに沿っているに過ぎない。人間は自然の一部だからだ。
水場に到着する。20時40分。予定より早い。怖かったから足取りが早かったようだ。
テントを張って寝袋を出して寝る。
明日から始まる非日常の世界にわくわくしながら。
夕方に帰ってきて、風呂に入って、肉のたっぷり入ったおいしい豚丼を作って、さっき食べ終わったところ。
山では菓子パンとカップラーメンばっかりだったので、すごくうれしい。
3日山ごもりしてずいぶん痩せたが、また太りそう。
今回のコース
9月22日
奥多摩駅 18:20
鴨沢 19:30
水場 20:40
ここでテント泊
9月23日
水場出発 7:15
堂所 8:10
七ツ石分岐 9:00
奥多摩小屋 10:15
雲取山 11:05
三条ダルミ 11:40
狼平 12:30
北天のタル 14:10
飛龍権現 15:00
大ダル 15:40
ここでテント泊
9月24日
大ダル 6:20
将監峠 8:05
山ノ神土 8:35
唐松尾山 10:00
山ノ神土 10:55
東仙波 13:00
八百平 14:00
ここでテント泊
9月25日
八百平 6:30
二ノ瀬分岐 6:50
造林小屋 9:40
登尾沢の頭 10:30
吊り橋 12:20
秩父湖バス停 13:10
三峰口駅 13:40
という感じでした。
簡単にすると、
雲取山~飛龍山~将監峠~唐松尾山~和名倉山~秩父湖
もっと簡単にすると、
奥多摩から秩父、という感じでしょうか。
詳しくはゆっくり書きます。いろいろあったから。
今日、仕事から帰ってきたらその足ですぐ山に行くつもりである。ちょっときつめの縦走。持っていく荷物は既に準備し終わっている。ただ、一人で縦走するときにいつも迷うのが電車の中とかテントの中で読む本である。
今回の候補、「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」、「マーティン・ドレスラーの夢」、「日常の中の禅」、「罪と罰」、「エチカ」、うーん、どれもピンとこない。どうしようかなぁ、迷う。
金がないから軽くていい装備が買えず、一つ一つの装備がすこしずつ重い。だからトータルとしてかなり荷物が重くなってしまう。嫌だなぁと思うが、そのおかげで体がアホみたいに丈夫になった。なんでもいい面と悪い面がある。
物の欠損について、引け目を感じさせるのが資本主義の方法であるが、それを強調すれば、だんだん自分を愛することができなくなる。周りを見渡して他人と比較すれば、常に何かが欠けているからである。
大事なことは今の欠損した現状を肯定し、その中でやりくりしていくことで、それに快を感じることである。そうすれば少しくらいビンボーでみすぼらしかったとしても、現状の自分を愛することができるようになる。経験的に。
そういうことを言うと、「お前は強いからそうなんだよ」とすぐに反論されてしまうが、私はそうは思わない。だって、私自身、いろんなものが満たされている人より、何か欠損している人間を愛するからである。そういう他人を愛せるのだから、欠損している自分を愛せないわけがない。
美に惹かれる気持ちは性的な活動(生殖活動)に結びついているが、人の欠損を愛しいと思いそれを埋め合わせてあげようという気持ちは、共同体を作っていく部分と関係している。欠損を埋め合わてあげようとする行為が「優しさ」なのだろう。他人の欠損を埋めてあげられる人間は自分の欠損も埋め合わせることができる。
まぁ、そうはいっても、軽いテントや軽い寝袋がほしい気持ちはある。少しずつ金を貯めてまずは軽いテントかなぁ。
何時に起きたか覚えていない。多分、5時半くらいだったと思う。
金峰山に登ってもう一度大日小屋に戻ってくるので、テントはそのままにして貴重品や食料・水、雨具などの重要な荷物以外は置いていき出発する。私が全部荷物を持つので連れは荷物なしで登る。ちょうどいいくらいのハンデだと思う。そういうことを言うと怒られるかもしれないが、鍛え方が違うから仕方がない。
大日小屋から30分くらいで大日岩に着く(地図によれば)。この写真を撮った時間が6時55分だから、逆算すると、大日小屋の出発は、6時半くらいということになる。
この時、大日岩はすごいなぁと思っていたが、これからもっとすごい岩に出会うことをこの時点では知らない。
シャクナゲがけっこう多い。5月の後半には咲き乱れて綺麗だと思う。
この辺は単調な急な坂が続きだんだん嫌になってくる。この辺を耐えられるかどうかが山を好きになれるかどうかの分かれ道である。一歩一歩少しずつ登っていけば必ず頂上に辿りつける。そう強く念じることが大事である。
「千代の吹上」というものがあるらしい。なんのことかよく分からない。調べてみると、山梨側の絶壁のことらしい。
最後のキツイ坂を越え、森林帯を抜けると信じられないくらい素晴らしい展望がひらけてくる。ここが砂払の頭というところらしい。8時18分。
ここから金峰山の頂上にある五丈岩がよく見える。
いろいろ説明するより写真を見てもらったほうが、いいと思う。想像以上に素晴らしいところである。来てよかったと心から思う。きついが登る価値のあるところである。
頂上の少し手前。岩が積み上げられたみたいなのが、五丈岩である。昔は山岳信仰の山だったらしく鳥居がある。
9時20分。
少しひいたところからの五丈岩。上に登っている人がいる。私は登らない。ああいうことには興味がない。どうしてか分からないが。
9時30分。頂上でポーズ。腰に手をあててすこし間抜けっぽい。
標高2599m
来た道を帰る。遠くから見るとなかなか迫力がある。
写真はここで終わり。帰り道だからもう撮らなかったのだろう。
金峰山は瑞牆山ほど人は多くない。それからきつくて危ないからか若い登山者が多い。それでも苦労していくだけの価値はあると思う。瑞牆山と金峰山どちらが好きかといわれれば、文句なしで金峰山を選ぶ。
ただ、砂払の頭からは岩の上を歩く感じになるので、雨が降ったら相当危険である。注意しなければ大きな怪我をすることになる。
ほかは道も特に迷うところもないし、体力さえあれば楽しい登山が期待できる。
非常に有意義な連休だった。
9月前半の連休は、鳳凰三山に行くつもりだったが、連れが17日に予定が入ってしまいいけなくなってしまった。そこで一泊二日でいい所がないかなぁと思っていたところ、瑞牆山と金峰山が面白そうだったので、そこに決めた。
瑞牆山(2230m)と金峰山(2599m)は奥秩父の名峰である。奥秩父の中でも西のはずれにある。
奥多摩駅から出発し、雲取山~飛龍山~唐松尾山~笠取山~甲武信岳~国師岳~金峰山~瑞牆山と一週間から10日くらいかけて縦走する場合、最後に目指すべき山となる。いつかこの縦走をしたいと思っている。だから、どんなところなのか偵察しておこうを思ったわけである。ちなみに両者とも百名山である。
中央道・須玉インターを降りて一時間弱くらいで、登山口となる瑞牆山荘の駐車場に着く。7時30分。駐車場は無料でかなり広い。しかし、既に1台分くらいしか止める場所がない。みんな早い。
みずがき山荘。この時点で標高1520m。空気が薄いから、気をつけて登らないと高山病になるおそれが。調子こいてガンガン行くと北岳の時のようにおかしくなるかもしれない。
いざ、出発。
奥秩父は奥多摩と違って標高1500m以上の山が多い。だから奥多摩にはあまりないマツ科の針葉樹のシラビソやコメツガが多い。シラビソやコメツガは1500mから2500mのところに生育する。
針葉樹は欲張りで光をめいっぱい奪うから下の方は暗い。だから、苔が生えていかにも森っぽくなる。そして虫がいない。虫好きの私もブンブンと寄ってくるハエは軽くむかつくので、うるさい虫がいないとうれしい。
8時30分。一時間くらいで富士見平小屋に着く。小屋主がいれば、200円払って荷物をデポし、背中を軽くして登るつもりだったが、小屋主は居なかった。仕方なくテントと詰め込んだおよそ20キロ強はあると思われるザックを担いで登ることにする。まぁ、トレーニング、トレーニングと自分に言い聞かせる。
9時00。小屋から30分くらい歩くと水場がある。涼しくて気持ちがいい。
水場から5分くらい登ったところに大きな岩がある。下の方に人がいるから岩の大きさがよくわかる。
岩がまっぷたつに割れているのがわかりますか。この岩、桃太郎岩というらしい。中から桃太郎が出てきたのだろうか。
想像以上にのぼりがきつい。私は鍛えているので、まぁ、大丈夫だが、連れはきつそうだった。小学生くらいの子供が結構いて、頑張って登っているので、大人たるもの弱音は吐けない。
森林を抜けると綺麗な景色が広がる。疲れが吹っ飛ぶほどの景色だった。遠くの台風の影響で湿った空気が吹きつけているので、多少ガスが出ているが、それでも綺麗だ。
とにかく大きな岩がたくさんある。岩、岩、岩、である。多分、地震がきてゴロンと転がったら、即死である。その時はその時であるが。
山頂に到着。10時40分。おおよそ3時間かかった。
私のように大荷物を担いで登っている人はいない。テント泊する人は富士見平小屋に預けているのだろうし、そうでない人はみな水と昼飯だけリュックにいれて登ってきているのだろう。しかし、私はまだまだ体力はある。普段鍛えているからね。連れはすこし死んでいる感じである。
山頂は人で賑わっている。さすが百名山だけあって、すごい人気である。だけど、この景色の良さと登山道の面白さから人気があるのがよくわかる。登山の面白さを味わいたい人にはお薦めの山である。
富士山とか南アルプスとか八ヶ岳とよく見える。北アルプスだってよく見れば見える。
すべて山頂から撮った写真だけど、どれがどれかわからなくなってしまった。ただ、写真より実物のほうが10倍くらいよかった。つれが疲れていたので、頂上で一時間くらい休んだ。
富士見平小屋に戻って、金峰山に向かう。ただ、今日はもう遅いから金峰山にはいけない。そこで途中の大日小屋でテントを張る。富士見平小屋に小屋主がいたから、大日小屋の幕営料を払う。大日小屋までおおよそ一時間くらいかかるらしい。疲れた体には少しこたえる。
15時40分に大日小屋に到着。既にテントを張っている人がいる。
小屋の中を見る。正直言って怖い。こんな汚い(失礼)小屋ははじめてである。泊まるには勇気がいる。
もっと酷いのがトイレである。3つあって一つはドアがない。いわゆる白い便器がなくて、木の床の真ん中に穴が開いているだけの簡素なものである。落ちたら大変。
ドアを閉めてくそをするのがやだったので、ドアのないところでする。多分、人生で一番怖い(もしくは汚い)トイレだったと思う。野糞のほうが100倍くらいいい。
テントを張って、飯を食べて5時には寝てしまった。
つづく。