フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

稲村岩尾根から鷹ノ巣山

2013年09月23日 20時42分29秒 | 登山

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 9月22日、23日に稲村岩尾根経由で鷹ノ巣山に行ってきた。
 予定では鷹ノ巣山の避難小屋で一泊してから、雲取山に登頂し富田新道で下山しようと思っていた。しかし、23日、今日の朝に雨が降っていたから、雲取山に行くのはやめて、稲村岩尾根経由で下山してきた。
 22日は鷹ノ巣山避難小屋の脇でテントを張った。
 鷹ノ巣山付近は通年禁猟区で、それを知ってか野生の鹿が人間を恐れずに、近くまでやってくる。案の定、今回もやってきた。長沢背稜付近では鹿は人間を見るとピーッと鳴いてすぐ逃げるので、ちょっと信じられない。環境は動物の習性を変えてしまうのだろう。
 鷹ノ巣山避難小屋は、8人くらいの団体が遅くまで宴会をしていた。わいわいと楽しそうだった。
 夜、山頂までナイトハイキングをして、八王子の夜景を撮影しようと思っていたのだが、天気が悪くて断念した。そのかわり、酒は飲まなかったが、テーブルでゆっくり話をしながら、秋の森の夜を楽しんだ。
 夜はずいぶん涼しくなって、フリースとダウンを着なければブルブル震えるくらいだった。山はもうすっかり秋である。

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中秋の名月

2013年09月19日 23時52分32秒 | 日々の出来事・雑記

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 近所の公園で撮った中秋の満月。そこで中国人の家族がお酒を飲みながら宴会をしていた。そもそも月見は、中国から伝わってきたそうだ。

 
 月は太陽と比喩的に対比されることがある。眩しい太陽のような女性より、夜空にそっと輝く月のような女性が好きだ、とかね。
 
 また、こんな話がある。
 夏目漱石が英語の教師をしていた時に、生徒が「I love you」を「我君ヲ愛ス」と訳したところ、
「日本人はそんなことは言わないから、『月が綺麗ですね』とでも訳しておきなさい。それで十分伝わるから」と言ったそうだ。明治の人らしい。
 それから、女性に対して「月が綺麗ですね」というのは、告白を意味するようになった、とのことである。だけど、そんなことは誰も知らないだろう。だから、女性にそんなことを言っても、スルーされるだけである。しかし、もしかしたら100万人に一人くらい知っているかもしれない。


 それから、科学的なことをいうと、月は毎年3センチほど地球から離れているそうである。月が地球から離れると、地球の地軸が乱れ、気候がでたらめになり、生物が住めなくなるそうだ。
 
 今日は月についていろいろと考えてみた。


 

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変性意識と自己保存本能の低下 2

2013年09月19日 00時38分49秒 | 社会・政治・思想哲学

 前回のブログでは「偶発的認知型」の変性意識について考えてみた。
 今回は「価値」についてである。

 価値というとかなり広い概念であるが、はっきりと定義はできない。とりあえず、魅力、凄さ、感動とでも言っておこうか。この価値が、変性意識をもたらす。
 
 再度、弱腰矯正読本から、例を引用してみよう。


 1 同級生の友人Nと私は、戦闘機が好きでした。中学二年のころ、たまたま空母に載っている戦闘機が横須賀に来ているということで、一緒にそれを見に出かけました。
 飛んでいる戦闘機を見て、私は「速いなぁ」程度にしか感じませんでしたが、Nは生で見た感動が大きいのか、金網にしがみついて微動だにしませんでした。仕方がないので、私は本を読んで時間をつぶしていたのですが、何度急かしてもなかなか動いてくれず、結局半日付き合わされました。
 それからの彼の目つきには狂人のような輝きがあり、体を鍛え、理系の勉強に励むようになりました。聞いてみたら「本物の戦闘機を見て、この戦闘機に触れるために、自分は生まれてきたことが分かった」と言っていました。

 2 中学生の頃、私はいじめにあっておりました。ある日、それを少しでも紛らわそうと思って、映画館に一人で行きました。二十分、三十分と経つうちに、私は変になってしまったのです。それは何と言ったら良いか、圧倒されて自分がなくなってしまったというか、顔面は火を吹くように紅潮し、体全体が鳥肌を立て、握りしめた両拳はべっとりと汗をかき、気がつくと頬に止めどもなく涙が流れていました。
 映画が終わって帰るときも、足元がふらふらして、酔っぱらいのようでした。
 その上に、その時はなぜか優しい気持ちになっており、恐喝されたら、喜んで持ち金全部を渡してしまいそうな、あるいは、周りの人がすべて親や兄弟のような、何か不思議な気持ちになっていました。

 3 私の職業は助産婦です。病院の年間の分娩件数は約1800件、一日平均5,6名の新生児を取り上げており、私もその中の何百というお産に立ち会ってきました。
 そんな中、我が子の誕生を厳粛に全身全霊をもって受け止め、感動の渦の中に立ちつくす夫に出会うことがあります。絶えまない陣痛に苦しむ妻へのいわわり、生まれてきつつある子への愛情と励まし、その夫の気持ちが切々と伝わってきて、私もまたいつの間にか深く静かな感動の世界に引きこまれてしまいます。
 生まれた瞬間、最も美しい夫婦、親子の姿を見ることができます。それは美しい真実であり、「すべてOK」の世界であり、何をもっても否定出来ないこの世の素晴らしき善いことなのです。
 少なくとも、その瞬間は絶対にそうなのです。


 ここの例に出てくる人たちは、何かの「価値」に出会っている。
 この価値が、日常の防衛意識を薄れさせ、その価値のために命を投げ出してもいいような気分を生み出している。
 つまり、「価値」は、自己保存本能を超えるのである。この価値が変性意識を活性化させるのである。
 例えば、本物の恋愛をしている人、有意義な仕事についている人、幼児を育てている親、日々新たに感謝の気持ちを持ち続ける宗教人、などはその典型である。
 この価値に触れ、変性意識状態にある人にとって、退屈な日常はない。この人達は、自分のことなんて本気でかまってはいられない。自分の信じる価値のほうが重要で、日常的防衛意識が低くなっているのである。
 
 価値を感受する能力が高まり変性意識状態になりやすくなれば、自己保存本能が低下する。 逆に、自己保存本能が強ければ、価値を感受する機会は減ることになる。
 


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変性意識と自己保存本能の低下 1

2013年09月16日 23時45分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 今回のブログの内容については、何の価値判断もしていないことをはじめに言っておかなくてはならない。
 自己保存本能が低下することは良いことでも悪いことでもない。事実としてあるというだけである。
 なぜ最初にこのようなことを言うかといえば、自己保存本能を低下させることは、自分の命を危険に晒すということだからである。
 それを美化することも危険だし、否定することも良くないだろう。人間の本能の中に組み込まれているという事実だけを示したいと思う。

 東日本大震災では、7割の人間が自宅から逃げなかったそうだ。それについては、NHKスペシャル「巨大津波 その時ひとはどう動いた」で説明されている。
 その理由はいくつかあるが、一番多かったのは、正常バイアスというものである。多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲内としてとらえ、心を平静に保とうとする働きのことをいう。簡単に言うと、「私に限っては大丈夫だろう」という根拠ない自信である。
 もう一つは、愛他行動というものである。今日のテーマと関連しているのはこれである。危機的状況に直面すると、自分の命が危険に晒されても、他人を助けようとする行動心理である。高齢者の多かった地区では、多くの人が高齢者を助ける過程で津波に巻き込まれ命を落としたということである。
 このように人間には自己保存本能を低下させ、命を投げ出す場合がある。例えば、太平洋戦争における特攻隊である。

 ところで、自己保存本能低下の前提となる変性意識について、さまざまな例をあげて考えてみたい。
 この例は、弱腰矯正読本という本に書かれている本当の話である。気分の悪くなる記述があるため、嫌だなぁと思ったら読み飛ばしてほしい。
 ただ、ひとつだけ言っておくと、この例を読んで気分が悪い人は、自己保存本能が優位にある人である。平気だという人は変性意識状態になりやすい人だといえる

 
 <やってみたいという願望のケース>
 1 長い階段やエスカレーターを登っていると、後ろから誰かに呼ばれているような気がして、飛び降りたくなってしまう。
 2  自転車で坂道をノーブレーキで走っている時、そのまま最後までブレーキを踏まずに、曲がり角の堀にぶつかって行きたい。
 3  ストーブの上の焼けている所、扇風機、ミキサー、沸騰したお湯に指を入れてみたい、触れてみたい。
 4 走ってくる電車の先頭に頭を差し出して、頭をぶつけてみたい。
 
 <実際にやってみたケース>
 1 痛いだろうなぁと思った次の瞬間、クギをめがけて足を下ろしてしまった。靴の底を突き破り、土踏まずにクギが刺さっていた。
 2  小学校の頃、父の自転車の後ろにまたがっていた。後輪に目が止まり、そこに足を入れたくなった。気がつくと、怒った父の顔とずるむけになった私のかかとから血が流れているのが目に入った。痛くはなかった。
 3 まだお下げ髪にリボンをしていた頃、お兄ちゃんの彫刻刀をこっそり借りて、板の木の模様に沿って削ろうと思っていたところ、何を思ったのか彫刻刀を自分の太ももに刺してしまった。痛みもなくそのまま垂直に刺したままにしていたところ、母がそれに気づき騒ぎ出した。それからやっと痛みがやってきた。
 4 小学校ニ、三年の頃、私は坂の下で遊んでいた。坂の上からオバサンの乗っている自転車が下りてきた。それを見ながら、もしこの自転車の前に女の子(自分)が飛び出してぶつかったら、オバサンは驚き動揺するだろうなぁ、でも痛いだろうなぁ、とおもった瞬間、ふらっと足が出て、見事にぶつかった。周りの景色は逆さまで、思った通り痛かったが、でも妙にワクワクし、予想通りのオバサンの動揺に満足していた。
  
 この著者は大学で教えていて、講義の受講者は毎年2千人前後あるそうである。その受講者を対象に、このような変性意識状態の事例を、9年間ほど続けて収集している。 この収集された事例を元に考察すると、変性意識状態になる基本パターンが浮かび上がってくるという。
 偶発的認知型と呼ばれるパターンである。
 1 偶発的認知 まず、何かをふと見てしまう(気づく、感じる)
 2 注意集中 それをじーっと見てしまう。
 3 誘引反応 そして、吸い込まれるような気持ちになる(目が離せない、釘付けになる)
 4 統制解除 日常生活を支障なく送れるような意識が低下していく。用心深さが薄れる。
 5 意識変容 眩惑感、浮遊感、恍惚感、解放感、一体感、溶解感、高揚感、全能感、が生じる。 
 6 衝動発現 その時に、ふらふらっと何かをしたくなる、もしくはしてしまう。
 7 日常帰還 そして、ハタっと我に返る。 

 この状態の特徴は、日常の理性的な判断ができなくなり、非日常的なわけの分からない何かに取り憑かれてしまう。そして、その状態のときは、恐怖が消え、全能感が生まれる。
 
 長くなってきたので、続きはまた後で。

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変性意識と身体の恒常性維持機能(ホメオスタシス)

2013年09月14日 23時39分30秒 | 社会・政治・思想哲学

 今回は、男女の心理学から始めよう。
 カナダの心理学者が行った実験で、「吊り橋理論」というものについてである。
 独身男性を集め、二つのグループに分け、揺れる吊り橋と安定した普通の橋のどちらかを渡ってもらうという実験を行った。
 その際、橋の真ん中に若い女性がいて、男性にアンケートを答えてもらった。その時、彼女は「結果が気になったら、あとで私に電話を下さい」と言い、電話番号を教えた。
 その後、揺れる吊り橋を渡ったグループの男性については、ほぼ全員から電話があった。これに対し、安定した橋の方からはわずか一割くらいの電話しかなかったということである。
 これは、男性が揺れる橋でのドキドキ感と恋愛におけるドキドキ感を勘違いしたからだそうだ。
 これはいろいろと応用できる。
 例えば、デートにドキドキ感を共有できる場所を組み込むわけである。 お化け屋敷やジェットコースター、急な岩登りのある登山もいいかもしれない。
 このドキドキ感について説明すれば、人間は緊張するとアドレナリンというホルモンを大量に出して、警戒態勢に入る。それは、危険から素早く逃げたり、敵と戦ったりするためである。心拍数をあげ、血中の酸素濃度を高め、素早く運動するためである。それがドキドキの正体である。
 人は恐怖によって緊張するし、人は魅力的な人の前でも緊張する。脳はこの緊張状態の違いをうまく認識しない。ただ、心拍数が上がったという事実だけを認識するのである。
 
 また、この実験のもう一つのポイントは、心拍数があがりドキドキすることと感情の間に関連性があることである。吊り橋の恐怖と心拍数、魅力的な人に対する好意と心拍数などである。 

 ところで、体には自分の意志とは関係なく、自律して体をコントロールしようとする機能がある。
 例えば、走ったら意識しなくても心臓が勝手に激しく動いたり、暑くなったら自然と汗が出るような機能である。このように、自律して体を恒常的に維持しようとする機能を、恒常性維持機能(ホメオスタシス)と呼ぶ。
 もう少しくわしく言うと、外部の環境の変化に合わせ、体温を一定に保とうとしたり、血液中の水分、塩分、糖分、酸素を適切な量に保とうとする機能である。
 
 問題は、このホメオスタシスは、現実の環境の変化のみならず、仮想空間である変性意識状態でも働いてしまうということである。
 例えば、映画を観ていて緊迫した場面になると、心臓が激しく鼓動したり、呼吸が荒くなったりする。また、過去の恥ずかしい出来事を思い出し、冷や汗を流したりする。
 
 洗脳はこれらの体の機能を利用して行われる。
 洗脳といえるかどうか分からないが、さっきの吊り橋の例で考えれば、意図的に女の子を吊り橋に誘いドキドキさせる。次に、お化け屋敷に誘いドキドキさせる。その次は、ジェットコースターという感じである。
 そうすると、女の子は実際は別な理由でドキドキしているのであるが、それを恋愛と勘違いしてしまう。
 このように、ホメオスタシスによって、人の感情をコントロールするわけである。
 
 この洗脳もしくは詐欺に関することは、十分注意しなければならないことであるから、もう少し突っ込んで考えてみよう。
 例えば、霊を利用した洗脳である。
 日本では仏教が伝来する以前から、先祖の霊をきちんと祀らないと祟られるという考え方があった。この深く日本人の深層意識にある考え方を利用するわけである。
 つまり、インチキ宗教家やシャーマンはこう言う。
「あなたは最近お墓参りをしていませんね。先祖の霊が怒っています。私がその霊を鎮魂します。その代わりに、500万円の仏壇を買ってください」と。
  私たちは霊に対する恐怖心から、簡単に変性意識状態に陥る。インチキ宗教家たちは、それをうまく利用して、心拍数や呼吸、汗などの体の変化を起こし、霊の存在を信じさせるわけである。

 また、オレオレ詐欺も同じ原理である。
 彼らが語るウソ話、例えば、息子が事故を起こしたとか痴漢をして警察にいるとかのインチキなストーリーによって、変性意識状態に陥る。そして、その身内の危機にドキドキさせられ、行動をコントロールされるのである。 
 
 仮想空間である変性意識によって、人間の脳は飛躍的に拡大した。 それによって、さまざまなことを想像できるようになった。しかし、それによって他人に行動を簡単にコントロールされるようにもなった。
 その変性意識状態では、究極的には、自分の命すら投げ出してしまうこともある。それが、自己保存本能の低下である。
 それについては、次回説明しよう。 

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ある名もない野良猫の話

2013年09月13日 18時03分55秒 | 日々の出来事・雑記

 昼休みに野良猫に餌をあげている。河川沿いにある鉄鋼関係の工場にたむろしている猫である。もちろん、工場の人達の許可を得て餌をあげている。工場の人達も随分その猫たちをかわいがっている。
 猫は三匹いて、写真はそのうちの二匹である。

 
 CAI_0906  CAI_0908

 この猫は、最近になってやっと触らせてくれるようになった。ちょっと警戒心が強い。とりあえず、猫一と呼ぼう。

 

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 こっちの猫ちゃんは、私にかなり慣れていて、頭を撫でると喜ぶ。こっちを、猫二と呼ぼう。

 
 写真はないが、もう一匹、黒い猫がいた。今日はこの猫の話である。うまく話せるか分からないが、頑張ってみる。
 そもそも、この猫たちは生まれてまだ一年も経っていない子猫みたいなものなのだが、写真に写っていない黒い猫には子供がいたようだ。そのため、警戒心が強く、どん欲だった。
 私に慣れている猫二は、好き嫌いが激しく、肉とか魚とかわかりやすいものしか口にしない。フライみたいなのだと、なんじゃこりゃ、みたいな顔をして、匂いだけ嗅いで食べない。たぶん、人懐っこいから皆に可愛がられ、美味しいものをたくさん食べているのだろう。贅沢な野郎である。しかし、かわいいから一番上等な肉みたいなものを、ついついあげてしまう。わがままだけど、いつも得する可愛い子ちゃんだ。
 これに対して、黒い猫は揚げ物だろうがなんだろうが、なんでもバクバク食べる。見ていて気持ちがいい。一回、人参の煮たやつを投げてみたら、それも食べた。たぶん、子供に乳をあげなくてはならないから、栄養を付けなくてはいけないのだろう。
 そして、この黒い猫は遠くから私のことをよく見ていて、私がやってくるとどの猫よりも速く、元気いっぱいに駆け寄ってくる。
 しかし、絶対に触らせない。というか、触る気もあまりしない。なぜなら、前に手を差し出したら、強烈な猫パンチをくらい、そのひっかきキズで、手から血がでるくらいの怪我を負ってしまったからである。危なくて仕方がない。
 だけど、一生懸命駆け寄ってくる姿が健気なので、ついつい多めに餌をあげてしまう。ただし、あまり猫が食べそうもない外道っぽい餌だけど。
 猫一は、ちょっと警戒心が強いのだけど、私が来るとゴロンと寝転がり、明らかに甘えるポーズをとる。いわゆるツンデレである。このツンデレちゃんも、親密になったら随分かわいい猫になるだろう。

 三、四日前にこの黒い猫が、車に轢かれて死んでしまった。
 道に黒い猫がぺちゃんこになって死んでいたので、もしかしたらあの黒い猫なのではないかと心配していた。案の定、いつもいの一番に飛んでくる黒い猫の姿を見なくなった。
 特別、この黒い猫が好きなわけではなかった。だから、魚とか肉とか美味しい餌じゃなくて、面白がって変な餌を与えたりしていた。
 だけど、他の猫たちと違って、私のことをよく覚えてくれていた。本当に文字通り、遠くのほうで首を長く伸ばして私の来るのを待っていた。
 ここ何日か餌をあげにいくと、そうだ黒い猫はもういないんだ、と思ってしまう。そのたびに餌欲しさに一生懸命走ってくる姿が目に浮かぶ。もうすこし肉とか魚とか美味しい餌をあげてればよかったなぁと思う。
 名もなく生まれ、名もなく死んでいく。誰もこの猫のことなんか気にかけない。
 だから、せめて文章にして、この黒い猫がいたことを、残してあげようと思ったのだ。
 俺はお前のことを覚えてるよと。

 今日、黒い猫が轢かれて死んでいたことを、工場の人たちに話した。最近見なくなったと思ったら、そういうことかと納得していた。
 ぺちゃんこになって、毛皮だけになってしまった猫が、道の端にまだ残されていた。工場の人達は、それを拾ってきて埋めてあげるといった。
 みんな自分の心のなかにある愛情を、どうにか処理しないと前に進めないのだ。そういうとき、人間って悪く無いなぁと思う。

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変性意識の共有

2013年09月12日 20時00分11秒 | 社会・政治・思想哲学

 前回のブログで、変性意識の定義をした。もう一度言うと、変性意識状態とは、現実世界より仮想世界に意識が集中している状態をいう。
 この仮想世界に集中している度合いには強弱いろいろある。そのため、すこしばかり広い定義になっている。だから、ここではより深い変性意識であるトランス状態に、しぼって考えてみよう。
 まず、トランス状態に陥らせる古典的な方法は、音楽と舞踊である。特に、太鼓のようなリズミカルな音楽に合わせて、手を叩いたり足踏みをしたりする。
 原始宗教においてはシャーマンが先頭を切ってトランス状態になっていくと、それに従うように周りの者たちもトランス状態になっていく。

 興味深いことは、世界中の多くの原始宗教において、これに似た儀式がある。それには、何かしらの意味があるに違いない。
 一番もっともらしい説は、音楽と舞踊によってトランス状態になり、一体感を得て、共同体の団結を深めていくという考え方である。

 このような音楽と舞踊の儀式の名残は、日本にもまだ残っている。例えば、


  

 この動画を見て、高揚し一体感を感じたとしたら、あなたも音楽と舞踊によって軽いトランス状態になったといえるだろう。
 
 私は原始宗教においてこのような儀式が必要だった理由について、共同体の団結を深めていくと考える説が妥当だと言った。
 それを裏付ける人類の歴史がある。
初期の人類である狩猟民族は、他の部族との戦いの連続だったそうだ。数十人の小集団で狩りをしながら移動し、戦争を繰り返していた。そのときの死者の13~5%は、他の部族に殺されたと推定されている。
 こうした激しい戦争は、2万年前の氷河期の終わりごろまで続いた。
氷河によって地表がおおわれ、乏しい食糧をめぐって部族どうしの戦闘が日常化していたため、1万年前に農耕が始まるまで、人口はほとんど増えなかったという。
 つまり、このことは生き残るために、戦闘能力を高め、集団が強く団結していなくてはならないことを意味している。
 そして、より強く団結するには、他者の感情を理解する共感能力が必要とされる。 この共感能力を高めるために、音楽と舞踏が使われるのである。
 
 さらに、最近の研究で人間の共感能力について、ミラーニューロンという神経が発見された。この神経は、他者の行動を理解し、その行動を真似ることのできる神経だといわれている。
 最初にシャーマンがトランス状態になる。そして、他の者たちが、ミラーニューロンにより、シャーマンのトランスを真似て変性意識状態になる。つまり、変性意識の共有が行われるのである。
 言い換えれば、シャーマンの神秘体験について、他者が引き寄せられるように神秘体験の追随が行われる。
 このようにして、共同体の結束を固くしていくのである。 
 ちなみに、日本型の口寄せ巫女としてのシャーマンは、この儀式とは少し意味が違うので、後で別に検討しようと思っている。 

 現代においても、このような変性意識状態を利用して、民族の団結を行なう試みがなされている。例えば、中国の抗日ドラマである。
 中国の抗日ドラマは、極悪非道な日本軍が中国人を虐殺し、それを中国共産党が正義の味方になって助けるというジョークのような内容のドラマである。
 しかし、このドラマによって中国人たちは、抗日というキーワードのもとに、民族の団結を強めている。
 ドラマも仮想世界であるから、変性意識状態である。その意識下で、日本は悪だという洗脳がされているのである。
 
 今、洗脳という言葉が出た。そう、この変性意識と洗脳は切っても切れない関係にある。 つまり、変性意識下で洗脳がなされるのである。
 この洗脳の仕方について語る前に、変性意識と身体の恒常性維持機能(ホメオスタシス)の関係について言及しなければならない。
 それについては、また後で説明しよう。 

 


 

 

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シャーマニズムと変性意識

2013年09月11日 23時24分50秒 | 社会・政治・思想哲学

 引き続きシャーマニズムについてである。
 まず、シャーマニズムを語るには、その中心となるトランス状態について考えなくてはならない。シャーマンは、トランス状態になって霊と交信する。目がうつろになり、頭をぐるぐる回したり、変なうねり声を出したりする、あのおかしな状態である。
 このトランス状態は、変性意識の一種である。強い変性意識状態といったほうがいいだろうか。

 そもそも、この変性意識とは何なのだろうか。変性意識については前にブログで書いたことがある。
 ただ、このブログとは違う視点でかつ深く考えてみたい。
 
 変性意識状態とは、現実の日常世界ではなく、頭の中の仮想世界に意識が集中している状態をいう。
 例えば、面白い映画を観ているときは、映画の仮想世界の方に意識が集中しているから、変性意識状態にあるといえる。

 シャーマンは、このトランス状態になる技術だともいえる。マジック・マッシュルームや大麻、LSDなどの麻薬を使えば、簡単にトランス状態に陥ることができる。
 
 ただ、そんなに難しく考えなくてもいい。
 私たちは当たり前のように、昨日行った場所やこれから行くところ、また過去の出来事や将来の自分などを、頭のなかで想像している。その想像の世界にいる状態が変性意識状態なのである。
 この仮想世界をうまく使いこなせなければ、普通の日常生活を送れない。たとえば「昨日貸したお金返して」といって、「昨日のことはわかりません」じゃ、誰からも相手にされない。このように、私たちは、現実世界と仮想世界を行き来しながら、日常生活を送っているのである。
 この仮想世界に対する想像力は、人間の脳が、広い空間と長い時間を把握できるようになったときから生まれたのである。
 例えば、私はアフリカに行ったことはないが、アフリカの映像や本からその場所が想像できる。また、頭のなかで江戸時代に行くこともできるし、将来日本で行われるオリンピックについても想像できる。
 このような仮想空間と過去未来の時間の軸を把握できるからこそ、高度の文明が発達したのである。
 アルツハイマーになった人は、現実世界と仮想世界の境界線がわからなくなり、そこを行き来ができなくなった人ともいえる。
 
 この世界に対する想像が脳内のどこで起こるのか、だんだんと明らかになってきている。
 ただ変性意識といっても広い概念であるから、すべてについては、まだ正確には分かっていない。
 だから、細かいことは、これからの脳科学に委ねるべきである。しかし、変性意識が私たちに与える影響について考えることは重要だろう。
 そこで、その機能について考えてみたい。その機能は、大きく3つある。
 1つは、この変性意識は共有できるということである。
 2つは、体の恒常性維持機能(ホメオスタシス)と密接に関係しているということである。
 3つは、変性意識状態では自己保存本能が低下するということである。
 この3つについては、
後でくわしく説明する。

 
 

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シャーマニズムの機能について

2013年09月09日 18時10分51秒 | 社会・政治・思想哲学

 前のブログで、あの世や霊魂について、自分がどのように考えているのかを明らかにした。それは、シャーマニズムについて述べるためである。
 というのも、科学的な考察を抜きにあの世や幽霊の話ばかりしていると、いろんな意味で誤解されてしまうからである。
 ただ、幽霊がいるかいないかの存在論とは別に、異界や霊魂という観念的なものが私たちにどのような影響を与えるのかを考えることは有意義である。
 例えば、靖国参拝が特亜や日本社会に与える影響、東北の震災で亡くなった人たちに対する鎮魂、震災だけではなく愛する人を失ってしまった遺族の感情などである。
 つまり、本当に霊が存在するかどうかとは別に、祖霊に対し畏敬を示したり、残された者の悲しみを鎮めるために、私たちは何らかの儀式を必要としているのである。その儀式は、一応、異界と交信できる者たちによって行われる。
 このように、重要なのは霊魂の存在論ではなく、残された私たちの気持ちを納得させることなのである。シャーマニズムの社会的機能を考えることは、オカルトでも何でもない。亡くなった人たちへの愛情と別れの一場面であり、人間臭いものなのである。
 肉体が滅び、魂すら存在しなくとも、私たちには亡くなった人への記憶と情愛がある。それと折り合いをつけるために、新たな物語が必要なのである。
 
 ところで、前のブログで、私はシャーマンをあの世とこの世を行き来する人と言った。もう
少し学術的に検討してみよう。
 シャーマンとは、自らの意志で変性意識状態(トランス状態)を作り出し、精霊をコントロールし、精霊に苦しめられている人たちを助けるために、その力を用いる人をいう。
 精霊をコントロールする方法には大きく二つのタイプがあるといわれている。憑依と脱魂である。
 憑依は、あの世もしくは私たちのまわりに漂っている霊魂を、自分の体に乗り移させ、私たちと接点を結ぶ方法である。典型的には恐山のイタコだろう。
 これに対し、脱魂は、自分の体から魂を一時的に離脱させ、天上界や地上界に行き、そこで見たものを語るという方法である。 
 日本のシャーマニズムは、憑依型が多いといわれている。
 
 ただ、わたしは現代において、このシャーマンの定義では狭すぎると思っている。異界へ導き、私たちの記憶を書き換える力を有しているものは、広くシャーマンと言ってもいいのではないだろうか。
 例えば、小説家、精神分析医、優れたアーティストなどである。
 ポイントは、変性意識状態を作り出し、ある神秘体験をさせることによって、内部記憶を書き換え、心を安定させる能力を有した者たちである。
 これについては、後でくわしく書きたいと思う。 

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東京オリンピック開催決定

2013年09月08日 08時55分50秒 | 日々の出来事・雑記

 私は今回は東京に決まると思っていた。マドリッドもイスタンブールもちょっとオリンピックを開催するにはどうかなぁという問題を抱えていたからである。
 もちろん、東京も福島の放射能汚染の問題を抱えていた。しかし、イメージではなく科学的に検証すれば、身体には問題のないレベルである。私は福島の放射能を殊更に騒ぎ立てるのは、犯罪に近いと思っている。
 いみじくも安倍総理は言っている。「ニュースのヘッドラインではなくて、事実を見ていただきたいと思います」と。私もそう思う。
 まぁ、この問題については、皆が感情的になるのでやめよう。
 
 とにかく東京にオリンピックが決まって嬉しい。日本が選ばれた理由は、日本が他国に比べて経済的に恵まれていることが大きい。それは日本国民みんなが遅くまで働いて一生懸命頑張ってきた結果である。また、遵法意識が高く犯罪を起こさない国民性も評価されたのだと思う。一人ひとりがそれに関わっている。
 オリンピックが開催されると、国にいろんな効果をもたらす。
 まずスポーツ教育が変わる。子供に目標ができ、将来に希望がでる。たとえオリンピックに出れない子供も、スポーツ教育によって体を動す機会が増える。それによって、その後の人生を豊かにし、老後の健康状態にも影響を与えるだろう。

 そして、ハード面であるが、東京の道路や交通アクセスがよくなり、今よりもっと住みやすくなる。経済効果もあり、それが地方にもまわる。
 オリンピックが現実に開催されることで、日本のおもてなしの心が世界に広がることになるだろう。
  

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