昨日は暑かった。朝、家を出て自転車を乗ろうとしたらパンクしていた。この間、直したばかりなのにパンクしたということは、チューブがダメになったしまったのだろう。職場は自転車で10分くらいのところにあるのだが、仕方なく走っていった。いつも鍛えているので走ること自体は特に問題はないが、体じゅう汗だくになってしまった。
帰ってきて、ホームセンターに行ってチューブを買い、自分で交換してみた。想像以上に難しかったが、なんとかできた。何でもやればできるものである。ただ、暑いのに外で長い時間ガチャガチャやっていたら、かなり消耗してしまった。手間を考えたら自転車屋にだしたほうがよさそうである。私たちの時代は、できるだけ他人に仕事を委託したほうが効率よく、自分の時間が有効に使えるようになっている。まぁ、それでも、出来ることは自分でやるようにしたいと思っている。いざとなったら誰も助けてくれないのだ。
言葉が軽いなどと文句を言っていた「羊をめぐる冒険」であるが、読み始めたら面白くて、結局、読み終わってしまった。多分、トータルすれば4,5回読んでると思う。しかし、かなり忘れた部分があった。途中から題の通り、羊をめぐって話が展開してくるので止まらなくなってしまう。その辺はさすがである。
村上春樹の小説には、不思議な感じのする美しいシーンがちょくちょく出てくる。羊をめぐる冒険では、ガールフレンドが「耳」を解放するシーンだろうか。何年か経って、話のすじを忘れても、そういうシーンだけは覚えているから不思議である。
6月26日に奥多摩の天祖山に行ってきた。頂上に11時頃着いてしまい楽すぎるので、もう少し遠回りしようということで、水松山から長沢背稜を通ってタワ尾根を降りてきた。
曇っていて気温も上がらず、快適な登山だった。相変わらず虫が多かったが、ハッカ油を腕と顔に付けたら寄ってはくるものの、くっつかない。体によくなさそうな虫除けスプレーを使うくらいなら、天然のハッカ油のほうがいい。ただ、顔に付け過ぎるとスカスカして目が開けられなくなるから注意が必要だ。
滝谷の峰ヘリポートから撮った写真。雲というかガスが下の方に広がっている。なかなか幻想的な風景。
ミズナラの巨木。霧のため見通しが悪い。クマみたいな動物が横切る。ただ、白かったのでクマではない。さすがに奥多摩には白くまはいない。わんわんといっているから、大型の狩猟犬だろう。猿がいたので追っかけていたのかもしれない。
ビビり過ぎのクマちゃんの映像。
クマって、臆病でそんなに怖くない。どうしてみんなあんなに怖がるのだろう。近寄れば危険だろうけど、遠くで眺めているだけなら、害はないような気がする。
今日は夏至である。一年で一番昼間が長い。夏至とは特に関係がないのかもしれないが(多分関係あるね)、30℃を超えるらしい。今日あたりクーラーを使う人が増えるのではないかと思う。節電しなければと思っても暑ければつけてしまう人が多いと思う。私もついついつけてしまいそうである。
これから熱くなって真夏日が続けば、東京で大停電が起こることも否定出来ない。停電は電力消費量の多い昼間の時間帯に起こる可能性が高いが、大停電になれば、オフィスでは仕事ができなくなるし、そうかといって家に帰ろうとすれば電車は止まっているから帰れない。東京は電車が止まると簡単に混乱してしまうので帰宅難民の問題がまた起こるだろう。もちろん家に居たとしても、テレビが使えなくなれば情報は手に入らず、クーラーも扇風機も使えないから、熱中症になる人も出てくるかもしれない。
別に不安を煽る気はないが、可能性がある以上、停電になったときのシュミレーションをしておくことが必要だと思う。
ベーシックインカムについて、私がいろいろ言うよりニコニコ動画にいいのがあるので、アップした。全部ではなくて一部なので、面白いと思ったら全部YouTubeで見ることをお薦めする。
個人的な意見として、ベーシックインカムの難点は、財源をどうするかという問題とエネルギー問題をどうするかという点である。石油をエネルギーとするなら、石油を他国から買い続けなければならず、日本の富が海外に流れていくから、国民に分配できなくなるだろう。
私の持っている小飼弾氏の「働かざるもの、飢えるべからず」によれば、財源は相続税100%でなんとかなり、エネルギーは100%太陽光エネルギーにすることで解決すると書いてある。まぁ、本当に出来るかどうか分からないが、考えるに値することだろうと思う。
ホリエモンと小飼氏の元「オン・ザ・エッジ」チームは本当に頭がいい。
今日、松本人志監督の「さや侍」を観てきた。結論から言うと、ここ最近観た映画の中でも一番面白かった。
内容について詳しく書くと最後の展開が楽しめなくなるのでやめておく。映画にどういうものを求めているのかにもよるが、映画館でお金を払って観るだけの価値は十分にあると思う。特に娘のいるお父さんは、泣いてしまうと思う。私は娘がいないのに泣いてしまった。
松ちゃんの前2作は観ていないのだが、三作目にしてやったなぁというのが率直な感想である。どちらかというと日本人よりアメリカ人の方が好きそうな内容である。だから、ハリウッドでも相当高い評価がされるにちがいない。
共同幻想論の巫女論を読んでいたら、こういう記述があった。
「おそらく巫女が所有する能力が共同幻想をじぶんの<性>的な対幻想の対象となしうる能力であるのにたいして、シャーマンの能力は自己幻想を共同幻想と同化させる力だという点にある。巫女はしばしば修行中にも<性>的な恍惚を感じうるだろうが、シャーマンでは心的に禁圧された苦痛がしばしば重要な意味をもつだろう。なぜなら本来的には越えがたい自己幻想と共同幻想との逆立ちした構造をとびこえる能力を意味するからである」
抽象的で難しい文章である。そもそも、自己幻想、対幻想、共同幻想の正確な定義がよくわかっていない。ただ、この文章を読むと脳みその知的好奇心の部分が刺激され何かを考えたくなる。私にとってはそのほうが重要だ。
巫女の所有する能力が、「共同幻想を性的な対幻想の対象となしうる能力」というのはなかなか面白い。私なりに簡単に言うと、巫女になりうる女性はリアルな男性と恋愛するだけでなく、「社会的なモヤモヤとした想念のようなもの(共同幻想)」と恋愛できるということである。女性が、特定の男性に向けておしゃれをするのではなく、世間に注目されるためにおしゃれする感覚がそうなのかもしれない。私は、この巫女論の記述を読んだ時、AKB48のことを考えた。彼女らは、特定の男性ではなく、アキバのオタク(それ以外の男性も)の想いのようなものと恋愛しているのである。そのようなことができるタイプがアイドルになるともいえる。社会に注目されるより特定の男性と恋愛するほうがいいと思っている女性は、アイドルとして成功するとは思えない。男のいる女性に興味はないからである。巫女とアイドルはよく似た関係にあるのではないかと思う。
このような現象が社会的にどのような影響を与えるのかよく分からないが、あれだけ不特定多数の男性を熱狂させるのだから、何らかの作用があるに違いない。
それに対して、シャーマンの能力は「自己幻想を共同幻想と同化させる能力」だと言っている。これは、どちらかというと作家の能力に近いのではないかと思う。作家は無意識的に社会に漂っている言葉に出来ない問題点を、自己の内面に取り入れ咀嚼しそれを文章にして表現する。この能力は、共同幻想と自己幻想の同化である。それには、苦痛が伴うだろう。社会の問題を自分の内部の取り入れるのだから。
古本屋で買ってきた吉本隆明氏の「共同幻想論」をパラパラとめくってみる。この本はこれから先も長いスパンで読み継がれていくだろうなぁという予感がする。
大学の授業で無理やりこの本を買わされて、何だこれはさっぱり分からないじゃないかと思ったのが、この本との出会いである。しかしながら、分からないながらも、遠野物語や古事記など例にあげながら、また、マルクス、ヘーゲル、フロイトなどの思想をも駆使しながら丁寧に論述されていることに、ある種の畏敬の念を抱いていた。吉本氏がよしもとばななの父親ということも興味をひいたひとつだと思う。
小林秀雄は、個人の体験や内面を徹底的に追求することによって、狭い道から広い人間社会という道につながり、それが政治思想を創りだすのだと言っている。しかし、吉本氏はそのように方法では、戦争に突入していった愚かな日本の政治を、変えられなかったではないかとの問題意識がある。彼は、戦中に学生だったが、日本の愚かな政治状況を見抜けなかった。それは、相対的な視点、つまり外側から客観的に自分たちの状況を把握する視点が欠けていたことが問題であったことに気づくのである。だから、文学的な人間の内面だけを追求するやり方だけでは、不十分だとするのである。
共同幻想論は、国家の成り立ちを根源的なところから考える壮大な試みである。戦中に日本国民を抑圧した国家という存在の謎を解明しようとする試みであるとも言える。
つまり、人間の自由をより良く享受しようと思ったら、私たちを守ってくれる国家という安全装置を作り出し、そこで安全に生活するのがいい。しかし、その国家が逆に私たちを抑圧する装置にもなりうる。その矛盾した関係を、自己幻想(個人の内面の問題)、対幻想(男女間、家族の問題)、共同幻想(国家、規範の問題)に分けて、論証していく。
日本人は、敗戦の時にうやむやにされてきた思想的問題をまだ解決出来ていない。戦争に負けたとき、まず最初にやらされたことは、戦争をした人たちを否定することである。つまり、それは、自分たちを命がけで守ってくれた身内の戦士たちに唾を吐きかけることである。
命がけで守ってくれた人たちをないがしろにしてはいけないと考える人たちは右に行き、戦争という人殺しは絶対に悪いんだと考える人たちは左に行った。どちらの言い分もそれだけを取り出せば正しいのだが、両者は引き裂かれ分裂してしまった。
戦後の日本はこのような問題を曖昧にしながら、経済発展という新たな目標を見つけて皆一生懸命頑張ってきたが、バブルがはじけ経済発展もままならなくなり目標を失ってしまった。国家としてどう進むべきかわからなくなって、またこの問題が表面化してきたのだと思う。みんな忘れているが、そもそも民主党が参議院選挙で負けてねじれ状態になったのは、鳩山由紀夫の普天間問題の曖昧さが原因である。あそこで民主党が勝っていれば、少なくとも今のような法案が通らないなどという政治的混迷はなかった。
ただ、護憲派の旧社民党の人間を多く抱え込んだ民主党は、自衛隊の処遇という問題をいつも喉元につきつけられている。特に、東北の地震で自衛隊に助けられたあと、どうするのだろうか。軍隊の問題を曖昧にしたままで、政権を維持していくことは難しい。いつか普天間のような問題が再燃する。そうなれば、誰が総理をやっても民主党政権は、短命に終わってしまうだろう。
これからの日本の共同幻想(国家観)を、どのように作り出していくかをはっきりさせなくては、日本人の精神的安定は望めない。日本の歴史をもう一度検討しつつ、日本の進むべき方向を考えていかなければ、本当の意味での政治的混乱はなくならないと思う。
吉本氏の仕事は、共同幻想(国家観)の成り立ちを分析することで、これからの国家観をどうつくっていくかのヒントを提示している。この問題意識を私たちは有効に受け継いでいかなくてはならないだろう。
彼は外国の思想を翻訳しコピーしただけではない日本人固有の稀有な思想家であると思う。
今週末、一泊で奥多摩の長沢背稜にシャクナゲを見に行った。具体的には、
1日目 東日原~一石山神社からタワ尾根で~ミズナラの巨木~金袋山~篶坂ノ丸~ウトウの頭~水松山付近でビバーク
2日目 水松山~長沢山~芋ノ木ドッケ~雲取山~七ツ石山~鷹ノ巣山~水根沢林道を通って水根バス停
今年の冬に酉谷避難小屋に泊まったときに、一緒にいたおじさんがタワ尾根のミズナラの原生林はいいよと言っていた。また、おじさんはかわいい子熊も見たと言っていた。熊はミズナラの実、つまり、どんぐりが大好物なので、その辺をうろうろしていてもおかしくはない。天目山・酉谷山から雲取山までの広い範囲は、野生動物の保護区になっていて猟はできない。だから、鹿もたくさんいる。鹿は何匹も見た。野生動物は、熊も含めて基本的に臆病なので近くにいて驚かさない限り、それほど危険ではない。必要以上にビビるのは良くないと思う。私は熊がみたくてみたくて仕方が無いので、ぜひタワ尾根に行ってみたいと思っていた。残念ながら今回熊を見ることはなかったが。
小川林道が通行止めになっていた。だから、一石山神社の先はいけない。一石山神社がタワ尾根の入り口になる。タワ尾根に入ってすぐに悪路になってしまい、道に迷う。コンパスで方向を確かめながら進む。道なき道を進みながら、なんとか踏み跡の付いた道にたどり着く。コンパスを使いこなせると道迷いの不安が軽減される。
きれいな新緑。本当に力がみなぎってくる。不思議。
有名なミズナラの巨木。どれくらい古いのか分からない。まぁ、縄文杉ほどではないだろう。
この辺で写真を撮っていたら、ハエが異常に多くてびっくりした。5分位じっとしていたら、2,30匹どころか4,50匹くらい群がってきた。マンガみたいに黒い影となって頭の周りにまとわりつく。
秩父は蜘蛛が多い。そのかわりハエはいない。奥多摩は蜘蛛はあまりいないがハエが多い。どちらがいいかは迷うところだが、やはりハエの方がうっとうしい。そういえば、昔の人は蜘蛛のことをあまり悪く言わなかった。「夜蜘蛛よく来た」なんてことをばあちゃんが口ずさんでいた事を思いだす。虫を駆除してくれる蜘蛛は、人間と親和性が強いのだろう。ハエは食べ物にまとわりつき病原菌を運ぶし、刺したりするわけではないが本当にうっとうしいから。
ウトウの頭は、可愛らしい絵馬みたいな山頂表札。誰かが一生懸命描いたみたいな感じが微笑ましい。この表札を見たとき、思わず笑ってしまった。そもそも、ウトウってどんな鳥なんだと思うけれど。
ウトウの頭を過ぎると、すぐに、これなんて言うんだっけ、トロッコというかモノレールというかよく分からないが、とりあえずレールと呼ぶが、これが出てくる。このレールをずーっと伝って歩いて行くと、当然、終点になるが、その終点から何分か歩くと、すぐに長沢背稜がみえてくる。
長沢背稜の標識。長沢背稜に着いてしまえば、よく知った道で怖いことはない。
長沢背稜の水松山の付近は、ミズナラ林が広がっていて、平らな場所がたくさんある。そこで三時頃、テントを張って一泊した。飯を食べて5時には熟睡していた。山は疲れるのだけど、休憩もたっぷりとるので、次の日は、前の日以上に体が動く。
ツツジとシャクナゲ。シャクナゲは少しだけ遅かったかなぁと思う。先週は台風が来て行けなかったから仕方がない。派手さはないが、気品高くひっそりと咲いている。なごむ。
カラマツの新緑。緑が素晴らしい。
鷹ノ巣避難小屋。たくさんの登山者が昼飯を食べていた。私も端のほうでおとなしく昼飯を食べる。皆、わいわいと楽しそうだ。
水根沢林道は、沢沿いの道であり、下は深い谷になっていて、狭くて崖のようなところが多い。足を踏み外し落ちたら多分死ぬ。道も軽く濡れていて、岩場や木の根のところは滑りやすい。奥多摩でも1,2を争う危険な場所である。しかし、景色はすごーくきれいである。日本庭園のような風景である。
壊れた橋。濡れててすべるし、グラグラしている。いつかダメになってしまうだろう。直さないとね。
水根沢林道コースは去年の今頃に登って、高山病なんなのかなんなのかよく分からないが、具合の悪くなった登山道である。それとあの崖の道が少し怖くて、ちょっと敬遠していた。しかし、気をつけてゆっくり歩けばなかなか素晴らしいコースである。お薦めとまではいかないが、行くだけの価値がある。