4月27日に雲取山、4月29日に両神山に行ってきた。両日とも天気が良くて、気持ちが良かった。どちらの山も何回も登っているので、写真は撮らなかった。だから、写真はアップしない。
今年に入って、新しいパソコンをいじりまわすのが忙しくて登山に行く回数が減ってしまった。少し脂肪がついてきて体重は増えたが、トレーニング自体は毎日欠かさずやっているので、体力は落ちていないと思っていた。しかし、トレーニングと実際に山に登るのは全然違う。日帰り登山にもかかわらずかなり疲れてしまった。
ゴールデンウィーク後半は、縦走登山に行くつもりだが、大丈夫だろうか。すこし心配。
かなり節制して同年代の人間より丈夫で健康だと思うが、それでも少しづつ体が衰えてきているのがわかる。自分の体の変化を敏感に意識しているからこそ、それがよく分かる。ただ、衰え自体はそれほど悲しいことではない。アンチエイジングという戦いは、どんな者も必ず負ける。単に遅らせることに成功するだけだ。しかし、負けることがわかっていても戦い続ける姿勢が大事なのだと思う。
やっぱりきつい状況に自分をもっていくと、辛いが楽しい。性格的にそういうのが好きなんだなぁと思う。
オウム真理教の信者の洗脳を解いたことで有名な苫米地氏によれば、変性意識とは、臨場感を感じている世界が物理的な現実の世界ではなく、映画や小説といった仮想世界にある状態である、という。
ちょっと難しい言い回しだが、簡単にいえば、意識が妄想の世界にいっている状態をいう。脳機能学者の苫米地氏らしい言い回しである。脳の内部で起こっていることを基準に定義している。
私が問題にしている「変性意識」はもう少し限定的だ。
すなわち、変性意識とは、自己保存本能が低下した状態をいう。もう少し簡単にいうと、死ぬのが怖くない状態である。頭がぶっ飛んだ状態だ。
私たちは、状況が整えば、思ったより簡単にこの変性意識状態になる。
例えば、記憶に新しいのは、東日本大震災で、自分の命が危ないにもかかわらず、高台への避難を呼びかけた防災放送担当の女性職員である。この女性職員は、完全に自己保存本能が低下している。このような危機的状況では、変性意識状態になりやすい。
また、飲酒、麻薬摂取、瞑想、音楽、映画、小説、洗脳などでも変性意識に陥る。
男は戦争の時に変性意識になりやすく(特攻隊など)、女性は育児をしているときに変性意識になりやすい(自分の命より子供を優先)。
この変性意識は、宗教とも密接に関連している。宗教は個人をこの状態にもっていくための装置になっている。宗教は命の大切さを説きながら戦争を否定しない。むしろ、戦争を増長する。キリスト教とイスラム教の争いを考えれば明白だろう。
もし、人間が自己保存本能を優先する遺伝子しか持っていなければ、子供を育てることはできず、簡単に滅びてしまうだろう。また、戦争で自分の命を投げ出し仲間を守る人がいなければ、敵からの侵略を防ぐことはできない。
この世には自分の命より大切な価値がある。私たちは、その価値を守る本能が備わっている。その本能を呼び起こすのが、「変性意識」である。
最近、ネット右翼(ネトウヨ)という言葉を目にする事が多い。また、メディアや共産党など特定の思想をもった人をサヨクといって馬鹿にすることもある。ただ、使う人によってその意味が微妙に違う。
一応、私にもそれについて考えがある。しかし、他の人の使う概念とは全く違う。一番影響を受けたのは、「弱腰矯正読本」という本である。かなり衝撃的な本で、私がここ十年くらい読んだ中で一番影響を受けた本である。
簡単に、定義すると、右翼とは非合理主義者、左翼とは合理主義者である。
もう少し詳しく言うと、右翼とは自己保存本能よりも自分の信じた価値を優先する人またはそのような考え方(利他的)で、左翼とは、自己保存を図るために合理的に行動する人またはそのような考えかた(利己的)をいう。
これから、その概念についてちょっと説明してみようと思う。
まず、共同体内部に利己的な人間と利他的な人間がいた場合、その中では利己的な人間が有利である。利己的な人間は人の良い利他的な人間を利用し食いつぶすからである。
例えば、自分の利益ばかり考える利己的な会社の社長がいて、人のために頑張る利他的な従業員がいたとする。そうすると、会社の社長が、従業員を食い物にして自分の利益を伸ばす。
しかし、共同体同士の戦いになった場合、それとは逆になる。なぜなら、利己的な人間は自分の利益にならないので戦わないが、利他的な人間は共同体のために命を投げ出すからである。だから、国と国の戦争になった場合、利他的な人間の多い国のほうが強いのである。
人間はどちらか一方ではなく、本能的にこの利己的・利他的な両方の側面を持ち合わせている。なぜなら、状況によってそれを使い分けないと、うまく生き延びられないからである。
人間がまだ狩猟民だった頃、数十人単位の部族が移動しながら狩りをしていた。その頃の人間の遺骨を調べると、その13%くらいの人間が戦いによって殺され死んでいたことが、最近の考古学の研究で明らかにされている。これは、数十人単位の部族同士が狩りをしながら、獲物をめぐって激しい争いをしていたことを示している。
本来、人間は利己的な状態が基本である。自分の命を長らえさせるためには、利己的に行動するのが合理的だからである。しかし、共同体の争いが日常的な場合、先に述べたように、利他的な部分がなければ、部族が消滅してしまう。
そこで、共同体の団結力を強くするために、利己的な人間を利他的な人間に変えなければならない。そのために、何らかの要素が必要となる。
例えば、わかりやすいところで、愛情があげられるだろう。愛する家族のために命を捧げるというものだ。しかし、それだけでは足りない。共同体のために命を捧げるように意識を変えるためには、何か儀式のようなものが必要である。それがいわゆる原始的宗教である。どんな未開の部族にも宗教的な儀式がある。その儀式によって、団結力が増し共同体に命を捧げるようになる。そのような利他的な精神状態にもっていくために、音楽や麻薬が使われる。それは、ある種の洗脳である。
私の定義によれば、利己的な人間は左翼的人間を示し、利他的な人間は右翼的な人間を示す。どちらが正しくてどちらが間違っているということはない。先に述べたように、人間には両方の側面がある。
共同体が安定していている時は、自分の利益を優先させる合理的利己的人間が多くなる。つまり社会の左翼化である。しかし、共同体同士に緊張感があり争いが始まるときには、その共同体は右傾化する。
現在の日本に当てはめてみれば、それがわかるだろう。
NAVERまとめに面白い記事があった。「人の悪口を言うと自分が傷つく」というものだ。
私たちは言葉によって世界を認識している。だから、言葉は脳の枠組みをつくる。
ただ、言葉はもともと自分の感情を相手に伝えるために生まれた。だから、世界を認識する機能だけではなく、他者と共感する機能もある。
言葉は人の感情に訴えることができる。そして、その湧き上がった感情を記憶する。
ここで問題となっているのは、悪口である。悪口は言葉による暴力である。それによって人は傷付けられ、それを記憶する。
私たちは、自分と他人を区別している。当たり前だが、自分に対する悪口か他人に対する悪口かくらいはわかる。しかし、潜在的な脳の働きは、人に言った悪口も自分に言った悪口も同じらしい。つまり、人に言った悪口が自分に跳ね返ってきて自分が傷つくことになる。それが、いわゆる「脳には主語がない」ということである。
このことが科学的に正しいのかよくわからない。科学的根拠が示されていないからだ。しかし、それにもかかわらず、この考え方が好きだ。経験的に、人に対する悪口で自分自身が幸せになることは、あまり考えられないからだ。
このまとめの記事によれば、タイガーウッズは、対戦相手がここ一番の大勝負のときに、相手がうまくいくように祈るそうだ。脳は潜在的にその祈りを記憶し、結果的に自分のプレーに対する祈りになる。そして、自分のプレーのときは、うまくやれるようになる。
この考え方の真偽はともかくとして、こういう考えは、本人を幸せするだろう。相手に対する呪いは自分を縛り、相手に対する祈りは自分を高める。
私も憎い相手にもこのようにできたらいいと思っているが、なかかな難しい。
私にも、もちろん中学・高校時代があった。辛いこともあったが、おおむね幸せな学生時代だったと思う。バカども達と騒ぎ、笑い、ちょっと切ない恋もした。そんな純粋な友情を育むことができるのも、若いうちだけである。若さゆえの純粋さがそうさせるのだろうし、また親たちの経済的援助おかげでとりあえず生きるための戦いをしなくてもよかったからだろう。
私にも、親しい友人が何人かいる。しかし、ほとんど会うことはない。それは、いま自分自身が生き延びていくのに必死だからである。そして、友人たちも必死に戦っている。会わなくてもわかる。それが親友というものだ。そして、今、彼らのことを考えている。それだけでもこの本を読む価値はあったと思う。
ここに折り目のないまっさらな折り紙がある。それを間違って折ってしまった。その折り目はもう消えない。例えば、あらかじめ鶴の折り方がわかっているのなら、その通り慎重に折ればいい。しかし、誰も折り方を教えてくれない。出来上がった鶴を見ながら、なんとか真似て折るしかない。それは、間違えるに決まっている。傷は残る。
人生も同じようなものである。手探りで進むしかない。だから、必ず間違える。自分で間違え傷つくこともあるし、他人の間違いで傷つけられることもある。
しかし、何回間違えても、いくら傷がついても、鶴は完成できる。諦めなければ。
村上春樹の今回の新作は、復活の物語である。高校時代の親友たちに、突然理由もわからず仲間はずれにされた主人公が、36歳になってその理由を探っていく話である。
友人たちも皆、それなりの成功・挫折があり、それなりの傷を負っている。そして、生きるために必死だ。15年以上会っていないにもかかわらず、ちょっと話しただけで、お互いを理解し合う。その言葉にならない無言の連帯が主人公の心を温める。
物語の登場人物だけでなく、私たちだって、人生の中で忘れることにのできない傷を負わされることもある。戦いは勝つこともあるし負けることもある。死にたくなるほどの絶望もある。
しかし、そこに一本のすがるべき藁があったら、人間は戦えるものだ。その藁を見つけられれば。
なんとなく中島みゆきの歌を思い出した。
ファイト、戦う君の唄を戦わない奴が笑うだろう
ファイト、冷たい水の中を震えながらのぼってゆけ
人によっては恋愛小説のように読むかもしれないし、ミステリーとして読むかもしれない。どちらにしても面白かった。アマゾンのレビューで酷評している人の意味がわからない。とにかくおすすめする。
PS 小説の中に地元の新潟の三条市が出てきてびっくりした。ちょっとだけどね。
核融合発電の基礎研究を行っている土岐市下石町の自然科学研究機構・核融合科学研究所は9日の会見で、世界最大の超伝導核融合実験装置である大型ヘリカル装置を使った高温プラズマ生成実験で、1立方センチ当たり10兆個の密度でプラズマの原子核(イオン)温度が8500万度、電子温度が1億5千万度をそれぞれ記録し、今までの研究記録を更新したと発表した。10~12日に同研究所で行われる昨年度研究成果報告会で発表する。
イオンの最高温度は、昨年11月27日の実験で確認された。超高温にプラズマを加熱する運転方法の改善で、2011年に記録した最高温度8千万度を500万度上回った。
電子温度は、昨年11月13日の実験で確認。加熱するマイクロ波の周波数をこれまでの77ギガヘルツから154ギガヘルツに倍増させた新しい加熱装置の導入で電子の加熱が可能になった。1立方センチ当たり10兆個の密度で、これまで最高だった1億万度を5千万度上回った。
将来の核融合発電炉では、1立方センチ当たり100兆個以上の密度で、イオン温度と電子温度が同時に1億2千万度を超える超高温プラズマ状態を達成する必要がある。今まで使ってきた水素ガスを重水素ガスに変えるとプラズマの性能が向上するため、同研究所は重水素実験の早期開始を求めてきた。
小森彰夫所長は「重水素実験で最終目標を達成するには、6~7年はかかる」と話していた。
岐阜新聞
(コメント)
核融合は、核分裂とは全く違う。基本的に、太陽の中心核で起こっている現象と同じで、これができれば地球内に小太陽を作ることになる。
核融合の利点をいくつかあげてみよう。
まず、核分裂と違って連鎖反応がなく暴走しない。また水素のような地球上にたくさん存在する資源を使うからエネルギー資源の争いが起こらない。さらに、核分裂原子炉にくらべ、高濃度の放射能がでない。
しかし、記事にもあるように1立法センチ当たり100兆個以上の密度で、イオン温度と電子温度が同時に1億2千万度を超える超高温プラズマ状態を達成しなくてはならない。それが、難しい。
この技術が実用化できれば、世界のエネルギー問題は解決するかもしれない。エネルギーなどに関する日本人の技術はすごい。ほとんどオタクである。
北朝鮮が韓国に向けてミサイルを発射すると威嚇をした。このような緊迫した状態が続くようであれば、朝鮮半島の統一は、ドイツのように平和的に成し遂げられないだろう。どちらかが力によって制圧するか、このまま別の国として分裂したままかの選択肢しかなさそうである。ただ、日本としては分裂したままでも特に問題はない。
日本が円高デフレで苦しんでいる間に、韓国は経済的に成長した。その経済的優位を武器に北朝鮮を取り込んで朝鮮半島を統一しそうな勢いであった。しかし、北朝鮮は核を開発し他国を牽制しながら、ギリギリながらも国を維持している。統一は簡単にいかない様子だ。
北朝鮮が韓国へ攻撃する理由はいろいろあるのだろう。ただ、国家といえども、理性ではなく感情で動く場合がある。それは歴史が証明している。
北朝鮮の無意識的な国家的感情を読み取ると、ある種の近親憎悪がそこにある。同じ民族の一方だけが裕福に暮らしているのは許せないという複雑な感情である。
国家を離れて、個人について考えてみよう。
例えば、給料について違う会社の従業員同士が話をしている場合と同じ会社の従業員同士が話をしている場合に、給料の金額に差があった時、怒りを感じるのはどちらだろうか。明らかに同じ会社の従業員同士で話しをしている時である。二人に能力に差があってその金額の違いに合理的理由があったとしてもである。
このような近親憎悪は共同体内部を分裂させる。そして、それをを対処療法的に解消する装置が平等である。しかし、出る杭を打つタイプの平等は、自由な行動が阻害される。なかなかその兼ね合いが難しい。
サッチャー元英国首相が亡くなられたそうだ。87歳だから大往生といえるだろう。ただ、晩年は夫の死も忘れるほど認知症が進行していたそうだ。
老年期の衰えは、まず足の衰えとして現れる。足が衰えて行動範囲が限定されてくると、内臓機能や血管が衰え、認知症となる。
最近の研究によると、認知症の原因は体の糖化にあるといわれている。本来、脳の老廃物を取り除く機能が、体の糖分を取り除くことに使われ、脳に老廃物がたまり、認知症になる。このように糖尿病と認知症は深い関係がある。
糖尿病は、食事と運動不足が原因である。
だから、糖尿病の予防は食事制限と運動で行う。基本的に認知症の予防も同じである。
しかし、その時、足が衰えていては、運動ができない。というか、順序が逆かもしれない。足が衰えて運動ができず、体の糖分が処理できないことで認知症が進むという流れである。
老化を防止するためには、足を鍛えろというのが私の持論であるが、言うは易く実行は難しい。
というのも、私たちは足の衰えを気づきにくいからだ。今度、自分の歩いている時の筋肉の使い方をよく観察してみるといい。いろんな部位を使ってバランスを上手とって歩いている。私たちの体は本当に機能的にできている。
同じ筋肉だけ使っていると、すぐヘタってしまい、長く歩くことができない。だから、いろんなところに力を分散させて歩く。それゆえ、筋力がかなり衰えても十分歩くことができる。だから、衰えに気づきにくい。あっと思ったら、ふらふらトボトボし始める。そうなったら、もう手遅れに近いわけである。
走るという動きの中には、飛んで両足を地面から離す瞬間がある。
歩く動きには、片足で立つ動作がある。
立つという行為は、両足で体を支えることである。
飛べなければ、走れない。片足立ちができなければ歩けない。両足立ちができなければ、寝たきりである。このように衰えには順序がある。
歩くことについていえば、片足で安定した状態が保てなければ、歩幅が短くなり、とぼとぼとした歩きになる。しかし、片足で体を支えられる筋力が十分にあれば、歩くことは簡単だ。だから、きちんと歩くためには片足で体を支えるだけの筋力をつけることが必要となる。それには単にウォーキングだけするのではなく、筋力を衰えないようにするための工夫が必要である。たとえば、スクワットや腿上げなどである。
認知症になりたくなかったら、体を動かすことである。べつに特別なことではない。しかし、続けることは難しい。
橋下大阪市長と週刊朝日のバトルが再燃したそうだ。
正直、前回の週刊朝日の問題の記述については問題があったと思う。
しかし、一般論としてマスコミは書くべきことはきちんと書かなくてはいけない。そのために表現の自由が保障されているのだ。
ちょっとくらい脅かされてもそれに屈してはいけない。ただ、嘘はいけない。嘘の事実に基づいて記事を書いて、そのため発行部数が伸びたとしたら、その利益の倍くらいの損害賠償を認めるのが妥当だと思う。
また、例えば、特定の地域の人たちや特定の外国人について差別があるとする。たしかに、差別は良くない。しかし、ある差別されていると主張する団体が犯罪に関わっているとすれば、差別問題はとりあえず置いといて、それに切り込んでいくことがマスコミの仕事である。その団体のワーワーうるさい主張や恫喝にも屈してはいけない。
権力をもつ者に対しても果敢に挑んでいくのがジャーナリストというものである。そのような勇敢な者たちを守るのが、表現の自由である。
しかし、マスコミがその役割を果たしているようには思えない。しっかりしてくれという感じ。
前にも書いたと思うが、エネルギー資源の重要性について、ちょっとおさらい。
エネルギー資源は、石油、石炭、天然ガス、原子力が主なものである。石油は自動車・航空機などの燃料やプラスチック製品に、石炭は製鉄、天然ガスは発電などに使われる。
社会実情データー図録 主要国のエネルギー源構成
このエネルギー資源はいろんな用途に使われる。
例えば、私たちの食料生産に必要な窒素肥料には、かなりのエネルギー資源が使われている。
窒素はタンパク質を構成する要素である。つまり、窒素は生物が体を維持するために必要な栄養素で生物にとって不可欠な要素である。
しかし、窒素のほとんどは大気にあり生物はそれを利用できない。そこで、植物が動物の排泄物や死骸から窒素を取り込んでタンパク質を作る。それを私たちが食べるか、もしくはその植物を食べた牛や豚を食べるという方法で体にタンパク質(窒素)取り込む。また、大豆などの豆類は根リュウ菌を利用して窒素を取り込むことができる。このように、その私たちの排泄物を植物が取り込みそれを人間が取り込む流れを、窒素循環という。
しかし、この窒素循環では十分な食料が生産できない。そこで、20世紀にドイツのハーバーさんとボッシュさんが、空気中の窒素を固定化する方法を見つけた。これがいわゆるハーバー・ボッシュ法である。水と空気と石炭からパンを作る方法をいわれる。この窒素固定は1:3の窒素と水素の混合気体を250気圧に加圧し、450℃にまで温度を上げる。この温度を上げるときに石炭が使われるわけである。すなわち、私たちの食料には大量のエネルギー資源が使われている。それゆえ、今の人口を支えるだけの食料を供給するには、かなりのエネルギー資源が必要なのである。
また、日本はエネルギー資源を輸入し、鉄やプラスチック製品をうまく加工する。そしてそれを輸出することで、経済を発展させてきた。したがって、ものづくり日本にとって、製鉄は非常に重要である。だから製鉄とエネルギーの関係についても言及すべきだろう。
現在の世界の粗鋼生産量は年間約15億トンといわれている。日本の粗鋼生産量は年1億トンである。製鉄するためにはおおよそ1000℃くらいの熱が必要であり、それに石炭が使われる。
もし、昔のように石炭を用いず、木炭を用いて製鉄したとしたらどうなるだろうか。
1トンの製鉄のためには、14トンの木炭が必要とされる。そのためには、0.5ヘクタールの森林を伐採しなくてはならない。15億トンの鉄を木炭で製鉄したら、7.5ヘクタールの森林を伐採しなくてはならない。世界の森林面積は38.7億ヘクタールといわれているから、石炭を使わなかったら、5年で世界の森林は消滅してしまう。
そもそも、中東の文明が消滅したのは、森林を伐採したからである。エネルギー資源がなくなったら、世界規模で同じ事が起こるといえる。
日本の食料自給率について、いろいろ議論がされるが、エネルギー自給率はもっとひどいことになっている。原子力発電を含まないエネルギー自給率は5%ほどである。
原子力発電に使われるウランも外国から輸入している。それを考えると、日本の95%のエネルギーは外国から買っているということになる。日本の稼いだお金はエネルギーを買うことに費やされている。それもかなり高額である。
よく、日本の会社はブラック企業が多いといわれることがある。それはそうだろうと思う。これだけのエネルギーを外国から買わなくては経済が発展できないからである。だから、エネルギー資源を有している国より過剰に働かなくてはならないのである。
社会実録データー図録 主要国のエネルギー自給率とエネルギー効率 4060
経済成長は、エネルギー資源の量と切り離して考えることはできない。地球のエネルギー資源が減少して、値段が上がっていけば、必然的に日本の経済成長は止まるだろう。
次は、このことを前提に、これからの覇権国家のあり方について考えてみたい。