フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

マスクとイノベーション

2012年02月29日 08時41分05秒 | 社会・政治・思想哲学

 一事が万事という言葉がある。
 人の基本的発想というのは、いろんな所で現れる。
 
 私は、マスクなんてほとんどしたことがない。マスクなんてしなくても風邪なんてひかないから。金がもったいない。
 まぁ、花粉症の人は仕方が無いかもしれないけれどね。
 だから、一般論として話をすすめる。

 こういうことを言うと、周りの人を敵に回しそうだが、マスクをしている人ほど体が弱そうである。
 多分、ウイルスをシャットアウトして体を守ろうとしているのだと思う。
 だが、ウイルスが体に入り込むのを阻止するのは不可能である。だから、マスクをするより普段から免疫機能を高めておくほうが合理的である。
 シャットアウトするのではなく、入れといて中で戦うのである。
 大昔は、マスクなんてなかったから、この考え方が本来の方法であると思う。

 という話をして、ココからが本題。
 ちょっと、面白いブログを読んだ。Gumroadとpaypalについての記事だ。
 Gumroadは、ネット上で自分のつくったコンテンツを売り込むためのサイトである。
 PayPalは少額決済のサイトである。
 
 このブログには、このような面白いものが何故日本に生まれないのか、ということが書かれている。
 日本には、楽勝でこんなコンテンツを作れる技術があるのに、である。
 
 
 ちょっと、引用してみよう。

 
実は私も類似のサービスを数年前に思いついて、起業できるか考えたことがあるので、この疑問には答えられます。
答:やってみようとすればわかる。(苦笑)
いや、規制のせいです。ほんとそんだけ。
以下、起業家の視点で、この手のサービスがどう規制に阻まれてしまうかを書きます。正確なところは法律家に聞いて下さい。関連する法律はこんな感じ:


 ちなみにプリカ法が資金決済法に変わりました(プリカ法は2009年に廃止)。あと外為法とかも関係してくるけど面倒すぎてやってられん。

 日本経済の歴史はまったく詳しくないけど、これ同じことを繰り返してるんじゃないかなと思うのです。日本で規制されている間に Gumroad あるいは類似のサービスが海外で大きくなり、日本と世界を席巻する。「Gumroad」を「PayPal 」に置き換えてもそうだし、きっと「クレジットカード」もそうじゃないのかな。
日本のこれらに関する法体系は、基本的にすべてを禁止(出資法と銀行法)しているので、サービスが政府や立法者に明らかになってから特別に許すようになってます。イノベーションは政府や立法者が分からないところにこそ起こる。だから出資法と銀行法が現在のままである限り、日本において決済のイノベーションは原理的に起きないと思う。起きるとすれば、脱法行為か、海外から来るかのどちらか。
日本において、銀行(両替商)や為替が、出資法や銀行法の前に成立しているのだって、そういうことでしょう。
規制は必ず利用者の保護を目的に導入されます。それはサービスへの要求を高めることです。だから規制は必ず新規参入を阻害し、規制導入前に始めた業者の既得権益を確立する。これがいつものパターンなんじゃないかな。


 つまり、日本は既得権益を守るために、法規制をがんじがらめにして、保護を強めている。それゆえ、新しいイノベーションが生まれづらい。
 そして、外国でイノベーションが生まれ、ブームになって、立法者がそれを認知するようになってから、その方法を立法で認めるということだ。
 
 この方法は、マスクをしてウイルスをシャットアウトして中に入り込まれたらすぐ風邪をひくというものに近い。
 マスクなんか外してしまって、中で戦う方法のほうが強くなると思うのだけれど、そう思うのは私だけだろうか。
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エルピーダの倒産に思う。狩猟社会への移行

2012年02月28日 08時46分53秒 | 社会・政治・思想哲学

 昨日、エルピーダメモリが会社更生法の手続きを申請をし受理されたそうだ。
 負債額は4480億円で製造業の経営破綻では過去最大の負債額である。

 日の丸半導体がダメなのはわかっていたが、それでもあのエルピーダが倒産と聞くとかなりショックである。

 わかっているとは思うが、ちょっとおさらい。
 半導体は、文字通り、半分導体の物質である。
 電気を通す物質が導体。電気を通さない物質が絶縁体。

 半導体の代表的なものはシリコンで、低温では絶縁体の性質を有し、温度が上がると電気が流れる。
 そして、シリコンにホウ素やヒ素を混ぜることによって、より半導体の性質を有するようになる。

 なぜこのような半導体がパソコンに使われるのだろうか。
 コンピューターの命令は、0・1の二進法で行われている。つまり、電流が流れないときは0、流れるときは1、という風に使われるのである。
 このようにして、言語が作られ情報が処理される。

 ところで、半導体には、有名なムーアの法則というものがある。
 「半導体の集積回路のサイズ縮小は18ヶ月で二倍になる」というものである。
 この原則は、現実にその通りになっている。
 
 この原則は
、何を意味しているのだろうか。
 パソコンが凄まじいスピードで、どんどん消費財になっていっているということである。
 つまり、パソコンで儲けることが難しくなるということである。
 このことは液晶テレビにも当てはまる。
 国内電機業界の決算が軒並み赤字だったのは、後進国の追い上げで家電が消費財になりつつあるからである。
 家電においても、ムーアの法則のようなものが当てはまるのかもしれない。

 長々、このような話をしたのは、別に半導体のことが語りたかったわけではない。
 話したかったのは、これからの日本が好きと嫌いに関わらず、製造業から別の産業(サービス業)移っていかなくてはならないということを言いたかったわけである。
 それでも製造業を続けていきたいとすれば、賃金を後進国並みに落とさなくてはならない。

 サービス業も高賃金と低賃金のものに二分化される。
 例えば、賃金の高いものは金融・ソフト。安いものは福祉・飲食業など。

 当然、日本人の生活レベルをあげようと思ったら、高賃金の産業を育成しなければならないが、金融は日本人には向かないだろう。そうすると狙いはソフト産業だろうか。
 ソフトウエアに限らず、広義の無形物を商品とする産業ととらえると、いろんな可能性が広がると思う。

 ちょっと話しの視点をガラっと変えてみよう。
 製造業は、団体で行うのが効率的であるから、ある意味、農耕的な側面がある。
 それに対して、ソフトや芸術的な職業は、個人の能力に依拠するので狩猟的である。
 つまり、製造業から高賃金のサービス業に移行するということは、農耕的なものから狩猟的なものへ移っていくということに近いのである。
 古代は、むしろ狩猟から農耕に移行してきた。しかし、これからは、この逆の流れになる。

 農耕社会は安定している。しかし、狩猟は不安定である。
 故に、狩猟はシャーマニズムと密接に関わっている。
 シャーマニズムは、神との交信である。
 先の分からない不安定な状況にあるがゆえに、神との交信が必要になる。

 先の不安定な芸能人が、現代のシャーマニズム的側面を有する占い師にハマるのも、別に不思議なことではない。

 狩猟はいつ獲物がとれるのか分からない。飢えと不安に耐えなくてはならない。そして、強い個人でなくてはならない。ただ、獲物が取れれば利益は大きい。
 
 それに対して、製造業的な産業は、団体で行い、比較的安定している。しかし、これからは相当の犠牲払った上でしか安定を保つことはできないだろう。
 つまり、積極的に賃金を安くし、組織に奉仕し、奴隷的な自己犠牲を払うことで、組織を維持していく方法である。
 それ以外、日本国内の製造業が生き延びる道はない。

 どちらの道も厳しい道である。
 しかし、人間は、本来、飢えと不安に晒されているのが通常の状態である。だから、それに強いはずだ。
 また、自己犠牲的側面も遺伝子にインプットされている。
 
 どの道を行くとしても、個人的には面白い時代がやってくるなぁと思っているのだけれど、どうだろうか。

 
 
 

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ロシアのシステマ

2012年02月24日 09時01分43秒 | 日々の出来事・雑記

 最近、ある格闘技に注目している。ロシアのシステマという格闘技だ。ソ連時代の特殊部隊に取り入れられていたということだ。
 ただ、空手のように特別の型があるわけではない。
 
 4つの原則を守るだけである。

 1,呼吸をすること

 2,リラックスすること

 3,正しい姿勢を保つこと

 4,動き続けること   である。

 この格闘技の特徴は、呼吸をコントロールすることによって精神と身体を適切な状態に保つことにある。
 そのことによって、怒りと恐怖を抑える。

 別に格闘技を習うつもりはない。しかし、敵と格闘しなければならない状況というのは、かなり危機的なときである。だから、その時に冷静さをキープできる能力があれば、日常に起こる突発的な出来事くらいなら余裕で対応できる。

 そして、呼吸を重視する点は、禅的方法ともよく似ている。
 
 ポイントは、呼吸によって恐怖と怒りをコントロールすることである。

 

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ブラックな手法

2012年02月23日 09時03分14秒 | 社会・政治・思想哲学

 ワタミがブラック企業だとネットで叩かれている。けっこう昔からそうだといううわさはあった。

 というのも、26歳の女性社員の飛び降り自殺が労働局で過労自殺だったと認定されたことが影響しているようだ。

 ブラック企業とはなにかということがまず問題になるが、安い給料で過剰な労働をさせる企業、くらいの意味だろう。

 ただ、それが悪いかどうかに関してはちょっと違う意見を持っている。

 飲食業界は、ご存知のように、競争が激しい。その中で、会社を大きくしようとすれば、従業員に安い給料で頑張ってもらわなくてはならない。そうしなければ潰れてしまうだろう。

 このような自己犠牲的な共同体の原理は、会社という現代的な組織でなくても、大昔の狩猟時代の共同体にすら見受けられる。
 つまり、部族同士の戦争に打ち勝つためには、命を捧げてもらうほどの密接な関係が必要で、それが無くては共同体自体が全滅してしまうのである。
 その自己犠牲を生みだす密接な関係は、音楽、踊り、麻薬などの宗教的洗脳によって作り上げられ、積極的に利用されている。

 しかし、そのような関係は、お互いにお互いがよくわかる小さい規模の共同体に当てはまるというのが、私の意見である。
 だから、自分の共同体の構成員の顔が分からなくなるくらい大きくなってしまったら、違った方法が必要になる。
 そもそも密接な関係が作れないのだから、自己犠牲を要求できなくなるからである。

 つまり、ワタミが中小企業だったときは、そのようなブラック的な手法は有効だったが、大きくなってしまったら、その手法では問題が生じてくるということである。

 ただ、ワタミがブラックかどうかは正直わからないので、その点に関しては保留しておく。

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思ったことあれこれ

2012年02月21日 08時59分10秒 | 日々の出来事・雑記

 ブログ書くのをずいぶんサボってしまった。多分、最長記録じゃないだろうか。

 重くはないけれど、風邪をひいてしまった。ハードにトレーニングをしすぎて体が弱っているところに、風邪のウイルスが攻撃してきた。気を付けなければ。

 ところで、もう一度英語を鍛え直そうかなぁと思っている。
 一時は、デイリーヨミウリくらいだったらなんとか辞書なしで読めるくらいになったのだけれど、10年以上ほったらかしにしていたら、錆び付いてしまった。

 というのも、アジア諸国を回ってみようかなぁと考えているからだ。行きたい国は、ベトナム、タイ、インドなど。

 インド以外、英語を勉強しなおしても意味がないかもしれないけれど、一応。

 今、テレビをつけたら、光市母子殺害事件の死刑判決について報道している。
 それについて、一言。
 根強く死刑廃止論が展開されている。なかなか説得的なところもある。しかし、日本において死刑が廃止されることはないと思う。
 
 国民世論がそれを許さないだろう。
 
 日本では凶悪犯罪が少ないがゆえに、それに対する応報感情が強いからだ。そもそも日本は仇討ちが認めれれていた国である。

 世界の流れも、これから死刑を再開する国が増えるのではないかと思っている。
 
 それについて、ちょっと違った視点から話してみたい。
 
 現在、世界の人口が70億人を突破した。2050年には100億人にまで増えると予測されている。ローマ・クラブの人口予測は今までぴったり当たっているから、この予測も当たりそうである。
 石化エネルギーが尽きた状態で、地球にこれだけの人口を支える余力はない。
 例えば、日本で石油がない状態で支えられる人口は、江戸末期の3000万人である。

 このような状況では、人間の命が軽くなる。どうやって人を減らすかという発想になる。
 
 地球全体が飢えた状態で犯罪を犯した人間を養うほどの余裕はない。
 窃盗くらいで死刑になることだってありうる。

 
 そもそも、各国がエネルギーや食料を奪い合って、戦争も起こりやすくなるだろう。
 文字通り、殺し合いが始まる。リアルバトルロワイヤル。

 それを乗り越えるためには、人口増加を抑えるか、新たなエネルギーを開発するしかない。
 もしくは、新たな生命を維持できる星を見つけるか。
 
 
ヒューマニズムは、豊かな状況でしか成り立たないのである。そして、人間の本能ともいえる応報感情をおさえることは難しい。
 

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オセロ中島の洗脳

2012年02月15日 08時59分08秒 | 社会・政治・思想哲学

 テレビをつけたら、中島知子さんが家賃滞納訴訟について、支離滅裂な弁論をした、とのニュースをやっていた。
 
 公共の電波を使って報道するほどのことでもないと思うが、このニュースが人間の覗き見趣味を満たすことは確かだ。
 まともな人が、洗脳されてどんどんおかしくなっていくというストーリー。家賃滞納の相手方が本木雅弘となればなおさらである。

 最近、たまたまオウム真理教のの洗脳解除で有名になった苫米地英人氏の本を読んでいる。面白い。
 ちょっと前にブームになったスピリチャルに対して、科学的に批判を加えている。
 苫米地氏自体がすこし怪しいところがあるが、それは見た目だけで、彼の言っていることは非常に優れている。

 彼の主張はこうだ。客観的に、神や霊は存在しない。ただ、主観的には存在している。
 
 というのも、神や霊はそれを信じている人の身体に、事実として、影響を与えるからである。
 例えば、キリストの磔のことを考えると、手の平から血を流す人がいる。その人にとってキリストは実在している。その幻想が身体を変化させるのだから。

 中島さんについて言えば、人身保護法を使って保護した後、プロの手で洗脳を解くべきである。
 洗脳は、なかなか巧妙な手口で行われてる。

 私たちも知らないうちに、いろんなことについて、洗脳とまでいわないが、先入観を植え付けられている。
 
 洗脳から逃れるためには、いくつかポイントがある。
 身体(脳)の仕組みを知ること。
 物事に対する複合的な視点。
 その前提として、悪党に対する敏感な嗅覚である。

 善人面した悪党に対しては、なんの同情無く殴り飛ばすべきである。
 というのが、私の考えだ。
 まぁ、相手が強すぎれば、スタコラサッサと逃げることも重要だけど。

 

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ホメオスタシスと精神状態

2012年02月14日 08時50分24秒 | 日々の出来事・雑記

 身体を一定の状態に保とうとする力を身体の恒常性=ホメオスタシスという。
 体温、水分量、血糖値、塩分量、心拍数、呼吸など。

 世界はエントロピー増大の原則(ほっておくとデタラメにむかう)に支配されている。
 だから、ホメオスタシスが十分に働かなければ、死んでしまう。
 つまり、このホメオスタシスをうまく機能させることが、健康を維持する上で重要だということである。

 ホメオスタシスは、精神的なストレスや恐怖によって簡単に乱れる。
 ホメオスタシスと精神状態は、連動している。

 ホメオスタシスの中で最もコントロールしやすいのは、呼吸である。
 だから、精神的ストレスや恐怖をコントロールするには呼吸が有効である。

 禅、ヨガ、システマ(ロシアの格闘技)などは、呼吸のコントロールを重視している。
 呼吸をコントロールすることで、精神を鎮静化できるからである。

 物事をうまくやり遂げるための一歩は、まず気持ちを落ち着かせる事である。
 
 それには、先人の知恵としての呼吸法をならうことが合理的だ。
 

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ホイットーニー・ヒューストン死去のニュース

2012年02月13日 18時13分10秒 | 日々の出来事・雑記

 ホイットニー・ヒューストンが亡くなられたそうだ。まだ、若いのに残念。
 
 ボビー・ブラウンと結婚しておかしくなったという人もいる。彼と付き合い始めてから、麻薬に手を出したようだ。
 
 確かに、ボビーとの結婚がすべての元凶の始まりのような気もする。
 
 しかし、本当のところは分からない。彼女自身の中に悪魔が潜んでいたのかもしれない。
 
 ホイットニーの歌唱力は誰もが認めるところだろう。あの歌声は世界中の人々を魅了した。
 
 ただ、個人的な意見として、単に歌が飛びぬけてうまいだけではないうように思う。
 
 その歌声の中に人の心を揺さぶる何かがある。
 
 それは何か。
 
 私は、彼女の内面に存在する激しい孤独と淋しさなのではないかと思っている。
 
 その孤独と淋しさが心の真空状態をつくり、その真空が愛を求める激しい衝動になる。
 
 その衝動が私たちの心を揺さぶるのだ。
 
 だが、そのような激しい衝動は、実生活では、厳しいものになる。誰もその激しい要求に答えることは出来ないからだ。
 
 芸術は、人間のプラスの部分だけでは成り立たない。負の部分もうまく表現できなければ、人を魅了できないだろう。
 
 人は人の弱い部分に共感するからだ。
 
 しかし、その弱いところをコントロールできなければ、いつか潰れてしまう。
 
 愛は薬にも毒にもなる。人の心を温めると同時に激しく切り裂きズタズタにする。

 それをコントロールする事は非常に難しい。

 あなたがいなくなったら、私には何もないの(I have nothig,If I don’t have you) 
 
 この歌は彼女の人生そのままのような気がする。
 
Stay in my arms if you dare
Or must I imagine you there
Don’t walk away from me
I have nothing, nothig, nothing
If I don’t have you,



 冥福を祈る。

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宗教の機能について考えてみる

2012年02月09日 08時58分51秒 | 社会・政治・思想哲学

 「宗教を生みだす本能」を読み終わった。
 この本には、神の存在や魂の存在などについては書かれていない。専ら宗教の社会的機能を科学的に考察したものである。
 宗教は共同体内部の人間関係の絆を強めると同時に、外部に対しては暴力装置になる。そしてそれは、人間に内在する本能だという。つまり、人間は宗教的価値観を生みだす本能を持っているという。

 ただ、この本はユダヤ教・キリスト教・イスラム教の三大一神教については詳しく書かれているが、仏教についてはほとんど書かれていない。
 仏教はこの3つの宗教とは違う方法で、高度にシステム化されていると思われる。というのも、仏教は外部に対する暴力装置というより、暴力を無化するように働くからだ。
 それが最大の長所であると同時に最大の欠点でもある。
 例えば、チベットで起こった虐殺に対する対抗策である。あの場合、チベットを守るためには、武器を手にして暴力で対抗しなければならない。そうしなければ、共同体自体が消滅してしまうだろう。
 しかし、仏教は外部に対する戦闘を肯定するような考え方はとらない。

 宗教の社会的機能は、共同体の内部を強固にすることである。そのために、宗教は神話、儀式、音楽、舞踏、シャーマン、麻薬、などを使う。
 これは、人間を変性意識状態(トランス状態)にする。そして、超越者(神)に触れさせることで、神に対する従属性を引き出す。
 仏教においてこのトランス状態に近いものが、禅における坐禅(瞑想)である。
 だが、シャーマニズム的トランス状態と坐禅的瞑想は似て非なるものである。トランスは意識を混濁させるのに対し、坐禅はむしろ意識をクリアーにするのである。
 この大きな違いは、宗教の社会的機能の違いによるものだと思われる。仏教は外部と戦うことを想定していないので(非常に個人的な宗教である)、トランス状態を作り出し個人を従属(悪く言えば洗脳)させる必要がない。
 この変性意識状態(トランス状態)について、すこし考えてみよう。
 変性意識状態とは、頭の中に作り出した仮想世界にいることである。だから、テレビを見ていることも、小説を読んでいることも、音楽を聴いていることも、好きな人を思い出していることも、ある意味、軽いトランス状態である。
 その変性意識状態が、他者の利益のためコントロールされると洗脳になる。悪徳宗教家は、人々を仮想状態、妄想状態にして、コントロールする。
 変性意識状態ではない通常の状態とは、身体感覚に寄り添った意識である。つまり、自分の体の状態に意識が向けられていることである。たとえば、禅における坐禅でいえば、妄想を排除し意識をクリアーして現実の世界(身体感覚)それだけを把握している状態であろう。
 坐禅は怒りを抑える働きがある。怒りは妄想から生じる。妄想を排除していま感じていることだけに集中すれば、人間の暴力的側面を無化できる。

 
 ところで、一般的に宗教の本来的機能は、「超越者によって世界を説明する機能」「行動規範としての機能」「生老病死などの苦から開放する機能」「死などの儀式を行う機能」等がある。

 この中で「超越者(神)によって世界を説明する機能」はだんだん廃れていくだろう。
 生命体は神が作ったののではないく、物質の再帰システムだというのが私の考えだ。
 タンパク質などの地球上の様々な高分子がランダムに動いている状態の時、ある物質たちがある位置関係になったとする。そして、その瞬間に互いに認知して反応し、ぐるっと回るようなコミュニケーション系が出来上がったとしよう。
 例えば、物質の出入りを伴いながら、AがBになり、Cになり、DになってAに戻るという、再帰システムのような系ができたとする。これが一種の閉鎖系となり、同じ事を繰り返し、変化しながら生物になっていった(初歩から学ぶ生物学参照)。
 そのように考えれば、神が人間を創ったということはなくなる。

 行動規範としての機能も、合理的な説明がつかないこともあり(カトリックなどの中絶禁止やイスラム女性のスカーフなど)、非合理な行動規範もだんだん廃れていくのではないだろうか。

 やはり、宗教の中心的な機能は「人を苦から開放する機能」だろう。
 避けがたい不条理な苦境に陥ったとき、またどう生きるべきかといったことを目に一丁字ない人々が迷ったとき、それを救い出す機能である。

 また、「儀式を行う機能」も重要である。
 私たち人間は、死者ともコミュニケーションをとる。死んだから終わりではなく、死んでもなお人間関係の繋がりは消えない。
 したがって、あの世を信じるかどうかは別として、死んだ者を大切に弔いたいと考える。そのときに、儀式としての宗教が必要となる。それは、私たちの悲しみを緩和する役割もある。 

 

  

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うらやましい男

2012年02月08日 08時43分45秒 | 日々の出来事・雑記

 まじめな話ばかりだとつまらないから、たまには息抜き。
 タッチされたときの仕草や表情から、女性にもいろんなタイプがいることがよくわかる。男もその表情をみて自分の好きなタイプがわかる。不思議なものだ。



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