フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

人生で最高にうまかったポテトの話

2020年05月31日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

二十代の前半、オーストラリアに一年間、ワーキングホリデーに行った。

最初の半年間は、西オーストラリアのパースに滞在した。

語学学校やら何やらで金がかかり、半年したら、所持金がほとんど底をついた。

それで、3日間、バスに乗ってシドニーに渡り、仕事を探した。

オペラハウスの対岸に、住宅街があって、その中にあるボロいホテルに滞在した。

アホみたいに安かったが、幽霊屋敷のようなホテルだった。

実際、幽霊が出るという噂があった。

まだ、あるのかな。あのボロホテル。

ホテルのすぐそばにフェリー乗り場があって、そこからフェリーに乗って、オペラハウスの脇を通り、サーキュラキー駅に着く。

新聞の求人欄を見ながら、シドニーのレストランや雑貨店を回った。

そうして3日ほど仕事を探したが、どこも雇ってくれなかった。

ホテルは週払いだったので、いくらか残しておかないといけない。

そうすると、所持金はほとんどなかった。2日ほど、何も食べていなかった。

僕は、駅の近くのベンチで、この先どうしようかと、不安に打ちのめされて、うなだれていた。

隣でフィッシュ・アンド・チップスを食べているオーストラリアのオッサンがいた。

魚のフライを食べると、チップス(フライドポテト)を、カモメに放り投げていた。

僕は、恨めしそうに、そのカモメにあげているポテトを見ていた。

カモメなんかにあげやがって、僕にくれよという顔をしていたんだろう。

オッサンが、「Do you eat this?」食べるか?と聞いてきた。粋なオッサンだ。

僕は、「YES,YES,YES」と言った。僕はそれをもらって、そのポテトを食べた。

ポテトを口に入れた瞬間、体に稲妻が走ったのを覚えている。それほど強烈な飢えだった。

それは間違いなく人生で一番うまいポテトだった。

この先、そのポテトより美味いポテトに出会うことはないだろう。

そして、なんといっても、そのポテトは、幸運のポテトだった。

ポテトを食べ終えると、駅の方から5人ほどの日本人が歩いてきた。

そのうちの一人が、パースで同じ語学学校にいた友人だった。

これから、中華街に飯を食べに行くから、一緒に来ないかと誘われた。

「金が無い」というと、「おごるよ」と言った。僕みたいな貧乏人と違って、ボンボンの金持ちだった。

食え食えというから、腹がはち切れるほど食ったのを覚えている。

それでお金を借りて、免税店の仕事まで紹介してもらった。

それで、なんとか、生き延びることができた。

シドニーの中華街で食べた食事は、すごく豪勢だったけど、なんにも覚えていない。

不思議なことに、強烈に覚えているのは、あのポテトの味だ。

新聞紙に包まれたみすぼらしいポテトが、人生最高のポテトだとはね。

まったくね。


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下町バームクーヘン

2020年05月30日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

錦糸町にバームクーヘンの老舗がある。「下町バームクーヘン」という店だ。

そこのバームクーヘンを頂いた。

スティック状になっていて、6本入っている。

6本すべて違う味だ。はちみつ、バナナ、かぼちゃ、メープル、チョコ、店長おまかせ。

コーヒーをいれて、メープルとチョコをもぐもぐ食べる。

ずっしりして食べ応えがある。うまい。

しかし、お腹が空いているので、残りの四本も食べられそうだ。

迷う。全部食べたら、明らかに食べ過ぎだと思う。

えーい、どうなってもいいや。全部食べちゃえ。ムシャムシャ。

きれいに食べてしまった。腹がパンパンしてる。

たぶん、アホなんだと思う。

これで夕飯は食べれないだろう。仕方がない。

でも、これだけだと炭水化物だけなので、がんばってプロテインを飲む。腹が破裂しそうだ。

それにしても、うまいものって、人をダメ人間にしますね。

というか、そもそもダメ人間なのかもしれない。

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僕の宗教観について

2020年05月29日 07時00分00秒 | 社会・政治・思想哲学

ときには、聖書の言葉に感動することもあるし、仏教の教えにフムフムと思うこともあります。

しかし、基本的には、信仰している宗教はありません。

神さまの考え方については、スピノザの汎神論を支持します。

宇宙の存在そのものが神で、僕たちは神の一部だ、という考え方です。

たしか、アインシュタインがそうでした。

アインシュタインは、「あなたは神を信じるか?」と質問され、

「スピノザの神は信じるが、人間の運命や行動にかかわる人格のある神は信じない」と。

でも、あえていうなら、僕は仏教徒なのかなと思います。

それは、葬式を仏教で行うからではなく、仏教には瞑想があるからです。

瞑想は、僕の人格を形成する上で、無くてはならない存在でした。

15年くらい前、僕は毎日座禅をしていて、何時間も座っていることもありました。

その時に得たものは、本当に大きかったです。

今は、そんなに座禅はしません。瞑想を、心を観察する技術として使っています。

車を運転していたり、人と話をしているときです。

たとえば、前の車が急ブレーキを踏んだとします。

ムカッとしますよね。その時に、自分の感情と体の反応を観察します。

だいたい、僕は怒ったり、緊張したりすると、左の頬が引きつります。そして、心拍数が上がってきます。

ああ、キテるキテるな、と思います。

でも、そういう観察がきちんとできているときは、自然と怒りが静まってきます。

坂道を転がる車のように、最初が肝心です。早めに怒りに気づき、すぐに対処することです。

転がり始めたら、怒りは止まりません。


自分自身をたえず観察していると、自分という人間が、骨の髄まで理解できます。

何が好きで何が嫌いなのか。どういうことで怒るのか。何を求めているのか。

そして、自分を知るということは、結局、人間を知ることに繋がります。

自分の中にある弱さや強さ。ずるいところ。温かみのあるところ。

みんな同じくそれを持っているからです。

こういう、素晴らしい技術を、仏教から学んだので、やはり僕は仏教徒なのかな、と思っています。

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カフェインレスコーヒーを買ってみた

2020年05月28日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

僕は、煙草も吸わないし、お酒もほとんど飲まない。

だから、依存症とは、ほとんど無縁な生活をしている。

ただ、唯一、依存症っぽいのは、コーヒーだ。

アホみたいにコーヒーを飲む。カフェイン中毒なのだろうか。

別に、コーヒーを飲みすぎても、人に絡むわけでもないし、フラフラになるわけでもない。

人に迷惑をかけないからいいと思うが、問題は、夜の睡眠の質が悪くなることだ。

コーヒーを飲みすぎると、眠りが浅くなるような感じがする。

夕方、コーヒーを飲むと睡眠の質が悪くなるという論文が多い。

たまに、コーヒーを飲んでも、睡眠に影響がないという研究もある。

経験的に、睡眠の質が悪くなると考えたほうが、無難だと思っている。

そこで、カフェイレス・コーヒーというのを買ってみた。

今、夜の11時を過ぎたところだ。

そして、カフェインレス・コーヒーを飲んでブログを書いている。それも二杯目。

そんなにまずくない。

どうかな?今日はしっかり眠れるかな。人体実験だ。

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生きて行く私 宇野千代

2020年05月27日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

生きて行く私」は作家で着物デザイナーでもあった宇野千代さんの自伝的エッセイです。

宇野千代さんは、1996年に亡くなられました。

若い頃は、すごい美人だったそうで、いろんな作家と恋愛関係になっています。

作家の尾崎士郎、梶井基次郎、画家の東郷青児、北原武夫などです。

うーん、それにしても凄まじいエッセイです。開いた口が塞がらない感じになります。

「敢然と立っている勇気」では名家の息子にレイプされたことが書かれています。あっけらかんと。

また、臨時教師だった千代さんは、同僚の教師に恋をして、その男性の家に泊まり込んで大問題となり、学校をクビになります。

その後、ソウルに渡りますが、同僚の教師が結婚すると聞くと、出刃包丁を持って相手の家に押しかける。

しかし、相手に投げ飛ばされて、殺すことはできませんでした。

すごい話ですが、ちょっと笑えます。

また、関東大震災のときは、当時恋愛関係にあった、作家の尾崎士郎と一緒にいました。

人に襲撃されるという噂があり、二人は家の天井裏に隠れます。しかし、尾崎士郎が小便をしたくなる。

そこで、千代さんが、浴衣の袂を広げ、「ここへして、この中へして」という。

尾崎がそこにすると、小便が流れて、大笑いしたという話がありました。ハハハ。

いろいろありすぎて、書ききれません。ほんと面白いのでおすすめです。

愛すべき、恋多き女性という感じでしょうか。


本の中にある「花咲婆さんになりたい」というエッセイから、ちょっと抜粋してみます。

片手に大きなザルのようなものを抱えて、

木に登り、そのザルの中いっぱいに詰めてある「幸福」を、

片手の中にいっぱい掴んで、まるで花でも咲かせるように、

ぱっぱと木の上からばらまく、

花咲婆さんというものがあるとしたら、

私はその、花咲婆さんになりたい、と、

いつでも冗談に言っていたが、

実は冗談ではなく、本気でそう思っているのである。

ほんとに素敵な婆さんです。

この世に生まれてきたことに対する感謝の気持が伝わってきます。

そして、人を愛することがいかに素敵なことか、彼女の人生がそれを教えてくれます。

この間、自殺した女の子に、読ませてあげたかったな。

男なんて腐るほどいるんだから。

宇野千代は、正真正銘の花咲婆さんだったと思います。

幸福をいっぱいばらまくお婆さん。

宇野千代名言集が、動画にされていたので、リンクしておきます。

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ややこしい文句

2020年05月26日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

よく聞く話がある。

「このたこ焼き、タコ入ってないよ」と店に文句を言うと、

「じゃあ、お前、たい焼きに、鯛入ってるのか?」と切り替えされるそうだ。

「鉄板焼に、鉄板が入ってるのか?」というバージョンもある。

また、この文句は成立するのか?という観点から、

「このジャムパンに、ジャム入ってないじゃん」は、文句として成立するが、

「このメロンパンに、メロン入ってないじゃん」は、文句として成立しない。

そもそもメロンパンには、メロンが入っていないからね。


これらのややこしい話には、隠喩、換喩、提喩という面倒な概念が関わっている。

でも、説明できないので、すいません、放棄します。

たい焼きは隠喩、たこ焼きは換喩、鉄板焼はなんだろう?

メロンパンは隠喩、ジャムパンは、わかりません。

ほんと難しいんです。

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日本語擬態語辞典

2020年05月25日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

日本語擬態語辞典というのを持っている。買った覚えはないのだが、なぜか本棚にある。

擬態語って、ぎょうぎょうしいが、簡単に言うと、オノマトペだ。

パラッとめくると、「すやすや」と出てきた。

やすらかに眠っている様子。sleeping peacefully. 

外人にもわかるように英語でも書いてある。

好きなオノマトペをいくつかあげてみる。

「あつあつ」「がつがつ」「ぎらぎら」「ぐいぐい」「くらくら」「ぬくぬく」「むんむん」

ハハハ、なんかちょっとエロいな。


変わったオノマトペの代表は、中原中也のサーカスに出てくるのだろう。

ゆやーん、ゆよーん、ゆやゆよん。

意味がわからん。でも、おもしろい。

朗読があります。気が向いたらどうぞ。サーカス

 

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誹謗中傷に対抗するためには

2020年05月24日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

最近、テラハウスに出ていた女性プロレスラーの木村花さんが、亡くなられたそうだ。まだ若いのに。

彼女の言動や行動が、ネットで誹謗中傷されていた。

その誹謗中傷と亡くなられたことが、関係あるのか分からないけれど。

僕たちだって、ブログを書いたりしていると、いつ誹謗中傷されるか分からない。

これからの時代は、誹謗中傷に対して、どう振る舞うかが重要だ。


  <ブッダの法句経227>

  沈黙している者も非難され、
  多く語る者も非難され、
  すこしく語る者も非難される。
  世に非難されない者はいない。


お釈迦様も言ってるように、大昔から、人はみんなに非難されてきた。何をやっても。

だから、誹謗中傷から、逃げられない

でも、自分のやりたいことはやりたいし、自分の意見は、はっきり言いたいですよね。


ところで、歴史(history)と物語(story)は同じ語源だそうだ。
人生は自分の歴史で、そこには自分の物語がある。

面白い物語の特徴を考えてみましょう。

まず、主人公に強い動機がある。例えば、好きな娘と付き合いたいとか。

その動機に基づいて、行動する。

でも、ちょっと話したら、彼女と簡単に付き合えたとする。

これは、面白い物語でしょうか? つまらないですよね。

面白い物語には、必ず困難な障害が待ち受けています。敵の存在とかです。

イケメンの男が、ライバルとして現れます。

彼は遊びのつもりで彼女を狙っています。そして、口説き始めた。

そして、彼女はまんまと彼の罠にはまって、付き合うことになってしまった。

いいですか?

ここで彼は、どれだけ自分が彼女を望んでいたのか、試されているわけです。

お前はどれだけ彼女を好きだったんだと。

本当に彼女が好きなら、彼女がイケメンと付き合おうが、それでもいい。

いつか別れるときを待って、再度チャレンジする。諦めない。

そして、最後に目的を達成する。

グレート・ギャッツビーみたいに、うまく達成できないこともありますけどね。


僕が言いたかったのは、こういうことです。

自分の本当にやりたいことは、最初の行動から結果まで、太い線でつながってる。

その太い線は、僕たちの意志です。

そして、困難が起これば起こるほど、自分の強い意志が、はっきりと輪郭をあらわす。

どんなに困難が待ち受けていようが、誹謗中傷されようが、それが本当にやりたいことなら、僕たちは必ず最後の結果まで突き進みます。命をかけて。

困難や誹謗中傷は、僕たちの人生のスパイスにすぎない。

豊かで楽しい人生のためには、誹謗中傷はあったほうが良い。

そもそも、誹謗中傷されて引っ込めたくなるような主張は、たいした主張ではないのです。

でも、誹謗中傷されても、引っ込めたくないなら、戦うべきです。命をかけて。

だから、自分のやりたいことを頭の中で何回も想像し、明確にする。そして、それを強く求めることです。

そうすれば、誹謗中傷はあんまり気にならなくなります。


という考え方を提案してみましたが、どうでしょうか?

これは、戦うハードバージョンです。

そのうち、誹謗中傷に対するソフトバージョンも提案したいと思います。

誹謗中傷を、かるくスルーする技術ですね。

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信号待ちしていた時の話

2020年05月23日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

それほど交通量もなく、広くない道で、信号待ちしていた。

向かい側に、三人の女性がいた。

一人は、わりと綺麗な女性で、30代くらいだろうか。おとなしく清楚な感じがした。

意外なことに、その女性が信号を無視してきた。堂々と。

それで、それに続くように、後ろにいた高校生くらいの女の子が、同じく信号を無視してきた。

もう一人は、60代くらいの女性で、青になるまできちんと信号を守っていた。

僕も、きちんと信号を守っていた。

車が来ていないのだから、信号待ちしても、意味はない。

赤でも渡るのが合理的だ。30代の女性は合理的にものを考えるのだろう。合理主義者のようだ。

もしくは、遵法意識のないワルだ。法律を破るのが平気なタイプ。


僕も車が来ていなければ、信号無視することが多い。

だから、このタイプだと思う。ワルではなく合理主義者です。

後について行った女性は、みんなに流されやすいタイプなのではないかと思う。

もしくは、リスクを他人に取らせて、大丈夫なのを確認してから、それを真似するチャッカリしたタイプかもしれない。

60代の女性は、人が見ていなくても、規範はきちんと守るタイプですね。

悪く言えば、融通の効かないタイプかもしれない。しかし、人間的には信頼できる。


たかが信号待ちの仕方だが、人それぞれいろんな性格があって、面白い。

じゃあ、なぜ、僕は信号を無視しなかったんだって?

それは、清楚なお姉さんが、当たり前な顔をして横断歩道を渡ってきたことに、ちょっとびっくりしたからです。

それで、お姉さんの表情を観察していました。

彼女の顔には、悪いなという気持ちがまったく現れていなかった。

だから、車が来ていない時に、信号無視をするのは、いつものことなのだろう。

あらためて、人は外見では判断できないなと思った。

そして、その時に、この人はどういう人なんだろうと思って、いろいろ分析してみたわけです。

 

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ペットボトルの麦茶を買ったら

2020年05月22日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

5月21日の東京は、すごく寒い朝だった。

いつもは、サーモスのボトルを持っていく。

水にアスコルビン酸(ビタミンC)を入れるだけのシンプルな飲み物だ。

でも、寒いと水を飲まないから、持っていくのをやめた。

だけど、仕事をしてると喉が渇く。

そこで、車を止めて自動販売機で飲み物を買うことにした。

ダイドードリンコの美味しい麦茶。量も多いし飲みやすい。

500円玉を自動販売機に入れて、麦茶を押す。

ルーレットの数字がくるくる回っている。

数字は忘れたが、7だっけ。3つか4つ並んだ。当たりだった。

ハハハ、ついてる。今日はついてるよ。

子供みたいに、はしゃいだ。当たりは、いくつになっても嬉しいね。

もう一本はコーヒーにした。ほんと得した気分だった。

でも、一時間くらいして、ふと気づいたことがある。

当たったのが嬉しすぎて、500円玉のお釣り取っていないことだ。

ハハハ、気づかないほうが、良かった。アホみたい。結局、損してるじゃん。

でも、次にジュースを買った人は、得した気分になるだろう。

寄付したんだよと強がってみる。

どこかで喜んでいる人がいる。それだけが救いだ。

 

 

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