二十代の前半、オーストラリアに一年間、ワーキングホリデーに行った。
最初の半年間は、西オーストラリアのパースに滞在した。
語学学校やら何やらで金がかかり、半年したら、所持金がほとんど底をついた。
それで、3日間、バスに乗ってシドニーに渡り、仕事を探した。
オペラハウスの対岸に、住宅街があって、その中にあるボロいホテルに滞在した。
アホみたいに安かったが、幽霊屋敷のようなホテルだった。
実際、幽霊が出るという噂があった。
まだ、あるのかな。あのボロホテル。
ホテルのすぐそばにフェリー乗り場があって、そこからフェリーに乗って、オペラハウスの脇を通り、サーキュラキー駅に着く。
新聞の求人欄を見ながら、シドニーのレストランや雑貨店を回った。
そうして3日ほど仕事を探したが、どこも雇ってくれなかった。
ホテルは週払いだったので、いくらか残しておかないといけない。
そうすると、所持金はほとんどなかった。2日ほど、何も食べていなかった。
僕は、駅の近くのベンチで、この先どうしようかと、不安に打ちのめされて、うなだれていた。
隣でフィッシュ・アンド・チップスを食べているオーストラリアのオッサンがいた。
魚のフライを食べると、チップス(フライドポテト)を、カモメに放り投げていた。
僕は、恨めしそうに、そのカモメにあげているポテトを見ていた。
カモメなんかにあげやがって、僕にくれよという顔をしていたんだろう。
オッサンが、「Do you eat this?」食べるか?と聞いてきた。粋なオッサンだ。
僕は、「YES,YES,YES」と言った。僕はそれをもらって、そのポテトを食べた。
ポテトを口に入れた瞬間、体に稲妻が走ったのを覚えている。それほど強烈な飢えだった。
それは間違いなく人生で一番うまいポテトだった。
この先、そのポテトより美味いポテトに出会うことはないだろう。
そして、なんといっても、そのポテトは、幸運のポテトだった。
ポテトを食べ終えると、駅の方から5人ほどの日本人が歩いてきた。
そのうちの一人が、パースで同じ語学学校にいた友人だった。
これから、中華街に飯を食べに行くから、一緒に来ないかと誘われた。
「金が無い」というと、「おごるよ」と言った。僕みたいな貧乏人と違って、ボンボンの金持ちだった。
食え食えというから、腹がはち切れるほど食ったのを覚えている。
それでお金を借りて、免税店の仕事まで紹介してもらった。
それで、なんとか、生き延びることができた。
シドニーの中華街で食べた食事は、すごく豪勢だったけど、なんにも覚えていない。
不思議なことに、強烈に覚えているのは、あのポテトの味だ。
新聞紙に包まれたみすぼらしいポテトが、人生最高のポテトだとはね。
まったくね。