フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

インフルエンザウイルスが体内に入ると眠くなる

2015年01月28日 08時42分22秒 | 身体・健康・筋トレ

 米国ワシントン州立大学を中心とする研究グループが報告したものだが、正常なネズミにインフルエンザウイルスを投与すると、睡眠反応が強まるそうだ。
 神経細胞にあるタンパク質が、ウイルスに反応して、眠気を誘う。眠ることによって、体を安静に保ち、ウイルスをやっつける効果があるのだろう。 

 そういえば、先週、やたら眠かった気がする。体が雨に濡れて、体調も良くなかったのですぐ寝た。多分、インフルエンザウイルスが体内に入り込んだのかもしれない。そのおかげで何とか体調は回復した、

 今週は調子がいい。この時期、急に眠くなったら、ヤバいシグナルなので、きちんと寝たほうがいいかもしれない。

 微細な細菌やウイルスが、人間の精神状態にも影響を与えることがわかってきている。恐ろしいものだ。


 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

払うべきか、払わないべきか

2015年01月23日 08時53分52秒 | 社会・政治・思想哲学

 イスラム国が日本人殺害予告し、身代金を要求している。この身代金を払うべきか、払わないべきか、大きな問題になっている。


 最初、払った方がいいんじゃないかと思ったが、問題はそれほど簡単ではない。


 二人の生命と身代金が天秤にかけられているわけではない。二億ドルは高額ではあるが、日本政府が本気で二人を助ける気があれば、払うことが出来る金額である。
 天秤にかけられているのは、二人の日本人の命と、将来捕まることになってしまう多くの人たちの生命である。もし、ここで簡単に身代金を支払ってしまえば、日本政府は簡単にお金を出すといううわさが広まる。その結果、身代金要求のために、日本人を見たらすぐに捕まえるだろう。


 合理的な判断をするなら、払うべきではない。しかし、僕たちには感情というものがある。他人であっても、同胞の日本人が殺害されるのは、気分が悪い。この状況は、まさしく、この合理性と感情がぶつかる場面なのだ。


 あなたは、今、友人と一緒にトロッコに乗っている。トロッコが暴走してブレーキの効きが悪くなっている。先の方に、友人五人が歩いている。こっちには気づいていない。このままでは五人を轢き殺してしまう。隣に乗っている友人を突き飛ばし、一人になればブレーキが効き、止まることができる。
 あなたの選択肢は、 二つ。隣に乗っている友人を突き飛ばすか、五人を轢き殺すか。どうしますか?
 この問いに多くの人は、突き飛ばせないと答えるらしい。合理的な判断は、一人の命と五人の命を天秤にかければ良い。しかし、自分の近くにいる人を直接殺せない。それが感情だ。
 人間は、合理性と感情がぶつかる時、感情に任せるまま判断を下してしまう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気が強いのは男か女か?

2015年01月20日 08時53分08秒 | 日々の出来事・雑記

 最近、将棋オンラインというネット将棋で一日一局くらい将棋を指す。対戦相手は山ほどいる。だから、飽きることはない。しかし、時間は有限だから、やり過ぎないようにしなければならない。


 たくさん対戦すると、将棋のテクニックだけではなく、いろんなことが勉強できる。特に、人間についてだ。
 将棋を指すのは人間だから(たまにソフト指しがいるらしいが)人間について理解が深まる。


 将棋の戦略は、その人の生き方、考え方が現れる。攻めが好きなのか受けが好きなのか、慎重なのかうっかりしやすいのかなどなど。


 それに関連して、ネット将棋をやり始めた時、びっくりしたことがある。それは人をハメようとする指し手が多いことだ。ボヤボヤしてると騙されるのは、将棋の世界も実社会も同じだ。そんなハメ手に引っかかり、何度も悔しい思いをした。
 ハメ手とは、相手を罠にかけるような奇襲攻撃のことである。初心者を罠にはめて喜んでいる人がけっこういる。しかし、悪いのは、もちろん、引っかかる自分である。相手はルールに違反しているわけではない。勝負の世界は厳しい。
 ただ最近は、ハメ手に引っかかることは無くなった。ちゃんと対策がある。なんでも痛い経験は大事なのである。


 また、対戦相手に女性の指し手も多い。
 個人的に思うことなのだが、女性の指し手には、ある種の傾向のようなものがある。
 それは、攻めっ気が強いということである。王も囲わずガンガン攻めてくる。
 普通は、王様を囲ってから、歩を突いて、戦いが始まる。
 しかし、相手が女性の場合、こっちがまだ戦う準備ができていない段階で、ガンガン攻めてくる。だから、防戦一方になる。いきなりズカズカやってきて殴り合いが始まる感じだ。
 そして、一歩も引かず、攻め続ける。受け間違えると攻め潰される。


 女性は、精神的に闘士なんだと思う。非常に気が強い。ただ、現実の社会では男より体が小さいから、そうできないだけである。だから、女性をか弱いなんて勘違いしてはいけない。


 将棋をやって、女性は気が強いということが、かなり理解できた。これは結構すごいことだと思う。そんなの昔からわかっているよという人も多いかもしれないが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さくはじめて、リズムをつくる

2015年01月13日 23時35分47秒 | 日々の出来事・雑記

 あたりは月明かりに照らされ、暗闇というより薄墨色だ。
 
 冷たい冬風が頬に吹き付け、一瞬、体が寒さで強ばる。

 しかし、おそれることはない。ゆっくりと五分ほど走れば、体は温まり、寒さが心地よくなってくる。
 
 肩を軽く回し、首をグイグイっとひねる。そして小さい歩幅でゆっくりと走り始める。

 大事なのはリズムだ。リズムだけ守って走れば、気持ちがどんどん乗ってくる。
 
 いつだってスイッチさえ入れれば、体は気持ちよく動いてくれる。一番難しいのは、その気持ちのスイッチを入れることだ。

 スイッチを入れやすいように、まずは小さく始めよう。

 そして、小刻みなリズムをつくる。

 そのリズムを守れば、そのうち大きなうねりがやってくる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

奇石と信仰の山 石老山

2015年01月12日 20時38分47秒 | 登山

 もし、単に山を登るだけではなく、観光の要素も取り入れたいなら、おすすめの山がある。今日、私が登ってきた石老山である。

 標高702メートル、関東百名山の一つ。場所は丹沢山地の北部にある。

 私は丹沢の山はほとんど登ったことがない。だから丹沢の北部というより、奥多摩の南と言われたほうがピンとくる。
 
 最寄りの駅は中央線・相模湖駅。
 駅から石老山登山口まで徒歩で一時間ほどかかる。バスなら10分くらい。登山口の相模湖病院には登山者用の駐車場があるから、マイカーでもOKだ。

 
 なんといっても面白いのは、顕境寺という寺である。病院を十分くらい登るとすぐにある。

 そこに着くと、まずお出迎えしくれるのは、根っこが大蛇の形をした大きな杉である。たしかに大蛇のように見える。大きな杉は不思議と私たちを雄大な気分にしてくれる。何百年、何千年前の人もこの杉を見ていたのかという大きな歴史を感じるからである。時を経て、人々が繋がっているような気になる。

 本堂の脇には大きな岩の中に洞窟のようなものがある。これがまたすごい。中は暗くジメジメしていて、気持ちが悪いのだが、そこに霊的なものが存在する感じがする。
 実際にそこには人が住んでいたらしい。道志岩窟というそうだ。

 境内には大きな釣り鐘があって、いたずら気分で、一発ボーンと鳴らしてみた。軽くやったつもりだったが、すごい音が出た。音がビリビリと体に伝わってきた。ちょっとビビった。病院関係の人は、なんで今頃鐘がなっているのだろうと思ったに違いない。すいませんでした。
 
 それから、
きわめつけに、その寺にはNHKドラマの「花子とアン」に出てくる蓮子さんの墓がある。ドラマは見ていない。だから、仲間由紀恵の演じた蓮子さんがどういう人なのか知らない。ネットでのモデルになった実際の女性・柳原白蓮という人の写真を見たが、すこし仲間由紀恵に似ていた。仲間由紀恵に似ているというわけだから美人である。興味のある人は検索してください。

 とにかく、一風変わったおもしろい寺で、まわるだけでも楽しい。
 
 山登りの途中には、数々の奇石がある。名前がいろいろ付けられていたが、全く覚えていない。覚えていないが、飽きることなく、ついついジロジロ見てしまう。見ながら登ると休憩にもなるのでいい感じになる。黙々と登るよりよっぽど楽しいだろう。

 
 途中、北側に展望が開ける場所がある。融合平展望台だ。青い空と藍色の相模湖のコントラストが素晴らしい。大きなベンチがいくつかある。そこで温かいコーヒーを飲みながら、甘いお菓子を食べて、休憩すると最高である。ただし下から風がピューピュー吹いているので、ダウンジャケットやアウターは必須だ。 

 
 個人差はあると思うが、決してきつい山ではない。観光しながら、ゆっくり登れば楽勝で登れる。それを証拠にけっこう小さい子供も登っていた。ただ、私は筋肉質で汗が出やすい体質なので、背中がびっしょりだった。頂上で風に吹かれると凍える。そういう意味では、大変なところもあった。

 山頂は、丹沢の山容と富士山の頭が見える。富士山はこの時期、雪が積もっていてアイスクリームのように美味そうに見えた。富士山をバクバク食べれたら楽しいだろう。
 また、丹沢の山々の稜線をこれだけきれいに見れる場所はここだけのような気がする。神奈川の街並みもそこからよく見えた。さぞかし夜景がきれいなことだろう。

 その丹沢の稜線を見ていたら、丹沢も登りたくなった。こんど挑戦してみよう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

すべらない話 話の構造を分析してみた

2015年01月10日 23時45分24秒 | 日々の出来事・雑記

 出かけていて全部は見ていないんだけど、たまたまテレビをつけたら「すべらない話」をやっていたので観た。

 今回は素直に話を聞くのではなく、話の構造に着目しながら聞いていた。
 
なるほど、という感じだった。
 特に、今回はスマップの稲垣吾郎と香取慎吾が出ていたので、プロと素人の対比という意味でも分かりやすかった。

 芸人さんの話は、フリとオチがきちんとある。それに対し、稲垣さんの話は、つまらないわけではないのだが、そういう構造になっていない。
 
 ちなみに、フリとは、私の解釈では、意識を固定することだ。Aさんは真面目だ、真面目だ、真面目だ、と繰り返しそれを意識させることである。
 オチとは、真面目とは逆のズレた状態を示すことである。 
 フリとオチは真逆なほど面白い。

 具体的に検討してみよう。

 例えば、小籔さんの話だ。
 若手の頃漫才をしていて、相方と仲が良かったということがフリになっている。二人共バレー部だったとか同級生だったとかいかに仲が良かったかが語られる。
 しかし、すごく仲の良いのに、鼻歌を間違えたくらいでムカついた、というのがオチになっている。
 すごく仲がいい→鼻歌の間違えくらいでムカつく、という構造である。

 もう1つ、バカリズムさんの話。
 テレ朝の警備員が中に入れてくれない。そんな番組収録はないと言っている。ここで、警備員が横暴で、逆にバカリズムさんが番組に遅刻しそうでかわいそうということが、フリになっている。
 しかし、この番組はテレ朝の番組ではなくTBSの番組だった、というのがオチになっている。
 つまり、横暴な警備員・かわいそうなバカリズム→実はきちんとしている警備員・実はひどいバカリズム、という構造になっている。

 プロの話は、笑いの構造を的確にとらえている。

 これに対し、稲垣さんの話は、中年のおじさんが家によく泊まりにくるという話である。面白いことは面白い。ホモなんじゃないかとか、なんで中年のおじさんと仲がいいのかとか、いろいろ興味深い。しかし、構造的にフリもオチもない。単なる話である。

 構造主義により、話の構造がどんどん解明されてきた。
 お笑いもその一つだ。このように面白い話の構造はかなり分析されている。
 
 まずは、その構造にしたがった話を作ってみる。それがうまくなる近道である。

 その次は、話し方である。
その面白い話をどのように話すのか、構造主義は教えてくれない。
 そのタイミングや呼吸のようなものは、職人的なものだ。それなりの訓練と場慣れが必要である。
 
 
まずは、構造的に面白い話が作れるという段階があって、それをいかに面白く話すかという段階がある。
 その二つを兼ね揃えた芸人が一流と呼ばれるのだろう。 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

緊張と緩和 楽しい人生を送るには

2015年01月09日 08時55分08秒 | 日々の出来事・雑記

 人間が平和・安定・平穏が好きかというと必ずしもそうでもない。安定がずーっと続くとつまらなくなる。


 笑いのパターンは、緊張と緩和だといわれる。ただ、それは笑いだけではなく、面白さ全般にいえる。もちろん、現実の人生についても。


 緊張と緩和の例でよく挙げられるのは、学校の朝礼で先生が怒っていて、しーんとした時におならをする場面である。ほとんどの人が笑ってしまうだろう。これを応用したのが、ガキ使の笑ってはいけないだ。


 ハリウッドの映画の構造は、簡単にいえば、問題→解決の流れになっている。問題が緊張で、解決が緩和である。テロリストに占拠される(緊張)。テロリストを倒す(解決)。問題が大きければ大きいほど、解決した時の快感は大きい。


 例えば、セックスの快感も、緊張と緩和である。射精する前は全身の筋肉が緊張する。射精する時はそれが緩和する。そうなっている。女性もそうらしい。


 結局、何が言いたいのかといえば、問題のない人生はつまらないということだ。人は安定を求めるが安定すると、必ずつまらなくなる。


 楽しい人生を送るには、問題が起きて解決する、問題が起きて解決する、また問題が起きて解決する、といった繰り返しが必要なのである。


 だから、問題を恐れてはいけない。問題と解決はセットで考えたほうが人生楽しい。


 


 


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

どん底に落ちたら、掘れ

2015年01月08日 08時53分02秒 | 日々の出来事・雑記

 養老先生の話をユーチューブで聴いていたら、「どん底に落ちたら、掘れ」と言っておられた。

 それを聞いて思わず笑ってしまった。意味は分からない。

 分からないけれど、どういう意味なんだろう、と考える価値のある言葉だと思う。そういう言葉って少ない。

 まあ、分からないとだけ言っててもしょうがないので、ちょっと考えてみよう。

 この言葉は意識に関する話のなかで出た言葉だ。

 養老先生の話によれば、意識は信用出来ない。

 だから、いまどん底だと思っているこの意識は本当なのだろうか?

 もっとどん底があるのではないか?

 だったら掘ってみろ、ということなのだと思う。

 もっと言えば、どん底かどうかは、自分の気持ち一つで変わるということなのだと思う。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生の輪郭

2015年01月06日 22時18分19秒 | 日々の出来事・雑記

 俺は北海道の森の中にいた。季節は秋。雪がちらほら舞い始めていた。
 エゾジカを追っているうちに森の深いところに入り込んでしまった。道に迷ったようだ。
 迷いながら一時間ほど森の中を歩いた。すると見晴らしのいい草原に出た。どうやら森は抜けたようだ。ただ、あと一時間ほどで日没の時間がやってくる。車を止めてある場所には帰れないだろう。どこかでテントを張って一泊しなければならない。

 そのとき、後ろに気配を感じた。振り向くと五十メートルほど先に大きなヒグマが立っていた。こっちの方にゆっくり歩いてきた。心臓の鼓動が早くなり、呼吸が乱れた。
 動揺し、立て続けに二発撃った。はずれた。残りの弾は一発だけだった。
 足がガクガク震えるのを感じた。口の中は渇いていた。一日中歩き続けていたせいで体は疲れきっていた。できればここで休みたかった。
 しかし、ヒグマがいる以上、それはできなかった。

 俺は迷っていた。ヒグマを至近距離に近づけて最後の弾をぶち込むか、それとも遠距離からヒグマを狙って撃つかだ。
 近づけて撃てば当たる確率は上がるが、襲われる危険も増す。一方、遠距離で撃てば襲われることはないが、はずれる可能性が高くなる。
 もうすぐ日が暮れてくる時刻だった。暗くなってからはヒグマを撃つことはできない。タイムリミットは近づいていた。どちらかを選択しなければならなかった。
 いよいよ決断の時期が来た。
 俺は至近距離でヒグマと対峙する方を選んだ。
 西に沈む太陽を背に仁王立ちになってヒグマを向かえた。ヒグマは一歩一歩近づいてきた。ライフルの照準をヒグマの脳天にあわせた。一発でしとめなければ死ぬだけだ。晩秋の木枯らしが指先を冷たくした。俺は石のように固まり、ヒグマが至近距離に来るのを待った。
 近づいてきたヒグマは二メートルを越える大きさだった。丸々太っていた。ヒグマは見下ろすように顔を近づけてきた。ライフルの照準はぴったり頭にあっていた。一瞬、ヒグマの動きが止まった。チャンスは今しかなかった。ためらわず頭に弾を打ち込んだ。ヒグマの脳味噌が吹っ飛んだ。ヒグマはバタッと倒れた。

 ヒグマが死んでいるか慎重に確認した。軽く蹴ったが動かなかった。体がブルブルと震え、奥歯が噛み合わなかった。意識の焦点が定まらず、呼吸が乱れていた。
 息をゆっくり吐いた。大きく吸ってまたゆっくり吐いた。それを何回も繰り返した。その内に、落ち着きを取り戻した。意識の焦点がピタッと定まった。
 ヨシッと声をあげ、すぐにヒグマの解体作業に取りかかった。

 
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雪山での決断

2015年01月05日 08時39分37秒 | 日々の出来事・雑記

 楽しい冬山登山のはずだった。しかし、急激な天候の変化で状況は一変した。激しい吹雪と降り積もる雪で身動きがとれなくなってしまったのだ。
 丸三日、ツェルトの中で過ごさなけらばならなかった。しかし、三日間が限界だった。
 ツエルトの中は、僕のほかに三人いた。彼女の千春と親友の大介、その彼女の祐実だ。
 千春と祐実は寒さで低体温症になっていた。大介は度重なる雪かきのせいで凍傷になっていた。コンロのガスは使いきり、食べ物もほとんど食べ尽くした。残っているのは、少しばかりの飴とクッキーだけだった。
 この四人の中で、動けるのは僕だけだった。
 本当なら僕もこのツェルトの中でじっとしていたかった。しかしそれはできなかった。動ける僕がなにかしなければ、三人は死んでしまうからだ。
 時間は刻々と過ぎていく。僕はどうすればいいのだろうか。
 雪がなく通常の状態ならば、二時間ほどで下山できる。しかし、この大雪では何倍もの時間がかかるだろう。雪は腰のあたりまで降り積もっていた。この過酷なルートをラッセルしながら下山できるのだろうか。自信がなかった。
 困難な状況になったらじっとしていろ、というのが山のセオリーだった。その場から動かず救助を待つのがベターな選択のように思えた。
 そろそろ家族は、連絡のない僕たちを心配して遭難したと騒ぎ始めているに違いない。そうすれば救助隊が出動する。その可能性に賭けるのも一つの方法だった。
 ふと隣で寝袋に入って寝ている千春の顔を見た。顔は青白く唇は紫になっていた。このままでは低体温で死んでしまう可能性があった。
 僕は彼女の細い肩を寝袋ごと引き寄せた。彼女はぼんやりと目を開けた。ゆっくり彼女に顔を近づけてキスをした。唇は乾いてかさかさしていた。
 大丈夫だからね、と彼女の耳元でつぶやいた。彼女は弱々しくうなずいた。
 ツエルトの入り口のチャックを開け外を見た。嵐はやんでいた。依然、曇り空だったが、吹雪いてはいなかった。風も収まっていた。
 僕は登山靴のひもを締め、マフラーを首に巻いた。頬をバンバンと二回たたいて気合いを入れた。
「大介」と張りつめた声で彼を呼んだ。
「どうした?」
「ちょっくら行ってくるわ。あとは頼んだ」
「そうか、死ぬなよ」そう言うと、大介は分厚い手袋をしたまま手をあげ、僕の方に差し出した。
 僕はその手をタッチして、外に出た。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする