言葉もしくは言葉的なものは、人間だけが使うものではない。
例えば、飼い犬は呼びかければ、こっちに来る。犬は明らかに自分の名前を理解している。
また、鹿も危険を察知したとき、ピーっと鳴いて、仲間にその危険を知らせる。それだって、言葉といえば言葉である。
言葉はコミュニケーションのツールである。
コミュニケーションは動物でも行う。だから、動物であっても言葉を使う。
ただ、人間と動物の大きな違いは、問う能力にあるとされる。
ボノボやチンパンジーのような人間に近い動物は、調教師とかなり複雑なコニュニケーションをとる。そして、それらの動物は調教師の求める複雑な要求に答えることができる。
しかし、そんな知能の高い彼らでも、自ら調教師に対して問いを発することはできない。
これに対し、人間の子供はかなり早い段階で、親に対し問いを発することができる。
問いは、なぜ?という因果関係を求める作業である。
言い換えれば、この結果が起こった原因は何なのか?ということを求める知的作業である。
この知的なコニュニケーションをとるためには、因果の流れを理解できていなければならない。
そして、因果の流れを理解できるためには、時間の流れが分からなければならない。
時間の流れは、過去の一点から今につながる流れを理解することである。だから、過去のことを覚えていなければならない。
過去の記憶は、脳の働きである。そして、その過去を固定化するために、言葉が利用される。
それ故、言葉は、本来固定化できない世界の事象を固定化する働きを有する。