フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

酒の席での失敗

2011年11月30日 08時29分56秒 | 日々の出来事・雑記
 柔道のオリンピックで金メダルをとった内柴選手が、セクハラ行為で大学から解雇処分を受けたそうである。詳しいことは分からないが、どうやら飲酒した上で、そのような行為があったらしい。
 また、沖縄防衛局長が更迭された原因となった「犯す前に犯すと言いますか」との発言も酒の席だったとのことだ。

 私は二人で飲みに行ったりする場合は別であるが、たくさんの人で飲み会をするときは、烏龍茶を飲んでいる。
 アルコールは好きでも嫌いでもない。無くても全く困らない。嫌いかというとそうでもなく、飲み始めると意外と強いので自分でもびっくりすることがある。ただ、当然、飲み始めると、頭の回転は鈍くなり話はつまらなくなるし、体の動きも悪くなる。アルコールを飲むと自分の言いたいことの半分も言えなくなってしまうので、話をする場所で酒を飲む意味が分からない。普段、抑圧されていることもない(もちろん全くないということはありえないが)ので、酒の力を借りて何かを言うということもない。酒なんか飲まなくても言いにくいことをズバズバ言える。
 
 私がこういう話をすると、一応納得してくれるが、「お前みたいな性格は稀だよ」と言われる。私も、お酒がコミュニケーションを円滑にすることはよくわかる。しかし、本音をいうことがコミュニケーションを円滑にすること、と勘違いしてはいけないと思っている。だって、綺麗な女性が前にいれば、やりたいなぁ(失礼)と思ってしまうのが男の本音だからである。そういうことを隠しながら(バレているけどね)、上手に話をしていくことがコミュニケーションであり、それが楽しいのである。だから、コミュニケーションの場で酒はいらないし、もっといえば邪魔である。

 ただ、逆に、普段はおとなしいけれど本当は何考えているんだろうという感じで、本音を引き出してやろうとする場合には、お酒は有効だろう。どちらかと言えば、こっちの使い方のほうが多いのではないだろうか。だから、普段、抑圧されている人は要注意である。罠にはめようとしている人に陥れられる可能性がある。
 私は、飲んでいるとろれつが回らなくなりだんだん動きが鈍くなって寝てしまう。だからわたしに酒を飲ませないでくださいね。何かを引き出そうとしても何も出てこないから。飲んでいない時の方が失言が多いですよ。

 時間が来た。では
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自転車の運転について

2011年11月29日 08時35分25秒 | 日々の出来事・雑記
 ニュースを見ていたら、タンクローリーが急ハンドルを切って歩道に乗り上げ、二人を轢いたという二人の死亡事故について、タンクローリーの運転手が罰せられるのではなく、急ハンドルを切る原因となった自転車の運転手が実刑判決が言い渡されたということだ。これは画期的な判決だろうと思う。
 
 私は、自転車も自動車も運転する。自転車はボロボロで、チェーンが伸びきっている。だから加速しようとするとカクっと外れて飛ばせない。そのおかげで、私の自転車はスピードが出せず安全だ。伸びたチェーンがガチャガチャいうので少し恥ずかしいが、危険は少ない。
 
 自動車の運転も基本的には飛ばさない。ただ、事故の危険性について最近気になるのは自転車の存在である。車道をふらふらと走っている人もいるし、ガンガン飛ばしている人もいるが、危なくてしょうがない。
 これからの日本の自転車の運転はどうなるのだろうか。車道は狭いし、駐車している車があるから、自転車専用道路をつくるのはなかなか難しい。そうかといって歩道で飛ばしていると、歩行者と接触する可能性がある。
 難しい問題である。
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ビッグブラザーとリトル・ピープル 

2011年11月26日 09時25分58秒 | 社会・政治・思想哲学

 村上春樹の「1Q84」にリトル・ピープルという分けのわからない妖精みたいなのが出てくる。これは、ジョージ・ウェルの「1984年」のビッグブラザーに対応するものだと推測される。
 ビッグブラザーは、御存知の通り、「兄」である。ジョージ・オーウェルの小説を読んでいないので詳しくは分からないが、ビッグブラザーとは独裁者を意味するとのことだ。日本のイメージでは兄ではなく父だと思われる。ジョージ・オーウェルがビック・ブラザーとしたのは、一神教の国では父は神に相当するからだろう。

 今の日本で、父といって想像するのは誰だろうか。私はすぐ石原慎太郎を想像してしまう。もし、彼が死んでしまったら、日本でその役を誰が引き継ぐのか分からない。
 
 私たちの世代は、ビッグブラザーになろうとしている最後の世代なのかもしれない。それは、怪獣(アメリカ・原爆の比喩)を倒すウルトラマンに熱狂した最後の世代ということと関係しているのだと思う。例えば、橋下徹とか、TPPに反対している中野剛志とか、キムタクとか。
 ビッグブラザー的物語がヒーロー=独裁者を志向するのは間違いない。
 村上春樹のリトル・ピープルがなんなのかはよく分からないが、ビッグブラザーに対立する概念だということは分かる。独裁者を排除して小さい人々がネットワークを駆使し相互につながりあうというイメージなのだろうか。
 
 日本には、暴力を全く使用せず、かつ人々から尊敬されたビックブラザーがいる。だから、一神教的物語とは、違った別の観点から、もう一度、日本的システムを考えてみなければならない。ただ、暴力を使わない父が父としての役割を果たし得るのか分からない。
 
 人々は、憎みながらも父を必要とする。今度の大阪市長選も、多分、橋下氏が勝つのではないかと思う。これからの大阪がどうなるか注目している。成功するにしても失敗するにしても、これからの日本の行方を考える上で、重要な出来事になると思っている。
 


 

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分からないもの

2011年11月25日 08時53分27秒 | 社会・政治・思想哲学

 山の中でテントを張って寝ていたとき、近くで話し声が聞こえたことがある。外に出て周りを見渡したが誰もいない。
 この場合、幽霊がいるのかいないのかといった霊的な問題にすることもできるし、疲れたときに幻聴を聞くのか聞かないのかといった体の問題にすることもできる。本当のことは分からない。
 人間は分からないものに出会ったときに、それを何とか理由付けしようとする。その理由付けの仕方はその人それぞれである。オカルト的な方向に話が進んでいく人もいるし、科学的なことで説明しようとする人もいる。ただ、わからないものは分からないものとして、保留しておくこともひとつのやり方である。
 
 最高の知性は物事をすべて説明できるといったことではない。分かることと分からないことの境界線を知っていることである。ある分野で世界一の科学者は、知らない世界の向こう側にトンネルを掘っている人であり、知らない世界の最先端を行く人である。そして、知らないことを無理やり説明せず保留できる人でもある。
 知らないくせに、知ったように説明する人は要注意である。人間が死後の世界を説明できるはずはない。カルト宗教は、知らない世界を知ったように説明する。先祖のたたりとか。
 墓参りをしないとろくなことが起こらないという人がいる。確かにそういうこともあるだろうと思う。ただ、それは先祖のたたりといった曖昧なことが理由ではなく、先祖に感謝しないような自分勝手な考え方のせいだと私は考えている。だから、たたりが怖くて(自分の利益のために)墓参りをする人より、行かなくてもちゃんと人に感謝できる人の方が幸せになると思う。
 
 オウムに入った人たちが、学歴の高い人たちだったのは偶然ではない。知性的であればあるほど知らない世界にぶつかるからだ。そこで、安易でチンケな物語に飛びついてしまったことが問題だったのである。
 知らないことに遭遇したとき、どう振る舞うかが問題だ。分からないものを分からないものとして保留できるかどうか。
 

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オウム事件について

2011年11月22日 09時04分01秒 | 日々の出来事・雑記

 オウム裁判が終結したそうだ。ちょうどサリン事件が起こったとき、築地でバイトしていた。バイト先は築地本願寺の脇を通っている晴海通りを挟んだ向こう側で、救急車の音が鳴り響いていたのを、強く記憶している。ただ、その当時、テレビがなかったので、オウムに関する報道はほとんど見ていない。だから、事件をクールに見ることができるのではないかと思っている。
 私の場合、そもそも組織に帰属するのが嫌いだから、ああいう宗教団体に入ることはなかったと思う。しかし、ヨガや瞑想から得られる神秘体験については興味があった。だから若い時期に、その神秘体験に触れたら、どうなっていたか分からない。
 オウムの問題は、他人事ではなく、私たち日本人に深く関わっている部分もある。例えば、会社組織が行う軽微な犯罪行為について、社員の立場でどう対応するかといった問題である。多分、普通の日本人なら会社の犯罪行為について見てみぬ振りをするのではないだろうか。また、会社に犯罪行為を行えといわれた場合、断れるかといった問題もある。オリンパスや大王製紙などの問題などを考えればいい。
 この点、キリスト・イスラム圏の人々なら、自分の心の中にある正義は、会社の利益や規範とは別の所にあるので、比較的容易に会社の不正を暴くことができる。
 この辺のことは、既に語りつくされているから繰り返す事に意味があるかどうか分からない。ただ、社会問題としていまだに存在しているのだから、語ること自体は無意味ではないだろう。
 組織の不正を暴き、組織から疎外され一人きりになったとき、自分の行為が本当に正しかったのか、長いものに巻かれたほうがよかったのか、苦悶するだろう。そのときにこそ本当の意味で、宗教的物語が必要になる。
 寂しいから組織に入って連帯するのではなく、疎外された場所で、心の連帯をするのが宗教的な行為なのではないかと思っている。だから、孤独になることを恐れてはいけない。
 
 まだ、書きたいことはあるが、時間がなくなった。ではまた。

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昨日の日本シリーズ

2011年11月21日 08時41分48秒 | 日々の出来事・雑記

 日本シリーズ第6戦は、ラジオをつけてテントの中で聴いていた。7戦は、帰ってきて後半テレビで観た。やっぱり真剣勝負は面白い。昨日の試合はソフトバンクの強さが目立っていたが、中日もよく頑張っていたと思う。
 
 小久保、41歳 松中、38歳 カブレラ、39歳、谷繁、40歳。私もこの辺の歳だ。人のことはよく分からないが、わたしに限っていえば、今の体力は20代の頃と大して変わらない。よく動く。プロの世界でも、節制して鍛えていれば、十分やれるのではないかと思う。また多少の体力の衰えは経験で補うことができる。
 そういう意味で、プロの世界も大変である。最近の健康医学の発達で、一流のベテランの選手生命が長くなった。そうすると若手が圧倒的な力で力のあるベテラン選手を乗り越えなければならない。そうしなければ、なかなか使ってもらえないだろう。同じ力量なら、ファンに馴染みのある選手を使うからだ。
 
 野球もだんだん人気が下火になってきているが、それでも一流の男たちが真剣に勝負する姿は、なかなか素晴らしい。頑張ってもらいたいものだ。
 ああ、そうだ忘れていた。ソフトバンク優勝おめでとう。

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大菩薩峠の紅葉

2011年11月20日 16時45分36秒 | 日々の出来事・雑記
今年最後の紅葉かな。
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ホワイトアウトを読み終えて

2011年11月17日 09時01分22秒 | 日々の出来事・雑記

 昨日、ホワイトアウトを読み終わった。間にライティング技術に関する他の本を2冊くらい読んでいたので、読み終わるのが遅くなってしまった。
 なるほど、人が面白いというのもよくわかる。特にエンディングが素晴らしい。
 ただプロットは、特に変わったものではなく、昔からよくある手法である。面白さというのは、驚くことにほとんど同じようなパターンである。
 「喪失・傷」から「奪取・回復」。
 親友を助けることが出来なかったことで精神的傷を負う。同じ状況で、親友の恋人を助けだすことによって精神的傷を回復する物語である。
 動機が健全であること、自分の力で傷を回復すること、にカタルシスがある。動機は親友を助けることが出来なかった自責の念であり、回復は困難を乗り越え彼女を自分の力で助けることができたことである。決定的に重要なのは自己回復である。
 傷を自己回復するのではなく、他人にどうにかしてもらおうとすれば、その傷は被害者意識に変わる。傷の回復が権利主張になる。何とかしろと子供のように駄々をこねる人を見かけるが、あれである。ただ、この人が本当の意味で自己回復することはない。
 喪失から回復の物語が繰り返し読まれるのは意味がある。困難を乗り越え回復する主人公に自己投影をしているのである。
 そのような物語の主人公に自己投影できる人は、傷を負った時、自分の手で困難を乗り越え回復する道を選ぶだろう。
 
 時間がなくなってきたので、この辺でやめる。続きはまた今度。

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アウェイでの戦い方

2011年11月16日 08時59分52秒 | 日々の出来事・雑記

 御存知の通り、昨日、北朝鮮でサッカーの国際試合があった。日本は格下の北朝鮮に負けた。ザックジャパンにとって初の黒星だったとのことだ。サッカーについては詳しく知らないので、あれこれコメントするつもりはない。ただ、ちょっと面白いなぁと思うのは、サッカーの試合のホームでの勝率である。
 ネットで検索してみたところ、Jリーグについてであるが、ほとんどのチームが、アウェイの勝率よりホームの勝率のほうが高い。アウェイもホームも同じ条件で試合をしている以上、偶然ではなく、明らかに何かある。まぁ、私が言うまでもなく、それはファンの応援だろう。
 人は、誰かのために頑張ったり、熱狂的な応援を受けている状態で戦うと、本来の力より大きな力が出るのだと思う。だから、自分をサポートしてくれる人がいる場合、それを忘れず感謝することが大切である。そのプラスの力は、応援してくれる人たちの力だからである。
 しかし、何かと戦わなければならない場合、近くにわかりやすい形で自分を応援してくれる人がいることは稀である。ほとんどの場合、孤独の中で戦わなければならない。そういう時は、想像して欲しい。知らないどこかで誰かが自分を応援してくれていると。
 私が、こんな感じで文章を書いているのも、届かないかもしれないが、知らない誰かを応援したいからである。
 孤立無援で一生懸命戦っているとき、見えない誰かと連帯することで、危機を乗り切れる場合がある。私も、その連帯を想像し、危機を乗り切ることがある。
 単純な勝ち負けではなく、孤立無援のアウェイでどう戦うかが大事である。
 
 ちょっと、まじめに書きすぎたかも。「頑張って」を長く書くとこういう感じになる。
 

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ある会社の倒産

2011年11月15日 08時59分35秒 | 日々の出来事・雑記

 むかーし、勤めていた会社が倒産したとの話を、その時の同僚から聞いた。そこそこの会社だったのに。
 どうやらバブル期の土地に関する損失が、今の今まで影響したらしい。そう、例のオリンパスと同じだ。
 いろいろと学ぶべきことの多い会社だった。何年かで辞めてしまったが、もらった給料以上に受け取ったことが多かったような気がしている。すごく感謝している。

 路頭に迷った社員、経営者はどうしているのだろうか。それを考えると少し気分が重くなる。
 ただ、絶望は勝手に自分が想像した将来についての一つの見方にすぎない。人は先のことなんてほとんど読めない。そんなに賢くない。もしそれができたら、今頃、競馬で家が建っている。
 
 ちょうど今、真保裕一氏の「ホワイトアウト」を読んでいる。突然、親友が遭難にあって死ぬ。気持ちの整理がついていない状態で、厳冬期のダムにテロリストがやってきて、一人過酷な状況で主人公の富樫(映画では織田裕二)が奮闘している物語だ。面白い。
 あるベストセラー小説家は、「困難によって主人公を追い詰めよ」と言っている。辛くあたればあたるほど物語はおもしろくなるとのことだ。
 面白い物語の主人公には困難が必要だ。じゃあ、この人生の主人公は誰だ?
 もちろん、主人公は、私、もしくはアタナである。
 
 ぜひとも、困難の多いワクワクする人生を。
 

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