フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

芸術にとって必要なもの

2020年06月30日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

芸術の分け方に、時間芸術と空間芸術という分類があります。

分類したからって、どうなるわけでもありませんけれど、一応、知識の整理です。

時間芸術は、演劇、映画、小説、音楽のように、時間の流れの中で、変化の美しさを表現する芸術です。

音楽は音の変化、小説は文字による想像の世界の変化、映画は映像の変化です。

そのうち、「時間とはなんだろう」という本の感想をブログに書こうと思っていますが

時間とは、簡単に言うと、物質の動きです。動きがなければ時間はない。

だから、時間と動きの法則としての物理は、密接な関係にあるわけです。まあ、後で話します。

空間芸術とは、二次元(絵画・写真)もしくは三次元(彫刻)の空間において、美しさを表現する芸術です。

変化ではなく、静止した状態で、美しさを瞬間的に表現します。


ところで、感動について、小林秀雄は講演の中で、こう言っています。

「僕の場合、最初に、ある一つの感動がある。何かを言って何かに達するわけではない。漠然としているけど非常に明瞭な感動がある。そういうものに出会ってきた。これを何とか明瞭化しなくてはいけないと思う」

「いつでも感動からはじめた。感動したときには、世界はなくなるものです。世界がなくなるとは、自分自身になるということです。自分自身になるということは、それはパーフェクトな自分ということです。バカはバカなりに、利口は利口なりに、その人なりに完全なものです。その感動というものが、個性というものです。これは天与の知恵だね。これは天がそう決めたんでしょう」

「僕の書くものは、感動からはじめた。だから、そこに僕というものがいるんでしょ。僕は自分というものを語ろうとしたんじゃないんです。感動はどこかからやってきたんです」

ここにいう感動を「美」と言い換えてもいい。

小林秀雄の文章は、難しいけど、そこにはある種の美が感じられる。

それは、誰にも書けない小林秀雄特有のものです。

そして、小林秀雄が繰り返し言っているのは、文章からはじめたのではなく、最初に感動があるということです。

これはどういうことなんでしょうか?

道に一輪の花が咲いていますよね。その花を美しいと感じる。心が動かされる。

道を歩いていると、真っ赤な夕日が見える。その夕日に感動する。

まず、感動があります。心の中に美しいと感じる何かがある。

僕たちは、その感動を掴まえて、固定したいんです。なぜか?

好きな人に「私、あのときすごくキレイな花を見たんだよ」って伝えたいからです。

心の中にある感動を、愛する人に伝えたいからです。

じゃあ、その美しさをどう伝えますか? 写真があれば写真を撮るかもしれません。

写真もただ撮るだけではなく、美しさをきちんと表現できていないといけません。

もし、写真がなければ、絵を描きますよね。絵もきちんと美しさが伝わるように描かなくてはいけません。

このように、感動を、美を、人に伝えていくのが、芸術です。

だから、先に感動がなければいけないんです。

心のなかに、美しさを感じなければ、芸術は生まれません。

そして、それを伝えたい誰かがいなければ、芸術は不完全なものになるでしょう。

愛のないところでは、本当の芸術は育たないんですね。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いい人生を送るためのストーリー

2020年06月29日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

今日は人生におけるストーリーの重要性について語っていこうと思っています。

まずは「夜と霧」の著者、フランクルの話です。

ナチスの強制収容所で生き残った人は、若い男や屈強な男ではありませんでした。

奇跡的な生還した精神科医のフランクルは、三十歳半ばで体力もありませんでした。

しかし、彼は、この収容所の中で、電流の流れる有刺鉄線へ飛び込んで自殺する者を見たとき、悟ったそうです。

この過酷な場所で、生き続けられる者は、生きる意味を見出している者だと。

それで、彼は、四六時中妻のことを考えていたそうです。

彼女に対する愛と、これからの人生のストーリーを想像して、厳しい試練にも耐え抜いたそうです。


ストーリーの重要性については結婚生活にもいえるそうです。

心理学者のジョン・ゴットマンが、夫婦同席の状態で二人の歴史や結婚生活についてのストーリーを話してもらい、その内容を分析しました。

そして、そのストーリーの分析から、夫婦が将来離婚するかどうかを、94%の精度で予測できたそうです。

人々は自分を主人公として、自分の描いた人生のストーリーを持っています。

そして、現実の生活が、自分のストーリーに合致しているほど、幸福度が高いそうです。


人間の記憶は、コンピューターの記憶媒体のように、バラバラな事実だけを記憶できません。

記憶はストーリーの形で保存されます。

そして、そのストーリーが、僕たちの思考を支配し、行動を決定します。

だから、自分がどういう人生のストーリーを描くかは、すごく重要です。

自分がどう生きるべきかを左右していきます。


僕には僕なりの人生のストーリーが、一応あります。

ただ、無意識の中にあるストーリーは、子供の頃に見ていたウルトラマンレオの主題歌のような気がします。

阿久悠の詞です。いい歌詞です。

もういい歳ですが、この歌を聴くと、ちょっと目頭が熱くなってくる。

子供の頃のすり込み(洗脳)は怖いですね。

女の人には、ちょっとわからないかも知れませんが、同世代の男の人ならうなずいてくれるでしょう。

男の子って、戦いたいんです。

だから、無駄に戦わせるんじゃなくて、誰かのために戦わせるように仕向けていかないとだめなんですよね。


ウルトラマンレオ OP / 子門真人Ver. Ultraman Leo Opening

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

内面を外から見ること

2020年06月28日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

たとえば、公園のベンチで若い男女が、仲良く話をしている。

「何があっても、絶対、おまえを守るから」って男が言う。

二人は抱き合ってキスをする。

仲良くて、よろしゅうございますね、と僕なら思う。

でも、小林秀雄に「そんなの、ただの言葉じゃないか」って怒られそうだ。

確かに、ただの言葉だ。でも、自分の気持は言葉でしか伝えられない。

だから、仕方ないような気もする。


ちょっと、話が逸れるが(きちんと戻ってきますので)、いいドラマや小説には必ず困難があります。

主人公が、これでもか、これでもか、と悲惨な目にあう。

これには、ちゃんと理由があります。別に、困難自体が面白いわけではありません。

見ている人は、主人公の真っ直ぐな強い気持ちに心を打たれるのです。

「強い意志」と言い換えてもいいかもしれません。

その強い意志のもとになるのは、愛です。

僕たちの心の中の内面は見えませんよね。だから、「愛してる」と言葉に出してみる。

でも、ホントか?と疑いたくなります。それが、ただの言葉なら。

だから、困難をぶつけてみるんです。様々な障害、妨害、敵の存在。

それでも自分の意志を曲げすに、行動できるかどうか。

厳しい試練に耐え抜いて、行動を貫徹できたとき、はじめて強い意志を、外から感じることができる。

人の内面を見るということはそういうことです。


彼女が、中国マフィアに捕まって、人身売買された。

そして、中国本土の売春宿に送られた。

彼は、船で中国に密航し、彼女を救いに行く。

中国マフィアに捕まって、拷問にあい、殺されそうになる。

その後も、大変な試練をくぐり抜け、やっと彼女のいる場所を見つける。

彼の身体は傷だらけでボロボロだ。でも、彼はそれをなんとも思っていない。

ただ、彼女を見つけ、安堵の表情を浮かべている。そして、彼は彼女を抱きしめて言う。

「何があっても、絶対おまえを守るから」と。

どうですか? この言葉は、ただの言葉ではありませんよね。

彼の「彼女をなんとしても守ってやる」という強い意志は、困難にぶつかったときにしか見えてこないんです。

だから、その気持ちが本物なのかどうかは、困難にあったときにしか分からない。

もし、何かしている最中に辛い目にあったら、神様が自分を試していると思ったほうがいい。

それでも妥協しないで、続けていこうと思ったら、その意志は本物です。

どうでもいいことだったら、すぐに心が折れてしまうでしょう。

神よ、彼に試練を与え給え。

彼の意志が本物かどうかを知るために。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ありそうでないもの

2020年06月27日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

最近、ブログで真面目なことばっかり書いているような気がします。

でも、真面目なことばっかり書いてると、その次は、アホなことを書きたくなります。

なぜ、そんなことを思うのでしょうか?

たぶん、甘いのとしょっぱいのを交互に食べると、無限ループになるのと似ています。

そうやって、真面目とアホを交互に続けていると、無限ループ的に文章が書けるからかもしれません。

チョコとせんべい、真面目とアホ、チョコとせんべい、真面目とアホ、みたいな。

ところで、今日のテーマは、ありそうでないものです。

ちょっと、いくつかあげてみますね。

猫の正常位、刺し身フライ定食、ペコちゃんの眉毛

干しスイカはネットで見たらあったので、干し氷

うーん、僕の頭で考えられるのはこれくらいかな。

ホントくだらなすぎて、スイマセン。

でも、たまにこういうの書いてみたくなるんです。

もうこれは病気ですな。ハハハ。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

魂に触れること

2020年06月26日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

小林秀雄の講演で、柳田国男の「山の人生」という本の話が出てくる。それを紹介しよう。

西美濃の山の中に炭焼の男がいた。
女房はとっくに死んで、あとに13歳の男の子がいた。
そして、同じくらいの歳の女の子をもらってきて、炭焼小屋に一緒に暮らしていた。
ある日、里へ降りても、炭が売れず、一合の米も手に入らなかった。
飢えて食べ物を待っている子どもたちが不憫で、小屋の奥に入ってこっそり昼寝していた。
時は秋の末で、目が覚めると、小屋いっぱいに夕日が差していた。
二人の子どもがしゃがんで斧を研いでいた。
「おとう、これで私たちを殺してくれ」と男の子が言った。
そして、入り口の材木を枕にして、二人は仰向けに寝たそうだ。
男は、クラクラして、前後の考えもなく、二人の首を斧で打ち落としてしまった。
それで、自分は死ぬことができなくて、警察に捕まって牢に入れられた。
男が60近くになり、特赦を受けて、世の中に出てきた。


この話を読んで、どう思いましたか?

僕は、腹が立ちました。なんで子どもを殺さなければならないんだ。

かわいそうだし、あまりにも身勝手じゃないかと。

でも、小林秀雄は違うんです。全然違うとらえ方をする。

子供の視点から話を読むんです。

なぜ、子どもが斧を研いで、自ら「殺してくれ」と言ったのか?と問うのです。


僕も、一週間くらい山に入ることがありました。
本当に厳しい世界です。

僕は十分な食べ物と熱源(ガス)を持っていました。

もし、それがなければ、簡単に死んでいたでしょう。

僕の知識では、山の中で食べ物を得ることはできませんから。

炭焼ってすごい重労働です。それに加え、山を下って里に降りなければならない。

それで一合ポッキリの米です。それを、三人で分ける。

生きていくには、あまりにも厳しい現実がそこにあります。

食い扶持を減らさなくては、つまり、誰かが死ななければ、生きていけないわけです。

現在の価値観から話を読んではいけないと小林秀雄はいいます。

それを間違えると、子どもたちの美しい魂を見逃してしまう。

子どもたちは、父親を愛するがゆえに、自分たちを犠牲にしたのです。

美しい自己犠牲の精神です。

「美しい魂」に触れるということは、それなりの見識が必要とされるのでしょうね。

僕は、この話を読んだとき、子どもたちの気持ちがまったく分かりませんでした。

さすが、小林秀雄といったところでしょうか。

そして、彼は死んだあとの子供たちの魂の存在を信じています。

それが、客観的に、科学的に正しいかどうかは別として。

ただ、それを信じている。


小林秀雄 講演 信じることと知ること

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我、事において後悔せず

2020年06月25日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

宮本武蔵の独行道に、「我、事において後悔せず」という言葉がある。

最近、小林秀雄のエッセイに凝っていて、彼の「私の人生観」にそのことが書いてあった。

非常に難しい解釈です。

「後悔などというお目出度い手段で、自分をごまかさない決心をしろ。今日まで自分が生きてきたことについて、その掛け替えのない命の持続感を持て」といいます。

たぶん、後悔ではなく、今この一瞬の行為を真剣に生きていけ、ということなんだと思います。

なるほど。達人の言葉ですね。この考え方、すごーく好きです。

武士のように、命のかかった状況に生きていると、こういう考え方になるのかも知れません。

でも、人に説明はできませんよね。

だから、僕は、もっと単純に考えます。

後悔は、自分の失敗を後で悔いることです。反省は、自分の行為を評価し、悪いところは改めることです。

つまり、後悔は、過去を変えようとすることで、反省は、未来を変えようとすることです。

過去は変えられないから、後悔しても意味はない。だから、後悔しない。

でも、未来は変えられるので、反省はする。

僕たちにできることは、過去の失敗を客観的に振り返り、そこから教訓を得て、未来に活かすということなんだと思います。

失敗は、未来を良くするための材料に使うのです。

といいながら、失敗だらけの人生を正当化して、どんどん失敗していきましょう。

僕みたいな凡人は、小林秀雄や宮本武蔵にはなれませんから。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

シアトルのコーヒーと低気圧について

2020年06月24日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

アメリカのシアトルでは、勝手に作られた自治区の中で、銃撃戦が起きましたね。大変なことになっています。

でも、今日はその話ではありません。

シアトルのコーヒーの話です。シアトルは、アメリカのコーヒーの首都だと言われています。

スターバックス、タリーズコーヒーは、シアトルで生まれました。

なぜ、シアトルでコーヒーが愛されるのかについて、諸説あります。

シアトルは雨が多くて気分が滅入ってくるので、コーヒーでテンションをあげるという説が、一番しっくりきます。

というのも、僕自身、雨が降って低気圧だと、テンションが落ちるからです。

山でも、2500mを越えると、頭が痛くなってきます。気圧が低いのに弱いみたいです。

雨が多くなると、文章もネガティブで、暗めになってくる。

今日はできるだけ明るく書いていますが。

ただ、気分が沈んだときって、意外といい文章が書けるんですよね。

自分の持っているネガティブな部分を、うまく引き出せるからだと思います。

何かを生み出すには、自分の心の中にあるものに向き合わなくてはならない。

内向的な人のほうが、創造的であるのは、そういう事かもしれない。

シアトルは、コーヒーが有名であると同時に、ベンチャー起業が有名ですよね。

雨は内向的な部分を引き出す何かがあるのだと思います。

ただ、僕は落ち込んでいても、その自分を客観的に見て、楽しんでいるところがあります。

そのおかげで、ふかーい心の闇に落ち込んでいきません。適当なところで止まります。

でも一回くらい、闇の世界に入り込んで、その中を覗いてみようかな。

どうなってしまうんだろう。

シアトルも、今、変な方に向かっているのは、そういうことなんでしょうかね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

美を求める心 小林秀雄

2020年06月23日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

「美を求める心」は小林秀雄のエッセイです。

久しぶりに読みたいと思い、本棚を見ましたが、ありません。

どこに行ったんだろう。

たしか、「考えるヒント3」ですね。このエッセイがある本は。

難解な小林秀雄の文章の中でも、中高生向けに書かれた読みやすい文章だったと思います。

ネットから、引っ張ってきたので、少し引用してみましょう。

美しい自然を眺め、或いは、美しい絵を眺めて感動した時、その感動はとても言葉で言い現せないと思った経験は、誰にでもあるでしょう。

諸君は、何んとも言えず美しいと言うでしょう。

この何んともいえないものこそ、絵かきが諸君の眼を通じて、直接に諸君の心に伝えたいと願っているのだ。

音楽は、諸君の耳から入って、真直ぐに諸君の心に到り、これを波立たせるものだ。

美しいものは、諸君を黙らせます。美には、人を沈黙させる力があるのです。

絵や音楽が解るというのは、絵や音楽を感ずる事です。愛する事です。

知識の浅い、少ししか言葉を持たぬ子どもでも、何んでも直ぐ頭で解りたがる大人より、美しいものに関する経験は、よほど深いかもしれません。

実際、優れた芸術家は、大人になっても、子どもの心を失っていないものです。


この「人を沈黙させる何か」を、表現するのが芸術ですね。

もう一つ、このエッセイの中から、好きな文を引用しますね。

泣いていては歌はできない。悲しみの歌をつくる詩人は、自分の悲しみを、よく見定める人です。
悲しいといってただ泣く人ではない。
自分の悲しみに溺れず、負けず、これを見定め、これをはっきりと感じ、これを美しい言葉の姿に整えて見せる人です。
詩人は、自分の悲しみを、言葉で誇張して見せるのでもなければ、飾り立てて見せるのでもない。
一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えてしまう、取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、これを粗末に扱わず、はっきり見定めれば、美しい姿のあることを知っている人です。


自分の悲しみ(いろんな感情)を客観視できて、はじめてそれを表現できるのですね。

つまり、悲しみに打ち勝たなくては、それを表現できないということです。

だから、僕は自分の感情に溺れず、その中にある美しさを拾って、表現できたらいいなと思っています。

素晴らしいエッセイなんで、すごくおすすめします。

それにしても、本どこ行ったんだろう。謎だ。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

精神的に弱いところ

2020年06月22日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

精神的に強いか弱いかと聞かれたら、たぶん、強いほうだとは思う。

たとえば、人に批判されたり、文句を言われたりすることには、けっこう強い。

基本的に、闘争的な人間だからだ。

すぐに So what? って頭に浮かぶ。だから何?って感じです。

そして、必要ならば、反撃の手段を頭の中でくるくる考える。

でも、もし自分が悪かったりしたら、すぐに謝ります。

謝れる人間のほうが強いと思っているからです。

しかし問題は、自分が何か善意でアプローチしたとき、それを無視されたり嫌な顔されたりした場合です。

この場合は、けっこう傷つきやすく、精神的に弱いと思う。辛くなっちゃう。

理由は、たぶん、みんなに好かれたいからだろう。

ただ、昔より、だいぶ良くなってきた。かなり図太くなってきたと思う。

どうしたかといえば、みんなに好かれるのをやめたからだ。

世の中の一部の人は、理由もなく僕を嫌うことがある。

だからそんな時、そっか僕のこと嫌いなんだね、って思うようにした。

仕方がない。世の中そういうものだ。だから、割り切って考えるしかない。

そして、その人たちのことは考えないことにしている。頭から切り離す。関係ない人として。

ただ、それと同時に心がけたのは、僕を好きだと言ってくれる人を大事にすることだ。

その強い繋がりがあれば、少しくらい嫌われたって、大丈夫だ。

自分には、人を愛し、愛される関係が、きちんと作れるのだから。

たとえそれが1人でも、たとえ猫であっても、やっていけると思う。

それが、本当の愛ならば。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百年の孤独

2020年06月21日 07時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

「百年の孤独って何回もチャレンジしてるけど、全然読めないんですよね」って、福岡出身の先輩に言ったことがある。

「そうだよね、高いから。あんまり売っていないし」と彼は言った。

「はー、そうですか」

僕は、あの本そんなに高かったっけ、と思いながら聞いていた。

「今度、飲める店探しておくよ。でもあんまりアルコールは飲めないんだったよね」と彼は言った。

アホの僕も、さすがにここで気づいた。

「あれ、本の話してるんですけど。ガルシア・マルケスの百年の孤独」

「ああそうなの。俺は焼酎の話ね。宮崎の焼酎」

調べたら、宮崎の黒木本店という酒造メーカーに「百年の孤独」という麦焼酎があるそうだ。

僕が言っているのは、一応、現代の世界文学の最高傑作と言われている「百年の孤独」です。

ノーベル文学賞をとったガルシア・マルケスのマジック・リアリズムという手法で書かれた小説。

でも、20ページくらい読むと、もう読む気がしなくなってくる。

それで、一回も最後まで読んだことがない。

登場人物が多すぎてわけわからなくなる。それに、イマイチ面白さが分からない。

同じく傑作といわれている「カラマーゾフの兄弟」は何回も読んでるけど、百年の孤独はダメだ。

ほんとに読めない。

でも、もう一回だけチャレンジしてみようかな。昔よりちょっとは成長してるかも知れないし。

読んだ人の感想を聞くと、読む前と読んだ後で人生がガラッと変わってしまうそうだ。

ちょっと冒頭だけ紹介してみますね。

長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして、初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したに違いない。


変わった冒頭ですよね。ここで分析はしませんが、この一文だけでも、ちょっと複雑な構造をしています。

こんな感じのややこしさが、ずーっと続きます。

でも、あんまり気にしないで読んでいったらいいのかも知れない。

ちなみに、「百年の孤独」という焼酎の名前は、この小説に由来しているそうです。

なんでも、黒木本店の黒木敏之さんが、ガルシア・マルケスに直接頼んで名前をもらったそうだ。

それはそれで、すごいですよね。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする