シリア情勢が緊迫している。
アメリカ・イギリス・フランスが反体制側 ロシア・中国はアサド政権を支持している。
アメリカはどういう理由でシリア空爆を行おうとしているのだろうか。
報道では、アサド政権がサリンなどの化学兵器を使ったことに対する報復だという。しかし、別にアメリカは世界の警察ではない。もしそうなら他にも介入しなければならないことはたくさんある。だから、その理由はイラク戦争と同様に信用出来ない。
空爆だけではその国を制圧できない。空爆後、陸軍を投入し地上戦をおこなわなくてはならない。しかし、それだと自国の兵士に犠牲が出る。だから、アメリカがシリアに本気で介入するにはそれなりの覚悟が必要だろう。
逆にいえば、ベトナムのように国民が命がけのゲリラ戦を覚悟すれば、アメリカにも十分対抗できる。しかし、アサド政権にはそれは無理だろう。それだけの団結と覚悟があるとは思えない。
人口が増え、資源が減少し、食料生産が低下していけば、必ず資源の奪い合いが起こり、戦争が起きやすくなる。
これから、それをどのように乗り越えていくかが人類のテーマになるだろう。
藤圭子さんが亡くなられたというニュースがあった。正直いって、藤圭子さんの歌や人柄についてはよく知らない。ただ、昔読んだ村上春樹のエッセイ集「村上朝日堂」の中に、藤圭子さんの記述があったことを覚えている。
ネットで調べたらあったので、引用させてもらった。「僕の出会った有名人」という題名だそうだ。
村上春樹氏は学生時代に、新宿の小さなレコード店にアルバイトしていた。1970年、その店に藤圭子さんが突然立ち寄ったのだそうだ。その時のことが、エッセイで書かれている。
彼女はマネージャーもつれずに一人でふらっと僕の働いているレコード屋に入ってきて、すごくすまなさそうなかんじで「あの、売れてます?」とニコッと笑って僕にたずねた。とても感じの良い笑顔だったけれど、僕にはなんのことなのかよくわからなかったので、奥に行って店長を連れてきた。
「あ、調子いいですよお」と店長が言うと、彼女はまたニコッと笑って「よろしくお願いしますね」と言って、新宿の雑踏の中に消えていった。店長の話によればそういうことは前にも何度かある、ということだった。それが藤圭子だった。
そんなわけで僕はまるで演歌は聴かないけれど、今に至るまで藤圭子という人のことをとても感じの良い人だと思っている。ただ、この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかという印象を、その時僕は持った。
「この人は自分が有名人であることに一生なじむことができないんじゃないかという印象を、その時僕は持った」
作家らしい観察眼である。
世間に顔を広く知られ、そこで生きていくには、精神をコントロールしていかなくてはならない。知らない人にいつも声をかけられれば、それだけでストレスになる。また、有名になると桁違いの人と接触しなければならない。その中には嫌いな人が大勢いる(ウン百万単位の人)。その人たちともうまく付き合っていかなくてはならない。これは、音楽的才能とは別の特殊な能力である。
もしあなたに何かしらの才能があり、有名になるチャンスがあったとしても、その特殊な環境の中でうまく立ち振る舞っていくだけの能力を身につけなければ、人に疲れ、結果的にその才能を枯らしてしまうことになるだろう。世の中をサヴァイヴしていくためには、才能だけでは足りないのである。
ただ、これは一般論である。藤圭子さんが自殺した本当の理由は分からない。娘の宇多田ヒカルのコメントによれば、長い間精神の病に苦しめられていて、本人の性格上治療を受けることが困難だった、とのことだ。それ以上のことは詮索してもしょうがないだろう。
故人のご冥福をお祈りします。
オーレン小屋 05:00
箕冠山 06:25
根石岳 07:00
東天狗岳 07:40
西天狗岳 08:00
中山峠 09:40
中山 11:10
高見石小屋 12:35
白駒池 13:10
麦草峠 14:10
八ケ岳は夏沢峠を中心として、南と北に分けられるそうだ。17日はオーレン小屋から北に登るから、北八ヶ岳登山ということになる。
オーレン小屋の標高が2330mで最終地の麦草峠が2127mである。その間、2000mを下るところがない。前にもいったが、1000m登ると6℃下がる。2000mで12℃。だから、真夏であっても基本的に涼しい。八ケ岳全体が避暑地になっている。
箕冠山(みかぶりやま)。2590m。特に展望もなく、スルーする。
箕冠山から樹林帯を抜けると、一気に視界が広がり根石岳から天狗岳まで見渡せるようになる。ただ、それと同時に強い風に吹かれる。
思ったより風が冷たく、半袖ではブルブル震えるくらいになる。急いでフリースを出して着こむ。真夏なのに震える寒さというのにうまく馴染めない。
根石山荘。旧館と新館があって、連れが新館のトイレを借りる。
ウォシュレット付きのトイレで、相当きれいだそうだ。100円払っても惜しくないとのこと。
根石岳山頂。山頂からの天狗岳の稜線が美しく、ずーっと見ていたい感じだった。
東天狗岳の稜線。
西天狗岳を東天狗岳。
白砂新道分岐から東天狗岳へ向かう。この東天狗岳までの道はよく写真で見かける。ただ、写真より実際の風景のほうが数倍美しかった。
東天狗岳山頂。
西天狗岳山頂とそこからみた東天狗岳。
重いザックを東天狗岳のすぐ下に置いてきて、空身で西天狗岳に登った。
おおよそ20分ほど。東より西の山頂のほうが広い。もし昼飯を食べるなら、西天狗岳のほうがいいかもしれない。
もし体力がなくて八ケ岳縦走できないとしても、この天狗岳だけでもチャレンジしてみたらどうだろうか。ここだけでも十分楽しめる。それくらい素晴らしい場所だった。
中山展望台もまた素晴らしい展望だった。渋の湯に車を止め、三時間ほどで来れる。
白駒荘と白駒池。2000m以上の高地にある湖としては、日本一だそうだ。
白駒の奥庭。いろいろと綺麗な場所があったが、ここが一番好きだった。シャクナゲや緑の針葉樹が心を癒やす。
無事にトラブルもなく八ケ岳縦走も終わり、笑顔のショット。
初めての八ケ岳登山を終えて、八ケ岳が好きな人が多い理由がよくわかった。本当に魅力的な山だった。観光的な価値も高い。また、来ることになるだろう。すごく気に入ってしまった。
ただ、登山をするのは、綺麗な景色を見ることが目的なわけではない。自分の体を動かして限界にチャレンジする、その身体性が重要なのである。
楽をしたいなら、お盆休みにわざわざきついことをやらなくても、家でクーラーにあたってビールでも飲んでいたほうが幸せだろう。
だけど、ヘロヘロになりながら苦労してピークに辿り着き、普段は見れない景色を眺めたときの達成感は、ちょっと言葉に表せない感動がある。
この感動はなんなのだろうかと考える時がある。たぶん、限界にチャレンジしようとする冒険心とその達成感なのだと思う。
身体の限界は人それぞれ違う。ある人にとっては、近くの公園にいくことすら命がけの場合もある。だから、人それぞれの状況によって、どの場所でも、その人なりの冒険になりうる。
私は死ぬまで自分の身体を限界まで使って、冒険したいと思っている。たとえそれが近くの公園になったとしても。
行者小屋 05:05
地蔵の頭 06:30
横岳 08:15
硫黄岳 09:05
赤石の頭 10:40
オーレン小屋 11:50
夏沢峠 13:35
前日の権現岳~赤岳のコースで体がボロボロになったが、16日の朝は嘘のように体の調子が良かった。
縦走登山のいいところは、体をMAXに使い疲れきってしまうが、休息時間が十分にあるので復活し、来た時よりパワーアップすることである。いわゆる超回復である。ドラゴンボールで悟空がボロボロになって仙豆を食べて復活するのによく似ている。
行者小屋から東側を見上げると、八ケ岳の主稜線が壁のようにそそり立っている。
地蔵尾根は行者小屋からその主稜線に入るための山道である。
行者小屋から主稜線分岐である地蔵の頭まで、標高差350mだ。針葉樹林帯を抜けると、大きなハシゴというか鉄の階段が現れる。その階段を登り切ると、森林限界を超え、岩場の道になる。
岩場はところどころ急で鎖がなければ登れない。しかし、しっかりとした鎖がかけてあるからさほど危険ではないが、高度感があり少し怖いかもしれない。また、岩といっても砂まじりで崩れやすいので、滑らないように注意が必要である。落石の危険もある。
その岩場を通り抜けると、しっかりとした顔立ちの地蔵様が出迎えてくれる。あとから来たおじさんが丁寧に手を合わせ祈っていた。私は神仏に頼まないたちなので、写真だけ撮ってスルーする。
八ケ岳の主稜線に出ると、急に景色が開けてくる。それと同時に、赤岳頂上山荘や天望荘の方から人が押し寄せ、尾根が人だらけになる。ワイワイと楽しいが、静かな山歩きが好きな人は不快かもしれない。
左は赤岳、右は阿弥陀岳。素晴らしい展望。
横岳までの道のりは、岩場が多く危険だと聞いていたので、多少緊張したが、大したことはなかった。注意すれば危険な箇所はない。
ただ、運動能力や体力また技術は、個人差があるので、注意して登ることに越したことはない。
ちょっとした冒険心をくすぐられる楽しいコースである。
横岳山頂。けっこうな賑わいだった。
赤岳や横岳が岩場で堅い男の世界だとすれば、硫黄岳は丸みのある女性的な優しい場所である。
赤岳や横岳の登りはそれ自体が戦いであったのに対して、硫黄岳までの道のりは穏やかで歩きやすく私たちを快く受け入れてくれる。とりあえず安全でほっとする。
この両面を兼ね備えているからこそ、八ケ岳は人気があるのだと思う。
人の身長より高いケルン。濃霧やホワイトアウトの時、道に迷わないように作られたようだ。もし、このへんで道に迷ってしまったら、大変なことになる。というのも、火口は急な崖になっているので、落ちてしまったらほぼ確実に死ぬからだ。
硫黄岳山頂。広くて気持ちがいい。ずーっとここに居たいくらいだが、そうもいかない
樹林帯を通り、今日の宿泊地、オーレン小屋へ向かう。
オーレン小屋。これまたきれいな小屋だった。テン場も広くて使いやすい。ただ、トイレが遠くてちょっと面倒。
小屋に着いたのが早く、またろくなものを食べていなかったので、オーレン小屋でカレーを食べた。
右がボルシチ1000円、左がカレー800円。
ボルシチもちょっとだけ味見をしたが、カレーの方が断然うまかった。本当にうまかった。
レストランで食べるカレーよりうまかったので、オーレン小屋に寄った人は是非おすすめ。ただ、忙しそうで頼んでから持ってくるまで時間がかかるのが玉にキズ。しかし、遅いのをマイナスしても、食べてよかったと思わせる。
時間があったので、夏沢峠まで足を運んだ。暇つぶしには持ってこいの場所だった。
14日の夜10時頃、青年小屋のテン場に鹿が入ってきてピーピー鳴いてうるさく、それで目が覚めてしまった。
寒いのとうるさいので、この日は少し寝不足になってしまった。
青年小屋 05:05
権現岳 06:50
キレット小屋 09:35
赤岳 12:00
行者小屋 13:30
少し登ったところからの青年小屋と編笠山。たしかに編笠のようになっているのがよく分かる。
武田信玄がのろしを上げたというのろし場。どんな感じだったか覚えていない。
権現小屋。メニューも比較的安い。
権現岳山頂。ちょっとだけ分かりずらい山頂。
八ケ岳のこのコースは、権現岳と赤岳の凹んだキレットと通らなくてはならない。キレットとはV字状に切れ込んだ岩稜帯をいう。
権現岳(2715m)からキレット小屋(2450m)まで、265m下らなくてはならない。その権現岳直下の最初の急な下りが、このゲンジ梯子である。
下から覗いた時は、かなり怖かったが、下り始めたらそれほど怖くない。ビビらずゆっくり降りよう。
コマクサ。
キレット小屋から赤岳までの登り返しは、約450mくらい。
しばらく樹林帯を登り、ハイマツ帯の砂と小石の道を抜けた辺りから一気に傾斜が増していく。その後、ルンゼ状の岩稜の登りとなる。
ちなみにルンゼとは、水の浸食作用によってできた岩壁にある溝をいう。溝になっているから、落石が多く、非常に危ない。
このへんが危険な登りの核心部であり、その登りが天狗尾根ノ頭まで続く。 特に天狗尾根ノ頭の直前にかかる7~8mの梯子と、その後に現れる、鎖を頼りに渡る崖のトラバースは非常に高度感がある。ただトラバースはきちんと道がついており安全だともいえる。だが下を見ると怖い。
このトラバースが終わり、天狗尾根と合流する場所を天狗尾根ノ頭と呼ぶそうである。
その後、梯子や鎖が断続的に現れ、稜線に上がると危険な場所はなくなる。それと同時に大きく展望が開け、振り返ると南アルプスや富士山が見える。
この赤岳までの道のりが、今回の縦走登山で一番緊張し、一番楽しかったところだった。
正直言って、ザックがテント泊装備の重さじゃなければ、楽勝だったと思う。しかし、ザックが重いと危険度が増す。踏ん張りが効かないからである。
もし、筋力と体力に自信がなければ、テント泊はあきらめて小屋泊にするべきだろう。ちょっと、金額は高くなるが。
赤岳を下って、文三郎尾根の分岐点。前方に見えるのが中岳と阿弥陀岳。
阿弥陀岳まで行く予定だったが、途中に雷雨に遭ってやめることにした。それで文三郎尾根から行者小屋に向かう。
今年の夏は三泊四日の八ヶ岳縦走。
予定コースは、観音平~編笠山~ギボシ~権現岳~赤岳~阿弥陀岳~横岳~硫黄岳~天狗岳~中山~麦草峠、である。
八ヶ岳全体はこんな感じ。ちなみにこの写真は、編笠山山頂から撮った写真。
このギザギザした南八ヶ岳を縦に縦走するわけだ。
一日目のコースタイムは、
小淵沢駅 09:43
観音平 10:10
編笠山 14:15
青年小屋 15:00
小淵沢駅から観音平までタクシーで20分くらい。料金は3260円。
駐車場はほぼ満車。十時を回ればそうだろう。
ここの標高1560mある。今日のピークの編笠山は2523mあるから、だいたい1000m登ることになる。
最初は笹の茂った気持ちのいい道が続くが、一時間ほど歩くと鬱蒼としたコメツガの樹林帯に変わる。
はじめから標高が高いので、嘘みたいに涼しい。避暑地の名にふさわしい場所である。
編笠山までの道のりは、息のつける平らな道はなく、絶えまない登りである。ただ、急登という程でもない。
八ヶ岳はけっこう高山植物が咲いている。大切に扱われているのだろう。
シラビソやコメツガなどの大きな針葉樹がなくなり、背の低いハイマツが現れ始めると、編笠山の山頂はもう少しだ。
編笠山山頂。広くて見晴らしが良い。この山だけでもなかなか素晴らしい。
バックに権現岳、赤岳、阿弥陀岳などの展望も楽しめる。
今日の宿泊地の青年小屋。テン場が広い。
なのにテント泊している人が少なかった。早く来てキレット小屋に向かったのかもしれない。
西岳方面に向かう道を5分ほど歩くと水場がある。かなり豊富に出ている。
買ったばかりのポメラを持って行った。軽くて使いやすい。
日が暮れるまで、今日あったことをいろいろメモしていた。その日のうちに書いておかないと忘れてしまうからだ。便利で嬉しい。
気づいたことを、何点か書いておく。
この縦走コースは、次の青年小屋~赤岳~行者小屋の行程が非常にきつい。だから、できるだけキレット小屋まで足を伸ばすのが賢明だろう。
私はお金が無かったので、小淵沢まで鈍行で来た。もし、キレット小屋まで行くのなら、特急に乗って小淵沢にくるのがよい(大体一時間早い)。
また、真夏だからといって油断していると、寒くて凍えそうになる。実際、青年小屋の夜は寒くて途中で目が覚めてしまった。
1000m登ると6℃低くなる。青年小屋は2400mくらいあるから、東京都比べて15℃くらい低い。雲がなく放射冷却が進むともっと寒くなる。軽いダウンジャケットかフリースは必須である。
メモ機能に特化した電子メモポメラを買った。2つ前の型で、アマゾンでずいぶん安くなっていたからだ。
最後までDM100にしようかすご~く迷った。DM20は一万円、DM100は二万円。
とりあえず安いやつを使い倒そうということで、DM20にした。
感想は、非常に使いやすい。キーボードは小さめだが、逆にコンパクトにまとまっていて打ち損じが少ないような気がする。なにより起動が速い。そして、何もかもがシンプルである。
ポメラは文字だけのテキストファイルしかない。それがまた強みになっている。だいたい1GBで写真やイラストを省いた広辞苑35冊分の容量がある。ポメラDM20には16GBのマイクロSDHCカードが入れられる。だから、このポメラには文字だけの広辞苑560冊分の容量がある。一生文章を打ち続けても打ち切れないくらいの容量だ。すごい。
今、タイピングに慣れるために、真保裕一の灰色の北壁の中に収録されている「黒部の羆」という短編小説を打ち込んでいる。構成、サスペンス度、驚き、感動、どれをとっても一級品だ。人の文章を打っていると、私なら絶対こういう書き方はできないなぁ、というのが分かる。それが才能というものなのだろう。話がそれた。戻そう。
もしあなたがペンで書くよりタイピングのほうが速く、そしてひんぱんに文章を書く人なら、絶対おすすめする。
パソコンでもいいという人もいるだろう。しかし、パソコンだとエロ動画だったり2hだったりいろんな誘惑があって気が散る。それに引き換えポメラは文章しか打てないので、集中力が違う。
このポメラを大学の授業で使えたら良かったのになぁと思う。
私が一番好きな授業が、社会学系のコマだった。広い教室で授業を聞いているのは毎回3人くらい。その中でノートを取っているのは私くらいだった。先生は始まると同時に、私たちのことをお構いなしに話し始める。黒板に書くのが1だとすると、しゃべるのが5くらい。それが本当に面白い内容で、喋ったことを漏らさず書き留めるのが大変だった。今のようにボイスレコーダーも無かった。だけどボイスレコーダーなら真剣に聞き取ろうとしなかっただろう。その時の緊張感を今でも覚えている。そのノートは今でも大事に取ってある。いい思い出だ。
というわけで、ポメラを使っている。
昨晩、ジョギング中にセミの幼虫が成虫に変わるところに遭遇した。こういうのを見つけると子供にかえったような気がしてうれしい。
それにしても、最近、セミの数が減った気がする。気のせいだろうか。
よくセミの成虫の寿命は一週間だと言われるが、実際には一ヶ月くらいあるという。意外と成虫になってから長く生きている。一週間だと憐れな感じがするが、一ヶ月ならまあまあ幸せな感じがする。
セミもいろんな種類がある。セミの図鑑というサイトがあって、そこではいろんなセミの鳴き声が聞ける。
個人的に注目しているのは、食料としてのセミである。セミは食べるとうまいらしい。毎年、素揚げにして食べてみようと思うのだが、勇気がなくて食べられない。
セミ食をしているブログがあったので、興味がある人はどうぞ。セミ食だけではなく、ゴキブリも食べている(アルゼンチンのゴキブリだが)。すごい。
ただ、食糧難になった時、必ずタンパク源が不足する。その場合、動物は簡単には捕まえられないし量も足りない。だから昆虫食には可能性があると思っている。
毒がなく食べれるのに食べないものが世の中にはたくさんある。そのようなものに対する不快感は、習慣や教育によるものだ。イスラム教の豚とか、ゴキブリとか。
今のように裕福な時代には、食べたくないものを食べる必要はない。しかし、食糧難になった時には、いかにその先入観を取り除けるかが生き残れるかどうかの分かれ道になる。
お盆が近くなったので、霊について考えてみたい。
人が死んだ場合、物としての身体は消滅する。心や魂は身体のひとつの現象であるから、それも消える。
しかし、生きている側からの関係性は消滅しない。この関係性が、問題となるのである。
例えば、愛する人が死んでしまった場合、もう逢えないという欠落感や寂しさ・悲しさという感情が生まれる。その感情がその亡くなった人との新たな関係性なのである。死んだからといって、関係は消えない。むしろ、強くなる場合もある。
この死者との関係性をうまく構築するツールが、霊を弔う儀式である。
愛する人が死んで悲しい。しかし、きちんと弔ったからあの世で幸せに暮らしていくに違いない。だからこれでよかったのだ、と。
また、関係性について極端な行動をとる人がいる。
例えば、憎たらしくてその人との関係を断ち切りたいから殺すというものである。しかし、この方法は関係を断ち切るものとしては、大失敗だろう。自分が殺したということが一生ついてまわるからである。それ故、かえって関係性を強化するハメになってしまう。
死者とどう関わるかは国論を分ける大問題にもなる。靖国参拝問題を考えればわかるだろう。参拝しろという人も、それに反対する人も、霊が存在していることを前提にしている。
しかし、結局、死者をどう弔うかは、私たちの心の持ち方や生き方を決定する。愛する人を守るために命を賭けても構わないと思う人は、戦争で亡くなった人に敬意を払うだろう。戦争でなんか命を賭けるのは馬鹿馬鹿しいと思う人は、靖国で祀られている人を敬うことはないだろう。
死者との関係の仕方は私たちを映し出す鏡なのである。
日曜日に北高尾山稜に行ってきた。高尾山には行ったことはあるが、北高尾に行くのは初めてだった。
高尾駅から八王子城跡行きバス(土日のみ運行)で八王子城跡へ
八王子城についての豆知識
八王子城は北条氏照が1571年に築城した。
1582年の本能寺の変で織田信長が殺されてから、時代は豊臣秀吉に移る。
豊臣秀吉の天下統一の一環として、小田原(北条氏政)攻めが始まった。北条氏を城主とした八王子城も同じ運命を辿る。
時は1590年7月24日、1万5千人の兵を引き連れた豊臣秀吉配下の上杉景勝、前田利家らが八王子城に攻めこんだ。
八王子城内にはわずかな家臣と農民・婦女子3000人しかいなかった。豊臣軍の攻めは激しく、短期間で落城する。小田原兵は虐殺され、婦女子は自刃した。滝は三日三晩、血に染まったといわれている。
この戦いで亡くなられた人の霊が出るらしく、東京でも屈指の心霊スポットになっている。
歴史について不勉強で、八王子に城があったこと自体知らなかった。調べてみて八王子城の不遇な運命について知った。そして、すこし考えさせられた。
私は客観的には幽霊はいないと思っている。もし霊がいるとすれば私たちの主観的な頭の中に存在する。
豊臣に滅ぼされた北条氏の無念さを主観的に感じる時に、幽霊が現れる条件がそろう。誰も供養せず放置された場所を憐れだと感じるからこそ、そこに何らかの情念が生まれるのである。
当初の予定では、八王子城跡から尾根を西に向かって堂所山へ向かうはずだった。しかし、あまりにも距離が長いので、景信山までにした。道標には景信山が記されているため、それに従っていけばいいわけだが、少し注意する点がある。
狐塚峠から小下沢林道を通って景信山に向かうルートをとる場合、それが道標に記されていないため、堂所山に向かってしまうのだ。
私も杉の丸にまで行って、行き過ぎであるのに気づいた。
小下沢林道経由で近道して景信山に行きたい人は、道標に注意すること。
狐塚峠を下って小下沢林道の広場。バーベキューやキャンプをしている人がたくさんいた。
近くに水場もある。美味しい水だった。
結局、景信山には行かなかった。この静かで落ち着いた沢で昼飯をゆっくり食べていたら、山に登る気力を失ったしまったのだ。
それで小下沢林道を下って日影バス停に向かった。バスはすぐ来て13時すぎに高尾駅に着いた。
秋の涼しい時期にもう一度来たいコースである。なかなか楽しかった。