フリードリヒの日記

日常の出来事を、やさしい気持ちで書いていきたい

漫画「天」 アカギの死

2009年08月30日 20時28分41秒 | 読書・書籍

 コンビニにマージャン漫画「天」があったので立ち読みした。

 内容は、伝説のギャンブラーのアカギ(老人になっている)がアルツハイマーにかかりだんだん記憶がなくなっていくと医師に宣告された。
 そこで尊厳死(自殺)をしようとしている。そこに、7人のライバルたちがアカギに死なないように説得していくがことごとく失敗し、逆にアカギに人生を諭されていく。

 
 私もそれを読みながら死を止めるのは無理だろうなぁと感じてしまった。ある場合(もちろん限定された場合だが)、他人が個人の決めた自殺を止めることはできない。自己決定に関わる領域だからだ(だが、私は説得するよう努力する)。
 なかなか奥の深いマンガだ。

 私はマージャンは全くできないが「アカギ」をほとんど全巻持っている。死を賭けたギリギリの勝負であるから、生が濃厚になってくる。
 

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今年の高校野球決勝戦(日本文理vs中京大中京)

2009年08月26日 18時24分56秒 | 日々の出来事・雑記

 私は新潟出身だが高校野球についてはあまりいい思い出がない。新潟は野球が弱く、高校野球はだいたい一回戦で負けるから。
 多分、全国でも一番弱いくらいなんじゃないかと思う。今年もどうせ負けるだろうと思っていて全く注目していなかった。しかし、今年は気づいたらベスト4になっていた。正直びっくりした。ずーっと昔20年くらい前に新潟南がベスト8になったのが最高だったと記憶している。

 車の中のラジオで決勝の中京・日本文理戦を聞いていた。6回、中京に6点入って8対2となったところでラジオを消した。あーあ負けたなぁと思った。しかし、やっぱり気になってラジオをつけると9回、10対4だった。もう駄目だなぁと思っていたら、あの猛攻である。二死満塁で、6番伊藤君がレフト前にタイムリーヒットを打ったとき、冗談抜きで、涙がこみ上げてきた。こんなに胸が熱くなったのは久しぶりだった。私が勝手に負けを決めていたときに、彼らは誰一人あきらめていなかった。

 高校野球はご存知のとおり一発勝負である。9回二死。今まで一生懸命やってきた高校野球。もうすぐ終わる瞬間がすぐそこにある。雨の日も風の日も雪の日もかんかん照りの日も彼らは歯を食いしばって頑張ってきたのだろう。
 9回二死の緊張感に負けないだけの精神力とそれを裏付ける努力が彼らにはあった。来る日も来る日もバットを振っていた。

 彼らの努力を何にも知らず、勝手にもう駄目だなぁと決め付けていた自分を恥じた。とにかく今までやってきたことを信じ、ひたすら次に次に繋ごう次に繋ごうとする彼らに感動した。
 誰かがミラクルは一万回失敗してもあきらめずトライする心が生み出すんだといっていたが、それは本当だ。高校生からいい勉強をさせてもらった。

  9回の流れをまとめてみた。興味のある方はどうぞ。 

9回表、中京大中京は一度おろしたエース堂林で再び勝負する。

8番・若林
 見逃し三振 。

9番・中村 ショートゴロで簡単にツーアウトになる。
 
 しかしここから、日本文理の驚異の猛攻が始まる。


1番・切手 四球を選ぶ。二死、一塁
2番・高橋隼 左中間へタイムリー二塁打。10対5。
3番・武石 ライトへタイムリー三塁打。10対6。 

4番・吉田 死球で出塁。この時点で二死、一塁三塁。

 ここで中京大中京はピッチャー交代、森本が再びマウンドへ。

 You tubeの動画はここから。


5番・高橋義 一、三塁。低めのボールを見極め四球。
6番・伊藤 二死、満塁。レフト前2点タイムリー。10対8。
7番・石塚 二死、一、二塁。代打・石塚が初球、レフト前タイムリーヒット。10対9. 
8番・若林 2死一、三塁。1ボールからの2球目、強烈な打球はサード正面のライナー。ここでゲームセット。

 

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「かわいい」について

2009年08月24日 01時00分24秒 | 社会・政治・思想哲学

 興味があるがよくわからないものに、女の子たちが言っている「かわいい」がある。言葉の使い方が少し違うのだろうか。女の子たちが使っている言葉のほうが広くていろいろな意味が含まれているような気がする。
 私が個人的にかわいいと思うのは、子犬とか子猫とかである。子犬とか見たら一緒に寝転がって一日中遊びたくなる。それから「あの子、かわいいね」とか女の子に対して使うことがある。その場合、きれいで美人というより、未成熟で初々しい感じの時に使っている。私が「かわいい」を使うのは、小さくて丸っこい感じが私の保護本能を刺激するときだと思う。多分、守られることが必要な子供が発する何かに反応するのだろう。
  ファッションとしての「かわいい」はどのように理解すればいいのだろうか。
 ピンクっぽいひらひらの衣装を見ても全く何にも感じない。性的にも何にも興奮しない。私が多分おかしいのかもしれない。

 日本の男は結構ロリコンが多いといわれている。それについて理由が二つくらいあると思われる。
 一つは、日本の男は精神的に未熟で臆病だから成熟した女性と付き合うことができず、未成熟な女性に向かうというものである。
 もうひとつは、エロティックの本質は聖なるものを穢すという侵犯行為にあるとすると、小さい子供を聖なるものとして捉える文化があるということである。コスプレの制服に性的なものを感じるのは、例えば警官とかスチュワーデスを聖なるものとしてとらえているからである。だから性的なものとして扱ってはいけないと禁止すればするほど性的に興奮するという矛盾が生じることになる。

 男が「かわいい」ものに反応すれば、女性も男に気に入られたいからそれにあわせてかわいくなりたいと思うのだろうか。そしてそれがファッションやアニメなどの文化的なものにまで高められたと考えればいいのだろうか。
 私はびしっとした大人の女性が好きで、かわいい女性にあまり反応しない。
 よく考えると、個人的に、びしっとした大人の女性を聖なるものと捉えて、それをいたぶるほうが性的に興奮するのかもしれない(笑)。

 まあ、世界が「かわいい」ものに反応するのであるから普遍的な何かがあるのかもしれない。その辺は理解はできないがすごく興味がある。

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スマイル

2009年08月22日 19時00分00秒 | 日々の出来事・雑記

 「スマイル」はチャップリン監督の映画・モダンタイムスでかかった曲。チャップリン作曲。
 モダンタイムスは人間を道具のように使い、人間らしさを奪っていく資本主義社会をコメディータッチで皮肉っていく作品である。
 この曲はマイケル・ジャクソンが愛した歌でもある。マイケル自身が歌っていて、なかなかいいのがあったのでアップした。

 


 

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地域通貨の可能性

2009年08月21日 23時27分55秒 | 社会・政治・思想哲学

 高田馬場・早稲田周辺の商店街限定で使用できる地域通貨「アトム通貨」が全国に拡がる動きを見せている。

 埼玉県川口市の商店街や札幌市・熊本市など全国6カ所の商店街も導入を検討している。

 アトム通貨は、鉄腕アトムにちなんで、10馬力、50馬力、100馬力という3種類の紙幣が発行され、それぞれに鉄腕アトムのイラストが入っている。紙幣の価値は1馬力=1円だ。
 アトム通貨を配ろうとする人は、実行委員会にどのような目的で使用するのかを申告して、アトム通貨を同価値の現金で買い取る。
 消費者がアトム通貨を手に入れるのには二つの方法がある。
 一つは「プロジェクト」と呼ばれているものだ。たとえば、特定の商店で買い物をしたときにエコバッグを持参すると、その商店がアトム通貨をその消費者に手渡すというものだ。マンガ図書館で鉄腕アトムのコミックスを閲覧すると、アトム通貨がもらえるといったものもある。
 もう一つは、「イベント」と呼ばれるもので、街の清掃活動に参加した場合などだ。
 
 アトム通貨は「地域通貨」と呼ばれるものの一種だ。
 地域通貨は、地域コミュニティのなかだけで通用する通貨である。 
また通貨のタイプも様々で、アトム通貨のような紙幣タイプ以外に、通帳タイプや電子マネータイプが存在する。

 なぜ最近になって地域通貨が登場したのか。
 一番大きな目的は、地域経済の活性化だ。いま日本では、76兆円もの日本銀行券が発行されている。このうち7割が個人所有といわれているから、家庭には53兆円の現金があることになる。
 1億2500万人の人口で割ると一人あたり44万円。平均的な4人世帯の家庭だと176万円もの現金があるはずだ。

 だが現実には、そんな現金を持っている家庭はほとんどない。お金は一部の金持ちに集中してしまうからだ。
 その点、地域通貨は、地元の購買力が地元に落ちるような仕掛けになっている。地域コミュニティのなかだけで通用する通貨は外に出て行かないからだ。たとえば、アトム通貨を使える商店はたくさんあるが、ほとんどが高田馬場や早稲田の周辺地域に立地する商店ばかりで、アトム通貨を発行した分は、必ず地元で消費される。だから、確実に地元経済を潤す。

 
 地域通貨の第二の利点は、それが環境や福祉などの共生事業と結びつくということだ。たとえばエコバッグを持参する消費者や、地域の清掃をした市民グループは、これまでは、純粋なボランティアとして活動しているに過ぎなかった。ところが、地域通貨を導入すれば、そうした活動に報酬を支払うことが可能になる。

 仮に清掃1時間当たり500円分の地域通貨を支払うと決めたとすると、そこで支払われた地域通貨は、地域通貨の受け入れをする地元の商店で使われることになる。地域通貨を受け入れる商店は、広告をしたり、値引き販売をして顧客を集めるのと同様の効果が得られるようになる。
 地域通貨の活躍の場は、環境問題だけではない。むしろ、最も地域通貨に馴染むのは福祉の分野だ。例えば、一人暮らし老人の介護は、税金を使ってプロがやるより、地元住民がついでのときにやる方が効率的だ。介護をした地元住民の報酬を地域通貨で支払えば、財政負担も小さくできるし、住み慣れた街で介護を受けられる高齢者も幸せになれるのだ。

 地域通貨の第三の利点は、これはおそらくアトム通貨にだけに限られることだが、地域通貨の退蔵需要が存在するということだ。アトム通貨は、毎年デザインが変わる。だから、アトムファンだけでなく貨幣コレクターも当然欲しがるのだ。アトム通貨自身の転売は禁じられているが、有効期限があるので、期限切れのものの売買は止められないだろう。そうなると当然コレクターが動いてくる。

 地域通貨にはもう一つの可能性があると思っている。それは地域ごとの金融政策に使えるのではないかということだ。お金は全国共通だから、これまでは金融政策は全国同じ金融政策しか採れないと考えられてきた。しかし、地域通貨が広範に使われるようになると、景気の悪い地域に集中的に地域通貨を投入するという景気対策が可能になる。



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ルーティンな日常と祭り

2009年08月20日 23時37分55秒 | 社会・政治・思想哲学

 夜のクラブは日常とは違う独特の世界で、現代のある種の祭りだ。

 祭りはいろいろな意義を有している。
 
 形式的には神々を奉り、災いを振り払ったり、また豊作を願ったりする儀式である。
 
 しかし、実質的には、日常の秩序を打ち破り、カオス状態をつくり、自己解放をする。

 共同体にエネルギーを吹き込むものである。
 
 ポイントは自己解放にある。

 たまに、鬼にように怒り狂う人がいる。また、夜の世界で気を紛らせる人もいる。覚せい剤や麻薬に手を出す人もいる。

 自己解放の方法はいろいろある

 抑圧されていると感じている人ほど、その解放の度合いが大きい。

 
 

 

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秋の気配

2009年08月17日 23時53分07秒 | 日々の出来事・雑記

 昼間はまだまだ暑いけれど、朝晩は涼しくなった。

 秋が忍び寄ってきている。外にでるとスズムシが鳴いている。

 昔は真夏が好きだったが、最近は秋が待ち遠しい。

 夏の土の匂いを嗅ぐと、エネルギーを持て余していた10代のころを思い出す。そわそわして落ち着きがなく、何をやっても足りなくて不機嫌だった。

 いまは穏やかな秋がいい。

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長瀞オートキャンプ場

2009年08月15日 02時18分08秒 | 日々の出来事・雑記

 今、友人と長瀞のキャンプ場にいる。便利な世の中になったもので、DoCoMoのハイスピードがあればこんな山奥でもブログを書いて送れる。友人二人はもう外で寝ている。一人はテントの中で一人はテントの外で寝ている。
 私はゆうゆうと車の中でこのブログを書いている。

 

 

 名前を忘れたが変な虫がいたので写真を撮った。草に紛れるともうわからなくなる。

 ちょっと夜中に懐中電灯をもって森の中を散歩した。大きな道には電灯があるが、少しそれると深い闇が広がっている。いつも田舎とかの暗闇の中にいると思うことがある。それは人間の恐怖心は森などの深い闇の中反応するということだ。
 暗闇の中で一人で散歩してみれば、私の言っている意味がわかるだろう。遠野物語とかに出てくる化け物たちは、今もちゃんといる。

 この森の闇の恐怖は、夜、東京の公園をランニングするときに感じるものとは全く違う。そのときの恐怖はいきなり誰かに襲われないかという、頭のおかしい人間に対するものだ。

 

 電気のない時代にこの暗闇は常に人間の日常だった。そこには神秘的な神々の世界がある。神々も日常的に存在していたのだ。この静かな暗闇の中でブログを書きながらそう確信する。

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ある居酒屋での不快なできごと よしもとばなな

2009年08月13日 19時50分28秒 | 日々の出来事・雑記

2009年08月08日(土) よしもとばななさんの「ある居酒屋での不快なできごと」 

 『人生の旅をゆく』(よしもとばなな著・幻冬舎文庫)より。

【この間東京で居酒屋に行ったとき、もちろんビールやおつまみをたくさん注文したあとで、友だちがヨーロッパみやげのデザートワインを開けよう、と言い出した。その子は一時帰国していたが、もう当分の間外国に住むことが決定していて、その日は彼女の送別会もかねていたのだった。
 それで、お店の人にこっそりとグラスをわけてくれる? と相談したら、気のいいバイトの女の子がビールグラスを余分に出してくれた。コルク用の栓抜きはないということだったので、近所にある閉店後の友だちの店から借りてきた。
 それであまりおおっぴらに飲んではいけないから、こそこそと開けて小さく乾杯をして、一本のワインを七人でちょっとずつ味見していたわけだ。
 ちなみにお客さんは私たちしかいなかったし、閉店まであと二時間という感じであった。
 するとまず、厨房でバイトの女の子が激しく叱られているのが聞こえてきた。
 さらに、突然店長というどう考えても年下の若者が出てきて、私たちに説教しはじめた。こういうことをしてもらったら困る、ここはお店である、などなど。
 私たちはいちおう事情を言った。この人は、こういうわけでもう日本にいなくなるのです。その本人がおみやげとして海外から持ってきた特別なお酒なんです。どうしてもだめでしょうか? いくらかお金もお支払いしますから……。
 店長には言わなかったが、もっと書くと実はそのワインはその子の亡くなったご主人の散骨旅行のおみやげでもあった。人にはいろいろな事情があるものだ。
 しかし、店長は言った。ばかみたいにまじめな顔でだ。
「こういうことを一度許してしまいますと、きりがなくなるのです」
 いったい何のきりなのかよくわからないが、店の人がそこまで大ごとと感じるならまあしかたない、とみな怒るでもなくお会計をして店を出た。そして道ばたで楽しく回し飲みをしてしゃべった。
 もしも店長がもうちょっと頭がよかったら、私たちのちょっと異様な年齢層やルックスや話し方を見てすぐに、みながそれぞれの仕事のうえでかなりの人脈を持っているということがわかるはずだ。それが成功する人のつかみというもので、本屋さんに行けばそういう本が山ほど出ているし、きっと経営者とか店長とか名のつく人はみんなそういう本の一冊くらいは持っているのだろうが、結局は本ではだめで、その人自身の目がそれを見ることができるかどうかにすべてはかかっている。うまくいく店は、必ずそういうことがわかる人がやっているものだ。
 そしてその瞬間に、彼はまた持ち込みが起こるすべてのリスクとひきかえに、その人たちがそれぞれに連れてくるかもしれなかった大勢のお客さんを全部失ったわけだ。
 居酒屋で土曜日の夜中の一時に客がゼロ、という状況はけっこう深刻である。
 その深刻さが回避されるかもしれない、ほんの一瞬のチャンスをみごとに彼は失ったのである。そして多分あの店はもうないだろう、と思う。店長がすげかえられるか、別の居酒屋になっているだろう。
 これが、ようするに、都会のチェーン店で起こっていることの縮図である。
 それでいちいち開店資金だのマーケティングだのでお金をかけているのだから、もうけが出るはずがない。人材こそが宝であり、客も人間。そのことがわかっていないで無難に無難に中間を行こうとしてみんな失敗するのだ。それで、口をそろえて言うのは「不況だから」「遅くまで飲む人が減ったから」「もっと自然食をうちだしたおつまみにしてみたら」「コンセプトを変えてみたら」「場所はいいのにお客さんがつかない」などなどである。

(中略)

 というわけで、いつのまに東京の居酒屋は役所になってしまったのだろう? と思いつつ、二度とは行かないということで、私たちには痛くもかゆくもなく丸く収まった問題だったのだが、いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった。そうか、この世代はもうそういうことに慣れているんだなあ、と思ったのだ。いいときの日本を知らないんだなあ。】

~~~~~~~

 僕はこのエピソードを読んで、「自分がこの店長だったら、どうしただろう?」あるいは、「この店長は、どうするのが『正解』だったのだろう?」と考え込んでしまいました。
 率直に言うと、この文章のなかで、後半の「もしも店長がもうちょっと頭がよかったら……」以降は、読んでいて、あまり気持ちが良いものではなかったんですよね。なんだか、「自分たちは特別な人間なんだから、特別扱いされてもいいんじゃない?」って思っているのだな、という気がして。
 でもまあ、そういう「よしもとさんたちのプライド」はさておき、こういう状況というのは、サービス業ではしばしば起こりうるわけで、店側としては、どう対応すれば良いのでしょうか?

 僕は最初にこれを読みながら、「まあ、けっこう注文してくれたみたいだし、そのデザートワイン1本くらいであれば、『見て見ぬふりをする』」というのが、原則論はさておき、「妥当」なのではないかとは思ったのです。
 馴染みの店であれば、お客が「こんなお酒が手に入ったんだけど」なんて持ち込みをしてくることは、けっして珍しいことではないでしょうし、店主もいちいち目くじらは立てないでしょう。
 そもそも、そこで「デザートワイン1本で店から失われる利益」と、「客に不快感を与える不利益」を天秤にかければ、どちらが長い目でみて得なのかは、あまり悩む必要もないレベルのわけで。

 しかしながら、この店長の言うことは「正論」ではあるんですよね。
 たしかに、ひと組の客の「持ち込み」を見逃せば、他の客が同じことをしてきたときに注意はできなくなります。「あの人たちはOKだったのになんで?」って言われたら、返す言葉はないでしょう。チェーン店の居酒屋であれば、「あの人たちは常連だから」なんて言う説明では、納得してもらえないはず。マニュアルでそうなっているということは、もしかしたら、「長い目でみれば、厳しい対応をとったほうが利益につながる」というデータがあるのかもしれません。

 ただ、この店長が融通がきかないというか、周りがみえていない人であることは確かです。
 僕が飲食店で厭な気分になる状況のひとつに、「内輪の事情が客に伝わること」があります。とくに、店長がバイトの店員や見習いの職人を叱りとばす怒声が聞こえてきたりすると、「金返せ!」って言いたくなるのです。
 赤の他人とはいえ、誰かが(少しは自分もかかわっていることで)怒られているなかで、食事を楽しむことが至難の業だということくらい誰にでもわかりそうなものなのに、意外とそういう怒声が聞こえてくる店ってあるんですよね……
 この店長は、たぶん、「正義の人」だというよりは、「何かにイライラしていて、そのはけ口として、この『正義』をふりかざしていたのではないかなあ。持ち込みへの注意はさておき、バイトの女の子への注意は、閉店後、あるいはもっとこっそりやったほうがよかったのでは。

 ところで、よしもとさんは、【いっしょにいた三十四歳の男の子が「まあ、当然といえば当然か」とつぶやいたのが気になった】そうなのですが、30代後半のさえない男である僕も、この話を聞いて、「当然といえば当然の対応ではあるな」とは感じたんですよね。たいがいの店では、そこまで徹底した対応はしないだろうけど、マナー違反ではあるから文句は言えないな、と。
 さて、読む人の世代によって、このエピソードへの感想は、そんなに違うものなのでしょうか?

 

 

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日本の首相について

2009年08月13日 19時22分12秒 | 日々の出来事・雑記

 いろんな人が首相になっているが、どの人もインパクトがない。最近の首相の中で外国では小泉さんが一番有名なのかもしれない。それも靖国参拝をして中国や韓国の感情を逆撫でしたからだ。あと長くやったから顔を覚えられたということもある。
 首相についてまっちゃんが面白いことをいっていて、なるほどと思った。結構、そういうことも大事なのかもしれない。

 

 

 

 

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