「苦労なく長生きすること、それが幸せなんですよ」ということをよく耳にします。
テレビでも聞きましたし、介護の関係でも聞きました。
おそらく医療の関係も、そのような考え方があるのではないかと思います。
これらは、政府が、国民に、苦労をさせずに長生きさせること、その仕組みを提供することを意味しているようです。
「苦労もなく長生きすることが本当に幸せなのかなぁ。」というのが私の考えです。
また、「政府が多くの国民を苦労なく長生きさせるようにしようとすれば、行き着く先は、国民の財産をすべて国有にするような共産主義や国民が創造した価値のほとんどを税金で徴収するような社会主義となり、自由のない、制約だらけの国になってしまいます。結果、国民は、行動や思想の自由を奪われ、政府の想定したとおりの方法で長生きすることになります。これが幸せと言えるのでしょうか。」というのも私の考えです。
(ついでに言えば、政府が多くの国民を政府の想定したとおりの方法で長生きさせることなど不可能です。)
「幸せ」の価値観は多様です。
必ずしも「長生き」をすることだけをもって、その人が「幸せ」なのかどうかは分からないと思うのです。
それは、世の中の多くの人々、世界中の人々、歴史上の先人たちを見れば明らかです。
政府が、どんなに頑張っても国民全員を長生きさせることはできません。
コロナ禍にあっても、コロナ禍がなくても、そうです。
長い人生もあれば、短い人生もあるのです。
現在のコロナ禍において、「幸せとは何なのか」「生きる意味とは何なのか」といった人生の問題のようなものが投げかけられているのかもしれません。
ゴミ出しの途中で石垣の間から咲いている花に目が留まりました。
なぜか写真に収めたいという気持ちになりました。
何かの目標に向かって、正しい方向で努力を継続している皆さん。
未来はあなた方の手の中にあります。
厳しい時代が続きますが、今日できることを着実に実行していってください。
やり過ぎている時は、少し休んで、たるんでいる時は、自分に気合いを入れて、努力を継続していってください。
がんばれ。
負けるな。
60歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。