母にうがいをさせようと思い、「口の中と喉をガラガラと、うがいをします」と説明して、うがい薬を飲ませました。
分かったものと思っていましたが、うがい薬を飲み込んでしまいました。
「なんで飲むんかい。」
「うがいするって説明したやろ~。」
つい語気を荒くして、怒ってしまいました。
薬の飲むときは、逆に、水を飲んでくれません。
口の中に薬を運ぶのにも、一苦労で、そこから水を飲ませて、さらに、飲み込むまで、たいへんです。
薬を飲むこと、水で流し込むようにすること、薬は胃の中に入れないといけないこと等を説明して飲ませるようにしているのですが、スンナリと行くことは稀です。
イライラして、怒ってしまうこともありました。
今回、うがいの件で起こった時に、ふっと、「そこまで責任を感じなくていいんじゃない?」という言葉が頭に浮かんできました。
「えっ。なんじゃ?」
「でも、自分は、どうして怒っているだろうか。」
母から離れて、自分の部屋に行き、少し考えてみました。
知らず知らずのうちに、母の介護・健康・長生きさせることが自分の責任だと感じてしまっているのかもしれないと考えたのです。
母は、薬を飲むのが、子供のときから苦手だったようです。
今も苦手です。
できる限り、飲みやすいように工夫しています。
そこから先、飲むように、努力するかどうかは、母次第です。
私には、どうすることもできません。
また、母は、他人に聞こえるような声で返事をしません。
いつ頃からかは分かりませんが、返事をしません。
ときどき軽くうなずくときがありますが、そばに居ても分かりません。
言っていることを理解したかどうか分からないのです。
声を出して返事をしないのは、悪い癖で、直すべきだと思いますが、それも、母の自助努力、思い次第です。
私には、どうすることもできません。
結果的に、これらは、母自身に還ってきます。
自因自果(じいんじが)なのです。
できるだけのことはしたいと考えますが、すべて思い通りすることはできません。
「母の介護・健康・長生きさせることが自分の責任だとして、過度の責任を感じる必要はない。」
このように思うことで、少し気が楽になりました。
しばらくは、この方向でやってみようと思います。
怒ると自分も疲れますので。
歩いていたときに、鳴き声がするので見ると、電線に小鳥が2羽留まっていました。
急いで、カメラを用意して、なんとか写真に収めることができました。
最近は、小鳥が逃げない状況に、よく遭遇します。
残念ながら、いつもカメラを持っている訳ではなので、撮影できないこともあります。
でも、ありがと。
眺めて、鳴き声を聞いているだけでも、なんか、ほんわかした気持ちになれます。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
若い頃、地方銀行に勤務していたときです。
取引先の方との飲食の席で、「自分は、もっと勉強して業務に役立てたいが、勉強する時間がない」と言ったことがあります。
それに対して、「内藤さん、時間は作らないと、その思いは実現できないよ」と言われました。
その当時は、「そんなこと言っても、したいことが多いので、勉強に充てる時間はない」と反発するような考えを持っていました。
その後、地方銀行を退職し、公認会計士を目指して、勉強することになります。
そのとき以後、この取引先の方の言われた言葉の意味が分かるようになりました。
人間に与えられている1日の時間は平等に24時間です。
その24時間をどのように使うか、何を優先して、何を劣後させるかということです。
勉強をしたいのであれば、他の欲求はやめて、勉強の時間を作るよう工夫すべきです。
地方銀行は退職して、仕事はしませんでした。
友人等との飲食や遊び等を断つことにしました。
公認会計士試験合格までの2年間、そのようにして勉強する時間を確保したのです。
今は、母の介護と家事で、多くの時間がとられます。
それでも、なんとか自分の時間を作る工夫をしています。
そんな私の10月17日から24日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。
最近、歳のせいか、季節の変わり目のせいか、母親のわがままのせいか、自分が未熟なせいか、ついつい母を叱責してしまいます。
黒星(負け)は、その日です。
その後、反省して、「なんで、こんなに怒るんだろう」と考えました。
自分なりの結論を出して、その思いを継続中です。
我が家の百日草です。
名前のように、咲く期間が長いです。
もう寒くなってきたのに、きれいに咲いてくれました。
「まだまだ、咲きますよ」と私に呼び掛けているようです。
私も、「まだまだ」です。
正しい目標に向かって、正しい方向で努力を継続している皆さん。
未来はあなた方の手の中にあります。
未来を信じて、努力を継続していってください。
日本の大手メディアでは報道されませんが、たいへんなことが起こっています。
でも、負けるな。
泥沼の中に一輪の蓮の花を咲かすように、試みてください。
皆様に神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
今回は、お金(紙幣と硬貨)の発行について、私の考えを述べたいと思います。
まず、紙幣=銀行券です。
紙幣は、日本銀行が発行しています。
日本で、紙幣を発行できるのは日本銀行だけです。
紙幣の発行について、日本銀行ホームページでは、次のように記述されています。
銀行券の発行
日本銀行法では、日本銀行は、銀行券を発行すると定めています。銀行券は、独立行政法人国立印刷局によって製造され、日本銀行が製造費用を支払って引き取ります。そして、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出し、銀行券を受け取ることによって、世の中に送り出されます。この時点で、銀行券が発行されたことになります。
この記述と日本銀行及び銀行の貸借対照表の勘定科目から、紙幣発行の仕訳を推測してみました。
次のようになると考えます。
(紙幣の製造費用の支払い分は省略しています。)
発行の都度、このような仕訳をしているかどうかは分かりません。
サブシステムのようなものがあって、一定期間の取引を集計したものを仕訳するかもしれません。
ただ、財務諸表を作成する上での仕訳の考え方は、上記のようになると考えます。
硬貨(貨幣)はどうでしょうか。
硬貨について、日本銀行ホームページでは、次のように記述されています。
貨幣の取扱い
貨幣は、日本銀行ではなく、政府が発行しています。貨幣は、独立行政法人造幣局が製造した後、日本銀行へ交付されますが、この時点で貨幣が発行されたことになります。
貨幣も銀行券と同様に、日本銀行の取引先金融機関が日本銀行に保有している当座預金を引き出すことを通じて、世の中に送り出されます。
この記述と日本国政府及び日本銀行の貸借対照表の勘定科目から、硬貨発行の仕訳を推測してみました。
次のようになると考えます。
(銀行へ送付する仕訳は、紙幣と同じと考えますので省略しています。)
この仕訳も紙幣で説明したのと同じで、発行の都度、このような仕訳をしているかどうかは分かりません。
サブシステムのようなものがあって、一定期間の取引を集計したものを仕訳するかもしれません。
ただ、財務諸表を作成する上での仕訳の考え方は、上記のようになると考えます。
硬貨は、総資産に占める金額が小さいため、その他債務等という勘定科目に含めていると考えますが、まったく負債として認識されていないということではありません。
ところで、紙幣は、なぜ日本銀行の貸借対照表に負債として計上されているのでしょうか。
日本銀行のホームページには、次のように記述されています。
質問
銀行券が日本銀行のバランスシートにおいて負債に計上されているのはなぜですか?
回答
日本銀行は銀行券の発行を1885年(明治18年)に開始しました。当初、日本銀行の発行する銀行券は、銀との交換が保証された兌換銀行券でした。その後、金本位制度の採用を経て、金との交換が保証されました。こうした制度の下で、日本銀行は、銀行券の保有者からの金や銀への交換依頼にいつでも対応できるよう、銀行券発行高に相当する金や銀を準備として保有しておくことが義務付けられていました。このような銀行券は、いわば日本銀行が振り出す「債務証書」のようなものだと言えます。このため、日本銀行は、金や銀をバランスシートの資産に計上し、発行した銀行券を負債として計上しました。
その後、金や銀の保有義務は撤廃されましたが、一方で、銀行券の価値の安定については、「日本銀行の保有資産から直接導かれるものではなく、むしろ日本銀行の金融政策の適切な遂行によって確保されるべき」という考え方がとられるようになってきました。こうした意味で、銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない「債務証書」のようなものであるという性格に変わりはなく、現在も負債として計上しています。
なお、海外の主な中央銀行においても、こうしたバランスシート上の取り扱いが一般的となっています。
「銀行券は、『債務証書』のようなものである」とあります。
銀行券=紙幣=お金は、日本銀行の「債務証書」であるということは、お金を使う側からすると「債権証書」であるということです。
しかし、お金は、単なる「債務証書」「債権証書」ではなく、いろいろな側面をもっていると考えます。
(なぜなら、お金には、いろいろな人の思いや行いが関係してくるからです。)
この辺りは、いずれ私の考えを述べたいと思います。(いつになるか分かりませんが)
もうひとつ、「銀行券は、日本銀行が信認を確保しなければならない・・・」とあります。
「信認を確保する」とは、どういうことでしょうか。
私利私欲ではなく、特定の人たちの利益のためでもなく、特定の思想の実現のためでもなく、ある体制や制度の維持のためでもなく、影響を受ける多くの人のために、お金を価値の安定を維持するために、できることをするということだと思います。
これは、日本銀行だけではできません。
日本国政府もやらないとできないと考えます。
ところで、円よりも米ドルは、より多くの人に影響を与えるお金となっています。
自国だけでなく、その影響は世界に及んでいます。
その発行母体であるアメリカ(FRB・政府等)は、どうも私利私欲の方向に向かっているように思えます。
自国のインフレ退治が優先と言っていますが、実は、自国の国民ではなく、特定の人たちの利益を優先した行動をとっているように思えるのです。
いずれ大きなしっぺ返しを喰らう気がします。
(弱小者の戯言です。)
会計に関連した私の考えについて、書こうと思います。
できるだけ分かり易く書きたいのですが、難しくなるときもあるかもしれません。
会計は分からないけど興味がある方、会計を勉強したいと思っている方、会計に携わっている方、何かのご縁で私のブログを読んでいただいた皆様のお役に立てれば幸いです。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
母の手を引いて家の中を歩くときに、私が下手な歌を歌いながら、リズムをとるようにします。
「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」と手を引くと
「そんなに、スイスイ歩けん。」と返答してきます。
「トントントントンヒノノニトン」と手を引くと
「バカの一つ覚え」と応えます。
母の反応は、気にせず、引き続き、「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」と「トントントントンヒノノニトン」で、歩行の補助をしたいと思います。
ところで、「トントントントンヒノノニトン」のCMは、企業が不祥事を公表したためか、最近は、テレビで見ません。
「トントントントンヒノノニトン」は、歩行の補助には、良い感じなのです。
是非、企業を立て直していただきたいと思います。
将来、「トントントントンヒノノニトン」のCMが流れることを願って、母の歩行訓練、歩行補助に、活用したいと思います。
「トントントントンヒノノニトン」
「スイスイスーダララッタスラスラスイスイスイ」
ゴミ出しに言った帰りに、我が家の屋根にスズメが留まりました。
いつもは、カメラを構える前に逃げられるのですが、何とか写真を撮ることができました。
もっと明るいと良かったのですが。
まぁ、一歩です。
続けていれば、そのうちチャンスもあるでしょう。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
たいへんな時代に、介護をするのも大変です。
皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
何かをやろうと思っても、頭の中でいろいろと考えてしまって、「どうせ、できない」とか、「自分には無理」とか、という結論を出して、行動に移さないことがよくありました。
今でもあります。
そういうときに、自分に言い聞かせるようにしています。
「あきらめるな。できないと思うな。やってみよ。」
母の介護の件で、やろうか迷っていて先延ばしにしていたことがあります。
「今さら、やっても、母は、よくならない。」
「どうせ、無駄。」
でも、やってみることにしました。
駄目で元々です。
とにかく、一歩を踏み出すことにしました。
自分に、「やってみよ。」と言い聞かせて。
こんなことを考えている私の10月9日から10月16日までの365日継続記録表と365日勝敗表です。
一歩を踏み出したら、一定期間、継続することが必要です。
そして、反省し、続けるか、止めるか、やり方を変えてみるか 等を判断します。
とにかく、やってみることです。
ゴミ出しに外に出たら、ヤモリくんの子供でしょうか、あわててホースの下に隠れました。
隠れたつもりでも、見えてますよ。
なんとなく、ほんのりしたので、写真に収めました。
ヤモリくん。がんばれ。
私も頑張ります。
正しい目標に向かって、正しい方向で努力を継続している皆さん。
未来はあなた方の手の中にあります。
あきらめるな。
できないと思うな。
やり続けよ。
61歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。