なんとか母の初盆を終えることができました。
お参りいただいた方から、「昔、母から手編みのセーターをもらった」ということを言われました。
別の方からは、「子供のときから久しぶりに会ったのに、私の名前を憶えていてくれた」ということも言われました。
手編みのセーターというモノを差し上げた。与えた。
名前を呼んだという言葉を差し上げた。与えた。
小さなことですが、与えることで、ほんの少し与えた相手を幸せにできたのかなぁと思います。
多分、見返りなどは意識していなかったと思います。
無意識のうちに、相手に対する思い、悪い思いでない、多分、良い思いの表れではなかったかと思います。
「与える」
お金のような経済的価値のあるものでなくても、思い、言葉、行為を与えることはできます。
私も、できる限り、見返りを求めず、「与える」を意識していこうと考えています。
「与える」ことができるものは限られていますが、意識していこうと思います。
ところで、仏教では、相手に、笑顔を与えることを「顔施(がんせ)」というのだそうです。
これなら、お金がなくてもできます。
でも、私には、これが難しいのです。
まだまだ、私は、未熟者です。
我が家の百日草です。
まだまだ、元気です。
新たなつぼみも、いくつか出ています。
私も、まだまだ、頑張ります。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
ケアマネージャーさん等に尋ねたり、自分で情報を探してみたりして、検討してみるのも良いかもしれません。
反省も大切にしてください。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
63歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
母が帰天した後、法要等が落ち着いてから、家の片付けを始めました。
今の家は、私が小学校のとき、約52年前に、住むようになりました。
この家に引っ越してから、片付けをしていなかったのか、かなり昔のもの、私が、子供の頃のものも出てきました。
ご飯を炊く鎌とふたです。
今では、電気炊飯器ですが、昔は、ガスで炊いていたような気がします。
(私、最近、炊飯土釜で、ときどき、ご飯を炊いています。)
ざるそばの器とラーメンの器です。
子供の頃、母がつくってくれて、父、母、私の3人で食べていたような気がします。
いつの頃からか、カップ麺やコンビニで買うことが多くなり、家では、つくらなくなったような気がします。
国に歴史があるように、家族にも歴史があります。
短い歴史ですが、昭和、平成、令和と、それなりに、生活が大きく変わったと思います。
いろいろと経験させてもらいました。
片づけたモノは、「ありがとう」という思いを込めて、ゴミとして処分します。
「ありがとう。」
父と母に対しても、
「ありがとうございました。」
です。
散歩の途中の川で、見つけました。
鴨でしょうか。
他の鳥は、カメラを向けると飛んで逃げますが、鴨は、歩いたり、泳いだりして逃げますが、飛んで逃げることはありません。
なんか、ホンワカします。
こちらにも、「ありがとうね。」です。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
ケアマネージャーさん等に尋ねたり、自分で情報を探してみたりして、検討してみるのも良いかもしれません。
反省も大切にしてください。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
情報誌だったと思いますが、少子化に関する記事で、現在の日本の少子化の原因の一つとして、家族の意義が失われていることを上げていました。
親の介護をしない、子を育てない、等。
家族がいるときは、家族の意義なんて考えたこともなかった私です。
とにかく、母親の介護をすること、なんとか、自宅で、家族のそばで、一生を終わらせてあげたい、という思いでやっていました。
母の介護が終わり、その情報誌を読んで、「あ~、そうなんだ。日本では、家族の意義が失われていっているんだ。」と思ったくらいです。
でも、もし、私が、母の介護をすることで、家族の意義という面で、他の人に、少しでも、良い影響を与えることができたとしたなら、うれしいと思います。
正直、そう思います。
我が家の南天です。
我が家の南天は、とても、元気です。
ありがとうね。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
ケアマネージャーさん等に尋ねたり、自分で情報を探してみたりして、検討してみるのも良いかもしれません。
反省も大切にしてください。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
先日、身体がきつかったので、夕食のおかずをホットモットで買うことにしました。
ご飯は、炊く準備をしていたので、おかずのみの購入です。
生前、母が、ときどき、「今日は、身体が、きついので、ちょっと、ホットモットで、夕飯を買ってきてくれんかなぁ」と、言っていたのを思い出しました。
ホットモットは、我が家から歩いて1~2分のところにあります。
気軽に、簡単に、利用できます。
便利です。
母の介護を始めて、途中からは、私が調理するようにしました。
お米やおかずを柔らかくして、食べやすくするためです。
スーパーで、おかずを買ったときも、蒸す等して、柔らかくして、食べさせていました。
自分で料理をしてみて、家族の料理を作ることのたいへんさが、よく分かりました。
母が料理を作るのは、当然のことのように考えてきましたが、それは、間違いであったと思います。
母は、地方公務員であったので、仕事が終わって、食事を作ってくれていたのです。
仕事で疲れていたときもあったと思いますが、よく頑張って作ってくれたと思います。
もう少し早く、家族の料理を作ってくれる方の立場に立って考えることをすれば良かったと後悔しています。
「ホットモット」で、料理を作るたいへんさ、当然なことではないこと、相手の立場に立って考えてみることの重要さ、等々を、今さらながら、考えてしまいました。
介護をするのは、人生勉強の一面があると思います。
写真の真ん中の葉っぱの上に、白い蝶々がとまっています。
飛び立つ瞬間を撮ろうと思いましたが、失敗しました。
難しいです。
でも、再チャレンジします。
花だけでなく、蝶々や虫等も、春の訪れを教えてくれているようです。
ありがたいことです。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
ケアマネージャーさん等に尋ねたり、自分で情報を探してみたりして、検討してみるのも良いかもしれません。
反省も大切にしてください。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。
最近、ある雑誌で、「一般に、欧米では、終末期で食べる力のない高齢者に、食事を食べさせることは、失礼だと考えるという言葉に出会いました。
胃ろう、経鼻栄養、静脈注射などで、カロリーを与えて生かすのも同様だということです。
これらは、人間の「尊厳」を傷つける「虐待」だと考えられているからだそうです。
この部分を読んで、母の介護のことを思い出しました。
胃ろうは、しませんでしたが、流動食等を無理に食べさせようとしたことがあります。
下痢をしてしまい、それで、ハッと気づきました。
無理に、食事を食べさせようとしては、いけない。
無理に、栄養を食べさせようとしてはいけない。
「なんとか少しでも長く生きてもらいたい。」 「できれば、復活してもらいたい。」等と愚かなことを考えていました。
「人間は、いつかは必ず死がやってくる。」
「人間の本質は、魂であり、死は、肉体から魂が抜けだし、あの世に帰っていくことである。」
このようなことを学んでいたのに・・・。
反省をすることは、たくさんあります。
介護をするにあたって、前述した雑誌の言葉のような考え方を知っておくことは、重要なことではないかと思うのです。
散歩の途中で、ツバメを見つけました。
ツバメが見られるようになると、春が来ているということだということです。
ありがとうね。
介護をしている方、介護について迷われている方、将来、介護の不安のある方等など、何かの参考になれば幸いです。
介護の種類、度合い等は様々で、一概には言えませんが、介護をするのは大変です。
ケアマネージャーさん等に尋ねたり、自分で情報を探してみたりして、検討してみるのも良いかもしれません。
反省も大切にしてください。
このブログを読んでくださった皆様に、神さま仏さまのご加護がありますように。
62歳のオッサン公認会計士でした。
では、また。