錦織選手ってすごいネ。テニスの世界ランキングは過去52週間に出場した大会の成績に応じて与えられるポイントの合計で決まるそうだが、錦織圭選手が、2日発表された男子シングルスの最新の世界ランキングで男女を通じて日本選手の過去最高に並ぶ4位に浮上した。よく分からないけど、この快挙はすごいことらしいネ。
世界ランキング4位は、現在の制度では1995年に女子シングルスでクルム伊達公子選手が記録した順位と並び、日本選手の過去最高順位。錦織選手は2011年10月にそれまで男子の最高だった松岡修造さんの46位を抜いて30位となってから順位を上げ、去年5月に初のトップ10となる9位、去年11月には5位に浮上。2011年10月からわずか3年余で30位から4位に、外国選手と比べて見劣りのするあの小さな体で、よくぞここまで頑張ったものだ。錦織圭はどこまで進化するのだろうね。
今でこそ庶民のスポーツとなったテニスだが、その昔は上流社会の人々のスポーツという印象が強かった。それが1957年、お妃選びの真っ只中だった皇太子(今上天皇)さまと美智子さまの「テニスコートの恋」で、俄然、注目をあび始めた。猫も杓子もテニス、テニスで、特に、テニスラケットを持って闊歩する女性の姿が多く見られるようになった。
かくいう私もその影響を受けた1人。高校1年の夏の終わりごろだったと思うが、何をトチ狂ったか、柄にもなくテニス部に入部を決意。その頃は、まだそれほど部員が多くなかったので、すぐに入部できた。そして、母にねだってラケットを買ってもらい、それを持って毎日登校した。
入部したはいいが、テニスのルールも知らないまったくの初心者、おまけに運動神経は鈍いときているから、まったく上達しない。それなのに地区大会へダブルスの前衛で出場せよという。部員が少ないので出場選手が足りず、私にまでお鉢が回ってきたのである。だが、試合ではあがってしまってネット前でうろうろするだけ、まったくの役立たず、ただ恥をかきに出場したようなものだった。
まともに球の打ち合いもできないのに、よく出場する気になったものだ。若いということは怖さ知らずで恥知らず、臆する事を知らないおバカだからできたのだろうが、テニスをやっていたなんて思い出すだけでも冷や汗がでてきそう。
中学・高校ではソフトボール、バスケットボール、ハンドボール、バレーボールと部活のはしご? 社会に出てからはボーリングにゴルフと球技は一通りやったが、どれも長続きしなかった。熱しやすく冷めやすい性格で、うまくできなかったらすぐに投げ出してしまうという悪いクセ。能力も根性もないのに上達するわけがないのだ。
昭和の終わりごろから腰痛の解消にと水泳を始めた。球技はまったくダメだったが、相手がいらずマイペースでやれるというところが、わがままな私の性分に合ったのだろう。ぜんそくの発作がひどくて2年間のブランクがあったものの、今でも続いているということに我ながら感心している。水泳は背すじや手足を伸ばすから姿勢も良くなるし、腰痛もほとんど解消された。年季が入っているだけに4種目うまく泳げるし、クイックターンもうまくやれる。これだけは誰に見られても恥ずかしくないし、モノにできたという自信もある。何をやってもダメだったが、誰にでも一つくらい取り得があるもんだね。
スポーツ全般。オ―ル。全て!とにかくぜんぜんダメのsirousagiよくまあこれで学業修了できたもの。当時の先生方は恵み深かったのでしょうね。今振り返ると
で、社会に出てからも、ボーリング、スケート、水泳、社交ダンスなんてものにも興味なし、青春はいったい何処でどんな姿と不思議なくらい、それでも輝いていた日々70超えても腰痛、肩こり、足イタなしの状態は毎日こつこつ続ける我流のストレッチ体操と正しい姿勢を保つ意識のお陰か?
まだ暫くは支障なく出歩きたいね。
いえいえ、単にかじったという程度でどれも長続きせずでした。スキーもやりましたが、転倒、骨折して止めました。
まあ、水泳だけが唯一の取り柄でしょうか、それも近年は持久力がなくなってきました。
私も自己流の筋トレ、ストレッチは怠りません。おかげで腰痛は中腰の姿勢でいるときくらい、肩こりありませんし足も丈夫。このまま頭さえしっかりしてくれればいいのですが…。
毎日のストレッチがんばりましょうね。