“芸術”か“わいせつ”かは、見る人の感性によっても異なるが、あの大芸術家ミケランジェロの「ダビデ像」の裸体に住民から苦情が寄せられているいう。
7日の記事から。【島根県の奥出雲町で、公園に昨年夏に突然設置されたイタリア・ルネサンス期の芸術家ミケランジェロのダビデ像のレプリカが、住民を困惑させている。
高さ5メートルのダビデ像とギリシャの至宝「ミロのビーナス」像のレプリカは、ある実業家の男性が故郷への恩返しとして奥出雲町に寄贈したもの。町では町内の運動公園と児童遊園地にそれぞれ像を設置した。
ところが、町民から「子供たちが巨大な像を怖がっている」といった苦情があったという。また、地域では珍しい裸像に対し、子供の教育に良くないと主張する人もいるという。町民の多くはダビデ像の設置を歓迎しているものの、一部町民はダビデ像に下着をはかせるよう要求しているという。】
はてさて、住民からの苦情や要求にお役所はどう対処するのか、大いに興味が湧いてきた。が、パンツをはいたダビデ像は想像するだけでも笑えてくる。
私がダビデ像のレプリカを初めて見たのは、2006年10月に「名古屋港イタリア村」へ行った時である。ゴンドラが行き交う川の近くにあったダビデ像を見たとき、台座が高いせいもあるが、見上げるような大きさに驚いた。写真中の人の大きさと比べたら、ダビデ像の大きさが分かるだろう。
彫りの深い美しい顔、筋肉隆々のたくましい体、見惚れるような美しい石像である。1人ならゆっくり芸術鑑賞といきたいところだが、たくさんの人の中で、目をそらさずじっと見るのはちょっと気恥ずかしい。石像であってもリアルな男性の裸に違いなく、ちらちら横目で見上げたことを思い出した。
「名古屋港イタリア村」は2008年5月に経営破たんし閉村したが、目下、事業者を公募しての新たな再開発を検討中というから、ダビデ像は今も同じところにあるのだろう。
2回目は、2007年にイタリアへ旅したときである。フィレンツェのシニョーリア広場にはたくさんの野外彫刻が並んでいるが、その中でも一際目を引いたのがダビデ像のレプリカだった。(左から2番目)
どういうわけか、どの裸像も“もろに丸出し”。こういうのを見慣れているイタリア人と違い、日本人の私には目のやり場に困る。だが、周囲は開放的な気質のイタリア人や大勢の外国観光客に囲まれていると、気恥ずかしいと思うのは邪念があるからだろうという結論に至り、ゆっくりと芸術鑑賞したのである。でも、やはりあそこだけは直視できないネ。
日本では「ダビデ像にパンツをはかせて!」という。一方、イタリアではローマの首相官邸に飾られている古代ローマ時代の大理石像の「ぺニス」が、このほど修復されたという。これは2世紀に作られた戦いの神マルスと、愛と美の女神ビーナスをモチーフにした大理石の像で、マルスのペニスのほか、マルスとビーナスの手が1つずつ修復されたという。ローマ時代の像のペニスは奇をてらった土産物として持ち去られたり、性的表現への反発から破壊されたりすることがたびたびあるそうで、修復で付け加えられた手もペニスも「取り外し可能」だという。これが話題になるのには、修理を指示したのが、女性がらみのスキャンダルに揺れるシルビオ・ベルルスコーニ首相だというところもあるのだろう。
お国柄とはいえ、開放的で芸術を愛するイタリア人、何事にも慎重で節操を重んじる日本人、こんなに違うというのもおもしろい。
芸術は全く分からない私にはその理由がよく分かりません。
女性の方はどう見ているのだろうか、気になりますね。
有名な男女の彫刻はたくさんありますが、女性の像は下半身は布で隠してありますが、男性像はなぜか丸裸です。
男性的、男らしさを誇張するために隠さないのでしょうか。
見方によれば気恥ずかしくもありますが、取り立てて騒ぐほどのことはないように思います。
田舎という土地柄もあるのでしょうかね。