4月上旬、東京都内の小学6年の男子児童から、毎日小学生新聞編集部に届いた一通の手紙が大人たちの論議を呼んでいるという。
「突然ですが、僕のお父さんは東電(東京電力)の社員です」で始まる手紙は、3月27日の毎小に掲載された、事故や計画停電について東電の責任を指摘した記事を読んだことがきっかけで、「自分とは違う意見を聞けば、さらに考えが深まる。今は、いろいろな意見交換ができる場所が必要です」と話しているという。小学6年の少年が…、よく勉強しているなあと感心すると同時に、父親に対する思いの深さが感じられる。手紙の内容についての論議はともかくとして、この少年の勇気に感服した。
毎日小学生新聞に送られてきた手紙は以下の通り。(一部省略)
突然ですが、僕のお父さんは東電の社員です。
3月27日の日曜日の毎日小学生新聞の1面に、「東電は人々のことを考えているか」という見出しがありました。「NEWSの窓」です。読んでみて、無責任だ、と思いました。
みなさんの中には、「言っている通りじゃないか。どこが無責任だ」と思う人はいると思います。
たしかに、ほとんどは真実です。ですが、最後の方に、「危険もある原子力発電や、生活に欠かせない電気の供給をまかせていたことが、本当はとても危険なことだったのかもしれない」と書いてありました。そこが、無責任なのです。
原子力発電所を造ったのは誰でしょうか。もちろん、東京電力です。では、原子力発電所をつくるきっかけをつくったのは誰でしょう。それは、日本人、いや、世界中の人々です。その中には、僕も、あなたも、入っています。
なぜ、そう言えるのかというと、こう考えたからです。
発電所を増やさなければならないのは、日本人が夜遅くまでスーパーを開けたり、ゲームをしたり、無駄に電気を使ったからです。
さらに、発電所の中でも、原子力発電所を造らなければならなかったのは、地球温暖化を防ぐためです。火力では二酸化炭素がでます。水力では、ダムを造らなければならず、村が沈んだりします。その点、原子力なら燃料も安定して手に入るし、二酸化炭素もでません。そこで、原子力発電所を造ったわけですが、その地球温暖化を進めたのは世界中の人々です。
そう考えていくと、原子力発電所を造ったのは、東電も含み、みんなであると言え、また、あの記事が無責任であるとも言えます。さらに、あの記事だけでなく、みんなも無責任であるのです。
僕は、東電を過保護しすぎるかもしれません。なので、こういう事態こそ、みんなで話し合ってきめるべきなのです。そうすれば、なにかいい案が生まれてくるはずです。
あえてもう一度書きます。ぼくは、みんなで話し合うことが大切だ、と言いたいのです。そして、みんなでこの津波を乗りこえていきましょう。
これについてはさまざまな意見があり、少年の主張に賛同する声も少なくないという。少年が手紙を書くきっかけとなった「東電は人々のことを考えているか」というコラムの筆者、元毎日新聞論説委員で経済ジャーナリストの北村龍行氏、学識者など大人たちの論議の詳細が『現代ビジネス』に掲載されている。少年の言うように東電だけが悪いとはいわないが、一番の責任は東電にあるというのは仕方ないことだろう。しかし、上層部の支持どおりにやってきた現場の社員たちを責めるのは酷だという気もする。また、東電社員の子どもというだけでいじめたり、疎外したりする卑怯な真似を平気でやる人間はなお悪い。
考えるべきことだと思います。
上の幹部の者達の責任が、東電全体のいじめ問題になってしまって、そこにはみんな家族もいて、その家族にまで被害が及んでいるんですね
。私の姉の旦那さんは四電の社員です。
もし伊方発電所が同じ事故を起こしたら、東電の社員と同じ立場になってしまいますね。
反原発と、東電いじめは全く異なる問題です。
私自身は、東電の社員の人達にそういう目では
見ていませんので。
今まで原子力発電所とは聞いていてもどんなものか知らない人も多くいたのでは・・・
私もここまで発電量が全体の発電量に対する割合が多いとは知りませんでした。
東電が悪い、東電が悪いとニュースに流れるとうんざりします。
国会でもそうですが、どうしてその責任を人におしつけたがるのでしょうか。
責任をだれが取ると言うよりこれからどうするかをみんなで考える事の方が重要だと思います。
責任を人に押し付けてばかりいたのでは何も解決しません。
自ら東電社員の子と敢えて言えば反発もあるでしょう。
私もエネルギー産業に勤める身として、電力事情に詳しいですが、立場上反感を買うような説明は人にはしていません。
原子力は悪という考えの人に、どう説明しても簡単に考えが変わるとは思えないからです。
福島原子力発電所は今回のような大きな天災があれば大事故が起こり、対応が非常に困難で手がつけられないということを露呈しました。
でも、原子力発電所を作った東電の責任という考え方は、今回の地震の規模を想定できず万人を超す犠牲者を出したのは、沢山の税を取って統治しているのにも係わらず防げなかった国家や自治体の責任で、多くの死者を出したのだからそれなりの償いをしろと言っているのと同じように聞こえます。
全てにおいて、救済や補償は確かに必要でしょうが、これからの防災対策も含めて何処までやれるか
国民が納得してどこまで協力できるかでしょう。
この夏の、電力事情ですが原子力を止めたままというのは、とんでもないリスクを抱えています。
これに対し関西なら10%節電すれば、ほぼ需給バランスが崩れることは起こらないでしょう。
でも、電力会社にとっては100% 突発的な供給支障は起こしてはいけないのです。
需要に耐えられない状況がもし起こったら、多くの発電所が共倒れしてインフラが死ぬと、それこそ二次、三次の事故に繋がるでしょう。
とりあえず健全な原子力は運転というリスクと上のリスクは、どちらが大きいかということを国が声を大にして言わないと、今の状態で夏を迎えるでしょうね。
長々とすみません。
この少年はきっと父親を尊敬しているのでしょうね。家族の絆が失われつつあると言われる昨今、こういう親を思う子どものいることがうれしくなります。
原発政策を推し進めた当時の政権、多額の交付金で原発を受け入れた市町村民、天下り官僚の東電幹部、学者、原子力委員会、保安院、また少年がいうように、電気を無駄に消費してきた我々国民、みんなが悪いということでしょうね。
♠亀の川登さま
私もこの事故が起きるまで原発には全く無関心でした。
わが岡山県と鳥取県境の上斎原村には動力炉・核燃料開発事業団(動燃)があり、核燃料サイクルの中核施設で、高レベル放射性廃棄物および使用済み核燃料の再処理工場を持つそうです。以前私が住んでいたところから車で1時間、山の中にありますが、鳥取へ行くときは近くを通ります。
施設の存在は知っていても関心を持っているのはごく一部の人で、これの安全性について話し合ったりしたこともありません。この上斎原村でも多額の交付金を受けているそうです。
いつだったか、ウラン残土の廃棄問題がありましたが、全く他人事で、どうなったのかもしりません。
でも、今回の原発事故で、少しは関心を持つべきかと思いました。