つれづれに 

老いてゆく日々、興味ある出来事に私見を添えた、オールドレディーの雑記帳です。

ケアハウス体験記(その2)・・・

2011-06-26 | 私事ですが

「馬には乗ってみろ 人には添ってみろ」というが、本当にそうである。たった1ヶ月で、Kさんの人を見下したような態度、高飛車な物言いが不快に思えてきた。「この町にはろくな洋服がない」「気に入った美容院がない」と、日帰りで東京へ出掛けてゆく。たしかに洋服のセンスはよかった。が、たかが老人ホームで見せびらかしてどうなるのとおかしくもあったが、ご本人はご満悦の様子だ。 

しかし彼女は、同窓生の間でも敬遠されていたようで、親しい友人はいないとも聞いた。また、弁護士である1人息子をめぐって嫁姑問題は深刻らしく、それは本人の口からも聞いていた。いかに金銭的に恵まれていようと、老後を福祉施設で過ごさねばならぬ寂しい境遇は、プライドの高い彼女にしてみれば屈辱的なことではなかったかと思う。オーナーと親しいといい、“わが天下”といわんばかりに闊歩する彼女。が、虚勢を張れば張るほど心の屈折の裏返しではなかったかと…。孔雀が美しい羽を広げて自己の存在を誇示するのと同じだが、私には「裸の王様」にしか見えなかった。

 

2ヶ月を過ぎた頃、「自治会設立について」の趣意書なるものが配られた。発起人代表にKさん、5人の発起人はKさんの意に沿いそうな人ばかりである。最近、そのメンバーが集まって何やら密談しているのは知っていたが、まさか自治会を作ろうとしていたとは…。

誰が見ても“この人なら”と思える人が発起人ならやみくもに反対はできないが、設立されればKさんが会長に就き、他の発起人も役員として残るだろう。どんな場合でも「お山の大将」でなければ機嫌が悪いKさん、それにお追従する人たち。そんな人たちで好き勝手に運営される自治会など真っ平ごめんである。

難しいことは分からないし、Kさんに逆らうと怖いからと賛成するという人、反対だという人、みんな浮き足立っていた。自分に影響しないことなら私も「事なかれ主義」で通すのだが、こればかりは黙っていられない。が、たった1人でKさんにたて突いてどういう結果になるかと思うと気が萎えた。が、たとえ49対1となって居づらくなったら退去すればいい。この先、イヤだイヤだと思いながら暮らすよりはマシだと覚悟した。そして、反論文書を作り、施設長の承諾を得てコピーした50枚を各部屋に配って回った。

記憶がおぼろだが、先ず、私のような若輩者が年長者を差し置いて意見を述べることの無礼を詫びる言葉から始めたのは覚えている。ここに暮らす人たちは、みんなそれぞれ何らかの事情があり、心ならずとも家族と離れて暮らしている。みんな現世のわずらわしい人間関係やしがらみから開放され、自由にのんびりと余生を送りたいと思ってきたはずである。そうでなくても時間的な制約がある集団生活は窮屈だろうし、なかなか馴染めない人もいるだろう。俗世のわずらわしさがなくなってホッとしている今、自治会という枠にはめられて窮屈な思いはしたくない。また、一部の気の合う人たちの思いつきで作られる自治会は公平とはいえない。気の合う人たちが「仲良しクラブ」を作ればいいことで、大仰な自治会など不要だと思う。というようなことをA4用紙にびっしり書いたが、よく覚えていない。

文書配布後、よく書いてくれた、応援するよと声を掛けてくれる人がいて、49対1にはならずにすむかなとホッとした。が、発起人グループの私を見る目の冷たいこと、聞こえよがしに嫌味をいうが気にしても仕方ない。我ながらいい度胸だとあきれた。

いよいよ投票日。果たしてどういう結果が出るか心配だった。が、終わってみればなんのことはない、反対票が大差を占めたという。あとで聞いたのだが、Kさんが悔し涙を流したという。これまで自分に逆らう者などいなかったのに、Kさんとは何もかもが劣っている私ごときに負けたのがよほど悔しかったのであろう。

その後は私とKさんは反目しあったが、表立って争うことはなく、お互いに無視である。おかしなものでKさんに勝ったということで妙な自信が付いたのか、どんなことも気にならなくなって、私は毎日が楽しかった。

 

老人福祉施設といえば無味乾燥なところと思うかも知れないが、私がいた3年間にも2組のカップルが誕生したし、1人の男性を2人で取り合ったり、結構、色気の花咲くところなのである。ここでは年齢も、ブスもベッピンも、ハンサムも関係ない。特に女性の行動力は若い者顔負けである。

 

3年目も半年が過ぎた。まわりを見回すと、あれだけ元気だった人がヘルパーのお世話になったり、どことなくみんな老化が目立つ。三度三度の上げ膳据え膳、人との会話もなく、テレビを見るよりほかにすることもないときてはボケてくるのも当然である。私もそのうちボケてくる、これではいけない。そう思うようになり、また俗世に戻る決心をして、ネットで新築中のアパートを見つけて即契約した。

私が退去するころのKさんはというと、一時は10人近くいた取巻きもみんな離れて行き、食事時に同じテーブルの人と話をするくらいで、あの華やかさも勢いもすっかり陰を潜めていた。こうなると寂しいものである。

ケアハウスで暮らすには、特に目立ってもダメ、おとなし過ぎてもダメ、おしゃべりでもダメ、無口でもダメと、なかなか難しいのである。私は仲良くしてくれる先輩がいて、丸3年楽しかったし、とても貴重な経験をさせてもらったと思っている。

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4 コメント

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Unknown (mi)
2011-06-26 17:35:40
集団生活は何かと大変ですね。女子寮でもそういうことって多いのじゃないですか?他人の集まりですもの。Kさんは、きっと集団の中でチヤホヤされたかったに違いないですね。何か心が満たされていないというか、それが派手な洋服だったり、厚化粧だったりで、自分だけを見て~という気持ちが前面に出ていた女性だったようで、心の寂しい人ですね。私は40代でして、やっぱり先のことを考えたら、すご~く不安になります。確実に老化していってることの不安
いい歳の取り方ができればいいな~♪って思ってます。そしていくつになっても恋心だけは失くしたくないです。キラキラ・イキイキの人生を送りたいですね。
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おはようございます (おくだっち)
2011-06-27 09:51:34
他人との付き合いは難しいことが多いですね。

私も、できれば人を煩わさず人に煩わされず気ままに過ごせるのが最高だと思います。

物言えば唇寒し にならないように気を使いすぎる程使っても、相手の気にそまなければ同じことですものね。
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Unknown (オールドレディー)
2011-06-27 09:54:13
♠ miさま
集団生活も自分の気持ちひとつで楽しくもあり、辛くもなります。
十人十色、色々な人がいましたが、みんな嫁姑の不和、子供との不和など、何かしらの問題を抱えている人たちばかりです。
私のように自分の意思で入居したというのは少ないですね。
Kさんのような人は特異な存在です。豊かでも心が満たされない人は幸せとはいえないのかもしれませんね。

そうですよ。恋心って、韓流スターであってもいいわけですよね。私はもっぱらそうです。何か心がうきうきするって楽しくなります。気持ち的にはまだ乙女のつもりです。

miさんはまだお若いです。孔子の論語「40にして惑わず」です。平均寿命からすれば人生の折り返し地点でもありますが、これからが本当の人生だと思いませんか。
キラキラ・イキイキすてきな人生になりますように。
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Unknown (オールドレディー)
2011-06-27 10:03:25
♠おくだっちさま
あの3年間はわずらわしくもあり、また、日々色々あって面白かったです。自分に関わりないことなら、高みの見物は面白いです。

今はのんびりと気楽ですが、何事もないのはつまらないと思ったり…。
腹を立てる対象がないので、政治家に八つ当たりしていますが、まあ、これだとケガはありませんものね。
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