学校現場に責任があるのか、文部科学省を中心とした教育体制に問題があるのか。高校必修科目の履修漏れ問題がようやく沈静化しつつあるが、学生にとっては受験シーズンを前にして、50~70時間の補習授業は大きな負担であろう。また、単位数合わせのおざなりの授業で、果たして効果があるのだろうか。
文科省は学校現場、すなわち校長に一義的な責任があるという立場であり、高校教員の人事権は基本的には教育委員会に、学校の運営権は校長にあるとしている。
文科省によると、指導要領は「学ぶべき最低基準」だそうだ。しかし、受験科目とずれがあり、それを埋めようとした学校側の「苦肉の策」で生まれたのが今回の問題だといわれている。2002年度から始まった公立学校の完全週5日制など「ゆとり教育」が進み、受験に必要ない科目を履修しない学校現場が増えたというが、この責任は一体どこにあるのか。この問題にからみ、茨城県立佐竹高校の校長が「一命をそえて……」という遺書を残し自殺するという事件もあり、全部履修している生徒たちの間には不公平感が生まれている。
11月1日の購読紙の投書欄に、高校生の怒りの投書があった。原文のまま紹介する。
『最近、高校の単位履修が問題になっている。幸いにも僕の学校では必修科目はすべて履修できるが、問題になっている高校は大変だと思う。僕は、今回のニュースを受けて現役高校生として訴えたいことがある。
それは、今回の問題は文科省に責任があるはずだ、ということだ。確かに指導要領に反していた学校があるのは事実だが、現場の声を無視して指導要領を作成している方が問題ではないだろうか。僕は理系だが、個人的意見では地歴の勉強などは、はっきり言ってやりたくない。現代社会という公民科の科目1つを3年間で完ぺきにしさえすれば、入試に不自由することはない。そうすれば、他の教科の学習時間も増やすこともできる。だが、必修であるがために地歴も2科目履修しなければならない。
こういうふうに書くと「進学校は予備校化している」と批判する声も聞こえてきそうだが、僕はそれでいいと思っている。進学校の生徒は、大学入試を前提に今の学校を選んでいるからだ。義務教育は中学までなのだから、高校の学習まで義務づけられるべきではないと思うのも理由の一つだ。また、予備校化を促進しているのは、指導要領を作ったり、現在の入試システムなどを定めている文科省ではないか。それなのに、今回の問題を学校を一方的に悪者として批判しようとしている文科省はおかしいと思うし、強い怒りを覚える。―後略―』。
この高校生の言い分は現代っ子らしい考え方で、ある意味正しいと思う。だが、歴史を学ぶことは大事だと思う。例えば、戦争に対する認識の違いから、日・中・韓において、未だ混乱をきたしていることなどを考えても、正しい歴史教育は必要であると思う。私など理数系が苦手で、数学など全然ダメであったが、確かに世の中に出て、それが習得できていないからと言って、生きていくうえで不自由を感じたことはない。だが、社会常識程度の地歴や家庭科などは、人間形成において不可欠な学問ではないだろうか。ろくに勉強しなかった私だが、学問に無駄はないと、学べるのは学生時代しかないと、つくづく思うのである。
文科省は学校現場、すなわち校長に一義的な責任があるという立場であり、高校教員の人事権は基本的には教育委員会に、学校の運営権は校長にあるとしている。
文科省によると、指導要領は「学ぶべき最低基準」だそうだ。しかし、受験科目とずれがあり、それを埋めようとした学校側の「苦肉の策」で生まれたのが今回の問題だといわれている。2002年度から始まった公立学校の完全週5日制など「ゆとり教育」が進み、受験に必要ない科目を履修しない学校現場が増えたというが、この責任は一体どこにあるのか。この問題にからみ、茨城県立佐竹高校の校長が「一命をそえて……」という遺書を残し自殺するという事件もあり、全部履修している生徒たちの間には不公平感が生まれている。
11月1日の購読紙の投書欄に、高校生の怒りの投書があった。原文のまま紹介する。
『最近、高校の単位履修が問題になっている。幸いにも僕の学校では必修科目はすべて履修できるが、問題になっている高校は大変だと思う。僕は、今回のニュースを受けて現役高校生として訴えたいことがある。
それは、今回の問題は文科省に責任があるはずだ、ということだ。確かに指導要領に反していた学校があるのは事実だが、現場の声を無視して指導要領を作成している方が問題ではないだろうか。僕は理系だが、個人的意見では地歴の勉強などは、はっきり言ってやりたくない。現代社会という公民科の科目1つを3年間で完ぺきにしさえすれば、入試に不自由することはない。そうすれば、他の教科の学習時間も増やすこともできる。だが、必修であるがために地歴も2科目履修しなければならない。
こういうふうに書くと「進学校は予備校化している」と批判する声も聞こえてきそうだが、僕はそれでいいと思っている。進学校の生徒は、大学入試を前提に今の学校を選んでいるからだ。義務教育は中学までなのだから、高校の学習まで義務づけられるべきではないと思うのも理由の一つだ。また、予備校化を促進しているのは、指導要領を作ったり、現在の入試システムなどを定めている文科省ではないか。それなのに、今回の問題を学校を一方的に悪者として批判しようとしている文科省はおかしいと思うし、強い怒りを覚える。―後略―』。
この高校生の言い分は現代っ子らしい考え方で、ある意味正しいと思う。だが、歴史を学ぶことは大事だと思う。例えば、戦争に対する認識の違いから、日・中・韓において、未だ混乱をきたしていることなどを考えても、正しい歴史教育は必要であると思う。私など理数系が苦手で、数学など全然ダメであったが、確かに世の中に出て、それが習得できていないからと言って、生きていくうえで不自由を感じたことはない。だが、社会常識程度の地歴や家庭科などは、人間形成において不可欠な学問ではないだろうか。ろくに勉強しなかった私だが、学問に無駄はないと、学べるのは学生時代しかないと、つくづく思うのである。
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