山口県周防大島物語

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通字の紛乱

2022年07月24日 10時45分10秒 | 屋代島友澤家
「通字」とは同じ苗字がある中で同一家族(一門)であることを示す意味で発生したと
されます。元々は天皇家からきているものと思われます。
現天皇家は「仁」ですね。石﨑氏の主君であった河野家は「通」ですね。

石崎家の先姓は中村と思われます。

貴殿は否定されていますが、元祖は

中村弾正忠道日 と思われます。(本当は道ではなく通かとも思われます。)

代が下がり、
中村孫四郎日久 となり、其の子が

石崎四郎三郎日宗  (天正8年興居島厳島神社建立)、その子が

石崎日為  (興居島明沢城主、慶長11年周防沖屋室移住)

この人が沖家室石崎家初代と思われます。石崎家初代は石崎勘左衛門勝太郎とされますが
諱が分かりません。興居島古史が正しいなら石崎勘左衛門日為となります。
石崎二代目は石崎勘左衛門宗政とされますね。

ただ石崎家二代目は石崎勘左衛門・庄太郎・惟昭と友澤貞昭系図にありませんか?
昔は同じ人で名前は沢山あるので何とも言えませんが。

この流れからすると古姓中村時代の「通字」は「日」
石崎姓時代の通字は「宗」石崎から分かれたとする友澤姓時代は「昭」となるようです。
伊予河野家は1000年以上「通」のみです。
友澤の通字が「昭」とし石崎、中村とは違うことも友澤家が別家であろうとする根拠です。



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