山口県周防大島物語

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沖家室の二宮家について

2022年07月24日 10時42分16秒 | 屋代島友澤家
二宮家のことはよく分かりませんが、庄屋の二宮家と同根と見ています。

沖家室の友澤家から改姓して二宮とするとも資料がありますが、そう簡単に改姓したり苗字を創れる時代ではない
ことは御承知の通りです。

また院殿号があるから毛利家の御落胤ではとの見解ですが、御落胤は原則系図に載せることはありません。
系図に載せないから「御落胤様」(内緒の子)となります。

また院殿号は毛利の殿さんだけではなく、和田の村上家は代々院殿号です。他に大島の諸氏の中で、
元一国一城の主であった家は院殿号をもっている所も多いのです。
二宮家も昔一国一城の主だったのではないでしょうか?

ちなみに本来戒名は院号が最高位ですが、侍衆が院号を欲しがるので、寺は仕方なく院殿号とする次席のクラスを
作ったのが始まりとされます。ただ室町後期からは院殿号が院号より上との風潮が始まり今に至ってます。
殿様のいなくなった現在でも院殿号を欲しがる人がいますが、ちゃんちゃらおかしいことが分からないのでしょうね。
名は出しませんが芸能人達に見られます。

本来、院殿号、院号、軒号は家格で決まっていますので、葬式の時菩提寺の導師が家格と過去帳を見て戒名を
つけます。軒号が院号に昇格したり、居士が大居士に昇格することはそれなりの金銭が寺に納められる時に起こる
場合があります。子孫が金持ちになった時に先祖の戒名の格上げをする場合もあります。
このような場合、位牌は格上法名となりますが、墓名はそのままとかも多いので事情が分からなければ子孫と
雖も混乱します。

尚、御存じと思いますが、院殿号とはそもそも、寺を一宇新たに建立して寄進するだけの武士に与えるもの
でしたから、寺の名前が開基の殿様の法名と同じになっています。後に、慣習的に開基の殿様の子孫であれば
院殿号は貰えていますね。当たり前ですが、室町後期までは寺の住職の任命権は領主(殿様)にありました。

江戸期の寺の住職の任免権は檀家総代にありますので、たぶん泊清寺だと石崎本家が任免権をもっていたのでしょう。
また行政上の寺の管理は庄屋がしていましたので、庄屋と檀家総代は同一家だった場合が多いのも事実ですね。


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