あれやらこれやら いろいろ沖縄

沖縄に住み30数年の県外居住者が見た沖縄の生活や人情・自然や文化、観光。「あれやらこれやら」気ままに。

沖縄でのバス風景~これでいいのか子供のしつけ~席を譲らぬ子供・注意もしない大人

2009年06月26日 17時23分28秒 | Weblog
現在はピザハウスというレストランになっているが数十年前はアメリカ領事館であった。
 建物をそのまま使っているため、アメリカの匂いと雰囲気がある。
那覇から車で15分~20分くらい。浦添市内に入り、58号線を米軍基地の金網に沿って走り、金網が終わったところである。バスでも良い。「城間(グスクマ)」で降りる。「城間交差点」、左手にあるからすぐ判る。値段は手ごろ。

 沖縄に20年以上もいると沖縄だけの現象なのか、時代の流れなのか分からないことが多い。
 県内にある有名大学病院の帰り、夕方のバスに乗ったときのことである。
乗り込むと運よくひとり掛けの席が空いていた。これから那覇まで小一時間かかる。
 しばらくして、落ち着いて車内を振り返り見渡すと小学生がたくさん乗っていて賑やかだった。身なりもきちっとしているところを見ると名のある学校だなと思った。
奇妙な光景に気付いた。
皆、二人席を一人で占有しているのである。
反対側の席にいる男の子はランドセルや手に持っているスケッチブックの類であろうか、それらを窓側に置いて、だれもこの席は座らせないぞとばかり、ひとり悠然と座っているのである。その後ろの女の子も同じような態度だ。
 2,3のバス停を過ぎた頃、短大の女学生がたくさん乗り込んできた。
ひとりで二人席を占領していた小学生たちは微動だにしない。席を空けようとの素振りもみせない。時折、上目遣いにつり革にぶら下がっている女子学生を見上げる。無表情で、無関心な陰気な視線である。
 車内は多少混んで来て、10人余りがつり革に身を任せている。
教員らしい50代の男性も、2人席を一人で占有してがんばっている。
出来るだけ目線を立っている人と合わせない様に。

  そうだ、このバスは大学のキャンパスを出て、付属病院に寄ったということに気がついた。そうすると、学童たちは大学の付属小学校だろう。
ひとりで居座った子供らは動かない。
女子学生もそれが当たり前のように不満そうでもない。
その内、数人の男子学生が乗り込んできた。
彼らに期待した。
「バスの席はそのように使うのではないよ」
あるいは、
「子供がなんてざまだ!」
くらいの迫力を期待した。
しかし、彼らにはそんな風景は関係ないと素知らぬ顔である。
 途中、歯が抜けるように、三々五々、小学生は降りていった。
このバスは、首里の街を通って那覇市内に入る。

 首里の人たちには王家と共に住んでいたと言う誇りを持っているという。
「どちらの方ですか」
とたずねると
「首里です」
と応える。那覇とはいわない。着任当時は、首里という別の街があるのかと錯覚したくらいである。
 そういう恵まれた家庭の子弟が通っているのだろう。
一緒に降り立った中学生の女の子に
「大学の付属小学校の子?」
とたずねると
「そうだ」
という。

 6月23日「慰霊の日」を挟んで、テレビは頻りに沖縄戦を題材にした記録映画やイベントを流し、
「戦争を語ることで、平和の大事さ、命の大切さを後世に伝えねばならない」
と訴える。
 きょう昼間見た子等が伝えゆくのだろうか。
誰一人、子供らに注意もしない大人たちがどう伝えようというのか。
ひとの痛みがわからない人間が、見てみぬ振りが出来る人間が、思いやりややさしさがわかるのだろうか。

 沖縄で見た現実ではあるが、ひとり沖縄だけの問題とは思えない。
日本中、同じではないのか。