昨年(2009年)2月17日、北中城。
ひまわりまつりを観に云ったときの写真。
サツマイモの花は清楚な花だけに見落としてしまう。
6月23日は沖縄戦が終った日として、沖縄県ではこの日を「沖縄戦慰霊の日」とし、祭日となる。
牛島満中将自決の日については6月22日説と6月23日説があったが、1965年に6月23日説に統一され、現在は1974年に制定された「沖縄県慰霊の日」を定める条例」により6月23日を慰霊の日と定められている。
沖縄終戦の日の10日前、1945年6月13日、海軍壕司令部で太田実海軍中将が自決した。
そのときの司令室や通信室が残されている。これが通称「海軍壕」である。
近年、壕一帯は整備され、公園も併設されているが、筆者が見たころは丘陵で草木が生い茂っていたような気がする。
戦争というのは、人間をこのようなところまで追い詰めていくのかと空しさを覚えた記憶がある。
今、普天間飛行場の問題がニュースのトップで連日報道されているが、広島・長崎の原爆、東京やその他の都市の空襲と同じように沖縄戦の生々しい跡を辿ることは無意味ではない。
そして、その戦跡を現実のものとして、受け止めたときに日本の安全保障というものをひとりひとりが考えればいい。
県南部に散在する戦跡をめぐる時、戦争はやってはいけな。と強く感じる。
映画やテレビで見るような勇ましくて、悲しくて、同情を覚えるような非現実の感情ではなかったことを知るだろう。
住民と日本軍の聞くに堪えない惨状は、平和な時代しか知らない我々には決して理解できないことだと悟るだろう。
基地反対を身を挺して訴える県民、戦跡で当時の実話を語る語部たちのこころを汲み取るべきだろう。
「平和。戦争の回避」
それこそが県民の願いであり、安全保障の究極の目的と思う。
海軍壕司令部に遺された太田実海軍中将が大本営海軍次官に宛てた電報がある。
壕には全文が表示されているので、尋ねた際には、是非、読んでいただきたい。
電報の末尾の電文だけを記した。
「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」
中心を動かさずに左上のスケールをひとつづつ「大」にしてください。
海軍壕公園から望む市街地。
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