6月13日昼の南西方向の雲。
夏雲の様相だが、北から薄い雨雲が流れていた。
ここ一、両日中には梅雨が明けてもいいのだがーーー。
やはり、週明けになるのだろうか。
明後日、月曜日は糸満ハーリーなのに。
朝8時前、近所のスーパーに神棚と火の神様にあげるチャーギーを買いに行く。
一通り、買いたいものを買い込んでレジに並ぶ。
3人の兄弟らしい男の子が計算をしているところだった。
親から言いつけられた買い物だろう、
百円玉や五拾円玉を清算用の皿に、丁寧に、一枚づつ数えながら置いていた。
弟らしい2人の男の子は皿の中とお兄ちゃんをかわるがわる覗き込んでいる。
その仕草が可愛くて時間の経つのもわすれて見入っていた。
「34円足りない」
長男らしい年長の子が弟たちを見下ろして困惑気にいう。
レジのおばさんが数えなおす。
「34円足りないねえ」
意を決して、長兄は小さな袋から3本の駄菓子をつまみ出し、レジのおばさんに向かって一言云うと、その駄菓子を持って売り場に戻ろうとした。
「あ、いいよ、おばさんが返しておくから」
そう云って清算の終った商品をマイバッグに入れて渡した。
そのマイバッグをみて、やはり、お使いだったんだと合点した。
マイバッグの中にはたくさんの商品が入っていた。
しばらく、レジ横の包装台で3人は小声で何か話し合っていた。
上の子が小学校3年生くらい、中の子が小学校1年生くらい、下の子が3,4歳の子供だった。
しばらくすると、長男がふたりに何か一言云って足早に出て行き、ふたりが後を追った。
駄賃にもらったお金で買おうと楽しみにしていたに違いない。
それを返したのだ。
勢いよく出て行ったものの、3人のその後姿が寂しげだった。
34円。
「おじさんが立て替えとくよ」
ひとことで済む。そうしたらどんなに喜ぶだろう。戸惑うかな?
何度も衝動に駆られた。
34円。
とうとう、云えなかった。
数十年前のことが甦った。
高校2年生の夏休み。友達4人でリバイバルの洋画を見に行ったときのこと。
朝早く、電車の停留所で待ち合わせて、乗り継いで小一時間を要して件の映画館に着いた。
いざ、入場券を買う段になって、友人の一人が財布を忘れていることに気づいた。
それぞれの持ち金を寄せてみたが、1円足りない。
ポケットをひっくり返してみたがない。
「1円だからいいよ」
と、窓口のおばさんが言ってくれるものと、皆、期待した。
そのうちのひとりが、
「明日持ってくるけど駄目?」
と窓口のおばさんに懇願した。
「1円でもお金はお金。決まりだから駄目!」
と譲らなかった。
その日は、映画をあきらめて家路についた。
30歳になる頃まで、思い出してはおばさんを恨んだ。
「1銭を笑うものは1銭に泣く」
とは母の口癖だった。あの時も母からそういわれた。
「赤貧と清貧は違う」
「ボロは着てても、ツギ当てと洗濯をしているものなら恥ずかしくない」
そういい聞かされたものだ。
終戦間もない頃だったので、日本中、金も品物もなく、みな貧乏だった。
父の外套を小さくしてオーバーコートを縫ってくれたりした。
出してやればよかったのか。
道々、吹っ切れぬ気持ちで帰った。
帰宅して、掃除にとりかかったが気持ちは晴れない。
一息入れようと缶コーヒーを手に近くの公園まで出かけた。
久しぶりの太陽がまぶしかった。
コーヒーを飲みながら公園の石段を登った。
50段くらい昇ると小さな展望台に出る。
展望台では小さな女の子が2人、一心不乱に折り紙に熱中していた。
自分には気づかない。びっくりさせてはならないと、
「ピクニックかな?弁当食べているの?」
とやさしく声をかけた。
それでも驚いた様子であったが、ひとりの子が、
「ううん、遊んでいるの」
と元気に云った。
「お家近くなの、近くに住んでいるの」
と続けた。
「そう、お爺も近くだよ」
と安心させねばと返した。
「ふうん」
長居をしちゃあまずいと、ふたりに背を向けて、石段を2,3段降りかけたとき
「さよならー」
と元気な声がしたので振り返ると、ふたりが手を振って反対の石段を降りるところだった。
黙って手だけ振って応えた。
今日は戦跡Ⅲでも書こうと思ったが思わぬ経験をした。
こどもって精一杯生きているんだと梅雨空を仰いだ。
センダンの若葉が心地よかった。
降り際に撮った少女たちが遊んでいた公園の高台。
ふたりの遊ぶ姿を撮りたかったが、勇気が出なかった。
「お家、近くなの」
唐突に云った少女の声が耳から離れない
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夏雲の様相だが、北から薄い雨雲が流れていた。
ここ一、両日中には梅雨が明けてもいいのだがーーー。
やはり、週明けになるのだろうか。
明後日、月曜日は糸満ハーリーなのに。
朝8時前、近所のスーパーに神棚と火の神様にあげるチャーギーを買いに行く。
一通り、買いたいものを買い込んでレジに並ぶ。
3人の兄弟らしい男の子が計算をしているところだった。
親から言いつけられた買い物だろう、
百円玉や五拾円玉を清算用の皿に、丁寧に、一枚づつ数えながら置いていた。
弟らしい2人の男の子は皿の中とお兄ちゃんをかわるがわる覗き込んでいる。
その仕草が可愛くて時間の経つのもわすれて見入っていた。
「34円足りない」
長男らしい年長の子が弟たちを見下ろして困惑気にいう。
レジのおばさんが数えなおす。
「34円足りないねえ」
意を決して、長兄は小さな袋から3本の駄菓子をつまみ出し、レジのおばさんに向かって一言云うと、その駄菓子を持って売り場に戻ろうとした。
「あ、いいよ、おばさんが返しておくから」
そう云って清算の終った商品をマイバッグに入れて渡した。
そのマイバッグをみて、やはり、お使いだったんだと合点した。
マイバッグの中にはたくさんの商品が入っていた。
しばらく、レジ横の包装台で3人は小声で何か話し合っていた。
上の子が小学校3年生くらい、中の子が小学校1年生くらい、下の子が3,4歳の子供だった。
しばらくすると、長男がふたりに何か一言云って足早に出て行き、ふたりが後を追った。
駄賃にもらったお金で買おうと楽しみにしていたに違いない。
それを返したのだ。
勢いよく出て行ったものの、3人のその後姿が寂しげだった。
34円。
「おじさんが立て替えとくよ」
ひとことで済む。そうしたらどんなに喜ぶだろう。戸惑うかな?
何度も衝動に駆られた。
34円。
とうとう、云えなかった。
数十年前のことが甦った。
高校2年生の夏休み。友達4人でリバイバルの洋画を見に行ったときのこと。
朝早く、電車の停留所で待ち合わせて、乗り継いで小一時間を要して件の映画館に着いた。
いざ、入場券を買う段になって、友人の一人が財布を忘れていることに気づいた。
それぞれの持ち金を寄せてみたが、1円足りない。
ポケットをひっくり返してみたがない。
「1円だからいいよ」
と、窓口のおばさんが言ってくれるものと、皆、期待した。
そのうちのひとりが、
「明日持ってくるけど駄目?」
と窓口のおばさんに懇願した。
「1円でもお金はお金。決まりだから駄目!」
と譲らなかった。
その日は、映画をあきらめて家路についた。
30歳になる頃まで、思い出してはおばさんを恨んだ。
「1銭を笑うものは1銭に泣く」
とは母の口癖だった。あの時も母からそういわれた。
「赤貧と清貧は違う」
「ボロは着てても、ツギ当てと洗濯をしているものなら恥ずかしくない」
そういい聞かされたものだ。
終戦間もない頃だったので、日本中、金も品物もなく、みな貧乏だった。
父の外套を小さくしてオーバーコートを縫ってくれたりした。
出してやればよかったのか。
道々、吹っ切れぬ気持ちで帰った。
帰宅して、掃除にとりかかったが気持ちは晴れない。
一息入れようと缶コーヒーを手に近くの公園まで出かけた。
久しぶりの太陽がまぶしかった。
コーヒーを飲みながら公園の石段を登った。
50段くらい昇ると小さな展望台に出る。
展望台では小さな女の子が2人、一心不乱に折り紙に熱中していた。
自分には気づかない。びっくりさせてはならないと、
「ピクニックかな?弁当食べているの?」
とやさしく声をかけた。
それでも驚いた様子であったが、ひとりの子が、
「ううん、遊んでいるの」
と元気に云った。
「お家近くなの、近くに住んでいるの」
と続けた。
「そう、お爺も近くだよ」
と安心させねばと返した。
「ふうん」
長居をしちゃあまずいと、ふたりに背を向けて、石段を2,3段降りかけたとき
「さよならー」
と元気な声がしたので振り返ると、ふたりが手を振って反対の石段を降りるところだった。
黙って手だけ振って応えた。
今日は戦跡Ⅲでも書こうと思ったが思わぬ経験をした。
こどもって精一杯生きているんだと梅雨空を仰いだ。
センダンの若葉が心地よかった。
降り際に撮った少女たちが遊んでいた公園の高台。
ふたりの遊ぶ姿を撮りたかったが、勇気が出なかった。
「お家、近くなの」
唐突に云った少女の声が耳から離れない
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