大森インプラントクリニック松元教貢歯科医院腫れ痛みなく早く、骨不足でも骨ができて直ぐに歯が入る幸せのブログ

松元教貢歯科医院は骨が不足で骨造りしても腫れ痛みのとても少なく早く治せる方法をしてる即時荷重インプラントパイオニアです。

7月14日(水)のつぶやき

2010年07月15日 | Weblog
20:20 from Keitai Mail
丁度20年前、私はB型の激症肝炎で死にかけた。GOT3980、GPT1700と言う数値で、交通事故で肝臓破裂してるのと余り変わらない、と言われた。その当時の確率でまず助からない、手遅れの状態だったらしい。幸いにも助かり、今は元気に過ごしているが、担当医からは助かったのが不思議と
20:36 from Keitai Mail
感染源は、間違いなく急患の中国人女性患者さん。大きな虫歯で口腔清掃も悪く、プラークべったり、歯茎も腫れ出血していた。局所麻酔し治療始めたが、近代歯科治療は未経験だったらしく、異常に怖がっていた。カリエス除去し始めたら、いきなり噛み付かれ顔を振られた。除去バーは私の指に食い込んだ
20:46 from Keitai Mail
あっという間の出来事で、どうしようもなかった。グローブは裂け、バーは左手の人差し指に全部めり込んだ。一瞬間があってから激痛が走った。勿論反射的にタービンは止めたが、患者さんは噛み付いて指離さないでいやいやと顔振り続けられた。唾液、血液、バーに付着した汚物が傷口に容赦なく付いた。
20:57 from Keitai Mail
アシスタントが青くなって、患者さんに大声で顔振らないで、口開けてと言い、半ば強制的に頭抑え口開けさせた。人差し指の指先は、後少しで骨に達する位の傷口だった。ざっくりと抉れていた。急いでグローブ外し流水で流したが、ズキズキと物凄く痛かった。医院内は何事かと大騒ぎになっていた。
21:05 from Keitai Mail
院長師匠が飛んで来て、患者さんを叱った。絶対に噛み付かない動かない、ときつく言い付けてくれた。私は止血してバンドエイド貼り指サックして、その上にグローブして治療再開し、何とか抜髄した。終わったら患者さんは痛くなかった、とケロッとした顔で、呆れた。私の指猛烈に痛いよと思った。
21:22 from Keitai Mail
事故後1ヶ月位してから、自分では重い風邪だなでも右脇腹痛いな、で病院に行き前記のデータで緊急入院になった。調べたらB型の激症肝炎だった。その頃には、身体中に解毒されない老廃物が回り、黄疸が出て、頭脳もおかしな状態に陥っていて記憶があやふやになっている。入院前後は不肖状態だった。
21:31 from Keitai Mail
入院直後から肝性昏睡状態に陥り、死線をさ迷った。なので殆ど記憶がない。覚えているのは、起きてるのか寝てるのかが全く分からず、ただただもの凄く苦しかった事だけ。とにかく苦しくて、早く楽になりたかった。正直な話、死は怖くなく楽になりたいだけだった。そんな寝たきり状態が2ヶ月近く続い
21:42 from Keitai Mail
私が死ぬもんかと強く強く思ったのは、一本の電話からだった。入院後2ヶ月位になるか、何とか助かったらしい状態になった頃、労基署から電話が来た。運命の電話だった。私はそれこそ虫の息で、やっと話せる状態だった。役人は言った。先生は収入も多いし、感染源調べませんと、労災支給できません。
21:51 from Keitai Mail
はらわたが煮えくり返る激怒とはああ言う時に味わうのだ、と初めて知った。死にかけた体なのに、血が逆流するくらいの怒りが身体中を駆け巡った。虫の息でも必死で猛抗議した。あなた何言ってるんですか?私は漸く何とか助かりそうでも、まだ危ないんですよ。死にそうな人に言う言葉ですか?と。
22:01 from Keitai Mail
それでも役人は冷酷平静に平然と、調べませんと分かりませんから、と言い暗に健康保険にしませんか?と言う感じだった。労災だと審査に時間掛かり支給までかなり掛かるし、保険の休業給付金支給となると更に時間掛かるからと。私はこんな冷血な事務的役人がいることが、その当時は信じられなかった。
22:09 from Keitai Mail
話し振りが、まるで裕福な歯科医が遊び回って、何処かで病気を貰った、と言う感じで全く誠意が感じられなかった。私はそんなことある筈がないと猛抗議し続け、必ず直接会いに行き抗議する、上司にも抗議すると話し、電話を切った。その時死んではならぬ、と決意した。汚名を浴びたまま死ねないと。
22:17 from Keitai Mail
そして、私の労災認定確定勝利迄の長い闘いが始まった。ベッドからやっと起き上がれ、少し散歩できるかな、の状態まで回復させ、病院にかなり無理言って、3ヶ月で退院した。普通は半年近く静養し、安定してからだそうだ。看護婦さんは心配顔だった。退院した理由は労基署に行く、その一念だった。
22:26 from Keitai Mail
最終的には、抗議繰り返し、段々上に上がり、当時の霞ヶ関労働省の課長補佐まで直談判をする羽目になり、裁定されて労災確定を勝ち取った。勝ち取ったのは結局健康保険で得られる金額に比べたら、そこまで差がある程ではなかったかもしれない。が、踏み躙られた人としての尊厳を勝ち取ったのだ。
22:41 from Keitai Mail
20年経ち幸いにして健康に過ごせている。だが、やはり体力は普通の方に比較したら弱い自覚はある。粘りと言うか持久力が今一なのだ。病気前は自転車で箱根越え半日でしてた。ヘビーなオペは1日やるとへばる。だから、効率的に小さく早くするになった。ナートの時にへばっては患者さんに申し訳ない
by mgenchan on Twitter