演奏するピアニストのクリスティアン・ツィメルマン(C)林喜代種
(国立音大 加藤一郎准教授)
音楽史上で「バラード」という名前をつけて曲を作ったのは、ショパンが初めてでした。
19世紀初頭、ヨーロッパでは文学の世界でバラード(物語詩)が流行りましたが、ショパンはそれを音楽に取り入れ、ロマン派と民族主義を融合させた「バラード」の様式を打ち立てました。
ポーランドの国民的詩人、アダム・ミツキェヴィチの詩集をショパンは15、16歳のころに読んだ、と後にシューマンが本に記しています。
バラードは計4曲あり、いずれも現実には起こらないようなドラマティックなストーリーです。
湖に棲む人魚と、それに恋した狩人の物語。
人魚は人間の女性に化身して狩人の心を奪い、最後は湖の中に引きずり込む、といった毒のある部分もあります。
ショパンが書いた4曲のバラードのうち、『第一番』は20代半ばごろの作品といわれていますが、それまでにいろんな詩を読んでいて、詩からインスピレーションを得て、英雄的な要素、物語の持つ神秘的な要素、自分の民族や伝統をこよなく愛し、それを侵略者から守る、というような強い思いがにじんでいるのが特徴です。
ポーランドはショパンが生きた19世紀初めごろは、ロシア、ドイツ、プロシアによって3国分割されていました。
ショパンに限らず、時代に翻弄された芸術家が民族の伝統を受け継ぐために作品を残した例はいくらでもあります。
バラードは、ショパンがもともと持っていた優雅さ、洗練、物語詩というものが融合した世界です。
特に『第一番』は若々しくて、英雄の持つ強さ、壮大さがあって、しかもそれに対する敬愛の念が深い。
この優雅さや気品は、羽生選手のスケーティングを見ていると、技のキレや、立ち姿ともぴったり合う。
ただ、4回転を飛べばいいというのではなく、前後の流れとか、非常に気品があって、ただ力任せで滑っているのとは、まるで違うように思います。
もともとこの曲は9分半ありますが、曲の初めは前口上のような序章です。
それが「次に何が始まるのか?」と問いかけるような響きに変わっていく。
その後、ノーブルな、テンポの遅い「大人のワルツ」が始まります。
子どもが弾くような子犬のワルツじゃなくて、ほの暗い、叙情的な、大人のワルツ。
静かな旋律でも、それがだんだん変化を遂げていく。
ショパンの場合、変幻自在のパッセージワークも魅力の一つです。
音の移ろい、終わった後、次のテーマがしんみりと出てくる。
吟遊詩人がリュートを弾くような、私的なメロディが出てきて、暗く激しくなる。
羽生選手の演技では、9分半の曲を2分40秒程度に編集しているので、曲の一部が急に飛んでしまったり、不自然さを感じる部分もありますが、重要なところはちゃんと使っているので、ショパンらしさを感じることができます。
ただ、ピアノ曲は一人でやるわけですから、オーケストラに比べると打ち出しは弱くなる。
叙情的なものや優雅さはオーケストラでは出せない。
独特の激しさ、エモーション、人間の心がそのまま出てくるような…。
ピアニストの個人的な感情も演奏には反映されるので、羽生選手はそれをよく聞き取って、音楽を深く理解しているのではないかと思います。
この曲を弾いているのはポーランドのクリスチャン・ツィメルマンです。
1975年のショパン国際ピアノコンクール優勝者で、現代のピアニストの最高峰と言えます。
人として善を尽くし、演奏を通して人々に愛を与えることができる孤高の芸術家です。
もちろん技術的にも完璧で、こんなピアニストはめったにいません。
ツィメルマンは2011年の東日本大震災で、逆に海外から日本にやってきた人の一人で、本当に人間愛にあふれている。
この人間愛が音色にも滲んでいるのか、非常に美しく、若いときは「鍵盤の貴公子」と呼ばれたぐらいです。
それでも自分の技術をひけらかすことをしないのがツィメルマンのもう一つの魅力です。
こうした愛や美に対する意識の高さは、気品や優雅さにつながっている羽生選手と共通するところがあるのではないでしょうか。
羽生選手は動きがきれいでムダがないし、バランスもいい、演技がとても考え抜かれている。
まさに一流の演奏と一流の演技が見事にコラボレーションした理想だと、感動しましたね。
羽生選手はけがから復活して平昌五輪に臨んだようですが、よほどの精神力がないと、今回のような演技はできないと思いますよ。
美しい好青年ですが、内面には非常に強い精神力を秘めている。
そもそも世界から注目されている中で、これほどの結果を出すのは簡単にはできません。
今後の演技にも期待したいですね。
(聞き手、iRONNA編集部 川畑希望)
何とな~く譜面ヅラで弾いてたショパン「バラ1」ですが、心して取り組みます
聞きくらべてみれば明らかに違いが分かると思うのてすが、羽生選手の演技に使われたバラード1番と、ツィメルマンの弾くバラード1番は、まったく違う演奏だと思うのですが。
リズム感、キレ、間の取り方、曲の流れ、曲の解釈、どれをとっても、ツィメルマンの演奏には聞こえてこないのです。
私は、今まで、ツィメルマンの生演奏も何十回と聞いてきましたが、ツィメルマンの持っている音楽性とは、まったく違って聞こえます。
特に、後半のリズミカルな場所は、ツィメルマンはキレがあり、演奏も生き生きしています。
ですので、私には、何度聞きくらべてみても、同一人物の演奏には思えないのです。
この情報は、何処から得たものなのでしょうか?
前後に記しておりますように、
「国立音大 加藤一郎准教授
聞き手、iRONNA編集部 川畑希望」
という記事を転載させていただいたものです。
羽生選手は「SEIMEI」などは、元とはかなり違うものに編集しています。
こちらも演技と合うように、編集している可能性は充分あると思います。