ニュージーランド移住記録:みたび

移住は帰らなくてもいい終わりのない旅。人生そのものも旅。そして気づき始めたあの世への旅。旅と夢限定ブログ

アデレード行:白豪主義の下で

2020年05月06日 | オーストラリア:アデレード

国勢調査によれば1891年に
男性357人、女性6人だった
南オーストラリア州の中国
人移民は、1921年調査では
251人に減少しています。


減少の最大の理由は白豪
主義の法的根拠となった
1901年の移住制限法でした。


それまでばらばらの植民地
だったオーストラリアは
1901年に連邦政府を構成する
1つの国となり、白豪主義は
連邦政府の重要課題でした。



移住制限法は白人最優先主義
とそれに基づく非白人、特に
中国人排除を正当化した法律
で、1973年の移民法成立まで
70年以上続いた悪名高い人種
差別政策の基本法でした。


具体的には移民がわからない
ヨーロッパ言語のテストを
受けさせ、答えられないこと
を理由に入国を拒否するもの。

スウェーデン語やハンガリー語
といったまず答えられない言語
を課すというものでした。
(※この話はコチラでも)


すでに国内に居住していた
中国人はこのテストを免除
される証明書を申請する
ことができました。

有効期間は1年で更新可能


逆に言えば、居住者どころか
オーストラリア生まれでも
証明がなければテストを課さ
れ入国を拒否されたのです。


このポスターの前では思わず
足も息も止まるようでした。

モデルはシムチョン家長女
ドロシー。1921年に言語
テストの免除申請のために
正式に撮影された写真です。


同年に父ジョン・シムチョン
も免除申請をしているので、
中国や香港への買い付けが
欠かせない家業のために
家族数人で申請したもよう。


これは地元アーティストの
ピーター・ドリューが2016年
に発表したパブリックアート。
白豪主義政策からの免除を
申請した人々の連作だそう。


戸惑ったような憂いを秘め
た表情が彼女の立場を代弁
しているようで奥深いです。


オーストラリア人を意味する
AUSSIE
とだけ書かれ、彼女もまた
オーストラリア人だという
静かで断固とした主張。


シムチョンの店で買い物をし
姉妹の華やかな暮らしぶりに
憧れていた客や市民の中にも
白豪主義を支援する人たちが
大勢いた事は否定できません。



オーストラリア人とは誰か?

移民としてNZ国籍を選んだ
私にとっても永遠の問いです。




2 コメント

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Unknown (>遅生さん みこと)
2020-05-06 10:37:36
遅生さん、ありがとうございます。
アデレードは初めて行ったんですけどね~(笑)
自分も移民なので永遠のテーマです。
返信する
白豪主義 (遅生)
2020-05-06 09:25:41
現地のフィーリングを肌で知っているみことさんならではの、ディープなブログ、感心しました。
返信する

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