母校の八ケ岳中央農業実践大学校へ行ってきた
在学中は、肉体的にも精神的にも厳しく、もう戻ってこないと何度も思うものだが、何か考え事があると訪れる。
毎日通った普通作部の作業所は現在は肥料倉庫として使っている様子でした。
初代場長の石黒忠篤先生石碑があった。石黒先生は八ケ岳修練農場の開場を陣頭指揮。昭和15年第一次近衛内閣の農林大臣、25年鈴木内閣の農商務大臣。戦前における農政の第1人者として「石黒農政」を展開し、戦後も「農民の世話役」をもって自らを任じ、終生それを誠実に実践。
僕が在学時は井上校長で、茨城県経営伝習農場にもいた先生なので、茨城県にも教え子が多い。これからも、多くの農業後継者が育つことを願っております。
学生の頃、一人で何週もかけて苦労して整備した白樺林です。思い出深い場所です。
原村のセロリ畑は綺麗だったなぁ。