ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

8月30日、中大阪初講堂にて夏音楽チャリティコンサートが行われました。

2015-08-30 21:49:16 | イベント



何日も前からFBを通じてもPRがありました。いよいよ今日行われました。







ノリオッ代表のご挨拶




友情出演です。兵庫から来てくださいました。



大阪吹奏楽団の友人たちも・・・




フルートとクラリネット、黄金コンビも友情出演、娘が伴奏を担当しました。


 

客席は初めから超満員!




中大阪の保護者達「ハナ」と子供たちが素敵な歌を4曲も歌ってくれました。いつの間に練習したのでしょう。クラブ活動や独舞競演大会等忙しかったのに・・・

特に東北支援の歌「ふるさと」は大きな感動をくれました。














娘二人の連弾も気合が入っていました。





影の功労者たちの姿も見えました。福岡に単身赴任中の安コンサさん、汗を拭き拭き音響を担当してくださいました。学生時代から多彩な生徒でした。良いアボジになりましたね。生野初の保護者でもあります。





司会と歌も披露して下さり、雰囲気をググット盛り上げて下さったチョンマルリさん、京都から本当にコマッスムニダ!








チャリテイコンサート開始から2時間後、ついに「ノリオッ」登場です。まるでプロレスやボクシングの入場曲のような派手な音楽で全員登場です。







どんどん盛り上がって踊りまで飛び出しました。








ヒョンチョルさんがケンガリの代わりステンレスのお盆を叩きながら踊り雰囲気を盛り上げてくれました。私も引っ張られて一緒に少しだけ踊りました。






3時間半のコンサートが無事終了しました。階段を下りながら、みんな≪よかった。良かった」と言っていました。

何が良かったのか、まずはコンサートを企画し準備をされた方々、友情出演を交通費も受け取らずに快く引き受けて下さった方々、裏方をしてくださった多くの方々、ソンセンニムたち、そして何よりも会場いっぱいにしてくださった大阪、京都、兵庫を始め全国から駆けつけて下さったチングの皆さん、戦争反対デモから駆けつけて下さった日本の皆さん、すべての方々が「うりはっきょチキジャ!(ウリハッキョを守ろう!」のこの一つの想いで一つになれたことが「良かった良かった」の意味であったと私は思います。





出演者・スタッフの皆さん本当にご苦労様でした。新学期が始まります。



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昨日園児たちの入賞作品展示会を見ました。

2015-08-30 11:38:46 | イベント
孫のヒジョン君が住友生命が応募した作品募集に入賞したというので、みんなで自転車に乗って布施の展示場に行ってきました。



ヒジョン(5歳)は努力賞でした。タイトルは「動物たち」

動物園で見たものを思い出して書いたようです。左のはパンダ、右のは象さん、真ん中はライオン?と、聞いたら「違う、リス」と云いました。一瞬吹き出しそうになりましたが、笑いをこらえました。動物たちの描き方が大きくてとても気に入りました。

順不動ですが中大阪幼稚班と東大阪幼稚班の作品が多々ありましたので、一緒にのせますね。沢山入賞していました。









































みんな個性があってのびのび書いていますね。とても嬉しいです。

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今週のお弁当と花たち

2015-08-27 07:42:12 | 日記
今週は夏休み最後の週です。










































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8月25日、161回目の「火曜日行動」です。

2015-08-25 15:31:59 | 火曜日
8月25日、161回目の「火曜日行動」です。


161回目の「火曜行動」大雨が心配される中、無事終了しました。

3か月間骨折のため入院・リハビリを続けられていた館山牧師が退院したばかりなのに、秋を待てず府庁前にいらっしゃいました。みんな胸がいっぱいでした。



  -中山さんのコメントー


「先週、退院された舘山さんが今日は府庁前に。入院中もウリハッキョの話になると涙ぐんでられました。入院中も生徒たちの顔を思い出されていたのでしょう。

退院したらすぐに駆けつけると決意されていたそうです。それほど府庁前にこだわってられました。

舘山さんで思い出すのは、中原教育長(当時、今はギャンブル企業の顧問)との遭遇の光景です。毅然とした態度で「生徒たちのことを考えていますか」「子ども達を悲しませないでください」「答えて下さい」と詰め寄っていました。教育長は、”わかった、わかった”というようなそぶりをして、逃げるように庁舎に走っていきました。こいういうことが数回ありました。普段温和な舘山さんが、鬼のような形相で中原をにらみつけていました。

私は一回も遭遇していません。避けるように横の舘山さんの横を通りました。牧師であり、柔和なお顔の舘山さんの横を安心して通ったのかもしれません。しかし、そこには鬼のような形相の舘山さんが。

今日は流石に1回、座ってられましたが、大変元気でした。元気で何よりです。

舘山さんも今回から、参戦です。」

(レポーター中山さん)





―木村さんのレポートです。-

 館山さん復帰です!! ご夫婦で来られました。台風の接近であやしい雲行きでしたが、それを吹き飛ばすような晴れやかな気分になりました。
 最初はいつものように長崎さんの第一声からです。

・長崎さん

 国連の差別撤廃の勧告は国だけではなく、補助金を停止している大阪府に対しても向けられている。

 東大阪中級学校が大阪府の代表としてサッカーの試合に出ているのに、この学校に大阪府が補助金を打ち切ることに大きな矛盾と怒りを感じている。

 安倍談話では、これ以上の謝罪はいらないと言っているが、これまで過去に向き合ってこなかった。戦争の清算は終わっていない。

 北海道のキム教頭(現在千葉初中の校長)のブログが反響を呼んでいる。──在日朝鮮・韓国人が納めてきた税金が1年に2980億円、一方朝鮮学校への補助金はかつては4億5000万円それが打ち切られている。
 
 偏見を持って心のシャッターを降ろしてしまっている人との関わりにジレンマを感じている。

 朝鮮学校での美術活動については、画一的なことをさせられているのではという先入観を持つ人も多いが、実際には、自由に楽しく創造的な作品を作っている。

 鳥取大学の教授が学生に朝鮮学校を見学させ、その学生の感想:「子どもたちの作品は描きたいという思いを出している。それに引き替え、自分の受けてきた教育は、どうすればうまく描けるか、もっと言えば、どうすれば賞を取れるかというものだった。」(レポーターは木村さん)





今日も長崎さんが先頭に立ってくださいました。

仮に1回につき30分間アピールされたとして毎回アピールされている時間を合わせればいったい何時間になるでしょうか!単純計算をしても80時間になります。

いつも暖かく、人間味あふれる長崎さんのアピールは道行く人々、府庁で働く人々、行動参加者たちに勇気を下さっています。





















「火曜バンド」の皆さん。



今日の「火曜バンド」の皆さん、少しメンバーが違うと思いませんか?そうなんです。

木村さんが今日はレポータ―になって下さっているので代わりに平田さんが手拍子で応援に行っています。

私もチャンゴを持って来れば良かったかなぁ?(笑)







―古賀さんのコメントー

「サンシン、手拍子、打楽器隊ナイスです。軍楽隊の反対=民楽隊。 

 サンシンの森本さんと近々、海外ライブ、やります! 拍手をいただけるか、卵を投げられるかはやってからのお楽しみ。」






ー森本さんのコメントー

「今日は館山さんが久しぶりにお顔を見せてくださって嬉しかったです。

「平田さんが言っておられた通り三ヶ月かかりました」とご本人がおっしゃったとおり、3ヶ月ぶりになるんですね。まったく同じ穏やかな笑顔なつかしかったです。

「よく来てくださいました。」「無理して来てくださらなくても。」相矛盾することをいっぺんに言おうとして、こちらは口をもごもご。館山さんは「ようやくいい兆しが出てきました。この20年長かったけどね」と希望を見出すまなざしを向けられました。ぼくもまったく同感です。同じ感想を短歌で記します。


「 弁護士が学者が声挙げ起ち上がる非戦の国の本領発揮 ちゅうき」

「 若者に続きミドルズ声挙げて平和愛する国の頼もし  ちゅうき」
















梁ハルモニ今日もお元気です。






若い先生方のエネルギーが元気を一杯くれました。





























サユさんと初めて一緒に写真を撮っていただきました。彼女は私を大阪のオンマと呼びます。?え?姉妹じゃないの?(笑)








―木村さんのレポートー

・北大阪初中の玄先生のアピール


 我々は難しいことは言っていない。子どもたちが当然受けるべき学習権、そのための環境を整えるための教育助成を求めているだけ。

 この話を韓国の友人にすると、たいへん驚き、国際的には通用する話ではないと言っていた。

 裁判は大詰めを迎えている。朝鮮学園側の弁護士は毎回様々な角度から熱く語っているが、大阪府・市側の弁護士といえば「検討させていただきます」だけで、反論しないし、できないのだ。

 20年以上大阪府・市といい関係を築いてきたのに、政治状況を背景に突然100%カットされ、学校運営は逼迫し、ぎりぎりの状況が続いている。

 どの朝鮮学校でも地域に開かれた行事をおこない、毎回500人ほどが来てくれるが、まだまだ地域全体の少数に留まっている。ぜひ一度学校に来て見てほしい。

 サッカー大会では普通に勝ち上がって、大阪の代表となったのに、なぜ行政的な差別を受けなければならないのか。」(レポーター木村)







・生野初級学校の音楽の先生のアピール


 子どもたちのため、明るい未来のため、決して諦めず、火曜行動に参加していきたい。(レポーター木村)









・大阪第4初級の先生、3人の子どものオモニのアピール(レポーター木村)

 担任する子どもたちといっしょに、学校行事のピーアールと無償化問題について、自分たちで作ったビラをコリアタウンでまいてきた。

 コリアタウンでは多様な応答があり、どちらかといえば好意的な反応が多かったが、先日大阪府庁前でビラまきをしたら、あまりの反応の冷たさに子どもたちはびっくり。

「次も行きたい」と言う子もいれば、「コリアタウンの人たちとは違う」という感想も。朝鮮高校の先輩たちの姿にあこがれつつも、現実には障害があると切実に実感。経済的な心配をせずに、自分の夢を伸ばしたいが、毎日たいへんな親の姿に心を痛めている。


 3人の子どもは皆民族学校へ。その理由は、自分のアイデンティティについて考え、日本社会で生きていくために、在日朝鮮人として地域に根を張って生きていくために、必要だから。 

 朝鮮学校の学生美術展では、「のびのびした創作意欲」「カラフルな色遣い」「社会を直視した鋭い作品」という評価をいただいている。
ヘイトスピーチや原発の問題などを自分の目と心で考え、表現している。子どもながらに、ニュースを見て考えたことを葛藤を繰り返しながら表現している。


 この学生美術展は、朝鮮学校が廃校となった山陰でも日本人の手によって8年前から開催されている。このようにお互い認めあう環境を作っていきたい。(レポーター木村)





 一生懸命メモを取って下さっている木村さん、ご苦労様です。投稿有難うございます。










―大阪朝高オモニ会副会長のアピール―

火曜行動に参加するたびに怒りしか覚えない。1948年の教育闘争の時から変わっていない。あの時の差別が今でも続いていることに怒りを感じる。(レポータ木村)

 





最後の〆はやはり長崎さんです。

―ー長崎さんの最後のアピールー

最後にもう一度長崎さんが涙ぐみながら

「差別を受けている立場の人が「お願いします」と頭を下げ、日本人が無関心に通り過ぎている。

「火曜行動をして何が変わるのか」という冷ややかな声もあるが、ここに立つのをやめたらこれまでの歴史がなかったことにされてしまう。」(レポーター木村)








横道さんが自家製のゴーヤを又沢山配給してくださいました。私もいただきました。コマッスムニダ。


前に頂いたときはキムチ、豚肉、玉ねぎ、ニンジンとゴーヤを一緒に炒めて食べました。美味しかった!








「火曜バンド」の木村さん、今日はレポーターご苦労様でした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 
 行動のあと、久しぶりにフレンチバイキングの店に行ったら、たまたまパク・サユ監督も食べに来られてて、沖縄で『60万回のトライ』の上映が大評判だったという話をたくさんしていただきました。(前に監督から沖縄限定紅芋プレッツレルをいただきました。ありがとうございました。)(木村)





皆さんの援護射撃のおかげで161回目の「火曜行動」のアピール等を書き込むことができました。これからもよろしくお願いいたします。

来週も頑張りましょう!



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キムミョンジュン監督と藤代隆介先生のお話を聴きに行ってきました。

2015-08-23 20:31:09 | 日記
2,3日前に東大阪初のオモニ会・アボジ会共催でキンミョンジュン監督と藤代隆介先生のダブル講演会・トークショーがあることを知った私は,夫を誘って布施イオン5階の夢広場・多目的ホールに向かって、一目散に自転車を走らせました。

髪の毛振り乱してイオンの入り口に着いた途端、キンミョンジュン監督とばったり!エレベータの中で再会を喜び、5階の講演会場前で別れる時、思い出したように写真を撮ってもらいました。




あとで見たら髪の毛くしゃくしゃ、上着もぐちゃぐちゃ、でも記念だからアップすることにしました。(笑)





監督とは監督が全く無名だったころからのお付き合いです。私の子供たちと似たような年齢です。愛嬌のある笑顔がとってもかわいくて息子のように思ってきました。(向こうは孫のつもりかも知れませんが・・・笑)

彼の奥様であったチョ・ウンリョン監督とのお付き合いの方が実は長いのです。彼女は私が南から来た方々の中で初めて心を許した方でした。映画監督としてもとても優秀な方なのに、謙虚で質素でとても誠実な方でした。彼女が私が退職するまで通った東大阪中に毎日のように通った日々、夜には文芸同の文学部や演劇口演部の練習にも連れて行ったのですが、一緒に合評をしたり、セリフの練習をしたりする、とても素朴な方でした。決して知ったかぶりもせず、美しい瞳をキラキラ輝かせながら在日の文芸活動に対しても、とても関心を持ってくれました。

、そんな彼女に時々お弁当を作ってあげたのですが、残り物で作ったお弁当にも「今まで食べたお弁当の中で一番おいしかったです」とお世辞付きのメモを入れて弁当箱を返してくれたりしました。

学校で放送口演部の指導をしているとき彼女やキンミョンジュン監督が撮影したりしていましたが、彼女が亡き後、「ハナのために」というドキュメンタリー映画になった時、それを見ながら何回泣いたか知れません。

彼女が亡くなる半年前、キンミョンジュン監督と結婚するという知らせを受けた私たちが、あまりにも嬉しくて有志で贈り物を送ったら、丁重にお手紙と結婚式の写真を送ってくれたのが、彼女との最後の通信になりました。

2003年4月10日に彼女が不慮の事故で亡くなったと聞いて、あまりにもショックだった私たちは、4月15日学校で告別式を行ったのですが、その場にチョ監督のご両親、弟さん、金監督が来られ、告別式のあと運動場の花壇に、彼女を決して忘れないことを誓い植樹をしたのです、その地には粉にした彼女の遺骨も厳かに蒔かれました。







その時植えられた花梨の木は今大木になって、秋には毎年何十個もの大きな花梨の実をつけてくれます。今も私は学校を訪ねるたびに、この記念の木の前に立ち、彼女の前で恥ずかしくない人生を送っているかと自分に問うています。




そんな話あんな話から素朴な金監督の講演が始まりました。彼が云ったことを全部書くつもりはありません。でも今日のお話を通じてもう一度彼の誠実なお人柄に触れ益々好きになりました。

決して自分を特別な人間と思わず、すべての良いことは、誰々のおかげと云える彼は本当に素晴らしい方だと思えました。

3年間北海道のウリハッキョで彼が生活している間、何回か手紙のやり取りをしたこともあります。彼の手紙はいつも謙虚で北海道の先生や生徒たち、同胞たちがどれほど自分を大事にして下さっているかが毎回綴られていました。

そんな彼が「ウリハッキョ」という映画を完成し、世間から大監督と関心を集めたころは、傍に行きがたくて遠くで見ていましたが、東北大震災後モンダンヨンピルを立ち上げ、ウリハッキョのために頑張っている彼達があまりにも有難くて、河津聖恵詩人と共に彼らに会いに東京の中野公会堂まで駆けつけたりもしました。そのたび偶然に今日のように着いた途端、入り口で彼と再会するのです。嘘のような本当の話です。

さて長くなりました。講演の内容は又の機会にいたしますね。一言でいうと中にいる私たちがもっと民族教育に対して誇りを持たねばならないということでした。




藤代先生も北海道から駆けつけて下さいました。







画面の通りの元気の出るお話を今日もしてくださいました。藤代先生の講演を聴くのは今日で3回目でした。一番最初は生野西支部の会館で、2回目は生野初級の講堂で、そして今日は3回目です。

生野西支部で講演を聞いて身震いするほど感動した私は、一生懸命メモをしてそれをブログで発信しました。すると賛同された方々がシェアをし続けて下さって、なんと1000名以上の方々がその日ブログを見て下さいました。こんなこと後にも先にも初めてのことでした。そのブログを感想の代わりに藤代先生に送った時から先生との交流が始まりました。

そして翌年の3月、河津詩人と一緒に北海道を訪ねた私は、藤代先生とも感激の再会を果たしたのです。








上の写真は札幌空港に着いてすぐ案内された歓迎会場での再会写真です。(ほかの用事で集まった日朝の先生方が急遽、歓迎会にしてくださったのです。)

下の雪の中の写真は次の日の写真です。実はその日、オモニ会の主催で講演会を開くようになっていて私と河津さんが講演することになっていたのですが猛吹雪のため学校が休校になり講演会が流れてしまったのです。でも先生方は全員登校され雪かきを一生懸命されたのです。あまりにも感動的な場面でした。























藤代先生のお話も又機会を見て書くことにいたしますね。

そのあとの爆笑トークです。今日は写真だけアップいたします。













3時間半があっという間に過ぎ去りました。素晴らしいお話は時間の経つのを忘れさせてくれます。今日は本当に行って良かった。


先生方、素晴らしいお話を有難うございました。又明日から私も頑張りますね。

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