ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

8月31日、438回目の「火曜日行動」です。

2021-08-31 19:39:00 | 火曜日
暑いまだまだ暑い「火曜日」でした。


今日のレポーターはハルモニ会の横道さんと井上郁子さんです。写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいります。



長崎さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

ご通行中のみなさま  府庁でお勤めのみなさま  こんにちは。
今日は8月最後の火曜日行動、438回目の行動です。
もう夏休みも終わってしまいましたね。

朝鮮学校の夏祭り納涼会もプールやイベントもこのコロナの中でなかなか出来ないということが続いています。
でも火曜日行動はコロナに十分注意しながら、わたしたちの心は折れない、こども達の笑顔を大人が守っていこう、そんな思いで今日も火曜日行動をスタートしていきたいと思います。

先日、「わたしはチョソンサラムです」という映画の上映会をしました。コロナ禍の中でしたが、たくさんの方々が参加してくださいました。

映画の中には、たくさんの朝鮮学校のこども達、朝鮮学校に心を寄せる人達が登場してきます。この火曜日行動も紹介されました。


この火曜日行動は9年を超えて行われてきましたが、わたし達と共に闘った方々が亡くなられ、わたし達に思いを託して旅立って行かれるということもありました。

前回の火曜日行動で田中ひろみさんのことをお話しましたけれども、田中ひろみさんは、東日本大震災で被災と被ばくの中で不安を抱えている福島朝鮮学校のこども達を、キャンプに招待し、地元宝塚市の朝鮮学校のチャリティーコンサートを毎年のように行ってこられました。

告別式に日本軍「慰安婦」と共に闘ってこられた尹美香さんから、韓国で(尹美香さんの)夫が逮捕された時、田中さんが友として韓国に来てくれたこと、日本軍「慰安婦」のハルモニのために毎年暖かい下着や心のこもったプレゼントに対しての、感謝の弔辞が韓国から届きました。


この火曜日行動で、いつもアコーデオンでもりたててくださる「火曜バンド」の古賀さんがお休みされています。治療が無事終わり、一日も早く復帰していていただける様に願っています。


東京では毎週金曜日に文科省前で朝鮮大学の学生さん達、共に闘う仲間たちが「金曜行動」を行っています。

火曜日行動でオモニたちが「声よあつまれ 歌となれ」を歌いますが、これは金曜行動の中から生まれた歌です。

先週、東京で朝鮮学校の闘いをされている秋山さんが参加してくださいましたが、休みが取れたからと今週も東京から来てくださいました。本当にありがとうございます。

秋山さんからメッセージをいただきたいと思います。




池辺さんが演奏されているこのアコーディオンは関東のLさんが火曜行動参加者を鼓舞するため寄贈してくださった素晴らしいアコーディオンです。



関東から駆けつけてくださった秋山さんが早速のアピールです。

☆秋山さん

大阪府庁のみなさん! こんにちは
今日も東京からやってきました。

高校無償化。幼保無償化、学生支援緊急給付金の適用を訴えるため、今日この場に来ました。
私は普段文科省前金曜行動でアピールをしています。
先週の金曜行動8月27日は、大阪と東京の無償化裁判に最高裁が上告棄却という不当判決を出した日でした。


裁判所がまともに機能しなくて国が司法に介入して不当な判決がくだされました。
原告は子ども達でした。
裁判所はその子ども達のことを考えず、国に忖度して不当な判断をしました。
先日広島の無償化裁判も最高裁不当判決が下り、全国5か所の無償化裁判は終結しました。


例え裁判で負けてもわたし達はこの国の不正義、この国が三権分立など全く機能していないことを知ることになりました。
無償化裁判が始まった時、文科省前には殆ど日本人支援者はいなかったのに、この裁判を通して多くの日本人たちが、これは自分達の問題だ、と当事者意識を持って集まるようになりました。朝鮮学校で学生達が学ぶことは、わたし達日本人の責任であることを、わたし達一人一人が自覚して闘っております。


8月26日群馬県朝鮮人労働者追悼碑高裁判決で、地裁の勝訴判決がひっくり返りました。司法がまともに機能していれば、このような不当判決はあり得ない。
大阪の無償化裁判でも一審の勝訴が二審で覆った。
これは国が司法に介入していることに、ほかありません。
しかも、群馬の高裁裁判長は大阪無償化裁判の高裁裁判長でした。
一度ならず二度までも不当判決を出しているのです。
このような司法の暴力を絶対許すことは出来ません。


大阪府庁のみなさん! いつまでも頑ななこころでわたし達の声を無視するのではなく、朝鮮学校に当たり前の権利を認めなさい。

朝鮮学校への補助金を再開しなさい

無償化を適用しなさい

いつまで差別すれば気が済むのですか

いつまでも差別するな!

このような国、行政の不遜な態度が今のコロナ対策に繋がっているのです。その為に多くの人が死んでいるんです。全ては地続きです。


嘗て、この府庁前にたくさんの朝鮮人の人々が集まって、朝鮮学校のために、民族教育のために闘いました。府庁に乗り込んで、当たり前の権利を守るために血みどろになって闘いました。

わたし達日本人は植民地支配をみれば、朝鮮人のために闘うのは当然のことです。
わたし達一人一人の責任です。

府庁!府知事! わたし達の要求を認めなさい!

これ以上差別をするな!



朝大生のアピールです。

☆朝大生

アニョンハシムニカ
わたしは朝鮮大学校、政治経済学部の学生です。
わたしはウリハッキョに通うことによって、自分のアイデンティティを持つことが出来、朝鮮人としての誇りを持つようになりました。
ウリハッキョのような場がなければ、日本に住んでいてアイデンティティを持つことは難しいと思います。

そういうウリハッキョを政府は潰そうとしています。経済的にも無くそうとする政策をとっています。
後輩たちがウリハッキョで堂々と学べるように、この政府の政策に反対していきたいと思います。
経済的理由でウリハッキョに通えない子ども達が、自由にウリハッキョを選べるような環境を作りたいと思います。
そのために、これからも火曜行動に来て、闘い続けたいと思います。




アピールが続いています。

☆朝大生

先週は来れなかったのですが、ここに来て火曜行動に参加して、これは続けなければならないことだと思いました。

何回も国連に行って訴えています。そして何回も日本政府に勧告が出ています。
だから国連に行っても、「まだ適用されていないのか。どうなっているんだ」と呆れた様な反応があるらしいのです。

日本学校と同じようにしてくれ、ではなくて、過去を歴史的に見れば高校無償化は当然適用されなければならないと思います。

うまく言葉が出ないのですが、コロナの関係で10月まで大学に帰れなくなったので、(リモート)授業の関係もあるので、どれだけ参加できるかわからないのですが、引き続き参加していきたいと思います。


☆長崎さん

コマスムニダ
今、国連のことを話してくださいましたが、オモニ達はこの間2回、国連に行っていますね。ジュネーブでは日本の人権感覚はおかしいと言われています。
ジュネーブに行かれた方は世界の流れ、国際基準はこうなのだ、日本は遅れていると実感するそうです。

日本では日本軍「慰安婦」の問題でも平気で侮蔑の言葉を使いますが、世界では女性への戦時性暴力がいかに批判され禁止されているか、本当にわかっていない。

「内弁慶」という言葉がありますが、家の中では偉そうに振舞って、外に出たらヘコヘコする。日本は今そんな状態だと思っています。

それではオモニのみなさんのアピールをお願いします。



オモニ会の高さんもアピールです。

☆ オモニ

大阪府庁のみなさん、通行中のみなさん、コロナで大変な中、お元気でしょうか。

30℃を超える暑い中ですが、私たちは今日も声をあげに来ました。

今日は最近感じたことをお話しします。日曜日、高校野球激戦の中、智辯和歌山が優勝しました。私は小さい時から高校野球の大ファンです。京都国際高校という高校が春に続き連続出場しました。その京都国際高校が校歌を歌う姿を初めてライブで見ました。ウリマルで歌っている子供たちにとても感動しました。

このような日本で堂々と韓国・朝鮮語の校歌を歌うということはすごいことだと思いましたし素晴らしいことだと思いました。反面、その時のヤフーニュースのコメントにびっくりしました。あの中には韓国・朝鮮にルーツのある子供たちもいれば日本の子供たちもいます。

その子供たちに、甲子園の土を踏むなと、韓国・朝鮮の血が流れているお前たちが試合に出るな、といったコメントが一つや二つではなく連続で流れていました。

京都国際高校の子供たちがそれを見た時にどう感じるのか、3年間共に汗を流して練習してきた同じ仲間が罵倒されるのをどう感じるのか、みなさんどう思われますか。

今、日本社会では多文化共生理解教育というのを進めていますが、ちゃんと進んでいるのでしょうか。日本の現実は、京都国際高校のニュースのコメントに全部表れていると思います。

今、日本社会では、いろんな人が生活しています。在日コリアンも、中国の、フィリピン、ベトナム、ブラジルの、いろんな人が日本で生活し、共に歩んでいます。大阪府庁のみなさん、あなたたちは排外主義にまみれて生きるのか、引き続き在日コリアンをはじめとしたマイノリティを差別して生きていくのか、それはあなたたち一人一人に委ねられているのです。

ここで訴えたい!ここに朝鮮大学校生たちが何人か来ています。この子供たちを前にしてあなたたちは次世代の子供たちにどういった社会を譲っていくと言うのでしょうか。他人事ではありません。ありのままの、自分たちのルーツを認め合って生きていけるような社会を一緒に創り上げていきませんか。

今日はもう終わりますが、引き続き火曜日行動の声に、みなさん、耳を、頭を、胸を傾けてください。ありがとうございます。

☆ うた「声よ集まれ 歌となれ」



シュプレヒコール続いています。

  シュプレヒコール
 ・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ!
 ・行政が差別するな! 
 ・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ!
 ・朝鮮学校を差別するな!



大村さんのアピールと合唱「勝利のその日まで」です。

 
☆ 大村さん

先週私は8月24日だったので浮島丸事件のことを話しました。今日は8月31日で、明日は9月1日です。日本では防災の日となっていますが、関東大震災の日です。1923年9月1日、朝鮮人の虐殺が行われました。10万5千人の死者・行方不明者のうち、朝鮮人の犠牲者は3,000人から6,000人と言われています。官憲がデマを流し普通の日本人が自警団として各地で朝鮮人を見つけては殺していくという本当に酷いことが行われました。障害者に対しても、また千葉県の福田村という所では、香川県からの行商者が赤ん坊も含めてたくさん殺されたという事実があります。

今、日本の中では、こういった加害の事実を消そう消そうとしています。
小池都知事は、2017年から9月1日の追悼文は送らないことを決めました。今年も送らないと決めています。
このような上からの流れがヘイトを生み出しています。朝鮮学校を潰すような動きにもつながっていると思います。明日、関東大震災のことをみなさん、もう一度勉強しましょう。

では、そういう思いもこめて一緒に歌いましょう。


☆ 長崎さん

それでは、火曜日行動のうたに移ります。

一言だけ紹介すると、今日、池辺さんが弾いてくださっているアコーディオンは、火曜日行動のことを知って寄付してくださった方がいて、とても高価なものなんだそうです。

匿名で送ってくださって、今日は古賀さんの代わりに池辺さんが弾いてくださっているのを一言お伝えしておきます。


☆ うた「勝利のその日まで」



駐輪場での申し送りです。



東京から来られた秋山さんがまた政府に抗議、要請するための絵葉書を沢山持って来られ、みんなで日本政府に声を届けようとアピールされました。

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8月24日、437回目の「火曜日行動」です。

2021-08-24 18:32:49 | 火曜日
へんな天候が続いていますが二週間ぶりに437回目の「火曜日行動」が行われました。








今日のレポーターはハルモニ会の陶山さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心一つに発信してまいります。












火曜バンドは不滅です‼️






長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

 いよいよ8月もあと残り2回となりました。暑い中ですけどやはり秋が近づいてきている感じがします。今日は437回目の火曜日行動です。今日も朝鮮大学の学生さんが夏休みということもあってたくさん参加していただいていますので、今日は若者を中心にアピールをしていただきたいと思います。

冒頭に、今まで私たちと一緒にがんばってきてくださった、私たちにとって大切な仲間だった田中ひろみさんがお亡くなりになったことを申し上げてから始めたいと思います。

田中ひろみさんは、宝塚で朝鮮学校を支えるための活動、東北で震災があった時に朝鮮学校支援のためのチャリティーコンサートを開いたり、絵葉書を作ったり、いつもこの火曜日行動に参加し、日本人の責任として従軍慰安婦の方々の水曜デモをされていました。

田中ひろみさんは宝塚の水曜デモに参加されている中で倒れ、帰らぬ人となりました。田中ひろみさんが「朝鮮学校守ろう」といつもここで歌を歌ってくれました。その彼女の想いが私たちの中にしっかりある、それを受け継いでいくことが田中ひろみさんへの悼む思いだということを最初に申し上げて、スタートしたいと思います。





アピールのトップバッターは朝鮮大学の学生たちです。頼もしい‼️

大学生男性

ヨロブン アンニョンハシムニカ。ご通行中の皆さまこんにちは。そして大阪府庁にお勤めの皆さまこんにちは。

私は、今現在、表面上の現象だけに目を向けて、我々を差別する口実を探し続ける日本に、一言だけ物申したいです。この表面上だけを見るということはその裏に隠された本質から目を背けることでもあります。そして我々は長きにわたって続いてきたこの闘争の場で、常にその本質、歴史と寄り添い続けました。だから今さら私が付け足すことなどありません。

今の日本には、ただこの不毛な勝者なき争いを一刻も早く止めること、それだけを要求します。そして我々は一つ一つの闘争の中で負けることがあっても、この闘いをやめないこと、それ自体に大きな意味があって、そこに我々の勝利があると思います。闘い続ける限り負けないと考えていますので、これからもがんばります。





アピール続きます。

女性

アンニョンハシムニカ。私は朝鮮学校に通う、毎週火曜日行動に来ているソン・サヒと言います。今日は政治経済学部の来れる子、何人かでここにきました。

日本政府の方に申し上げたいことは、私たちは当たり前の権利のために今闘っていますし、今、当たり前のことが当たり前でないから、闘っていると言うことです。

日本人の方からしたら我々朝鮮人は、他の国の外国人と同じように思われるかもしれません。しかし日本に住む在日朝鮮人は、ただの外国人ではなく、歴史的背景をもって、過去の植民地があって、強制的にまたは生きる道を探して、仕方なく、背景によって渡ってきた人たちを先祖にもつのが私たちです。

なので、その保障として、当たり前に朝鮮人が日本で暮らしていけるように保障するのが当たり前であり、当たり前の権利を保障しなければならないと思います。それを勝ち取るために私も在日同胞社会も、今日本政府が高校無償化と補助金を支給しないことで朝鮮学校へ通えなくしてから、朝鮮学校の生徒の数が減っていくという政策をしているのですが、それに負けないように、私たち同胞社会を守っていくためにも朝鮮大学校で学び、勉強してからこれから守っていきたいと思う一人であるので、闘い続けたいと思います。

一緒に闘っていきましょう。コマッスムニダ。











アピールです。

男性

朝鮮大学校から来ました。何度もこの場に来て自分たちの権利を主張してきましたが、やはり、歴史的観点から人権的観点から見ても、自分たちが教育の保障を受けることが当然のことであるということが、皆さんわかっていると思います。

その権利を主張するのが正しいということで、こんなに暑い中、コロナのリスクがある中、たくさんの人が集まって、この場で主張しているのです。大阪府庁の皆さん、今一度、自分たちの声をもう一度聞いて、良く考えて、行動していただくようによろしくお願いします。












朝大生のアピール続いています。

女性

私は朝鮮大学校、外国語学部に通う2年生のキム・テマと申します。何度も火曜日行動に参加して、何度もマイクアピールもさせていただきましたが、私が伝えたいのはただ一つです。

私は在日朝鮮人で、ルーツは、朝鮮から植民地時代におじいちゃんおばあちゃんたちが生きる道を探してここに渡って来ました。そして日本という地で一生懸命生きて、朝鮮人というルーツをまた子孫・下の代に受け継ぐことによって、今の私がいると思っています。

私がルーツを当たり前に感じられるように、私も後輩たちに、当たり前に朝鮮人として生きることをあきらめさせたくないと思います。朝鮮人として生きることが恥ずかしくないこと、それは当たり前のことだということを、これからも訴え続けていきたいです。

後輩たちのためにもっと生きやすい、堂々と生きる社会にするために頑張っていきます。

































アピールです。

女性

私は今年朝鮮大学校に入学した1年生です。自分は今まで、朝鮮学校を通して、朝鮮人というルーツを知りながら幸せに生きてきました。でも、もっと堂々と生きられる社会に住みたいと思っています。

自分の弟たちも、小学校と高校に通っているのですけど、弟を含めた後輩たちに、堂々と朝鮮学校に通える社会にしてあげたいと思うので、もう一度考えてほしいです。これからも一緒に闘おうと思います。コマッスムニダ。





アピールです。

女性

私は朝鮮大学校政治経済学部法律学科で学んでいます。大学に入学してから法律を学び始めたのですが、憲法についてちょっとしか学んでいませんが、学ぶ過程でたくさんの違和感を感じてきました。

私たちは日本に住みながら、日本人と名乗るわけではないですが、しっかりと日本に住んでいる国民と言えます。私たちも同じ国民なのになぜ同じ権利をもらえないのかと、ほんとに疑問がたくさん現れてきます。

私はこれからも学ぶことがたくさんですが、そういう違和感を当たり前に感じず、一つ一つの矛盾に疑問を抱きながら、闘い続けたいと思います。これからも皆さんと一緒に闘っていけたらいいと思います。コマッスムニダ。


長崎さん

ここに来ている皆さんは、時には小学校の時、また大学生になる前、中学・高校の時にもこの火曜日行動に参加された、朝鮮学校で学んでこられた皆さんです。

次の代に差別を渡したくない、自分たちが堂々と胸を張って生きていけるのは、ハラボジ・ハルモニが日本の中で苦労しながら、在日朝鮮人として生き、その思いを次の世代に渡してくれたから、自分たちがいるのだ。そういう発言をしてくださいました。

以前にも朝鮮高校と日本の高校の交流授業をしたことがあります。その時朝鮮学校の生徒さんが、「ある意味で自分たちが生きた歴史なのです」と言われました。「自分がここにいるのは、ハラボジ・ハルモニが、日本の植民地になった中で日本に来た。そして今も私たちが朝鮮名を名乗り、朝鮮語で話し、日本の中で暮らしている。それは、私たちが歴史の証人だからじゃないですか」と言われました。

歴史の証人だからこそ、日本政府は過去の歴史を消すために、朝鮮学校を消そうとしている。その中で皆さんが頑張っておられるその思いを今日は語ってもらいました。

コマッスムニダ。



















オモニたちのアピールとシュプレヒコールと合唱は金曜行動に連帯して「声よ集まれ 歌となれ」です。

オモニから

私は朝鮮学校に子どもを送っている保護者の一人です。前回に元朝高オモニ会長が言っていたと思うのですが、この世界で私たちを行きにくくしているのは行政ではないかと、この一言に尽きると思います。

行政の差別があるからこそ、一般の人たちも同調し、学校では教えてくれないことなので、何も知らないまま大きくなって教員になり、公務員になったりしてる人たちが、安易に差別したりしている。この生きにくい社会を私たちは私たちの手で変えたいと、負の連鎖を断ち切りたいと、ここに毎週立たせてもらっています。

今日は北大阪のオモニたちと一緒に心合わせて、金曜行動の朝鮮大学校生と一緒に歌いたいと思います。

 歌 「声よ集まれ 歌となれ」

    シュプレヒコール      
・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ

・行政が差別するな

















































大村さんのアピールと最後の歌は「勝利のその日まで」‼️

大村さん

 今日もたくさんの朝鮮大学生が来てくれました。こんなに立派に育っていってるということは、朝鮮学校で育ってきて、自分たちの言葉、自分たちの文化・歴史、そういったものをしっかりとアイデンティティーとして育まれて、そしてここに立って、日本の社会の中で、自分も日本人と共に一緒にこの日本社会を形成していくという、そういう思いでこの場で述べてもらいました。

今日は8月24日、今日は何の日か。日本の敗戦後、1945年8月24日、浮島丸事件をご存知でしょうか。8月24日に青森県の大湊港を出た船です。その船には青森県の大湊の海軍施設や、三沢飛行場で、強制労働させられていた、朝鮮人の労働者・家族3700人余りと乗り組み員含めた4000人の人たちが、祖国が解放されたので祖国へ帰ろう、そういう思いで23日乗り込みました。そして24日舞鶴港に寄った時に、まだ真相はきちんと解明されていませんが、魚雷によって沈没させられてしまいました。

朝鮮人の犠牲者、549人。でもそのことは日本の中ではその当時、全く知らされてなかったわけです。しばらくたって韓国の方からの報道によって日本に初めてその事実が知らされました。その船は9年後に引き上げられ、そのまま遺骨が残っているわけです。その遺骨もまだ自分の故郷に帰れないで、東京の祐天寺にそのまま眠っておられます。

そういった日本の過去の歴史、そういったものを私たち日本人は、いろいろ知らないと思います。今、ちょうど舞鶴では慰霊祭が行われております。そういったいろんな日本の過去の加害の歴史を踏みつぶそうとしている。そういったものの象徴が朝鮮学校つぶしにかかっている政府・行政ではないでしょうか。

朝鮮学校をつぶすことによって、彼らのようなきちんと歴史を学んでいく人材をつぶしていくということ、このことを私たち日本人は、決して許すことはできないし、私たち日本人が、この日本社会がまっとうな社会になるためにも、朝鮮学校を絶対に私は日本人として守りたいと思います。その思いで皆さんと一緒に歌いましょう。

歌 「勝利のその日まで」

空を見上げよう ため息つかずに
奪われるものか 子どもらの笑顔
諦めるまい 断念するまい
進もう われらの道 勝利のその日まで

고개를 들어요 한숨을 거두자요
아이들의 웃음을 빼앗길순 없잖아요
포기를 말자요 단념도 하지 말고
전진만이 우리의 길 승리의 그날까지

  ( 作詞 許玉汝 作曲 金和美)
















いつものように駐輪場での申し送りです。
















朝鮮大学の学生たちに大きな拍手が送られました。


田中ひろみさんの告別式の様子等を方清子さんと井上淳さんが伝えてくださいました。











(在りし日の田中ひろみさん 合掌)




くっすんさんが今日もお疲れ様と言いながら愛のキャンディを配ってくれました^_^










来週も頑張ります、「勝利のその日まで」‼️ファイティン‼️

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8月10日、436回目の「火曜日行動」です。

2021-08-10 17:13:00 | 火曜日
真夏です。真っ青な空が眩しいです。









今日のレポーターはハルモニ会の木村さん、写真撮影は松尾さんです。心一つに発信してまいります。








長崎さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

 今日はさわやかな風が吹く日となりました。

 ありのままの自分を大切にするための民族教育の権利を取り戻すために、補助金復活、高校無償化、幼保無償化の適用を求めて、私たちは2012年4月17日から毎週火曜日、もう9年以上もここに立ち続けています。

 この7月27日には広島の朝鮮学校無償化裁判で悔しい悔しい判決がくだりました。広島では子どもたちも自分の本名も顔をも出して裁判を行いましたが、地裁・高裁でも敗訴、そしてこのほど最高裁で上告が棄却され、すべての無償化裁判の敗訴が確定しました。

 大阪では唯一、大阪地裁で2017年7月28日に勝訴し、「司法が行政の差別をただす」という垂れ幕を掲げていたことを思い出します。

 広島の裁判の過程では原告の訴えをまともに聞こうとせず、証人申請すら採用しませんでした。また、原告が主張していた憲法・教育基本法・国連の人権条約に違反するという点についての言及は全くなく、朝鮮総連を危険な団体と見なす公安や産経新聞の情報に基づき、その団体と関連があるから、無償化排除は「適法」と繰り返すばかりでした。

 私たちの中には日本人の支援者もたくさんいます。日本社会の民主主義を守るためにも朝鮮学校差別に反対するのです。

 様々な立場から自分の思いを自由に語ることがこの火曜日行動の特徴でもあります。400回記念誌にもたくさんの短歌やエッセイが掲載されました。ここは闘いの場であると同時に、文化の場でもあります。















火曜バンドは不滅です‼️













アピールです。

☆留学同(在日本朝鮮留学生同盟)の女性

 私は朝鮮学校出身で、今は大学4年生です。朝鮮学校にはたくさんの思い出があります。学校生活、朝青(チョチョン)での活動…。今は留学同に所属しています。

 今、コリアンに対する差別が見えます。私のバイト先では、中国人、ベトナム人、日本人と楽しく活動をしていますが、日本社会では差別が存在し続けています。市民として生きていくために差別をなくし普通に権利を与えてほしいです。


















アピールです。

☆留学同の女性

 私も朝鮮学校の出身です。学生の時に裁判に行ったことがあります。その裁判では負けてしまいましたが、周囲にたくさんの悔しい思いをした人々がいました。私たちのためにがんばってくれているのになぜ報われないのでしょうか。

 私たちは学校で民族教育を受けているので、高校無償化の適用は当然の権利です。当然の権利を私たちに与えてください。






























斎藤さんお久しぶりです!













大野さんもマイクを持たれました。

☆大野さん

 日朝市民連帯の大野です。毎日毎日、風の吹く日も暑い日も途絶えない行動で、いったん参加するとやめられない魅力を持っています。

 先週も今週もこうして若者たちが訴えているのに差別を平気でできる神経がわかりません。

 管首相は「オリンピックとコロナ感染拡大は無関係である」と発言しました。ずっと判断ミスばかりです。吉村知事、松井市長、こんな人をあなたたちが支えているのです。あなたたちが任期にあるうちにぜひ無償化と補助金の復活をしてほしい。

 河村市長はメダルをかむという無神経な行いをしました。いくら謝罪をしても駄目です。他の知事もそういう考えを持っているのでしょうか。

 どうか無償化・補助金の復活を!































高さんがアピールです。

☆キリョンさん

 私は朝鮮高校・朝鮮大学に子どもを通わせている保護者です。今日、日本人の友人からのLINEを見て思ったことを話します。

社内で差別文書を大量に配布したフジ住宅の取締役は元在日で日本国籍を取った人だそうです。私はこれを聞いてやるせない思いがしました。まさに負のスパイラルです。

子どもたちはヘイトスピーチがなされる社会でどんな大人になるのでしょうか。オリンピックの報道を見て、人権意識が薄れているのを感じました。

子どもたちが大人になったとき、フジ住宅の取締役のようになるのではと、怖くなりました。こんな社会を変えていくのはあなたたちであり、私たちです。











暑い中、メモをとり続ける木村さん!



























シュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」が続いています。

☆歌とシュプレヒコール

『声よ集まれ、歌となれ』

・子どもたちに学ぶ権利を保障せよ!

・朝鮮学校を差別するな!

・朝鮮学校に「高校無償化」を適用せよ!

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ!

・行政が差別するな!






















大村さんのアピールです。

☆大村さん

 今日で436回目になります。

オリンピックでは色んな問題が浮かび上がりました。
人種差別、歴史認識、人権侵害…。また予算がものすごいことになっています。総額で3兆円を超す額になっています。100億円の病院が300棟も建てられる金額です。弁当の廃棄が13万食。これだけでも、朝鮮学校にエアコンをつけることができると考えてしまいます。

 昨日、8月9日は長崎原爆の日でした。いつも思うことですが「日本は唯一の被爆国」と言われますが、韓国・朝鮮の被爆者がたくさんいることに目が向けられていません。

広島も長崎も軍都で、そこには多くの朝鮮人が強制連行されてきました。戦後、故郷に帰った被爆者に対して、韓国の被爆者には、運動の末、被爆者手帳が支給されていますが、朝鮮民主主義人民共和国の被曝者には国交がないとして、被爆者手帳は今も支給されていません。

 8月はなぜ朝鮮学校があるのか、なぜ親たちは朝鮮学校に子どもたちを通わせるのか、そんなことを考える月にしていきたいと思います。











最後の歌は「勝利のその日まで」‼️

























今日もゼリーを凍らせ配ってくださるクッスンさん、おかげさまで疲れが吹っ飛びました。










変わった植物です。






館山さんご夫妻です。暑い中本当にお疲れ様でした。








体調も良くないのに今日も参加してくださった古賀さん、本当にお疲れ様でした、来週は休んでくださいね。











駐輪場での申し送りです。









子どもの頃から火曜日行動に参加し、大学生になってもなお参加してくれている若者たちに拍手が送られました。

















明石に転勤になり久々に参加された斎藤さんがミャンマーから来られた友人を紹介されました。












高さんからのご案内です。














大村さんも8月の14日、東成区民センターで行われるドキュメンタリー映画「私はチョソンサラムです」を見に行こうとPRされました。











くっすんさんは中大阪のサランサランテイクアウトへのご協力に謝意を表され、21日テイクアウトの日に中大阪へ来て下さいと案内されました。










来週は盆休みです。24日にまた元気な姿でお会いしましょう。お疲れ様でした。

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北海道のウリハッキョを訪ねて 詩 ウリハッキョの朝

2021-08-09 20:14:26 | 詩・コラム
2013年3月、北海道のウリハッキョを訪ねました。





 「우리 학교의 아침」


아침 깨여나보니
윙윙 소리내며 휘몰아치는 눈보라
창문 너머 펼쳐진 어마어마한 은세계

꿈일가?
아닐거야 여기는 분명
혹가이도의 우리 학교 포근한 기숙사

렬차도 멎고 뻐스도 멎어
뜻밖에 학교는 림시휴교 되여
예정한 강연회도 날아가버렸구나

아쉬운 마음으로 교사내를 돌아보는데
놀랍구나 키를 넘는 눈속에 뛰여들어가
위험도 무릎쓰고 일하는 선생님들
온몸이 삽이 되여 얼음눈을 파헤친다


           
                                                
계속된 폭설때문에 막혀버린 페기구멍
뚫지 못하면 큰 사고 난다고
사정없이 볼을 치는 눈바람 맞으면서
바위같이 딴딴한 눈덩이와 씨름한다

대견스런 마음 누를 길 없어
<수고하십니다!> 인사했더니
쑥스러운듯 싱긋 웃으며
기운차게 손 놀리며 쉴줄 모르시네

제힘으로 지켜온 소중한 우리 학교
우리 학교에선 늘 보는 광경이라고
놀랄것 없다고 선생님들 웃으시지만
코허리가 찡하여 눈앞이 뽀애졌네

정녕 혹가이도 우리 학교의 아침은
언제나 이렇게 시작되는구나
그래서 언제나 봄날처럼 훈훈하구나

일본땅 북단에서 나는 보았네
학교 위해 학생 위해 한몸 바침을
흔한 일로 여기는 끌끌한 선생님들을

가슴 뜨겁도록 보고 또 보았네
눈석이를 믿으며 앞서가는 선생님들을
열두달 몰아치는 모진 바람 이겨내며
오늘도 밝아오는 우리 학교의 아침을!




「ウリハッキョの朝」
          

朝 目が覚めたら
外は 荒れ狂う吹雪
窓の向こうに広がる 厳しい銀世界

夢?
いえいえ まさしく此処は
北海道のウリハッキョの 暖かい寄宿舎

列車も止まりバスもストップ
思いもかけず 休校になり
予定していた講演会もふっ飛んでしまった



                                                              

「残念だなぁ」と 校舎をまわっていたら
これは驚き 背丈を超える積雪の中で
危険も顧みず スコップ片手に
氷のように固まった雪と勝負する先生方

豪雪のため詰まってしまった排気口
雪を取り除かなければ大変なことになると
容赦なく頬を打つ風雪ものともせず
岩のように固い雪の塊と格闘しつづける

                                   

雄々しい先生方の姿に 胸打たれ
心の底から出た言葉
「ごくろうさまです!」

照れくさそうにニヤッと笑い
休むことなく作業を続ける先生方

自力で作り、自力で守ってきたウリハッキョ
うちの学校ではいつものことだと
驚くほどのことではないと笑う先生方
胸が熱くなり 目の前がぼやけてしまった

まさに北海道のウリハッキョの朝は
いつもこのように始まるのですね
それで春の日のように暖かいのですね

日本の北端で私は見たのです
学校のため学生たちのため尽くすことを
当たり前だと思っている真の先生方を

目頭が熱くなるほど見つづけたのです
雪解けを信じて 明るく働く先生たちを
12ヶ月止むことのない雨風をはねのけ
今日も迎える ウリハッキョの朝を!



                                      




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生まれ故郷―青森県平川市碇ケ関を訪ねて10年が過ぎました。記念誌再掲

2021-08-09 10:16:17 | 詩・コラム
2011年7月、生まれ故郷である青森県平川市碇ケ関を初めて訪ねました。碇ケ関支所長であられた花岡様、職員であった黒滝様には生涯返すことのできない大きな恩を受けました。



記念詩 「生れ故郷―碇ヶ関を訪ねて」


 1.キャッスル号に乗って



東北のウリハッキョでの慰問公演を終え
弘前行きの キャッスル号に乗り込んだ

ついに 行くのだ 碇ヶ関に
夢にまで見た 生まれ故郷に

62年もの 長い間
心のどこかで いつも気がかりだった

何処で どんな所で生れたのだろう 私は
いつかは いつかは 探しに行かねば…

果てしなく続く田園風景 青さが目に染みる
トンネルを何度も潜りぬけ 高速バスは行く

「碇ヶ関まで27キロ」 掲示板の文字に
ドックン ドックン 鼓動が高鳴りはじめた 

左下に集落が見える 赤茶っぽい屋根の建物に
はっきりと書かれた 「碇ヶ関温泉郷にようこそ」

一瞬に通りすぎてしまった だが まぎれもなく
私は向かっているのだ 人生の出発点に!



記念詩2.碇ヶ関駅にて

           
弘前から奥羽本線のワンマンカーに乗り
4つ目の駅で降りた 碇ヶ関だ

小高い山に囲まれた 静かな佇まい
見渡す限り 青々とした田畑 リンゴ畑

大正の頃から変わりが無いという
碇ヶ関駅のホームに 立ち尽す

上野発青森行きの 蒸気機関車に乗って
オモニも降りたんだね このホームに

激しい 陣痛に耐えかねて
姉と次兄を連れ やむなく降り立った駅

どんなに心細かっただろうか
頼る人も知る人もいない この駅で

階段を一段一段上り渡り廊下を歩く
階段を一段一段下り出口に向かう

駅員も見当たらない小さな駅
切符を受け取る人もいない駅

62年の歳月を経て 今 ここに立つ
オモニのお腹にいた私が ここに立つ





記念詩3.日曜日の碇ヶ関支所


          
丁度1ヶ月ほど前 FAXを送った
インターネットで捜した 碇ヶ関総合支所に

「私の 生まれた場所を 探してください。
 碇ヶ関の小さな自炊旅館だったそうです。」

手がかりは ただ それだけ 
雲を掴むような おはなし

なのに 総合支所の皆さんは
自分事のように涙し 探し続けて下さった

仙台へ出発する二日前 ついにきた 嬉しい便り
「見つかりました!着いたら支所に来てください」

日曜なのに と 心配する 私に
何時でも良いから と 仰る 黒滝さん

こんな偶然があるだろうか
予約した宿が 総合支所の 隣だったなんて

宿に着くなり向かった 総合支所で
支所長さんと黒滝さんが 暖かく迎えてくれた

沢山の資料、地図、特産物、リンゴ、生ジュース
碇ヶ関の ネーム入Tシャツまで 着こんで

70匹もの 蛍まで 準備してくれていた
碇ヶ関の夜を 蛍と共に 過ごすようにと…





 記念詩4.星空に抱かれるように 

          

高さ15CMほどの ガラス瓶の中に 
田んぼで取ったと言う 70匹の平家ホタル
蓋には 「ホタルのホテル」と 刻まれていた

昨日の夜 田んぼの近くまで 車を寄せ
ウインカーを チカチカ 点滅させて
集まってきた 蛍を 一気に 詰めたそうな 

夜中の12時 全ての電気を消し
布団に横たわったまま じっと 見つめる
蛍たちが踊りだした 右に左に ぐるぐると

真っ暗闇の中 ホタルが放つ光が
ガラス戸や鏡に反射して作った 幻想的な空間
夢を見ているような 嬉しい錯覚

視力の弱い事が こんなに 効を奏するなんて
まるで 霧の中 湖の傍に 佇んでいるよう
満天の星空に 抱かれているよう

遠い昔 星降る夜 オモニが作ってくれた浴衣を着て 
近所の綾ちゃんと 盆踊りに出かけた日の事が
なぜだか 浮かんでは消え 消えては浮かんだ

花岡支所長さんの 優しい 思いやりが
生涯忘れる事の無い 幸せな夜を くれた
生れ故郷での初めての夜を 心に刻んでくれた




記念詩5.白沢の水場  

   
          
「こちらです」 朝 支所長さんの声
碇ヶ関支所から車で5分ほどのところ
私が生まれたという 木賃宿の跡地

雑草が茂る空き地だ 思ったより小さい
左横はすぐ山のふもとだ 線路跡がある
汽車が通るたび 家が揺れたそうだ

入り口に 白沢の水場 生命の水場     
山から管を通して 引っ張ってきた水 
江戸時代から 流れ続ける 白沢の水

水道のなかった 昔も今も 共同の水場 
木賃宿の客人も ここで顔を洗い洗濯をし
井戸端会議に花を咲かせた 貴重な場所

オモニもこの水で 炊事洗濯をしたのか
私のオシメを洗い 時には沐浴もさせてくれ
6ヶ月間 触らぬ日がなかった 白沢の水

手を伸ばし触って見た 冷たい!
初めて実感する 生れ故郷の感触
脳裏に浮かぶ セピア色の オモニの顔写真

何度も何度も触ってみる
手のひらで水を受け 口に含んでみる
おいしい! 涙と一緒にごくっと飲み込んだ




記念詩6.花岡チエさんとの対面



「外崎さんの おばちゃんはね
それはそれは 優しい人でしたよ」

捜していた木賃宿の隣で生れ育ち 今も住む
花岡チエさん 3代続いた教員の家に生れた方
私よりも一回り年上の ほっそりした上品な方

旅館代の払えない貧しい人々が 通りすがら
この木賃宿に泊まったそうだ 部屋は4つだけ
子供さん二人抱えて 宿を営んでいた外崎さん

チエさんの話を聞きながら オモニの話を思い出す
駅を降り 大きなお腹抱え当ても無く歩いていた時
1人のお婆さんが うちにおいでと言ってくれたと

部屋に入って間もなく 産婆を待つ時間も無く
私が生まれ へその緒を自分の歯で噛み切ったと
この方に会っていなかったら オモニは?私の命は?

「間違いないわ。この辺で木賃宿はここだけだし
 外崎のおばちゃんなら 必ず 助けたはず!」

有難うございます 花岡さん 生きていてくれて
あなたのおかげで やっと 見つけました
紛れも無い 私のルーツ 生れ故郷の住所を!

「青森県平川市碇ヶ関160番地の5」
命の恩人 外崎さん 証人の 花岡チエさん
手を握り 涙しながら喜び合った 感動の瞬間!





記念詩7.碇ヶ関支所での朗読会


         
花岡チエさんとの感激の対面のあと
興奮覚めやらぬまま 支所に戻った
支所の皆さまが開いて下さった朗読会

「朝鮮学校無償化除外反対」を訴える為
生れて初めて日本語で書いた 詩 <ふるさと>
広島、東京、京都、奈良、大阪の朗読会で、集会で
幾度と無く朗読しつづけてきた 詩 <ふるさと>

その詩を 今 <ふるさと>で 朗読するのだ
足も声も震える こんなこと初めてだ
夫の優しいフルートがそっと励ましてくれる

「生まれ育ったところが故郷だと
 誰が言ったのだろう
 私には故郷なんてなかった
 ふるさとがなかった… 」

誰が想像したであろうか
生れ故郷の 碇ヶ関で 
この詩を朗読する日が来るなんて

この詩を詠むたび 思ってた
誰に 私の悔しさがわかるものかと
誰に 私の悲しみがわかるものかと

だが今 私の胸に迫るものは 感謝の気持だけ 
こんなに 素晴らしい村で生れただなんて
こんなに 素晴らしい人々がいただなんて…







記念詩8.三笠山に登って


            
青々としたアカシヤ あちこちに見える天然杉
白く可憐なリンゴの花に囲まれて
少年期をここで過ごした 葛西善蔵の文学碑

到る処にあじさいの花が 明るく咲いている
支所長さんらが 学生の頃 植えた苗が
ブルー、ピンク、薄紫の花を 毎年咲かせる

三笠山の山頂から 碇ヶ関村の全容が見える
バスの中から見えた「碇ヶ関温泉郷にようこそ」が
総合支所の裏壁だったなんて 嘘みたい

赤、青の屋根が目に付く 全てトタンだそうだ
寒い冬に雪が滑り落ちるよう 工夫されている
碇ヶ関は二つの山脈に囲まれた盆地だったんだ

室町時代から 関所のある宿場町として栄え
村を流れる平川の清水、果てしなく広がるりんご園
豊かな自然といで湯に恵まれた 閑静な里

人口2、800人にまで減ったけど
村に対する誇りは誰にも負けない
黒滝さんも支所長さんも碇ヶ関の人だ

「おまえはリンゴ畑で拾ってきたんだよ。」
言われるたび 青森に帰るから電車賃をくれと
駄々をこねた 昔がほんに懐かしい

「おーい 碇が関ー 私はついに来たよー」
叫びたい気持ちを抑え リンゴ畑を歩き続けた













記念詩9.三笠食堂で



「この村で一番古い三笠食堂で
 お昼をいただきましょう。」

支所長さんにつづいて食堂に入る
昭和の雰囲気が漂う 古いお店
アルバムや雑誌なんかも置いてある

壁に貼られた大きなポスター
<自然薯ラーメン> 美味しそうな響き
「私これにします」 結局 皆このラーメン

ラーメンを待っている間 話が行き交う
今日の朝訪ねた 花岡さんのお父様に
ここのご主人も 習ったそうな

アルバムを見ていると分かる 大正時代の様子
昭和の時代の平川や橋、馬車まで走っている
大阪から生れ故郷を探しにきたと紹介される

「木賃宿の名前がわからんのです」
「あぁ、白沢の水場の木賃宿かね、大黒屋さんや
出前頼まれて よう行ったから間違いないわ」

大黒屋?大黒屋?! 役場でいくら調べても
最後までわからず 諦めかけていた屋号が
こんなにも簡単にわかるなんて 奇跡?偶然?

碇ヶ関に来てビックリすることだらけ
ひとつの 大家族のような村 
血の通い合う 暖かい 私の生れ故郷!



記念詩10.碇ヶ関の名所を巡る


           
三笠食堂の2代目店主 阿部さんから
貴重な証言を頂いた後 たけのこの里に向かう

樹齢200年の大杉の前に佇み 仰ぎ見る
しばし時を忘れ 森林の心地よい香りに酔った

春は山桜が咲き乱れ 夏は楽しい渓流釣り
秋は紅葉、バーベキュー、温泉も楽しむ贅沢さ

コテージが素敵 中に入るとまるで我が家のよう
「来年の秋 姉や兄と 必ず泊まりに来ます」

つい口から出た言葉 でも嘘じゃない 本当だ
何回でも来たい処 小川のせせらぎが心地よい
 
帰って報告すればどんなに喜ぶことだろう
家族みんなで行こうと 言うかも知れない

再び 碇ヶ関駅に戻り写真を撮る 心に刻む
駅隣の 屋内村民プール遊泳館にも立ち寄る 

かけ流しの温泉がある 道の駅いかりがせき
移築した関所の面番所で 江戸時代にタイムトラベル

たけのこの瓶詰め,自然薯そばに青森りんごきらら 
お土産もどっさり 大満足 ポッカリ雲が笑ってる

碇ヶ関の全てを持って帰りたい 大阪に
7色の温泉が 又おいでと 湯煙を立てている







最終章。果てしなく続く旅


          
大阪に向かう飛行機の中で ずっと考えた
私はなぜ 碇ヶ関を 捜し続けたのだろうか
私はなぜ 生地に こだわり続けたのだろうか

人は皆 生地を持つ しかし 選ぶ事は出来ない
ましてや 私は異邦人 流れ流れて 着いた村
昨日今日の話では無い 遡れば 100年も前だ

国を奪われ やむなく祖父が日本に渡り 
祖父を頼って日本に来た父は 母と出会った
職も無く 転々と彷徨う中で 生まれた 私

外国人登録証なるものを初めて見た中学生の時
両指10本の指紋をとられながら 私は思った
私は罪人か? 一生 これに縛られるのかと

心のどこかでいつも 怨んでいた
国を奪ったもの達を 離散家族を作ったもの達を
チマチョゴリも自由に着て歩けない この国を

60年もの間 かたくなに心を閉ざし
決して許す事はなかった 祖父の足を奪った輩
出生地も 知らぬまま 生まれ育った 悔しさを  

がむしゃらに勉強をした ウリマルの勉強を
誰よりも自分の国の言葉を上手に喋りたいと 
異国生れを 下手な口実にはしたくなかった

定年を迎え ふと 我に返ったとき 思った
生れた場所も知らないまま 死んで行くのかと
子供たちに伝えねばならぬものは なんなのかと

心優しい人々が住む 碇ヶ関で 命を授けられ
今もなお 心豊かな この村の人々の お陰で
ルーツを探せた感激、喜び、深まる感謝の気持ち

その想いが強いほどに 私は思うのだ
私の祖父、父、母が生まれ育った誠の故郷を
一度も見ないまま ただ年を重ねるべきなのかと

植民地に継ぐ 南北の分断はあまりにも長すぎた
個々の悲しみに背を向け 頑張り続けた半世紀
背中の丸くなった長兄は 未だ1人で済州島に

必ず捜しにいかねば 堂々と 胸を張って
民族の誇りを守って生きてきた 60年を
決して無駄には出来ない 決してしまい

果てしなく旅は続く でも私の足取りは軽い
必ずや 統一を迎えた故郷で 家族が集い
碇ヶ関でのことを 笑いながら話せる日は来る!

碇ヶ関の人々がそうであったように
私も民族や国籍に拘らず 困った人を助け 
日朝の架け橋になろうと 静かに誓った


          終



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