ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

ニョニョの日記詩(50~35)

2021-06-30 13:47:41 | 詩・コラム





日記詩50



生まれて初めてお鍋を買った
信じないと思うけど本当だ
昔懐かしいアルミのお鍋
ダイソーで500円だった
お嫁に行く時母が持たせてくれたし
シオモニが大中小と揃えてくれてた
50年間使い続けたけどまだ使える
でも家族が段々と減って
大鍋を使うことが少なくなったから
直径20センチ アルミ製取っ手付き
3人家族には丁度良いサイズだ
夕食に味噌汁作ったけど残った
明日の朝も食べなくては、、、
若い頃のようには食べられないなぁ
もっと小さい鍋で良かったかなぁ

일기시50
남비


난생처음 남비를 샀다
안믿어질것이지만 진짜다
다이소ー에서 500엔이였다
옛전이 그리운 알루미늄 남비
시집갈 때 친정어머니가 장만해주셨고
시어머니가 대중소 다 갖추어주셨다
50년간 계속 썼지만 아직 쓸수는 있다
하지만 가족수가 점점 줄어져
큰 남비 쓸 기회가 거의 없어졌기에
직경20센치 알루미늄제 손잡이도 있고
3명가족에겐 딱 맞는 크기다
저녁에 된장국을 끓였지만 남았다
래일 아침도 먹어야 할거야、、、
젊을 때처럼 많이는 먹지 못해요
더 작은 남비를 살걸 그랬나






日記詩49
火曜バンドは不滅です‼️


たまーにでは無いのです
9年ものあいだ 毎週火曜日
大雨が降っても強風が吹いても
一度もかかすことなく鳴り響いた
火曜バンドは私たちの誇りです
重いアコーディオンを担いで
遠く大和高田から電車に乗って
色んな楽器を手に手に持って
朝鮮の子どもたちの権利を守ろうと
人間の尊厳を守ろうと
大阪府庁前に鳴り響く正義の音
愛無くして響くことはありません
愛のバンド 正義のバンド
火曜バンドは不滅です‼️

일기시49
화요일밴드는 불멸합니다‼️


가끔 가끔이 아닙니다
9년을 하루같이 화요일마다
큰비가 와도 강바람이 불어도
한번도 빠짐없이 울려퍼진
화요일밴드는 우리의 자랑입니다
어떤분은 무거운 손풍금을 들고
어떤분은 야마또따카다에서 전차타고
여러 악기를 손에손에 들고 모여
조선학생들의 교육권리를 지켜내자고
인간의 존엄을 지켜내자고
오사까부청앞에 울려퍼지는 정의의 소리
사랑없이는 울릴수 없습니다
사랑의 밴드 정의의 밴드
화요일밴드는 불멸합니다‼️




日記詩48
1日の過ごし方


コロナ禍が押し寄せてくるまでは
1日があっという間だった
予定表も万全で
次から次へと計画こなし
あっと言う間に1日が過ぎ去った
なのに今週はほとんど白紙の予定表
炊事 洗濯 お掃除 済めば
自分の時間なのに何故か虚しい
たった一人で会話もなく過ごす
こんな日が来るなんて、、、
テレビを見ても本を読んでも
満たされないこの気持ち
一日の過ごし方 自分とのたたかい
人は一人では生きられぬ

일기시48
하루를 지내는 법


코로나가 닥쳐올 때까지만 해도
하루가 앗!하는 사이에 지나갔다
예정표도 만전을 기하고
차례차례로 계획을 잘 해내여
앗 하는 사이에 하루가 지났다
근데 이번주는 거의 백지상태의 예정표
설거지 빨래 청소를 끝내면
자기만의 시간인데 어쩐지 허무해요
단 혼자서 회화도 없이 지낸다
이런 날이 올줄이야 、、、
텔레비를 보아도 책을 읽어도
채울수 없는 이 심정
하루를 지내는 법 자기와의 투쟁
사람은 혼자선 살지 못해




日記詩47
逢いたい心の友


コロナ禍の為
山形県の路線バスの運営も
とても難しいと報道していた
初めて山形の街並みを少し見た
山形には心の友が暮らす
50数年振にFBで再会した同窓生
18歳の時 3ヶ月を共に過ごした友
声楽部と舞踊部 所属班は違ったけど
愛らしく美声 彼女は憧れの的だった
歌劇の主人公にまで選ばれた友
今はハンメ同士 心安らぐ会話
山形のお漬物が届けられたり
拙い新書を送ったり
想いと共に往来した品の数々
2度とは帰らぬ青春の1ページ
彼女とお喋りするときは
いつも私は 楽しかった18歳^_^


일기시47
보고싶은 마음의 벗


코로나때문에
야마가따현의 로선뻐쓰의 운영도
아주 어렵다는 보도가 있었다
처음으로 야마가따현의 거리를 보았다
야마가따현엔 마음의 벗이 산다
50수년만에 페북 통해 재회한 동창생
성악부와 무용부 소속반은 달라도
이쁘고 소리 고운 그녀는 동경의 대상
가극의 주인공까지 맡은 부러운 존재
오늘은 함매끼리 허물없는 딱친구
야마가따의 절임식품이 전해지고
서투른 글묶음을 보내기도 한다
그리운 마음과 함께 주고받은 물품들
두번다시 돌아오지 않는 청춘의 1페지
그녀와 이야기 나눌 때
언제나 나는 즐겁던 18살^_^








日記詩46
モネとソンエ


朝ドラでモネを見るたび
思い出す生徒がいる
30年前お正月公演で2ヶ月のあいだ
共に過ごした口演組のソンエ
毎日 「ア、ヤ、オ、ヨ」と
一緒に声を出し合ったソンエを
忘れるはずがない でも
歳月は無情で長い間忘れて暮らした
モネを見るたび毎朝思い出している
楽しかった2ヶ月間
思い通りにならなくて 泣いた日
何回討論会ひらいただろう
最高の舞台にしょうと励まし合い
迎えた1990年12月31日
生涯 心の支えになったあの日の感動
毎朝モネのおかげで思い出す
懐かしいソンエと共に
今 どうしているだろう 逢いたい^_^


일기시46
모네와 성애


아침련속극에서 모네를 볼 때마다
떠오르는 제자가 있다
30년전 설맞이공연을 위해
두달간을 함께 지낸 구연조 성애
매일 〈야 야 어 여〉
발음훈련 함께 하며 지낸 성애를
어찌 잊으랴 하지만
세월의 풍상속에 오래동안 잊어살았다
모네를 볼 때마다 매일아침 떠올려요
즐거웠던 두달간
뜻대로 형상 못해 울던 날
그 몇번 토론모임 가졌을까
최고의 무대로 하자고 서로 부추기며
마침내 맞이한 1990년 12월31일
한평생 마음의 기둥으로 된 그날의 감동
매일아침 모네덕분에 생각이 나요
그리운 제자 성애와 함께
지금 어디서 뭘 하려나 보고싶어^_^


😁モネは朝ドラの主人公
ソンエは東京出身の教え子
(大学卒業後東京中高の体育の先生になった という便りを耳にした気がするが)
@どなたでもソンエの近況知っていたらコメントしてね^_^
^_^近況を知らせてくださる方がいました。今、東京朝鮮第3初級の学父母になったようです。^_^
ソンエからメッセージきました‼️
「ソンセンニンー!ソンエです!
お久しぶりですー!
忘れずに覚えて頂けて本当に光栄です!!
チョなんかの詩を書いてくださり感動です!そしてモネさんには似ても似つかないですー!
思い出が美化されてしまってます。笑
今はあの時のソンエのようなおてんば娘を育ててます。いや、育ててくれたるのはウリハッキョです!ソンセンニンにお会いしたいです❤️今でもあの時のセリフはっきり覚えてます!!
あの時のみんなと会える日を楽しみにしてます!!こんなご時世なのでどうかソンセンニンお体ご自愛下さい(^_^)」30年ぶりです^_^







日記詩45
FBって凄いなぁ


昨夜
日記詩6の主人公の先生から
友達申請がきた ドキドキ
ビックリしてFBを開けると
モンダンヨンピル繋がりの尹さんが
先生の詩を見たと連絡くれたそう
FBって凄いなぁ 感動しきり
書籍を通じてしか知らなかった方と
一瞬に繋がるなんて
申請を即 受理し 対話が始まる
恥を忍んで 日記詩6を本人に送る
まるで旧友のように弾む会話
本当に嬉しい FBって凄いなぁ
改めて感じる 今日この頃


일기시45
페북은 대단해요


어제밤 일기시6의 주인공선생님한테서
친구신청이 날아왔다 두근두근
깜짝 놀라 페북을 열어보니
몽당연필로 이어진 윤씨가
페북에서 선생을 노래한 시를 보았다고
련락을 주었다지 않아요
페북이란 정말 대단해 감동이야
서적을 통해서만 알던분과
순식간에 이어질줄이야
신청을 수리하자마자 시작된 대화
부끄러움 무릅쓰고 일기시6을 보낸다
마치나 구면친구처럼 신바람 나는 회화
정말 기뻐요 페북이란 대단해
새삼스레 느끼는 오늘입니다






日記詩44
ビデオ通話の日


土曜日はビデオ通話の日
コロナ禍で義姉の面会も禁止になり
週1のビデオ通話の日を待つ日々
毎日弁当作って訪ねた日々が
本当に懐かしい
「私は誰でしょう?」
「どなたですか?」の通話も
結構楽しいものだ
早くコロナが終わって欲しいね
地球村が悲鳴をあげている
일기시44
비데오통화의 날
토요일은 비데오통화의 날
코로나때문에 동서와의 면회도 금지되고
주 한번의 비데오통화가 유일한 재미
매일 도시락 들고 찾아가던 날들이
무척 그립기만 하네
「난 누굴가요?」
「누구세요?」의 통화도
제법 즐거워요
어서빨리 코로나가 물러가야지
지구촌이 비명을 찌르고있다






日記詩43
継続は力なり


古希を迎えた日
ひとつだけ決心した
免疫力つけて
風邪ひかないようにする
その日から週に2、3回
ずっとジムに通っている
重い荷物持って
階段上るの苦手だったけど
今は大丈夫
一度も風邪もひかなかった
家族に迷惑はかけられない
油断大敵 でも実感している
継続は力なり


일기시43
계속은 힘이야


고희를 맞이한 날
하나만 결심했다
면역력 길러서
감기를 막아야지
그날부터 주 두세번
내내 짐을 다니고있다
무거운 짐 들고
계단오르기가 질색이였지만
지금은 괜찮아요
한번도 감기에 안 걸렸다
가족들을 성가시게 하고싶지 않아
방심은 대적 그치만 실감하고있다
계속은 힘이란걸







日記詩42
成長


つい先日入学式だったような
不思議な記憶が蘇るのに
もう6年生
頼もしい(?)団委員長!
6年間 男の子一人のクラスで
しっかり者の女の子たちに揉まれ
さぞや大変だったろうと思いきや
なんのなんの結構男の子らしい
幼い時はウルトラマンが好きで
ついその気になって暴れてたけど
いつのまにか後輩を諭す先輩に!
今朝も遅刻して走ってきた後輩に
「目覚まし時計合わしてる?
アラーム聞こえてんのん?」と
なかなか手厳しい!
子どもの成長はあまりにも早い
35歳で成長止まった私はどうする?


일기시42
성장


며칠전이 입학식 같았던
신기한 기억이 되살아나는데
벌써 6학년생
믿음직한(?)단위원장!
6년간 남자 하나뿐인 학급에서
야무지고 똑똑한 녀학생들속에서
오죽 기가 죽었을가 걱정했는데
천만에요 제법 사내답게 자랐네
어릴적엔 울트라멘이 좋아서
흉내내여 떠든바도 있지만
어느새 후배를 타일러주는 선배로!
올아침도 지각하여 달려온 후배한테
「자명종시계는 맞추고있니?
알람소리는 들렸니?」라
제법 호되다!
어린이의 성장은 너무나 빨라
35살로 성장이 멈춘 난 어떻게 해?!







日記詩41
雨の日の通学路


天気予報が良く当たる
朝からザァザァ 雨が降っている
「今日はお喋りやめて
一列でいくよ」
「はぁーい!」
お返事は天下逸品
リアン班長を先頭に
スファ、ウォンサ、ヒジョンの順に
水溜り避けながら慎重に歩く
「車来てるよ〜」
「水溜りやで〜」
途切れることのないハンメの小言
うるさいと思ってるかなぁ
でも心配なんだ
7年通った通学路
最後の日まで無事故であらねば
自分の時が来たとばかりに
紫陽花が威張って笑っていた


일기시41
비오는 날의 통학길


천기예보가 겁나게 맞아든다
아침부터 좔좔 비가 내린다
「오늘은 수다 떨지 말고
한줄로 간다〜」
「예〜ㅅ!」
대답은 천하일품
리안반장을 선두로
수화、원사、희정의 순서로
물웅뎅이 피하면서 신중히 걸어간다
「차가 온다〜」
「물웅뎅이야 조심〜」
멈출줄 모르는 함매의 잔소리
시끄럽다 여기겠지
하지만 어찌겠노 걱정인것을
7년을 하루같이 다니는 이 길
마지막날까지 무사고라야 하지
제철이 왔다는듯이
수국꽃이 뽐내며 웃고있었다






故 朴清順先生に 捧げます


突然の訃報に
言葉を失いました
満 60歳 あまりにも早い旅立ちでした
1996年まで茨城中高の教壇に立ち
教え子たちの胸に
ウリマルの大切さ 民族の素晴らしさを
説いてくださいましたね
嫁もあなたに学んだと言っておりました
文芸同の集まりでお会いするたび
いつも明るかったあなたの笑顔を
生涯忘れることはないでしょう
「チョンソリ」50号から83号までに
掲載された24編の心のこもった詩を
一編一編改めて読ませていただきました
民族愛 同胞愛 師弟愛に満ちた
珠玉の作品の数々は
永遠に光り輝くことでしょう
もう今は痛みを忘れて
ゆっくりお休みください
故 朴清順先生
やすらかにお眠りください

고 박청순선생님에게 삼가 드립니다


갑작스레 전해진 부고에
말을 잃었습니다
만 60살 너무나 일찌기 떠나셨습니다
1996년까지 이바라기중고 교단에서
제자들의 가슴속에
우리 말의 소중함 민족의 자부심을
깨우쳐주셨습니다
며느리도 선생님에게서 배웠답니다
문예동모임에서 볼 때마다
언제나 명랑하던 선생님의 미소를
영원히 잊을수 없을것입니다
<종소리> 50호로부터 83호까지에
게재된 24편의 시를
한편 한편 새롭게 다시 읽었습니다
민족애 동포애 제자사랑이 넘친
주옥같은 작품들은
영원히 빛을 뿌릴것입니다
이제는 모든 아픔 잊으시고
편히 쉬여주십시오
고 박청순선생님이시여
고이 고이 잠드시라

   ー문예동오사까 허옥녀가 드립니다—






日記詩38
「こころの風景」富山編


朝7時45分からBSで
火野さんが自転車で案内してくれる
今週は富山編だ「こころの風景」
富山には婿とご両親が住んでいる
長女の婚約式に参加するためと
婿が富山で店を構えた時応援にと
その二回しか行けなかったけど
のどかで広々としていて良い所だ
遠くに見える立山連峰 懐かしい
富山の皆さん また行きます
「コリアンマチャ」をよろしくね^_^
通学班送ってこよっと^_^


일기시38
「마음의 풍경」 또야마편


아침 7시45분부터 BS에서
히노씨가 자전거 타면서 안내해준다
이번주는 또야마편이다 「마음의풍경」
또야마에는 사위와 부모님이 사신다
큰딸의 약혼식 참가를 위해서와
사위가 가게 차렸을 때 응원하기 위해서
그 두번밖에 못 갔지만
한가롭고 아름다운 널찍한 고장이다
멀리에 보이는 따떼야마련봉이 그립다
또야마여러분 다시 찾아가겠습니다
「코리안 마차」를 부탁합니다^_^
자 통학반을 보내올가^_^






日記詩37
マグロ


お刺身のことではありません
お寿司のことでもありませんよ
ある日友人が言ったのです
「ニョニョはほんまにマグロやな」
初めは意味がわかりませんでした
何回も言われてみて検索してみたら
マグロは動き回らねば死ぬそうな
コロナ禍だから自粛は義務だけど
まだしなければならないこと
いっぱいあるから死ねません


일기시37
다랑어


생선회 이야기가 아닙니다
초밥 이야기는 더욱 아니예요
어느날 친구가 말했어요
「녀녀는 진짜 다랑어야」
칭찬인지 욕소리인지 가늠 못했어요
몇번이나 들어 궁금해서 검색해보니
다랑어는 시종 움직이지 않으면
죽는다지 뭐예요
코로나때문에 자숙은 의무라지만
아직 못다한 일이 너무 많아서
죽을래야 죽을수 없는데 어찌할가요






日記詩36
番組「旅サラダ」


第4土曜は休校日
お弁当も要らない
朝から のんびり 出汁とって
うどん煮込んで あげさん刻んで
卵でとじて ハイ 出来上がり
熱々うどん食べながら
ボーッとテレビを見る
番組「旅サラダ」は
群馬の山の中での渓流釣り
群馬にはサドンニムの家族が住む
何回か訪ね 草津温泉や 湖や川
あちこち 一緒に行った事思い出した
懐かしい自然は良い人はもっと良い
また行ってみたいなぁ


일기시35
프로「려행쌜러드」
제4주 토요일은 휴교일
도시락도 필요없다
아침부터 한가하게 맛국물 끓이고
국수 삶고 유부 설어서
계란 풀면 자 되였어
따끈따끈한 국수 먹으면서
멍하니 텔레비를 본다
프로「려행 쌜러드」는
군마현 산속에서의 계류낚시질
군마에는 사돈님의 가족들이 산다
몇번 찾아가 온천이며 호수며 강가
여기저기 함께 가서 즐긴 일이 생각났다
그리워 자연은 좋구나 사람들은 더 좋아
다시 가고싶구나






日記詩35
休校


昨日の夜
怖いぐらい強い雨が降り続き
雨漏りしないか心配になった
案の定警報まで出ていた
今朝5時半ごろ強い雨音で目が覚め
熊本大丈夫かなぁと不安がよぎった
6時半 家族ラインが飛び交う
大部分のウリハッキョが休校のよう
今日も一日中大雨だろうか
梅雨が始まったばかりなのに
警報が鳴り響く不安な朝


일기시35
휴교


어제 밤
겁나도록 강한 비가 계속 쏟아져
비가 새지 않을가 걱정했다
아니나다를가 경보라 요란스럽다
아침 5시반쯤 강한 비소리에 깨여나
구마모토친구는 괜찮을가 불안스러웠다
6시반 가족라인이 오간다
거의 다 우리학교는 휴교인것 같다
오늘도 하루종일 큰비가 올가
장마철에 든것이 언젠데
경보가 울려퍼지는 불안한 아침





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6月29日、430回目の「火曜日行動」です。

2021-06-29 16:12:12 | 火曜日
真夏のような日差しの中、430回目の「火曜日行動」始まりました。



今日のレポーターはハルモニ会の井上さんと横道さんです。写真撮影は松尾さん、今日も心1つに発信してまいります。



中大阪地域のオモニたちが大勢来てくださっています。



長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

 府庁でお勤めのみなさん、ご通行中のみなさま、お疲れ様です。
 この大阪で、全国に先駆けて支給が始まった補助金、これが打ち切られて10年になろうとしています。私たちは、2012年4月17日から毎週火曜日に府庁前での行動を続けています。大人が子どもたちの夢と笑顔を奪わないを合言葉に、大阪府が廃止した補助金の復活と国の高校無償化制度の朝鮮学校への適用を求めています。そして幼児教育の無償化からも朝鮮学校は除外され続けていますが、この幼保無償化については、国の閣議決定の中で、今回適用されなかった幼児施設に幼保無償化を適用する、お金を出すということが決まりました。大阪府でも準備が始められています。

 子どもたちを朝鮮学校に送っている保護者の方々は、日本の地で生まれ、納税者として義務を果たし、市民としての義務を地域の中で果たしています。にも拘らず、子どもたちの学ぶ権利を奪われたままで10年が経とうとしています。これに対して全国でも、この大阪でも高校無償化・幼保無償化が実現するよう火曜日行動も続けられて来ましたし、裁判でも闘いが続けられて来ました。

残念ながら、この大阪で一審では全国に先駆けて勝利しましたが、その後は、森友学園、加計学園の訴えの中でも明らかになったように司法の忖度の中で敗訴が続いています。しかし、今日もたくさんのオモニのみなさん、当事者であるみなさん、そして日本社会の問題として訴えて来た仲間のみなさんと共に、火曜日行動は続けられています。コロナ禍ということもあって時間も30分に短縮し、ビラを撒かないという形で行っていますが、いろんな方々が今からマイクを持ちますが、当事者の思い、応援する立場での思い、様々な思いを聞いていただけたらと思います。

 トップバッター、大野さんからお願いします。




火曜バンドは不滅です‼️



大野さんがマイクを持たれました。

大野さん

 府庁前で抗議の声をあげておられるみなさん、ご苦労様です。日朝市民連帯の大野と申します。雨の日も嵐の日も参加されているみなさん、本当に頭が下がります。

 府庁はいっこうに私たちの願いは聞き入れてもらえない状況ではありますが、吉村知事がどのように判断するかにかかっているのだと思います。維新勢力が朝鮮に対して反発、差別するのが当たり前のように継続されているのは残念ですが、私たちはこの攻撃に一切怯むことなく解決するまでやり続ける意志でみなさん自発的に参加されています。

 私は、最近ブルーリボンが気になっています。自民党だけでなく他党の代議士も多くがこれをつけている。最近になって特に増えてきている。前安倍政権のもとに任命された河井克行、案里の二人も肌身離さずつけていた。辞職した元農水大臣の吉川、カジノ問題の秋元司、等々悪いことしているのはみんなブルーリボンをつけている連中と見えて仕方ありません。

そもそもブルーリボンとは朝鮮を敵視する上で日本会議や神道政治連盟など右翼の団体が率先して支持している運動だと思っています。選挙を目前にしてブルーリボンが増えるのは確実だと思いますが、与党自民党が政権を持つこともいずれなくなる日が来ます。朝鮮に対する差別をやめ、平和で豊かな、幸せな日本、幸せな大阪をつくることに動いた時に大きく政治は変わると思います。

 この間、DHC―サプリメントの大手企業ですが、会長の吉田嘉明が在日コリアンへの差別を繰り返し言い連ねている。大阪市に対し、コリアンNGOセンターの郭辰雄さんたちがヘイトスピーチ特別条例に違反すると申出ましたが、大阪だけの問題ではないと蹴った人がいると聞いています。在日コリアンに対する差別が露骨に当たり前のように行われているのは周知の事実であるのに知っても知らん顔をすることを私たちは黙認できません。

 これからも朝鮮学校に対する差別を撤回させる運動を皆で最後まで続けて行こうということを最後に申し述べて終わります。


長崎さん 
 ありがとうございます。それでは次に菅沼さんからお願いします。



若い菅沼さんもマイクを持たれました。

菅沼さん 

 こんにちは。城東区に住んでいる菅沼あゆみです。
 私は、6月27日の日曜日にコスモスクエア駅の近くにある大阪入国管理局まで行ってデモをしました。入管に収容されている人たちを勇気づけて外国人差別に反対するデモです。

 みなさんはご存知でしょうか。入国管理局というのは戦前の特高警察が元になっているそうです。特高警察というのは、戦前戦中において、朝鮮人など外国人、政府に反対する人、社会主義者や治安維持法に反対する人たちを弾圧する組織だったんです。戦後、特高警察は解体されましたが、そこで働いていた者たちが入国管理局に就職して今も在日外国人に危害を加えているようです。こういうことは早く終わりにしないといけません。入管を解体し、外国人にやさしい日本にしないといけないと思います。

 そして、朝鮮学校に対する支援をすることが大切だと思います。エアコン設置も保健室の保健師常駐も国がやるべきことです。国が朝鮮学校を支援するべきだと思います。



崔さん久しぶりのマイクアピールです。

☆チェさん

アメリカバイデン政権の海外戦略が明らかになってきました。
それはアメリカ帝国が大きな意味で中国包囲網を同盟国と共につくり上げていくというものです。
3月に行われた、いわゆる(日米2+2)では中国の「一つの中国」主張を持ち出して批判しています。これは明らかに中国に対する大きな挑発です。

日米同盟はアジアの平和と安寧といいながら、アジアの平和と安寧を破壊していると私は捉えています。
いま日本がどういう立ち位置にあるのか、対ロシアまで含めたアメリカの対決政策に完全に組している。アジアの民衆と共に連帯して平和を目指すことから大きく逸脱していると私は思っています。

日本は、過去の歴史の精算をきっちりふまえて、朝鮮民主主義人民共和国と韓国の本当の意味での関係改善に向かっていく政策をとるべきだと考えます。
そういう意味で、いま弾圧されている朝鮮学校に対する日本政府の政策、地方行政の立ち位置が問われていると考えます。

朝鮮学校問題が今焦点となっています。目の前にある在日朝鮮人社会に対し、過去の歴史的清算を踏まえ、きっちりと考えていただきたい。





☆大村さん

府庁で働いていらっしゃるみなさん  ご通行中のみなさん  こんにちは
今日で430回目となります。ほんとうに長いあいだ続けています。

前回、終わって帰る途中で警備のかたが、私が歌っていた「勝利のその日まで」を一緒に歌ってくださいました。すっかり覚えて下さって、ありがたいことですね。
府庁のみなさんにも私達の声が届いていると思います。どうか聞き届けていただきたいと思います。

わたしは「城北朝鮮初級学校を支える会」をやっております。
先日、支える会で給食を行いました。朝鮮学校には給食がありません。学期に一回ですが支える会で給食を作っています。
コロナ禍の中でしたが、18人の方が参加してくださいました。初めて参加される方も4人おられました。
こども達は前々から支える会の給食を待ち望んでくれていました。
「おいしい、おいしい」と言って沢山食べてくれて、その後わたし達の所にお礼に来てくれて、歌もうたってくれました。

参加者たちは、朝鮮学校の教育がどういうものであるかを目の当たりにして帰りました。
知っていくと、世間でいう偏見なんかに惑わされることなく、本当の朝鮮学校を知ることができると思います。

土曜日には城北朝鮮初級学校幼稚班の体験保育というのがありました。わたしも参加してきました。10人ものこども達がオモニやアボジと参加していました。
幼稚班のこども達とおゆうぎをしたりゲームをしたり、高学年の生徒達と遊んだりしました。

帰る時がきても、あるおんなの子が「帰りたくなーい。もっとここにいたい」とアボジを困らせていました。「またおいで。待ってるよ」を言って別れました。
なんと次の日、おんなの子はオモニと一緒に幼稚班にきました。

それくらいハッキョの幼稚園の暖かさ素晴らしさに魅せられたと。オモニも何よりも本人がここに来たいと言って帰られました。

今日は城北初級学校、中大阪初級学校のオモニ達もたくさん参加して下さっています。
オモニにバトンタッチしたいと思います。


オモニたちを先頭にマイクアピール、シュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌になれ」‼️



☆城北のオモニ

アニョンハシムニカ
城北ハッキョにこどもを通わせるオモニです。
わたしが主張したいことは一つだけです。高校無償化適用、補助金再開です。
わたし達はお金が欲しいから言っているのではありません。
当然の権利、当然の受ける権利を主張しているだけです。
この声が届きますか? 私達をがっかりさせないでください!

以上です。



☆中大阪のオモニ

こんにちは  お疲れさまです。
わたしは中大阪初級学校と中級学校にこどもを通わせている4人の母親です。

今、府庁で働いておられる人はご存じないかも知れませんが、わたしが学生だった頃、
朝鮮学校の子はJ Rの定期券の学割がきかなかったのですね。わたし達学生は森ノ宮の駅で署名活動をして訴え続けました。そうやって権利を勝ちとってきました。
わたし達は暇があってここに来ているのではありません。本当に行政に訴えたいのです。

わたし達は在日の朝鮮人です。これからも日本で暮らしていきます。税金も納めています。当たり前の権利を主張しているだけなのです。行政の方々は自分の良心に聞いてほしいと思います。

これから日本がもっともっと良くなっていくことを願って、よろしくお願いします。

☆オモニのみなさんと共に歌とシュプレヒコール

歌 「声よ集まれ 歌となれ」
シュプレヒコール      
・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ
・朝鮮学校の子どもたちを差別するな
・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ
・朝鮮幼稚園に幼・保無償化を適用せよ
・朝鮮学校に補助金を復活せよ
・行政が差別するな歌





30分はあっという間です。最後の歌は「勝利のその日まで」‼️



いつものように駐輪場にてもうしおくりです。



クッスンさんが今日も愛のキャンディの配達です。この9年間の間に何10万円分飴を購入されたことでしょう、頭がさがります。



中大阪初級オモニ会の梁さんがサランサラン テイクアウトの宣伝をされました。







皆さんご協力よろしくおねがいいたしますね。



みなさん!今日もお疲れ様でした‼️また来週おめにかかります。^_^

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6月22日、429回目の「火曜日行動」です。

2021-06-22 14:58:00 | 火曜日


梅雨ですが、運良く今日雨は降りませんでした。



今日のレポーターはハルモニ会の陶山さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心1つに発信してまいりましょう。



東大阪地域のオモニたちが大勢来られました。



火曜バンド、今日は気合が入っているようです。



長崎さんの第一声始まりました。

長崎さん

私たちは毎週火曜日に、子どもたちの笑顔と夢を奪わないでと訴えて、長年朝鮮学校に支給されてきた補助金が打ち切られて、もう10年近くになろうとしています。この火曜日行動も9年を越えました。一日も早い解決を求めて今日も429回目の火曜日行動、始めさせていただきます。

 コロナも感染者が、数的には減ってきてはいますが、やはり皆様の周りでも、医療につながらない方が多くおられます。朝鮮学校への補助金が打ち切られたこと、現場での悩み苦しんでおられる声が受け止められないこと、それと国のコロナ対策の中で、一体誰の声を聴き、だれが一番困っているのか、困ったことを解決するのが政治や行政ではないのかということが、こんなにないがしろにされてきたということが浮き彫りになった。とりわけ大阪で、全国で最も死者が多い。この原因の一つが、維新政治が始まって以来の、いわゆるお金にならない、いざというときには必要だが普段はいらないように見える、そうしたものをカットし、公務員の数を減らし続け、公的病院を減らす。数少ない産婦人科は、産む人たちの数が減り、そしていわゆる出産のときの事故が多いため訴訟が多くあります。だからどこも産婦人科はやりたくないということで、都道府県どこも産婦人科は減っています。これを難しい出産も含めて、10代の子たちが妊娠してしまったときに、相談も含めて引き受けてきた住吉市民病院が、維新政治の中でつぶされてしまいました。今回のコロナの中で、死者が多く出たのも、結局は症状が出ても、医療につなげられない、病床が得られない、こうした中で多くの死者が出ました。

 朝鮮学校で補助金が打ち切られてから、朝鮮学校が味わってきた苦難を見てもらったときに、子どもたちの数がこの9年の間で大きく減ってきたこと。もちろん少子化もあるでしょう。でもただでさえ厳しかった朝鮮学校の運営に対して、いわゆる兵糧攻めという形で、補助金を打ち切り、そして学校の運営に対して切り続けてきたこと、とりわけ命を守ることに対してお金を出すこと。全国の都道府県を見たときに、東京で石原さんが知事だった時に都の補助金を打ち切りました。でも区は打ち切ってないのです。そして東京都は、耐震基準で学校が建て直すときには、朝鮮学校に対してもきちんと補助金を出しています。大阪だけなんですね。補助金は全部打ち切る。そして今これだけ防災が言われているのに、朝鮮学校の老朽化したことに対して、耐震を調べる補助金も出ない。学校がいざというときには防災の場所になっているにもかかわらず、朝鮮学校に対してはこれをしない。命を守るということに対してここまで行政が差別をしてもいいのかと、この間思い続けています。

 コロナの中でも朝鮮学校が味わった差別を思うとき、埼玉でマスクの配布を支給しなかったこと、東京の町田で、防犯ベルを配るときに朝鮮学校を除外したこともありました。私が住んでいる生野区で、生野初級学校の近くで殺人の不審者が出たとき、警察が通常はニュースを出して見守りをするのですけど、朝鮮学校には情報が来なかったわけです。命を守るというところから除外して平気でいる、こうしたことが朝鮮学校に対して切り続けて平気でいるということが、今コロナの中で、協力金も入らない、家賃も払えない、アルバイトもない、介護の仕事もない、こういう中で子どもたちが満足に食事をとれない、こういうことが激増しています。本当に困っているところと、コロナの中でも安定し、仕事もある、リモートワークで保障されている、コロナ需要で儲かっている。そんなところと比べて、今までもたくわえがなく、運営が苦しかったところほど、ほんとに大変な状況になっています。

 こんな中でオリンピックをしようとしています。いまワクチンが進んでいますが、いろいろな理由でワクチンを打つことを拒否する人の人権はしっかり守るべきだと思いますが、PCR検査を無料でたくさんの人が受けられる、そして大丈夫だと安心感を与えるということをせずに、ワクチンだけを打て、打たない人は悪い奴だと煽る、そしてコロナの中で最も大変なところに対して具体的な手立てをする前に、とにかくオリンピックやると言ったからやる、感染者が出ようとやる、こうしたことに対して、皆さんと一緒に声をあげていきたいと思っています。

 朝鮮学校でいつも楽しみにしている納涼祭や運動会、様々なイベントもコロナ禍で自粛が続いてきました。子どもたちの公演や、オモニたちのおいしい料理、飲んだらみんなが陽気に笑い歌い踊る、そんな納涼祭もできないでいます。そんな中オリンピックだけが実施されるのかと、ほんとに自分たちにとって都合のいいルールの中で行われようとしていることに対して、まずルールを守るのだったら、大人が子どもを差別しない、そういったことをしっかり訴えていきたいと思います。




中山さんもマイクを持たれました。

中山さん

 私は東成区に住んでいる日本人です。中大阪朝鮮初級学校を支援しています。今日着ているTシャツは、3年前中大阪が創立70周年の時作ったTシャツです。

 今言われました納涼や公開授業・運動会、この1年1回も行けていません。残念です。先日、東大阪にある朝鮮高級学校の美術部に美術書を10キロほど、10冊ほどを届けました。40年ほどヨーロッパに住んでいらっしゃる知り合いが、朝鮮学校の生徒の作品を見て感動し、そして行政が一切支援しない日本の差別行政に憤慨し、手持ちの美術書を送ってきました。そして昨日美術部の顧問の先生から、心温まる感謝の手紙と写真を送ってきました。生徒は皆笑って、感動的な写真です。このように朝鮮学校では教育現状が十分でなく、全国の同朋の方や日本人支援者が様々な支援をしています。

人工芝やエアコンの設置、全国から何百万という寄付が集まっているそうです、しかしこれはうれしいことですが複雑です。本来教育というのは、行政が国が責任もって助成しなければなりません。大阪府立私市立の学校も、設置の時には国が税金を導入します。そしてその維持費も、大阪府大阪市から出ますけども、最後には交付金が投入されて、最終的には国の全面的な支援で成り立っています。しかし朝鮮学校はどうでしょうか。この10年、大阪府大阪市では、年間1億数千万円の助成金が無くなりました。そして高校無償化、幼保無償化から排除されています。

 本来朝鮮半島と日本の不幸な歴史、朝鮮への植民地支配、このような位置から、朝鮮学校には公立学校以上の助成があっても当然と思っています。最低でも私立学校並みの助成が必要です。私たちはこのような現状に甘んじていません。朝鮮学校の教育環境を改善していく、そして差別行政、政治の不当な状況を変えていく、これからもがんばっていこうと思っています。




大村さんもマイクを持たれました。

大村さん

 明日、6月23日は何の日かご存知ですか。昨日は夏至でしたが、明日は沖縄の慰霊の日です。沖縄戦では日本兵と沖縄の県民合わせて20万人の人たちが亡くなっています。

今、辺野古新基地建設が、住民の7割以上の反対があったにもかかわらず、強引に推し進められています。そして土砂の投入が行われています。軟弱地盤で大変なことになっているのに強行に進められています。

初めは1兆円と言われていた予算も何と2兆5500億円になっています。このお金をコロナで困っている人たちに使えたら、どんなにいいかと歯がゆい思いです。そして土砂投入が、沖縄戦で亡くなった人たちが一番たくさんある、沖縄本島の南部、糸満市辺りから、土砂の投入に使われることになっている。そこにはたくさんの遺骨がある。遺骨交じりの土砂がそのまま使われようとしている。そのことに対して具志堅高松さんは、遺骨を40年近く、沖縄戦ではいろいろな形で亡くなってる人たちの遺骨が全部出されていません。

一家全員が亡くなっている家庭もあるので、どなたが亡くなっているのかもわからないような、そしてそういった遺骨がたくさんあるわけですが、特に南部にはたくさんの遺骨があるわけです。今もその中から具志堅さんは一つ一つ拾い出しておられます。この遺骨問題は沖縄だけではありません。この前オンラインの学習会で、朝鮮半島からたくさんの強制連行、いろいろな形で来られた人たちの遺骨の問題もまだ残されています。

北海道では、炭鉱で、飛行場建設で、働かされた朝鮮人の人たちの遺骨、それを掘り起こして故郷に返していく、強制連行で日本に来たこの道を逆にたどって韓国のソウルまで戻っていく、そういう旅の映像を見せてもらいました。強制連行のこと、徴用工の問題、こういったことに関して日本人は、あまりにも歴史認識が足りないのではないでしょうか。歴史の歪曲隠ぺいがここまで進んできている。

この前テレビでタレントさんがコメンテーターで出ているところで、この徴用工の問題をやっていました。司会者がこの問題知っていますかと若いタレントに聞いたら、まったく知りませんでした。平気で言えるというこの感覚が、今の日本の歴史問題に無関心が、この朝鮮学校に対して向けられているのではないか。いっぱいしゃべりたいのですが今日はこの辺にしておきます。



オモニたちを先頭にシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」‼️

オモニから

 東大阪の朝鮮学校から来ました。高校無償化から朝鮮学校を除外したのは明らかな差別です。この差別に対して、朝鮮学校は各種学校だからとかいろんな理由をつけて差別を正当化することはやめていただきたいと思います。

この数年間、アメリカでは黒人差別が問題になりました。テレビで白人警察が黒人の首を絞めて息絶えていくのを見て、多くの日本人の方々も、こんなひどい差別があるのだと心を痛めたと思います。しかし高校無償化から朝鮮学校を除外するのは、まったく同じことが日本でも行われているということです。自分たちがやっていることが差別なのだということを認識していただきたいと思います。

差別に対していろんな理由をつけて正当化するのは、本当に子どもに対して恥ずかしいことだと思います。学校でいじめはダメだというのは当たり前のことですが、あの子はああだからいじめられてもいい、こうだからいじめられてもいいと教えているのと同じことだと思います。今一度考えてほしいと思います。よろしくお願いします。

 歌 「声よ集まれ 歌となれ」

    シュプレヒコール      
  ・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな

・朝鮮学校に高校無償化を適用せよ

・朝鮮幼稚園に幼・保無償化を適用せよ

・朝鮮学校に補助金を復活せよ

・行政が差別するな




30分はあっと言う間です。最後の歌は「勝利のその日まで」‼️



いつものように駐輪場での申し送りです。



くっすんさんからの愛のキャンディの配達です。



河住さんから高賛侑監督の新作制作の協力を呼びかけてくださいました。



長崎さん、大村さんから6月26日の李哲さんの出版記念会の案内と本の紹介がありました。



それではまた来週お目にかかりますね。コロナ感染には充分気をつけてくださいね‼️

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6月15日、428回目の「火曜日行動」です。

2021-06-15 16:16:00 | 火曜日
 今日は6.15‼️
2000年6月15日を記憶されていらっしゃる方も多いと思います。
我が民族に希望と夢をもたらした記念日です。
「6.15南北共同宣言」が発表された歴史的な日なのです。



その記念すべき日に大阪府庁前で抗議行動を行わねばならない無念さをわかっていただけるでしょうか‼️



今日のレポーターはハルモニ会の木村さん、写真撮影は松尾さんです。今日も心1つに発信してまいります。



長崎さんの第一声始まりました。

☆長崎さん

 朝鮮学校に対する補助金が打ち切られて10年。毎週私たちは補助金の支給復活、高校無償化、幼保無償化の適用を求めてこの場に立ってきました。この10年の間、年々温暖化が進行していることを実感しています。暑さが前倒しでやってきています。

 そんな中、火曜バンドが毎回ウキウキするような音楽を演奏しています。通りすがりの人が「いい歌ですね」と声をかけてくださったこともありました。

 コロナ禍の中、昨年は一層少子化が進みました。子どもたちが夢を持って成長できるようにするのは大人の責務です。なのに、子どもたちが責任をとれない、とりようのない政治問題を子どもたちが学ぶ学校に持ち込み、補助金を停止してしまいました。

 いじめをどう思うかと聞かれたら、誰もがダメと答えるでしょう。しかし、大人の権力で子どもたちにいじめを続けているのです。自分のルーツを知った上で誇りを持って生きていく、それは罪なのでしょうか。ここに立つ朝鮮学校の生徒はいつも訴えています。

 大阪は日本一在日の多いところです。在日も大阪の一員です。しかし、維新の政治はそれを排除しました。
 民主党政権で高校無償化制度が始まりました。しかし、朝鮮学校に対してのみそれが適用されなかったことで、かえって差別の道具となりました。

 教育基本法は戦争と軍国主義教育への反省から、公権力が教育に介入することを禁じました。ところが無償化裁判では、この法の趣旨に反して、民族団体が「教育に介入した」ことが問題にされてしまいました。




私も久々にアピールさせていただきました。(写真は中山さまが撮ってくださいました)

☆ホ・オンニョさん

 みなさん、私はこの場に立って今日で満9年になります。正義のため、子どもたちの笑顔を守るために立ってきました。インフルエンザで2回休みましたが、それ以外はずっと立ち続けてきました。

 府庁の中でも多くの方々が朝鮮学校を支援してくれました。

 歴代の知事では、中川知事は、朝鮮学校の教科書を見て、よくできていると評価しました。
 横山知事は民族教育を尊重する立場に立って補助金支給に力を入れると語ってくれました。
 太田知事は財政状況は良くないが補助金を減らすことはないと激励を惜しみませんでした。

 しかし、2010年に朝鮮学校が無償化から排除されるや、維新の橋下知事は真っ先に朝鮮学校への補助金を打ち切りました。

 この状況に対して、日本の方々が共にこの場に立ち、この問題の解決無くしては日本の民主主義はあり得ないと訴えるのを聞いて、私は生涯この方たちと共に歩めると思いました。

 決して風化させてはなりません、何もなかったことにはさせません。子どもたちのため、勝利の日までともに歩んでいきましょう。




菅沼さんもマイクを持たれました。

☆菅沼さん

 私は「猪飼野セッパラム文庫」のスタッフをしています。

 そこの藤井さんのフェイスブックで、京都に保健室の先生が初めて赴任してきたことを知りました。

 私自身が通っていた学校では保健室の先生がいるのが当たり前でしたが、朝鮮学校ではこれまでいなかったのがわかって、衝撃を受けました。これはまさに朝鮮学校に対する差別です。一刻も早く是正してほしいものです。



大野さんもマイクを持たれました。

☆大野さん

 毎週この場に立つ日本人も朝鮮人も切実な思いを訴え続けています。吉村知事は無関心なのか無頓着なのか、わかりませんが、一向に耳を傾けようとしません。

 コロナ感染者は少し減っているものの、病院に行けずに亡くなった人は大阪が最多です。

 管総理はオリンピック開催に躍起になっていますが、私は無理だと思っています。これまでの1年間を見ると、第5波が来るのは必至です。管総理にやるかやらないかの決定権はないと言いながら、G7では各国首脳に開催を訴えていました。

 イギリスでは60%がワクチンを接種したと言いますが、それでもまだ8000人が感染しています。日本の状況ではどうなるでしょうか。絶対に止めてほしいです。そして、コロナで苦しんでいる人々に手厚い保障をしてほしいと思います。



大村さんもマイクを持たれました。

☆大村さん

 今日で428回目となりました。

 今朝NHKのニュース番組を見ていたらヘイトスピーチの特集をやっていました。

 2016年6月にヘイトスピーチ解消法が施行されて今年で5年になります。各地方自治体で条例も施行されています。しかし、ヘイトスピーチはなくなっていません。

 「川崎市ふれあい館」の館長をしている在日の女性が、ひどいヘイトクライムにあっています。嫌がらせの手紙を何度も送られ、今も防刃ベストを毎日身につけています。彼女の息子さんが中学3年生の時、ネットの批判にさらされました。中でも最も悪質なブログの主に対して裁判を起こしたところ、この5月に勝訴を勝ち取りました。

 ヘイトがやまないのはなぜでしょうか。朝鮮学校に対する差別が存在する限り差別はなくなりません。差別をしないのは当然です。差別を許さないことが必要なのです。





オモニ会の皆さんを先頭にシュプレヒコールと合唱「声よ集まれ 歌となれ」‼️


・子どもたちの学ぶ権利を保障せよ!

・朝鮮学校の子どもたちを差別するな!

・朝鮮高校に高校無償化を適用せよ!

・朝鮮学校に補助金支給を復活せよ!

・行政が差別するな!




最後の歌は「勝利のその日まで」‼️



雨の日も風の日もご夫妻で参加されておられます。館山牧師さんと奥様の史子さんです。これからもっともっと暑くなりますが、どうかご自愛くださいませ。



いつものように駐輪場での申し送りです。

・行動が終わった後の集まりで、中山さんのフェイスブックを通じて朝鮮学校のことを知ったクロアチアの人が美術書を大阪朝鮮中高級学校に寄付したことを紹介しました。(詳しくは来週)




(中山さんのFBからいただきました。)











(大阪朝鮮中高の玄先生のFBから写真をお借りしました。)





・通りすがりの方から1万円のカンパをいただきました。熱心に質問をし説明された上でのことです。

この10000円は府庁前を通っておられた87歳の水沢さま(?)が頑張ってくださいとカンパしてくださったお金だそうです。

報告を聞きながらみんな胸が一杯になりました。



来週も頑張ります‼️

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ニョニョの日記詩(43~56)

2021-06-11 17:59:10 | 詩・コラム


日記詩43
継続は力なり

古希を迎えた日
ひとつだけ決心した
免疫力つけて
風邪ひかないようにする
その日から週に2、3回
ずっとジムに通っている
重い荷物持って
階段上るの苦手だったけど
今は大丈夫
一度も風邪もひかなかった
家族に迷惑はかけられない
油断大敵 でも実感している
継続は力なり

일기시43
계속은 힘이야

고희를 맞이한 날
하나만 결심했다
면역력 길러서
감기를 막아야지
그날부터 주 두세번
내내 짐을 다니고있다
무거운 짐 들고
계단오르기가 질색이였지만
지금은 괜찮아요
한번도 감기에 안 걸렸다
가족들을 성가시게 하고싶지 않아
방심은 대적 그치만 실감하고있다
계속은 힘이란걸 (5月29日)






日記詩44
ビデオ通話の日

土曜日はビデオ通話の日
コロナ禍で義姉の面会も禁止になり
週1のビデオ通話の日を待つ日々
毎日弁当作って訪ねた日々が
本当に懐かしい
「私は誰でしょう?」
「どなたですか?」の通話も
結構楽しいものだ
早くコロナが終わって欲しいね
地球村が悲鳴をあげている

일기시44
비데오통화의 날

토요일은 비데오통화의 날
코로나때문에 동서와의 면회도 금지되고
주 한번의 비데오통화가 유일한 재미
매일 도시락 들고 찾아가던 날들이
무척 그립기만 하네
「난 누굴가요?」
「누구세요?」의 통화도
제법 즐거워요
어서빨리 코로나가 물러가야지
지구촌이 비명을 찌르고있다 (5月30日)






日記詩45
FBって凄いなぁ

昨夜
日記詩6の主人公の先生から
友達申請がきた ドキドキ
ビックリしてFBを開けると
モンダンヨンピル繋がりの尹さんが
先生の詩を見たと連絡くれたそう
FBって凄いなぁ 感動しきり
書籍を通じてしか知らなかった方と
一瞬に繋がるなんて
申請を即 受理し 対話が始まる
恥を忍んで 日記詩6を本人に送る
まるで旧友のように弾む会話
本当に嬉しい FBって凄いなぁ
改めて感じる 今日この頃

일기시45
페북은 대단해요

어제밤 일기시6의 주인공선생님한테서
친구신청이 날아왔다 두근두근
깜짝 놀라 페북을 열어보니
몽당연필로 이어진 윤씨가
페북에서 선생을 노래한 시를 보았다고
련락을 주었다지 않아요
페북이란 정말 대단해 감동이야
서적을 통해서만 알던분과
순식간에 이어질줄이야
신청을 수리하자마자 시작된 대화
부끄러움 무릅쓰고 일기시6을 보낸다
마치나 구면친구처럼 신바람 나는 회화
정말 기뻐요 페북이란 대단해
새삼스레 느끼는 오늘입니다  (5月31日)






日記詩46
モネとソンエ

朝ドラでモネを見るたび
思い出す生徒がいる
30年前お正月公演で2ヶ月のあいだ
共に過ごした口演組のソンエ
毎日 「ア、ヤ、オ、ヨ」と
一緒に声を出し合ったソンエを
忘れるはずがない でも
歳月は無情で長い間忘れて暮らした
モネを見るたび毎朝思い出している
楽しかった2ヶ月間
思い通りにならなくて 泣いた日
何回討論会ひらいただろう
最高の舞台にしょうと励まし合い
迎えた1990年12月31日
生涯 心の支えになったあの日の感動
毎朝モネのおかげで思い出す
懐かしいソンエと共に
今 どうしているだろう 逢いたい^_^

일기시46
모네와 성애

아침련속극에서 모네를 볼 때마다
떠오르는 제자가 있다
30년전 설맞이공연을 위해
두달간을 함께 지낸 구연조 성애
매일 〈야 야 어 여〉
발음훈련 함께 하며 지낸 성애를
어찌 잊으랴 하지만
세월의 풍상속에 오래동안 잊어살았다
모네를 볼 때마다 매일아침 떠올려요
즐거웠던 두달간
뜻대로 형상 못해 울던 날
그 몇번 토론모임 가졌을까
최고의 무대로 하자고 서로 부추기며
마침내 맞이한 1990년 12월31일
한평생 마음의 기둥으로 된 그날의 감동
매일아침 모네덕분에 생각이 나요
그리운 제자 성애와 함께
지금 어디서 뭘 하려나 보고싶어 (6月1日)






日記詩47
逢いたい心の友

コロナ禍の為
山形県の路線バスの運営も
とても難しいと報道していた
初めて山形の街並みを少し見た
山形には心の友が暮らす
50数年振にFBで再会した同窓生
18歳の時 3ヶ月を共に過ごした友
声楽部と舞踊部 所属班は違ったけど
愛らしく美声 彼女は憧れの的だった
歌劇の主人公にまで選ばれた友
今はハンメ同士 心安らぐ会話
山形のお漬物が届けられたり
拙い新書を送ったり
想いと共に往来した品の数々
2度とは帰らぬ青春の1ページ
彼女とお喋りするときは
いつも私は 楽しかった18歳^_^

일기시47
보고싶은 마음의 벗

코로나때문에
야마가따현의 로선뻐쓰의 운영도
아주 어렵다는 보도가 있었다
처음으로 야마가따현의 거리를 보았다
야마가따현엔 마음의 벗이 산다
50수년만에 페북 통해 재회한 동창생
성악부와 무용부 소속반은 달라도
이쁘고 소리 고운 그녀는 동경의 대상
가극의 주인공까지 맡은 부러운 존재
오늘은 함매끼리 허물없는 딱친구
야마가따의 절임식품이 전해지고
서투른 글묶음을 보내기도 한다
그리운 마음과 함께 주고받은 물품들
두번다시 돌아오지 않는 청춘의 1페지
그녀와 이야기 나눌 때
언제나 나는 즐겁던 18살^_^  (6月2日)






日記詩48
1日の過ごし方

コロナ禍が押し寄せてくるまでは
1日があっという間だった
予定表も万全で
次から次へと計画こなし
あっと言う間に1日が過ぎ去った
なのに今週はほとんど白紙の予定表
炊事 洗濯 お掃除 済めば
自分の時間なのに何故か虚しい
たった一人で会話もなく過ごす
こんな日が来るなんて、、、
テレビを見ても本を読んでも
満たされないこの気持ち
一日の過ごし方 自分とのたたかい
人は一人では生きられぬ

일기시48
하루를 지내는 법

코로나가 닥쳐올 때까지만 해도
하루가 앗!하는 사이에 지나갔다
예정표도 만전을 기하고
차례차례로 계획을 잘 해내여
앗 하는 사이에 하루가 지났다
근데 이번주는 거의 백지상태의 예정표
설거지 빨래 청소를 끝내면
자기만의 시간인데 어쩐지 허무해요
단 혼자서 회화도 없이 지낸다
이런 날이 올줄이야 、、、
텔레비를 보아도 책을 읽어도
채울수 없는 이 심정
하루를 지내는 법 자기와의 투쟁
사람은 혼자선 살지 못해  (6月3日)






日記詩49
火曜バンドは不滅です‼️

たまーにでは無いのです
9年ものあいだ 毎週火曜日
大雨が降っても強風が吹いても
一度もかかすことなく鳴り響いた
火曜バンドは私たちの誇りです
重いアコーディオンを担いで
遠く大和高田から電車に乗って
色んな楽器を手に手に持って
朝鮮の子どもたちの権利を守ろうと
人間の尊厳を守ろうと
大阪府庁前に鳴り響く正義の音
愛無くして響くことはありません
愛のバンド 正義のバンド
火曜バンドは不滅です‼️

일기시49
화요일밴드는 불멸합니다‼️

가끔 가끔이 아닙니다
9년을 하루같이 화요일마다
큰비가 와도 강바람이 불어도
한번도 빠짐없이 울려퍼진
화요일밴드는 우리의 자랑입니다
어떤분은 무거운 손풍금을 들고
어떤분은 야마또따카다에서 전차타고
여러 악기를 손에손에 들고 모여
조선학생들의 교육권리를 지켜내자고
인간의 존엄을 지켜내자고
오사까부청앞에 울려퍼지는 정의의 소리
사랑없이는 울릴수 없습니다
사랑의 밴드 정의의 밴드
화요일밴드는 불멸합니다‼️  (6月4日)






日記詩50


生まれて初めてお鍋を買った
信じないと思うけど本当だ
昔懐かしいアルミのお鍋
ダイソーで500円だった
お嫁に行く時母が持たせてくれたし
シオモニが大中小と揃えてくれてた
50年間使い続けたけどまだ使える
でも家族が段々と減って
大鍋を使うことが少なくなったから
直径20センチ アルミ製取っ手付き
3人家族には丁度良いサイズだ
夕食に味噌汁作ったけど残った
明日の朝も食べなくては、、、
若い頃のようには食べられないなぁ
もっと小さい鍋で良かったかなぁ

일기시50
남비

난생처음 남비를 샀다
안믿어질것이지만 진짜다
다이소ー에서 500엔이였다
옛전이 그리운 알루미늄 남비
시집갈 때 친정어머니가 장만해주셨고
시어머니가 대중소 다 갖추어주셨다
50년간 계속 썼지만 아직 쓸수는 있다
하지만 가족수가 점점 줄어져
큰 남비 쓸 기회가 거의 없어졌기에
직경20센치 알루미늄제 손잡이도 있고
3명가족에겐 딱 맞는 크기다
저녁에 된장국을 끓였지만 남았다
래일 아침도 먹어야 할거야、、、
젊을 때처럼 많이는 먹지 못해요
더 작은 남비를 살걸 그랬나  (6月5日)






日記詩51
まごころ

今年も送られてきたまごころ
ニンニク、玉ねぎ、紫玉ねぎ、
エゴマの葉、乾燥コサリ、パセリ
貸し畑で一生懸命育てた贈り物
ご主人が主に手入れされてること
知ってるけど それでも嬉しい
年一回のラブレター
ニンニクにもエゴマの葉にも
愛がいっぱい詰まってる
このまごころ食べて今年も頑張る
下手でも未熟でも
書き続けるんだ 真心の詩を
まごころを伝え続けるよ 友よ^_^

일기시51
정성

올해도 보내왔구나 귀한 정성이
마늘、양파、자양파
깨잎 、고사리、양미나리
빌린 밭에서 열심히 가꾼 선물
손질은 늘 주인님이 하신다는걸
모르지는 않지만 그래도 기뻐요
년에 한번 보내주는 사랑편지
마늘속에도 깨잎속에도
사랑이 잔뜩 스며있거늘
이 정성 먹고서 나도 보답할래요
서툴어도 보잘것 없어도
계속 시를 쓸거야
정성을 전해갈거야 친구야 😊  (6月6日)






日記詩52
帰り道

中大阪からの帰り道
右に曲がろうか左から帰ろうか
裏門の前で思案中
今日は暑いから陰の多い方から
右に曲がれば公園の横道
太陽をいっぱい浴びて
公園には鬱蒼と木が伸びている
大きな桜の木の前を左に曲がる
突き当たりを右折すれば今里筋だ
ドミノピザ屋の前の信号を渡る
何々?ヤマボウシ?素敵な木だなぁ
アガパンサスもいっぱい咲いている
家の近くのマンションの前庭には
色んな紫陽花が最後の姿を披露中
前から携帯で喋りながらおじさんが
「毎日が日曜日ですから^_^」と
どきっとした、私のことかしら

일기시52
돌아가는 길

학교에서 돌아가는 길
우쪽으로 갈가 좌쪽으로 갈가
학교 뒤문앞에서 생각중
오늘은 무더우니 그늘 많은쪽으로 가자
우쪽으로 꺾어서 가면 공원옆이라
해살을 잔뜩 받은 공원에는
울창한 나무숲이 이루어졌거늘
키 큰 벗나무앞에서 좌쪽으로 돈다
막다른 길을 우쪽으로 돌면 今里筋다
도미노비쟈가게앞의 신호를 건는다 뭐?
산딸나무라고?이름 하나 멋진 나무로군
아가판투수도 꾀나 많이 피여있네
집가까이 맨션의 앞마당에는
여러빛갈 좌운영이 마지막 자태를 피로
앞에서 통화하면서 걸어오는 아저씨
「매일매일 일요일이라서、、、」
깜짝이야 나를 보고 하는 소리야 (6月7日)






日記詩53
都会の中の田舎

凄いビルが立ち並んでいます
ここはどこでしょう
この写真は貨物線のガードの前から
ガードをくぐったこちら側は
全く都会の中の田舎なんです
街の周りには梅田、十三、天六が
家から15分も歩けば都市だらけ
私が5歳から嫁ぐ日まで
18年間過ごしたこの街は
喫茶店も映画館も何も無い
都会の中の田舎だったんです
商店街だけが昔のまま残っている
でも殆どのお店がシャッター下ろし
人影もまばらな寂しい商店街通りに
台風の日避難した駅前の小学校は
いつのまにか公園になり
老人たちが憩っている
昔のまんまの長屋の奥に実家がある
今も兄夫婦が温かく迎えてくれる
この家から電車に乗って
12年間ウリハッキョに通った
朝から晩まで休む暇なく
傘を作り働いていた両親
いつも家はご近所でいっぱいだった
出たり入ったり静かな日は無かった
兄や姉が一生懸命仕事の手伝いして
私だけがいつも逃げ回って遊んでた
叱られた思い出 褒められた思い出
数々の追憶が私の胸を熱くする
私の人生の原点はやはりここ
都会の中の田舎‼️

일기시53
도시속의 시골

굉장한 빌딩이 줄지어 섰어요
여기는 어딜가요 ?
이 사진은 화물선 철도 가드앞에서
가드를 빠져나가서 이편으로 오면
말그대로 도시속의 시골인걸요
거리 둘레에는 梅田、十三、天六가
집에서 15분만 걸어가면 도시뿐이야
내가 다섯살 때부터 시집갈 때까지
18년간을 지낸 이 고장은
차점도 영화관도 아무것도 없던
도시속의 시골이였어요
상점거리만이 옛날그대로 남아있지
하지만 가게는 거의다 셔터를 내리고
사람모습보기도 드물어 허전한 상점가
태풍이 온 날 피난했던 역앞의 소학교는
어느새 공원으로 변하고
로인들의 휴식터가 되였네
옛전대로인 골목집구석에 있는 친정집
지금도 오빠내외가 따뜻하게 맞아주신다
이 집에서 전차를 타고
12년간을 우리 학교에 다녔다
아침부터 밤까지 쉴새없이
우산을 만들며 일하던 부모님
언제나 우리 집은 사람들로 붐비였다
들어갔다 나왔다 조용한 날이 없었다
언니랑 오빠는 열심히 집일 돕는데
나만 언제나 팽개치고 놀기만 했다
꾸중 들은 일 칭찬 받던 일
숱한 추억들이 내 가슴을 후끈하게 한다
내 인생의 원점은 역시 여기
도시속의 시골‼️   (6月8日)






日記詩54
健康が第一です。

昔 慎太郎というニックネームの
体育の先生がいつも仰っていた
健康が第一です
毎朝通学班と
歩いて学校に行くのも
一生懸命ジムに通うのも
健康のためなんです
日に日に衰える筋力脚力
じっと座っているだけでは
鍛えられません
年寄りのあがきだとは言わないで
いくら想いが深くても
身体が元気でなければ
何事も継続できないのです
健康が第一です そうなんです

일기시54
건강이 제일입니다

옛날에 신태랑이란 별명으로 불리던
체육선생이 항상 말씀하시더라
건강이 제일입니다
아침마다 통학반과
걸어서 학교에 가는것도
열심히 짐을 다니는것도
건강을 위해서랍니다
날마다 허약해지는 근력과 다릿심
가만히 앉아있어서는
키울수 없습니다
늙은이가 악을 쓴다고 하지 마세요
아무리 지향이 높다 해도
건강치 않으면 아무것도 계속 못해요
건강이 제일입니다 맞는 말입니다 (6月9日)






日記詩55
6月10日 逢いに行きます

2010年6月10日
鶴橋駅であなたと初めて会いました
➕➖の電流が互いを呼びあうように
私たちは出会いました 必然でした
あの日から11年の歳月が流れても
あなたへの想いが変わりないことに
我ながら驚いています
広島、山口、田辺、奈良、京都、
東北、北陸、北海道、東京、ソウル
あなたと歩んだ道のりは
決して平坦ではなかったけれど
いつもドキドキワクワク
少女時代のように 自由に駆け回り
朝鮮学校を守ろうと誓いあった日々
差別のない世を子供たちに残そうと
走り続けた11年の尊い日々
今日2021年6月10日
あなたに 逢いに行きます

일기시55
6월10일 그대를 찾아갑니다

2010년6월10일
쯔르하씨역에서 처음 만났습니다
➕➖의 전류가 서로를 부르듯이
우리들은 상봉했습니다 필연이였지요
그날로부터 11년의 세월이 흘렀어도
그대에 대한 마음 변함없음이
놀랍기만 합니다
広島、山口、田辺、奈良、京都、
東北、北陸、北海道、東京、서울
그대와 함께 한 길은
결코 평탄하지 않았지만
언제나 두근두근 울렁울렁
소녀시대처럼 자유로이 뛰여다니며
조선학교를 지키자고 다짐한 나날
차별없는 세상을 아이들에게 넘기자고
달리고달린 11년의 소중한 나날
오늘 2021년6월10일
그대를 찾아갑니다  (6月10日)






日記詩56
コンロンカが咲きました‼️

可愛い花です
コンロンカ
花言葉は「神話」だそう
花の中心から黄色い星のような花が
どんどん咲いてくれます
今朝一輪目が開きました
「咲いた‼️」
子どものように喜んでいる私は
少しおかしいですか?

일기시56
콘론카가 피였어요

이쁜 꽃입니다
콘론카
꽃말은 「신화」랍니다
꽃중심에서 노란 별모양의 꽃이
계속 피여납니다
오늘아침 첫송이가 피였어요
〈피였다‼️〉
어린애마냥 기뻐하는 난
좀 이상하나요 ?   (6月11日)





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