4月29日。朝から雨が降り続いています。
孫たち3人の参観授業の日です。ユファが初級部に上がったので、ちゃんとみんなについて行けているかなぁと、心なしか心配しながら学校に向かいました。
1時間目は算数でした。1年生の教室を中心にリファの3年、ユナの4年の教室へも行って見ました。3人とも積極的に授業に参加していたのでほっとしました。
4歳のヒジョンはあちこちの教室の中をひたすら走り続けています。2時間目まで見る予定だったけど、これ以上ほかの方々に迷惑を掛けられないと思い、家に連れて帰りました。教育会総会が終わり、焼肉交流会が行われるので息子の家族は全員参加なので、今度は生後50日を迎えたばかりのスファを預かることになりました。
何とか二人にお昼寝をさせて、洗濯干したり、夕食の準備をしたりしていたら、3時近くにオンマたちが帰ってきてくれたので後は任せ、十三に行くための準備をしました。
地下鉄と阪急を乗り継いで第7芸術劇場に向かったのですが、大雨です。満席になるかなぁと心配しながら行きましたが、6時到着ですでに65人が予約表をいただき私は66番目でした。超満員です。立ち見が出るだけでは無く帰られた方々もいらっしゃいました。
この頃かなり視力が落ちているので前から2番目の席に座りました。映画が始まりました。
映画の内容は書かないことにしましょう。試写会の日は東成区民センターがあまりにも満員だったし、席を譲っての立ち見だったので、落ち着いて見ることができなかったので、今回が初めて見た位新鮮な感動を覚えました。
106分で上映は終わりました。何回も笑ったり、泣いたり大忙しの106分でした。
場所を変え、今度は出演者たちのトークが5階で行われます。
朴サユ監督の紹介でトークが始まりました。
一人一人舞台に上がり、4人が並びました。中級部の3年間、朝鮮語科目を教えた可愛い教え子たちです。
中級時代も高級部時代もラグビー部の主将だったクワンテさんです。
今は大学で副主将を務めています。責任感が強く包容力もある彼はみんなに慕われていました。映画でもそれをひしひしと感じさせます。
ヤンイルさんです。中級部の2年生から東中に転入してきた一人です。ずっと同じ分会に住んでいました。
ユインさんです。初級部は私の母校と同じ兵庫でした。中級部からラグビーをしたいがためソンギさんと一緒に大阪の東中にやってきました。中級部時代から冗談が大好きでいつもみんなを笑わせていたお茶目な学生でした。試合となればまるでチーターのように走り回ります。
サンホさんです。尊敬する金ヒリョ画伯のお孫さんです。中級部時代から勉強が良くできて落ち着いていました。祖父のことを書いた作文は今も印象に残っています。
4人が座りました。圧巻です。時の人たちです。試合に出ていた高級部時代より一回りも二回りも大きくなった気がしました。
この映画のもう一人の監督である朴トンサさんの軽妙な司会でどんどん話は弾んで行きました。
映画では語られなかったいろんなエピソードも聞けました。
トークの滑らかなこと、びっくりするほどみんなお話が上手になっていました。
中級部時代にトップになれなかったことが高級部への夢―全国制覇の夢、目標に繋がったこと、団結の秘訣等興味深い裏話も沢山聴くことができました。
スポーツが社会を変える、その信念をオヨンギル監督から学んだようです。
全国大会を通じて応援してくれた同胞たちに少しでも元気になっていただきたいという想いで頑張ったこと、同胞や日本の皆さんの応援が本当に力になったことなど感動的なお話があまりにも多すぎて何回も胸が熱くなりました。
彼らは自分たちは在日朝鮮人に生まれて良かったとさえ言っておりました。
ある対外試合で韓国からきた選手やオーストラリアからきた選手たちと共に過ごす機会があったそうですが、その時外国の選手から、どこの国から来たのかと聞かれ、日本から来たコリアンだと言ったら韓国の選手に否定され、本物ののコリアンは自分たちだと言われたことが悔しくて今も心に残っていると言っていました。
北に行っても本国そのものでは無い違和感を覚え、自分たちは在日のコリアンとして自負心を持ち、これからも南北、日本の懸け橋になりたいと言っていました。
南の選手たちも、日本の選手たちも、在日コリアンが何故存在するのかをあまりにも知らな過ぎるから、こんなことを言うのだと言っていました。知らせなければいけない、そのためにも韓国の全州で行われる映画祭で5月2日と4日に「60万回のトライ」が上映されることは非常に良いこと、うれしいことだと言って居ました。
この日のチケットはインターネットで発売された5分後に完売したそうです。凄いですね。本当に誇らしいです。ウリハッキョのことを全世界に知らしめる本当に良い機会をくれたとサユ監督とトンサ監督に感謝したいと言っていました。全く同感です。
サンホ君は自分の子供が生まれても必ずウリハッキョで学ばせたいと言っていました。幼稚園から高級部まで一貫して学んできた「一人はみんなのために、みんなは一人のために」のスローガンは唯一ウリハッキョでだけで学べるものだし、それが朝高ラグビーの強さの秘訣だと思っていると言っていました。
その精神は朝高ラグビー部のスローガン「一つ、信頼、勝利」と重なるものだとも言っておりました。
選手たちのお父さん方も紹介されました。
子供たちの追っかけをしているうちにアボジ達が無二の親友になり、選手全員を我が子のように思っているというお話は感動を呼びました。
今4人は大学の4回生です。就職先も内定したようです。
これからもスポーツを通じて、また社会活動を通じて同胞社会に恩返しをしたいと言っていました。
トークショウは予定より30分も延長されましたが、いつまでも彼らと一緒にいて元気のエキスを一杯いただきたいと思いましたが、次の日のスケジュールを考え、トーク終了後子供たちや監督に挨拶もできないまま会場を後にしました。一緒に写真を撮ったりサインを貰おうと大勢の方々がが並んでいたので遠慮いたしました。又きっと会おうね。希望の星たち!!
孫たち3人の参観授業の日です。ユファが初級部に上がったので、ちゃんとみんなについて行けているかなぁと、心なしか心配しながら学校に向かいました。
1時間目は算数でした。1年生の教室を中心にリファの3年、ユナの4年の教室へも行って見ました。3人とも積極的に授業に参加していたのでほっとしました。
4歳のヒジョンはあちこちの教室の中をひたすら走り続けています。2時間目まで見る予定だったけど、これ以上ほかの方々に迷惑を掛けられないと思い、家に連れて帰りました。教育会総会が終わり、焼肉交流会が行われるので息子の家族は全員参加なので、今度は生後50日を迎えたばかりのスファを預かることになりました。
何とか二人にお昼寝をさせて、洗濯干したり、夕食の準備をしたりしていたら、3時近くにオンマたちが帰ってきてくれたので後は任せ、十三に行くための準備をしました。
地下鉄と阪急を乗り継いで第7芸術劇場に向かったのですが、大雨です。満席になるかなぁと心配しながら行きましたが、6時到着ですでに65人が予約表をいただき私は66番目でした。超満員です。立ち見が出るだけでは無く帰られた方々もいらっしゃいました。
この頃かなり視力が落ちているので前から2番目の席に座りました。映画が始まりました。
映画の内容は書かないことにしましょう。試写会の日は東成区民センターがあまりにも満員だったし、席を譲っての立ち見だったので、落ち着いて見ることができなかったので、今回が初めて見た位新鮮な感動を覚えました。
106分で上映は終わりました。何回も笑ったり、泣いたり大忙しの106分でした。
場所を変え、今度は出演者たちのトークが5階で行われます。
朴サユ監督の紹介でトークが始まりました。
一人一人舞台に上がり、4人が並びました。中級部の3年間、朝鮮語科目を教えた可愛い教え子たちです。
中級時代も高級部時代もラグビー部の主将だったクワンテさんです。
今は大学で副主将を務めています。責任感が強く包容力もある彼はみんなに慕われていました。映画でもそれをひしひしと感じさせます。
ヤンイルさんです。中級部の2年生から東中に転入してきた一人です。ずっと同じ分会に住んでいました。
ユインさんです。初級部は私の母校と同じ兵庫でした。中級部からラグビーをしたいがためソンギさんと一緒に大阪の東中にやってきました。中級部時代から冗談が大好きでいつもみんなを笑わせていたお茶目な学生でした。試合となればまるでチーターのように走り回ります。
サンホさんです。尊敬する金ヒリョ画伯のお孫さんです。中級部時代から勉強が良くできて落ち着いていました。祖父のことを書いた作文は今も印象に残っています。
4人が座りました。圧巻です。時の人たちです。試合に出ていた高級部時代より一回りも二回りも大きくなった気がしました。
この映画のもう一人の監督である朴トンサさんの軽妙な司会でどんどん話は弾んで行きました。
映画では語られなかったいろんなエピソードも聞けました。
トークの滑らかなこと、びっくりするほどみんなお話が上手になっていました。
中級部時代にトップになれなかったことが高級部への夢―全国制覇の夢、目標に繋がったこと、団結の秘訣等興味深い裏話も沢山聴くことができました。
スポーツが社会を変える、その信念をオヨンギル監督から学んだようです。
全国大会を通じて応援してくれた同胞たちに少しでも元気になっていただきたいという想いで頑張ったこと、同胞や日本の皆さんの応援が本当に力になったことなど感動的なお話があまりにも多すぎて何回も胸が熱くなりました。
彼らは自分たちは在日朝鮮人に生まれて良かったとさえ言っておりました。
ある対外試合で韓国からきた選手やオーストラリアからきた選手たちと共に過ごす機会があったそうですが、その時外国の選手から、どこの国から来たのかと聞かれ、日本から来たコリアンだと言ったら韓国の選手に否定され、本物ののコリアンは自分たちだと言われたことが悔しくて今も心に残っていると言っていました。
北に行っても本国そのものでは無い違和感を覚え、自分たちは在日のコリアンとして自負心を持ち、これからも南北、日本の懸け橋になりたいと言っていました。
南の選手たちも、日本の選手たちも、在日コリアンが何故存在するのかをあまりにも知らな過ぎるから、こんなことを言うのだと言っていました。知らせなければいけない、そのためにも韓国の全州で行われる映画祭で5月2日と4日に「60万回のトライ」が上映されることは非常に良いこと、うれしいことだと言って居ました。
この日のチケットはインターネットで発売された5分後に完売したそうです。凄いですね。本当に誇らしいです。ウリハッキョのことを全世界に知らしめる本当に良い機会をくれたとサユ監督とトンサ監督に感謝したいと言っていました。全く同感です。
サンホ君は自分の子供が生まれても必ずウリハッキョで学ばせたいと言っていました。幼稚園から高級部まで一貫して学んできた「一人はみんなのために、みんなは一人のために」のスローガンは唯一ウリハッキョでだけで学べるものだし、それが朝高ラグビーの強さの秘訣だと思っていると言っていました。
その精神は朝高ラグビー部のスローガン「一つ、信頼、勝利」と重なるものだとも言っておりました。
選手たちのお父さん方も紹介されました。
子供たちの追っかけをしているうちにアボジ達が無二の親友になり、選手全員を我が子のように思っているというお話は感動を呼びました。
今4人は大学の4回生です。就職先も内定したようです。
これからもスポーツを通じて、また社会活動を通じて同胞社会に恩返しをしたいと言っていました。
トークショウは予定より30分も延長されましたが、いつまでも彼らと一緒にいて元気のエキスを一杯いただきたいと思いましたが、次の日のスケジュールを考え、トーク終了後子供たちや監督に挨拶もできないまま会場を後にしました。一緒に写真を撮ったりサインを貰おうと大勢の方々がが並んでいたので遠慮いたしました。又きっと会おうね。希望の星たち!!