ニョニョのひとりごと

バイリンガルで詩とコラムを綴っています

3月31日、142回目の「火曜行動」です。

2015-03-31 22:59:00 | 火曜日


3月31日、142回目の「火曜行動」です。


 3月31日、142回目の火曜日行動の日です。

 私は今日2時から舞踊発表会司会進行のリハーサルに行かねばならなかったので、写真だけ撮って、会場にそのまま向かいました。

 私の携帯はスマホではないのでパソコンの前に座らなければFBもブログも掲載することができません。

ご了承くださいね。



NHKホールの前から歩いて府庁前に行きました。桜が咲いています。凄い人 人 人 ・・・







  府庁前到着です。






 第1声はやはり長崎さんです。







  金さんも伊藤さんも姜さんも元気に横断幕を掲げてくれました。





  敏ちゃんコト長崎さんも元気いっぱい!

  齋藤さ~ん!と呼ぶとやっと振り向いてくださいましたよ。








  お!時の人ー李君登場です。4月から朝大に行きます。法律を学ぶそうですよ。


  今日は3月1日卒業した元朝高生が大勢来てくれました。








 いつもお会いする方々もお元気でした。









  「火曜バンド」はまだ木村さんお一人です。





  館山さんと李さんの背中はいつ見ても大きいです。  


 

  
  わぁ、大きくなって・・・

  昨年は保育園に行けなくてオンマがいつも抱っこしてきてくれたけど、今は保育園に通っているのでひさびさに来てくれました。









  先週も来てくれた元東中生が今日も大勢自主的に参加してくれました。

  元朝高生も・・・









  生野の美女軍団登場です。




  
  ユソン君登場です。









  東中の放送部だった二人も頑張ってビラ配りをしてくれました。

























   大勢の方々がマイクアピールで道行く人々に呼びかけをしてくれました。


   3月、朝大を卒業して大阪に帰ってきました。中級部時代の教え子ですが、中学の時から控えめながらとても正義感の強い学生さんでした。おめでとう。これからは肩を並べて歩んでいこうね。




  3月に朝高を卒業したお二人もマイクを持って元気にアピールしてくれました。




























 中山さんのFBから頂きました。













いつも「火曜行動」の最後は「この坂を上れば」の合唱です。


  来週も頑張りましょうと呼びかけて終わるのです。
















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3月31日、「舞う、舞い上がれ、一つになるまで!」上演です。

2015-03-30 10:05:45 | お知らせ
  明日、3月31日、姜輝鮮朝鮮舞踊研究所 第33回 発表会 「舞う、舞い上がれ、一つになるまで!」が夕陽丘のクレオ大阪中央で午後6時半より行われます。

  昨日最後のリハーサルでしたが完成度はかなり高いです。研究所創立以来ずっと見守ってきましたが、素晴らしい出来だと思います。ほとんどの作品が創作作品だというのがもっと素晴らしいです。

  平日ですが是非お越しください。1部 舞踊アンサンブル 2部 舞踊組曲「チョソンの娘たち」




  昨日の練習風景を少しだけアップしますね。写真では伝わらないかも知れませんが音楽と舞台芸術と舞踊とナレーションでの総合芸術です。2部は写真を撮る余裕がありませんでした。ずっと語りがはいるので・・・




































































































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3月29日、お墓参りに行って参りました。

2015-03-29 13:01:16 | 日記
  朝から雨が降り続いています。

  今日は末息子チャン君の19回忌です。生きていたら35歳になります。

  15回忌の日に鎮魂歌を書き終え、大阪城公園の植木市で苗木を購入し、育てたアーモンドの花も満開の姿を見せてくれました。




  雨は降り続いていますが、お墓参りに行って参りました。

  すでに何日か前にどなたか来てくださったようでお花が添えてありました。毎年有難うございます。お花は桶に移させていただきました。






 今年も1年間、甥や姪たちを守ってねと、お願いして帰りました。

 次に来るのは6月です。


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再掲 記念詩 「生まれ故郷ー碇ヶ関を訪ねて」

2015-03-26 08:51:23 | 詩・コラム



記念詩 「生れ故郷―碇ヶ関を訪ねて」


 1.キャッスル号に乗って

東北のウリハッキョでの慰問公演を終え
弘前行きの キャッスル号に乗り込んだ

ついに 行くのだ 碇ヶ関に
夢にまで見た 生まれ故郷に

62年もの 長い間
心のどこかで いつも気がかりだった

何処で どんな所で生れたのだろう 私は
いつかは いつかは 探しに行かねば…

果てしなく続く田園風景 青さが目に染みる
トンネルを何度も潜りぬけ 高速バスは行く

「碇ヶ関まで27キロ」 掲示板の文字に
ドックン ドックン 鼓動が高鳴りはじめた 

左下に集落が見える 赤茶っぽい屋根の建物に
はっきりと書かれた 「碇ヶ関温泉郷にようこそ」

一瞬に通りすぎてしまった だが まぎれもなく
私は向かっているのだ 人生の出発点に!



記念詩2.碇ヶ関駅にて
           
弘前から奥羽本線のワンマンカーに乗り
4つ目の駅で降りた 碇ヶ関だ

小高い山に囲まれた 静かな佇まい
見渡す限り 青々とした田畑 リンゴ畑

大正の頃から変わりが無いという
碇ヶ関駅のホームに 立ち尽す

上野発青森行きの 蒸気機関車に乗って
オモニも降りたんだね このホームに

激しい 陣痛に耐えかねて
姉と次兄を連れ やむなく降り立った駅

どんなに心細かっただろうか
頼る人も知る人もいない この駅で

階段を一段一段上り渡り廊下を歩く
階段を一段一段下り出口に向かう

駅員も見当たらない小さな駅
切符を受け取る人もいない駅

62年の歳月を経て 今 ここに立つ
オモニのお腹にいた私が ここに立つ





記念詩3.日曜日の碇ヶ関支所
          
丁度1ヶ月ほど前 FAXを送った
インターネットで捜した 碇ヶ関総合支所に

「私の 生まれた場所を 探してください。
 碇ヶ関の小さな自炊旅館だったそうです。」

手がかりは ただ それだけ 
雲を掴むような おはなし

なのに 総合支所の皆さんは
自分事のように涙し 探し続けて下さった

仙台へ出発する二日前 ついにきた 嬉しい便り
「見つかりました!着いたら支所に来てください」

日曜なのに と 心配する 私に
何時でも良いから と 仰る 黒滝さん

こんな偶然があるだろうか
予約した宿が 総合支所の 隣だったなんて

宿に着くなり向かった 総合支所で
支所長さんと黒滝さんが 暖かく迎えてくれた

沢山の資料、地図、特産物、リンゴ、生ジュース
碇ヶ関の ネーム入Tシャツまで 着こんで

70匹もの 蛍まで 準備してくれていた
碇ヶ関の夜を 蛍と共に 過ごすようにと…



 記念詩4.星空に抱かれるように           

高さ15CMほどの ガラス瓶の中に 
田んぼで取ったと言う 70匹の平家ホタル
蓋には 「ホタルのホテル」と 刻まれていた

昨日の夜 田んぼの近くまで 車を寄せ
ウインカーを チカチカ 点滅させて
集まってきた 蛍を 一気に 詰めたそうな 

夜中の12時 全ての電気を消し
布団に横たわったまま じっと 見つめる
蛍たちが踊りだした 右に左に ぐるぐると

真っ暗闇の中 ホタルが放つ光が
ガラス戸や鏡に反射して作った 幻想的な空間
夢を見ているような 嬉しい錯覚

視力の弱い事が こんなに 効を奏するなんて
まるで 霧の中 湖の傍に 佇んでいるよう
満天の星空に 抱かれているよう

遠い昔 星降る夜 オモニが作ってくれた浴衣を着て 
近所の綾ちゃんと 盆踊りに出かけた日の事が
なぜだか 浮かんでは消え 消えては浮かんだ

花岡支所長さんの 優しい 思いやりが
生涯忘れる事の無い 幸せな夜を くれた
生れ故郷での初めての夜を 心に刻んでくれた




記念詩5.白沢の水場     
          
「こちらです」 朝 支所長さんの声
碇ヶ関支所から車で5分ほどのところ
私が生まれたという 木賃宿の跡地

雑草が茂る空き地だ 思ったより小さい
左横はすぐ山のふもとだ 線路跡がある
汽車が通るたび 家が揺れたそうだ

入り口に 白沢の水場 生命の水場     
山から管を通して 引っ張ってきた水 
江戸時代から 流れ続ける 白沢の水

水道のなかった 昔も今も 共同の水場 
木賃宿の客人も ここで顔を洗い洗濯をし
井戸端会議に花を咲かせた 貴重な場所

オモニもこの水で 炊事洗濯をしたのか
私のオシメを洗い 時には沐浴もさせてくれ
6ヶ月間 触らぬ日がなかった 白沢の水

手を伸ばし触って見た 冷たい!
初めて実感する 生れ故郷の感触
脳裏に浮かぶ セピア色の オモニの顔写真

何度も何度も触ってみる
手のひらで水を受け 口に含んでみる
おいしい! 涙と一緒にごくっと飲み込んだ




記念詩6.花岡チエさんとの対面

「外崎さんの おばちゃんはね
それはそれは 優しい人でしたよ」

捜していた木賃宿の隣で生れ育ち 今も住む
花岡チエさん 3代続いた教員の家に生れた方
私よりも一回り年上の ほっそりした上品な方

旅館代の払えない貧しい人々が 通りすがら
この木賃宿に泊まったそうだ 部屋は4つだけ
子供さん二人抱えて 宿を営んでいた外崎さん

チエさんの話を聞きながら オモニの話を思い出す
駅を降り 大きなお腹抱え当ても無く歩いていた時
1人のお婆さんが うちにおいでと言ってくれたと

部屋に入って間もなく 産婆を待つ時間も無く
私が生まれ へその緒を自分の歯で噛み切ったと
この方に会っていなかったら オモニは?私の命は?

「間違いないわ。この辺で木賃宿はここだけだし
 外崎のおばちゃんなら 必ず 助けたはず!」

有難うございます 花岡さん 生きていてくれて
あなたのおかげで やっと 見つけました
紛れも無い 私のルーツ 生れ故郷の住所を!

「青森県平川市碇ヶ関160番地の5」
命の恩人 外崎さん 証人の 花岡チエさん
手を握り 涙しながら喜び合った 感動の瞬間!



記念詩7.碇ヶ関支所での朗読会
         
花岡チエさんとの感激の対面のあと
興奮覚めやらぬまま 支所に戻った
支所の皆さまが開いて下さった朗読会

「朝鮮学校無償化除外反対」を訴える為
生れて初めて日本語で書いた 詩 <ふるさと>
広島、東京、京都、奈良、大阪の朗読会で、集会で
幾度と無く朗読しつづけてきた 詩 <ふるさと>

その詩を 今 <ふるさと>で 朗読するのだ
足も声も震える こんなこと初めてだ
夫の優しいフルートがそっと励ましてくれる

「生まれ育ったところが故郷だと
 誰が言ったのだろう
 私には故郷なんてなかった
 ふるさとがなかった… 」

誰が想像したであろうか
生れ故郷の 碇ヶ関で 
この詩を朗読する日が来るなんて

この詩を詠むたび 思ってた
誰に 私の悔しさがわかるものかと
誰に 私の悲しみがわかるものかと

だが今 私の胸に迫るものは 感謝の気持だけ 
こんなに 素晴らしい村で生れただなんて
こんなに 素晴らしい人々がいただなんて…



記念詩8.三笠山に登って
            
青々としたアカシヤ あちこちに見える天然杉
白く可憐なリンゴの花に囲まれて
少年期をここで過ごした 葛西善蔵の文学碑

到る処にあじさいの花が 明るく咲いている
支所長さんらが 学生の頃 植えた苗が
ブルー、ピンク、薄紫の花を 毎年咲かせる

三笠山の山頂から 碇ヶ関村の全容が見える
バスの中から見えた「碇ヶ関温泉郷にようこそ」が
総合支所の裏壁だったなんて 嘘みたい

赤、青の屋根が目に付く 全てトタンだそうだ
寒い冬に雪が滑り落ちるよう 工夫されている
碇ヶ関は二つの山脈に囲まれた盆地だったんだ

室町時代から 関所のある宿場町として栄え
村を流れる平川の清水、果てしなく広がるりんご園
豊かな自然といで湯に恵まれた 閑静な里

人口2、800人にまで減ったけど
村に対する誇りは誰にも負けない
黒滝さんも支所長さんも碇ヶ関の人だ

「おまえはリンゴ畑で拾ってきたんだよ。」
言われるたび 青森に帰るから電車賃をくれと
駄々をこねた 昔がほんに懐かしい

「おーい 碇が関ー 私はついに来たよー」
叫びたい気持ちを抑え リンゴ畑を歩き続けた



記念詩9.三笠食堂で

「この村で一番古い三笠食堂で
 お昼をいただきましょう。」

支所長さんにつづいて食堂に入る
昭和の雰囲気が漂う 古いお店
アルバムや雑誌なんかも置いてある

壁に貼られた大きなポスター
<自然薯ラーメン> 美味しそうな響き
「私これにします」 結局 皆このラーメン

ラーメンを待っている間 話が行き交う
今日の朝訪ねた 花岡さんのお父様に
ここのご主人も 習ったそうな

アルバムを見ていると分かる 大正時代の様子
昭和の時代の平川や橋、馬車まで走っている
大阪から生れ故郷を探しにきたと紹介される

「木賃宿の名前がわからんのです」
「あぁ、白沢の水場の木賃宿かね、大黒屋さんや
出前頼まれて よう行ったから間違いないわ」

大黒屋?大黒屋?! 役場でいくら調べても
最後までわからず 諦めかけていた屋号が
こんなにも簡単にわかるなんて 奇跡?偶然?

碇ヶ関に来てビックリすることだらけ
ひとつの 大家族のような村 
血の通い合う 暖かい 私の生れ故郷!



記念詩10.碇ヶ関の名所を巡る
           
三笠食堂の2代目店主 阿部さんから
貴重な証言を頂いた後 たけのこの里に向かう

樹齢200年の大杉の前に佇み 仰ぎ見る
しばし時を忘れ 森林の心地よい香りに酔った

春は山桜が咲き乱れ 夏は楽しい渓流釣り
秋は紅葉、バーベキュー、温泉も楽しむ贅沢さ

コテージが素敵 中に入るとまるで我が家のよう
「来年の秋 姉や兄と 必ず泊まりに来ます」

つい口から出た言葉 でも嘘じゃない 本当だ
何回でも来たい処 小川のせせらぎが心地よい
 
帰って報告すればどんなに喜ぶことだろう
家族みんなで行こうと 言うかも知れない

再び 碇ヶ関駅に戻り写真を撮る 心に刻む
駅隣の 屋内村民プール遊泳館にも立ち寄る 

かけ流しの温泉がある 道の駅いかりがせき
移築した関所の面番所で 江戸時代にタイムトラベル

たけのこの瓶詰め,自然薯そばに青森りんごきらら 
お土産もどっさり 大満足 ポッカリ雲が笑ってる

碇ヶ関の全てを持って帰りたい 大阪に
7色の温泉が 又おいでと 湯煙を立てている



最終章。果てしなく続く旅
          
大阪に向かう飛行機の中で ずっと考えた
私はなぜ 碇ヶ関を 捜し続けたのだろうか
私はなぜ 生地に こだわり続けたのだろうか

人は皆 生地を持つ しかし 選ぶ事は出来ない
ましてや 私は異邦人 流れ流れて 着いた村
昨日今日の話では無い 遡れば 100年も前だ

国を奪われ やむなく祖父が日本に渡り 
祖父を頼って日本に来た父は 母と出会った
職も無く 転々と彷徨う中で 生まれた 私

外国人登録証なるものを初めて見た中学生の時
両指10本の指紋をとられながら 私は思った
私は罪人か? 一生 これに縛られるのかと

心のどこかでいつも 怨んでいた
国を奪ったもの達を 離散家族を作ったもの達を
チマチョゴリも自由に着て歩けない この国を

60年もの間 かたくなに心を閉ざし
決して許す事はなかった 祖父の足を奪った輩
出生地も 知らぬまま 生まれ育った 悔しさを  

がむしゃらに勉強をした ウリマルの勉強を
誰よりも自分の国の言葉を上手に喋りたいと 
異国生れを 下手な口実にはしたくなかった

定年を迎え ふと 我に返ったとき 思った
生れた場所も知らないまま 死んで行くのかと
子供たちに伝えねばならぬものは なんなのかと

心優しい人々が住む 碇ヶ関で 命を授けられ
今もなお 心豊かな この村の人々の お陰で
ルーツを探せた感激、喜び、深まる感謝の気持ち

その想いが強いほどに 私は思うのだ
私の祖父、父、母が生まれ育った誠の故郷を
一度も見ないまま ただ年を重ねるべきなのかと

植民地に継ぐ 南北の分断はあまりにも長すぎた
個々の悲しみに背を向け 頑張り続けた半世紀
背中の丸くなった長兄は 未だ1人で済州島に

必ず捜しにいかねば 堂々と 胸を張って
民族の誇りを守って生きてきた 60年を
決して無駄には出来ない 決してしまい

果てしなく旅は続く でも私の足取りは軽い
必ずや 統一を迎えた故郷で 家族が集い
碇ヶ関でのことを 笑いながら話せる日は来る!

碇ヶ関の人々がそうであったように
私も民族や国籍に拘らず 困った人を助け 
日朝の架け橋になろうと 静かに誓った


          終

     2011年7月19日



 
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3月24日、141回目の「火曜日行動」です。

2015-03-24 15:01:17 | 火曜日
3月24日、141回目の「火曜日行動」です。


 今日は真冬のような寒さでしたが、みんなで力を合わせ頑張りました。

 11時20分ごろに大阪城公園の入り口に到着しました。府庁前に到着するまで初春の花を楽しみました。

 公園入口には早咲きの桜が満開です。

 























  府庁前到着です。

  時折突風のような冷たい風が吹いていましたが、皆さんの表情はとても穏やかでした。















 長崎さんの明るい声が響き渡りました。

 毎週参加の梁ハルモニも田中さんもとても元気です。









  先週も来てくれた東中の卒業生(2組と3組)が3人で今日も進んできてくれました。とても元気を頂きました。











  この時点で「火曜バンド」は木村さんお一人でした。

  アコーディオンの古賀さんは今日がお誕生日なのでお祝いの挨拶を伝えたかったのに出張でした。

  館山牧師さんの奥様がいらっしゃいました。館山牧師は秋田の実家に里帰り中だそうです。寂しいな。いつもおられる方がいない日は・・・












  しばらくすると朝高卒業生が二人きました。笑顔がとても素敵です。進路は決まったの?と聞くとお一人は朝大の文学歴史学部、もう一人は朝大の保育学部に行くと言ってました。

  おめでとう!頑張ってね。お休み返上して府庁前に来てくれたことが本当に嬉しいです。朝大に行けば文科省前での「金曜闘争」が待っていますよ。







  「火曜バンド」がいつの間にか二人になりました。池辺さんお久しぶりです。



 新朝大生が続いてアピールしてくれました。ウリハッキョで初中高と学びながら何を得たのかを心を込めて話してくれました。勿論これからの抱負も・・・





  「火曜行動」では長崎さんご夫婦と共にいつも二人で参加され、力強いアピールをご夫婦交代でして下さる大村さんご夫婦は貴重な存在です。




  大村和子さんの朋友である元日本学校の先生も、34年間続いた城北初とのかかわりの中で感じてきたこと熱く語られました。

  朝鮮学校の2年生の女の子の日記に書かれていた「朝鮮帰れと言われ怖かった。」という言葉がいまも脳裏から離れないと仰っていました。








  「火曜バンド」が遂に3人になりました。「火曜行動」と共に「火曜バンド」の存在はきっと歴史に残ると思います。




   (森本 忠紀さんからの投稿)

  花の季節がやってきました。毎年、朝鮮学校のグランドで炭火焼肉をほお張りながら、朝鮮の音楽、舞踊を楽しませていただいています。
 
  一年を通して、様々な交流の場がありますが、いつもおもてなしを受けてばっかりで、たまにはお返ししなきゃと思っています。


  朝鮮学校がすぐ近くに、ぼくが住んでる隣の市にあることを知ったのはほんの3,4年前のことです。それから一挙に世界が広がった気がします。朝鮮学校の存在を一人でも多くの日本人に知ってもらいたいと思います。


   「音楽に炭火焼肉キムチ鍋篤きもてなし想い出幾多 ちゅうき」


   「ハングルを小学校で学ぶべし目に浮かびます楽しい景色 ちゅうき」







 歌舞団の夫さん、女性同盟の崔さんも民族教育を受けたものとして、朝鮮学校に子供を送る母としての心情を語ってくれました。









  宝塚から毎週来てくださる田中さんが久しぶりにアピールをされ、自作の歌も歌ってくださいました。体調が戻らず声が良く出ないと仰っていたけど、さすが!乙女のようなお声は健在でした。









  久しぶりに池辺さんがマイクを持たれました。日朝文化交流会の前会長である小笠原美津子さんのお誕生日が今日である事教えて下さいました。御年95歳だそうです。先輩の誕生日を祝って「平嬢慕情?」を歌ってくださいました。素敵なお声です。道行く人も振り返っていました。





  最後にみんなで「この坂を上れば」を元気に歌い来週も闘う約束をしました。いつものように駐輪場に集まり新朝高生と新朝大生に拍手を送りました。







  まだまだ桜は蕾です。でも木曜日から暖かくなるというので来週の火曜日には桜で埋め尽くされると思います。




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