追憶 「共に四十年」ファミリーコンサート
今からちょうど5年前の2007年3月31日、夫ー金主休の還暦を迎える前日、布施の夢広場で「共に四十年」ファミリーコンサートが行われた。夫の音楽仲間、私の文学仲間と演劇仲間たちが企画してくれたのだ。
事の発端は私が文学仲間に、ただ飲み食いするだけの還暦祝いはもったいないなぁと言ったことから始まった。私と夫は2歳違いだが、社会生活、文化活動を始めた年月が同じであった。それで、40年間文化活動を続ける間に巡り合った仲間たちと共にコンサートの形で祝いたいと思ったのだ。
「共に四十年」
李芳世さんの軽妙な司会でコンサートは始まった。
1番目は演劇口演部の朝鮮の昔話だ。笑いを誘った「オナラのお話」
次に男性合唱団<サナイ>の「クンバムタリョン」
3番目は留学直前の次女文淑のピアノ独奏「ショパンのバラード1番」
続いて朝大から駆けつけてきてくれた教え子姜未衣さんの詩の朗読「山ツツジ」
5番目に文春一さんと私の詩と歌のコラボ「金素月の招魂」
6番目は娘のピアノ伴奏で夫のフルート独奏「初春」
続いて中級時代からの後輩ー金桂仙さんの独唱「黄金の木が咲いたよ」
歌舞団時代の同僚であり、夫の音楽仲間ー崔大弦さんの独唱「木魚の音」
9番目に李明玉さんが、作曲をしてくれた梁順雅さんの伴奏で私の詩「母の手」
続いて夫のフルート伴奏で私が、孫のユニのことを唄った「こんな日がいいなぁ」を朗読。
ここでサプライズだ、子供たち、孫たちが登場して合唱をしてくれ、花束やプレゼントを用意してくれていた。
このコンサートを企画してくれたのは教え子の趙正心歌舞団団長、詩友の李芳世詩人、夫と私の学生時代からの共通の友人梁普淑さんだ。感謝してもしきれない。
演目もあとわずかになり、11番目は演劇口演部の合唱詩「これが俺たちの学校だ」
演目最後は夫の指揮、高雪華さんのピアノ伴奏で<サナイ>、<コール・アリラン>の合唱、カンタータ「アムノッカン」と夫が作曲した「ハンラサンよ>の合唱でコンサートは無事終わった。
出演者が全員登場して最後に夫が謝辞を述べた。
コンサート終了後家族写真を高賛侑さんが撮ってくれた。もちろん全ての写真は彼が写してくれたものだ。
この時はユファとヒジョンはまだ生まれてもいなかった。明日1年生になるリファがまだ1歳4ヶ月の時の話だ。時は流れたが、今も家族仲良く、心暖かい友人たちと共に歩いている。感謝感謝の幸せな日だった。
今からちょうど5年前の2007年3月31日、夫ー金主休の還暦を迎える前日、布施の夢広場で「共に四十年」ファミリーコンサートが行われた。夫の音楽仲間、私の文学仲間と演劇仲間たちが企画してくれたのだ。
事の発端は私が文学仲間に、ただ飲み食いするだけの還暦祝いはもったいないなぁと言ったことから始まった。私と夫は2歳違いだが、社会生活、文化活動を始めた年月が同じであった。それで、40年間文化活動を続ける間に巡り合った仲間たちと共にコンサートの形で祝いたいと思ったのだ。
「共に四十年」
李芳世さんの軽妙な司会でコンサートは始まった。
1番目は演劇口演部の朝鮮の昔話だ。笑いを誘った「オナラのお話」
次に男性合唱団<サナイ>の「クンバムタリョン」
3番目は留学直前の次女文淑のピアノ独奏「ショパンのバラード1番」
続いて朝大から駆けつけてきてくれた教え子姜未衣さんの詩の朗読「山ツツジ」
5番目に文春一さんと私の詩と歌のコラボ「金素月の招魂」
6番目は娘のピアノ伴奏で夫のフルート独奏「初春」
続いて中級時代からの後輩ー金桂仙さんの独唱「黄金の木が咲いたよ」
歌舞団時代の同僚であり、夫の音楽仲間ー崔大弦さんの独唱「木魚の音」
9番目に李明玉さんが、作曲をしてくれた梁順雅さんの伴奏で私の詩「母の手」
続いて夫のフルート伴奏で私が、孫のユニのことを唄った「こんな日がいいなぁ」を朗読。
ここでサプライズだ、子供たち、孫たちが登場して合唱をしてくれ、花束やプレゼントを用意してくれていた。
このコンサートを企画してくれたのは教え子の趙正心歌舞団団長、詩友の李芳世詩人、夫と私の学生時代からの共通の友人梁普淑さんだ。感謝してもしきれない。
演目もあとわずかになり、11番目は演劇口演部の合唱詩「これが俺たちの学校だ」
演目最後は夫の指揮、高雪華さんのピアノ伴奏で<サナイ>、<コール・アリラン>の合唱、カンタータ「アムノッカン」と夫が作曲した「ハンラサンよ>の合唱でコンサートは無事終わった。
出演者が全員登場して最後に夫が謝辞を述べた。
コンサート終了後家族写真を高賛侑さんが撮ってくれた。もちろん全ての写真は彼が写してくれたものだ。
この時はユファとヒジョンはまだ生まれてもいなかった。明日1年生になるリファがまだ1歳4ヶ月の時の話だ。時は流れたが、今も家族仲良く、心暖かい友人たちと共に歩いている。感謝感謝の幸せな日だった。